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会議は、思いのほかスムーズに進んだ。
岡崎の説明は要点がはっきりしていて、スライドも分かりやすい。
時折、場を和ませるような軽口も混ぜながら、
嫌味にならないギリギリのところで 柔らかく着地させ 会議室に和やかな笑いを起こさせる。
その調子も、あの夜の彼と、どこか地続きだった。
ふざけてるのに、ふざけすぎない。
距離を詰めてくるのに、なぜか不快じゃない。
無神経なようで、ぎりぎりの線でちゃんと“他人”としての距離は守ってくる。
……あの夜、酔って落としたキーホルダー。
それを拾い上げて、妙な名前をつけたあの男。
いま、こうして会議室でスーツを着て、丁寧に打ち合わせを進めている。
記憶の中の“岡崎”が、ひとつに繋がっていく感覚。
自分の中で「岡崎 禄」という名前が、ようやく輪郭を持ちはじめた。
⸻
会議が終わると、空気が少しだけゆるんだ。
資料をまとめながら、今日の議事録どうしよう……あとで整理し直した方がいいかな……なんてことを考えていると、机の向こうで紙の擦れる音がした。
視線を上げると、岡崎が封筒を手にして立っていた。
名刺や資料を、重ね直している。
軽く会釈してそのまま去っていくかと思ったそのとき、封筒をぽん、と指で弾いて、こちらにちらっと顔を向ける。
「……あ、そうだ。やさぐれさん、元気?」
唐突すぎる呼びかけに、思わず目が合った。
仕事モードがすっかり抜けた岡崎は、口元をくにゃっとゆるめて、あの調子で笑っていた。
うわ…やっぱり、覚えてた。
「……げ、元気ですけど。まあ、一応」
声が少し裏返ったのを自覚しながら、なんとか平然を装う。引きつった笑いはもう制御不能。
「いや〜、俺の中じゃあれがハイライトでしたよ。あの夜の。脳に焼きついてて」
「……ハイライトが、それですか」
「そう。“やさぐれさん”が強すぎて、もう他の記憶ぜーんぶモザイク」
「…モザイクって…変なこと言わないでください」
「え、でもなんか“持ってそう感”あったんすよね。最初から。ひとりで静か〜に飲んでたし、表情とかも落ち着いてる感じだったけど。しれっとそういう謎キャラ連れてそうだなって」
しれっとそういう謎キャラ連れてそう。
なにをいうのかこの男は。
「なにを…なんですかその偏見」
「完全な偏見。でも俺、そういうの好きなんで」
言いながら、あの時の笑顔。
茶化しているのか、本気なのか、どうにも読みづらい口調。
「で、結局なんだったんですか? あれ。なんか、見た目やさぐれてましたけど、何のキャラなんです?」
「それあの時も言いましたけど、旅先でもらったやつなんで。景品っていうか、福引の……よく覚えてないです」
「じゃあ俺が勝手に命名してよかったやつだ。いや〜、“やさぐれさん”。完璧じゃないですか? あれ、Tシャツとか作ったら売れそう」
「Tシャツ…は、さすがに売れないと思います。変な顔だし可愛くないし」
「ひっでぇっ」
こちらの冷たい返しにうひゃひゃと笑い声をあげる。無邪気な笑い声。
会話の間が心地よいわけではないのに、なぜかイヤじゃない。
「んじゃ。帰ります。…あっそうだ、しばらく俺ここに顔出すことになるんで。また会ったらよろしく。藤井さん」
「へ?」
そのままぺこっと軽く頭を下げると、岡崎は背を向けてさっきの封筒で肩をポンポンと叩くようにしてドアの方へ去っていった。
自席に戻る途中、ポケットに入れっぱなしだった名刺を、何気なく取り出してみた。今度はしっかり読んでみる。
株式会社フェリクスプロモーション
営業企画部 チームリーダー
岡崎 禄(おかざき・ろく)
下の名前はろくと読むのか。
そして 意外にも、ちゃんとした会社の、ちゃんとした肩書きもあるのか。
だけど、あの日「やさぐれさん」と名付けて笑っていた男が、この肩書きと同じ人物だというのが、いまひとつまだピンと来なかった。意外。
名刺の紙面にはそれ以外何も書かれていないのに、なぜかそこに――
週末の記憶がすうっと染みこんでいる気がした。
肘がぶつかって、キーホルダーを拾ってもらって、ふざけた名前をつけられた夜。
きっとどこにでもある偶然。
どこにでもある出会い。
──それだけのはず、だったのに。
どうしてか、思い出すたび、輪郭がはっきりしてくる。
冗談の調子も、笑い方も、拾い上げられた手の温度も。
気がつけば、手の中のペンが止まっていた。
そういえば奴は
しばらくここに顔を出すからよろしくと言っていた。
その言葉は、聞いたときにはうまく飲み込めなかったくせに
あとになってから、じわじわと遅れて染み込んでくる。
これから奴とは。岡崎とは。
時々顔を合わせることになるらしい。
また何か、変なことを言ってくるかもしれない。
やさぐれさんの話とか、どうでもいいような冗談とか。
それとも、もう少し別の話を。
……わからないけど。
でも、また会うことになる。
そう思っただけで、胸の奥にかすかなざわめきが残った。
その正体は、まだうまく言えない。
でもたぶん、
ほんの少しだけ楽しみにしてしまってる自分がいた。
「さぁ、片付けるかぁ」
うーんと伸びをしてそう呟き、
深くもない呼吸をひとつ、静かに吐いた。