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「おはよ。」
「おはよう。」
「おはよ〜。」
まだまだ春休みが続く今日。
そして──
今日は、進級可否の結果がポータルで発表される日。
…緊張して、 いつもよりも少し早く目が覚めてしまった。
自分で言うのもなんだけど、真面目に講義には出ていたし、2月下旬に出た期末試験の結果もそんなに悪くはなかった。
だから大丈夫なはず…そう思っても、 やっぱり結果が出るまでは不安になるものだ。
心做しか、すぐ隣から聞こえる元貴の『おはよう。』も、どこか不安を滲ませているように感じた。
涼ちゃんも院進のためには絶対に進級しなきゃいけない立場で、少し不安気ではあったけど、おれ達より2回多くこのドキドキな日を迎えた事のある経験値からか、意外と表情は穏やかだ。
──それでも、やっぱり落ち着かない。
今日も元貴の首元に顔を埋め、鼻先でふわりと息を吸った。
寝起きだし、特に香水を付けてる訳でもないのにほのかに甘い香りが鼻をくすぐり、少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。
「んんっ、若井…くすぐったいからあ。」
「やだ。元貴、いい匂いするんだもん。」
「分かる。元貴ってなんか甘い匂いするよねぇ…なんだろ、赤ちゃんみたいな。」
「分かる。それだ。」
「なっ…赤ちゃん?!え、やだっ…ちょ、嗅がないでよっ。 」
おれと涼ちゃんにクンクンと匂いを嗅がれ、頬を真っ赤にして身を捩る元貴。
でもおれ達が左右を塞いでいるから、逃げ場はどこにもない。
くすぐったさに耐えきれなくなった元貴は、バッと掛け布団ごと起き上がった。
布団の端から覗く首筋まで赤くなっていて、その可愛さに思わず目が離せなかった。
掛け布団を肩まで抱えて、まだ顔を真っ赤にしたままの元貴。
おれと涼ちゃんは視線を合わせ、こっそり笑ってしまう。
「…もう、朝から何なのさ…!」
「落ち着く儀式、かな?」
「そうそう。緊張ほぐし。」
「そんな儀式いらないし!」
ぷんすかしながらも、元貴は布団を引きずったままスマホを手に取った。
画面にはまだ何も通知は来ていない。
がっかりしたような、安心したような表情でスマホを置こうとしたその時──
三人のスマホが同時に震えた。
一瞬で空気が張り詰める。
互いに顔を見合わせ、同時にロックを外す。
「…っ!」
画面の文字を確認した瞬間、胸の奥が一気に軽くなった。
「進級…できた!」
元貴が小さく息を弾ませ、ぱっと笑顔になる。
その笑顔があまりにも眩しくて、気づけばおれと涼ちゃんは両側から抱きしめていた。
「よかったね、元貴。」
「うん…!若井も、涼ちゃんも…」
「もちろん。全員進級だよ~!」
三人の肩が重なったまま、しばらく離れられなかった。
春の光がカーテン越しに差し込んで、元貴の髪をやわらかく照らしていた。
・・・
「「「いただきまーす!!!」」」
心配事が1つ消えたおれ達は、いつもより元気に手を合わせると、今日も涼ちゃんが作ってくれた朝ご飯を食べていく。
スクランブルエッグの上には、ケチャップでにこっと笑う顔の絵。
──こういうときは大体、味に少し冒険があるときだ。
食べてみると、口の中にケチャップの酸味と焦げの苦味が広がる。
(あー…やっぱり失敗した?)と心の中で笑いながら、もぐもぐと口の中で味わう。
「二人とも今日は何するのー?」
元貴がスープをふーふー冷ましながら、のんびりとおれと涼ちゃんへ順番に目を合わた。
「おれは特に予定なし。だらだらする。」
「僕は…無事進級も決まったし、院進の件で大学に行こうかな~。」
「えー、もう動くの?今日は祝日モードでいいじゃん。」
「んー、でもちょっとだけね。すぐ帰ってくるから。」
そう言って微笑む涼ちゃんの声は、いつもより少し軽やかで、進級の安堵がそのまま混ざったみたいに響いた。
・・・
朝食後、涼ちゃんは身支度を整えると、『じゃ、行ってきまーす』と軽やかに玄関のドアを閉め、大学へ向かっていった。
残されたおれと元貴は、これといった予定もなく、リビングのソファーに沈み込み、さっそく休日のだらけモードに突入していた。
──こういうときの元貴は、本当に油断してる。
おれや涼ちゃんからスキンシップをされるとすぐ顔を赤くするくせに、今だって背もたれじゃなくて、ほぼおれの肩に体重を預けてテレビを見ている。
ほんのりあたたかい体温と、たまに首筋に当たる髪の毛で、 こっちが変に意識してしまうのに、本人は全然気づいていないらしい。
視線を横にずらすと、無防備な横顔。
少し開いた唇から、規則正しい息が漏れていて、その静けさが逆におれの心臓を騒がせた。
そっと手を伸ばして、元貴の髪の毛先を指先で摘む。
柔らかくて、さらさらしていて、ほんの少しだけまだ寝癖が残っているのが元貴らしい。
軽くくるくると指に巻きつけてみると、元貴が小さく首を傾けた。
「…なに?」
「別に。ただ、髪触ってるだけ。」
「ふーん……」
また視線をテレビの画面に戻したけれど、耳たぶがほんのり赤くなっているのがバレバレだ。
その様子がたまらなくて、今度は前髪をそっとかき上げてみる。
「…やだ、なんかくすぐったい。」
「じゃあ、やめるー。」
「……別に、やめなくてもいいけど。」
その小さな声に、不意に胸の奥が甘く締めつけられた。
元貴の『やめなくてもいいけど』という言葉に、遠慮なく距離を詰める。
背中と肩をそっと引き寄せると、元貴は一瞬びくっとしたけど、そのまま素直におれの胸元に収まった。
髪に触れる指先から、体温がじわりと伝わってくる。
さっきまでテレビの音が耳に入っていたのに、今は元貴の呼吸のリズムだけがやけに大きく聞こえる。
「…なんか、落ち着く。」
「ぼくも。」
その一言で、元貴の肩がふわっと力を抜くのが分かった。
肩口に鼻先を近づけると、やっぱりあの甘い匂いがする。
「やっぱ、いい匂いする。」
「……もう、またそれ言う。」
「事実だから。」
テレビの画面は流れ続けているのに、おれたちの時間は、今、このソファーでだけ静かに止まっていた。
元貴の顎にそっと手を添え、距離をゆっくりと詰めていく。
耳まで赤く染まった元貴は、何も言わずに目を閉じた。
緊張しているのか、長い睫毛がふるふると震えていて――
その小さな揺れすら、愛おしくて堪らない。
普段の元貴は、“友達”だった頃とあまり変わらず、こちらから少し踏み込みすぎれば、すぐに逃げていく。
時々、本当におれ達は恋人同士なのかと不安になる瞬間もあった。
けれど、今目の前にあるこの顔は、間違いなく“恋人”にしか見せない表情で。
そう思ったら、頬の筋肉が勝手に緩んでしまう。
胸の奥に、じんわりとした温かさが広がっていった。
唇が触れる、ほんの手前で一度だけ動きを止める。
その距離の中で、元貴の小さな吐息が、おれの唇にかかる。
触れそうで触れない、この一瞬がやけに長く感じられて、胸の奥がじわっと熱くなる。
「…元貴。」
名前を囁くと、ゆっくりとその瞼がさらに深く閉じられた。
その仕草に背中を押されるように、唇を重ねる。
柔らかくて、少しだけ甘い。
触れた瞬間、元貴の肩が小さく跳ねて、おれのシャツをぎゅっと掴んだ。
その反応が、可愛くて、愛しくて――
もっと確かめたくなる。
ほんの数秒のキスなのに、離れたあとも元貴の頬は真っ赤で、潤んだ瞳がこちらを見上げていた。
「その顔、反則。」
少しだけからかうように笑うと、元貴は『…うるさい!』と、ぷいっと顔を背け、おれから離れていった。
……離れてくれて、正直助かった。
このままだと、もう歯止めが効かなくなるところだったから。
おれは、顔を背けてる元貴の頭をぐしゃぐしゃっと雑に撫でてから、気持ちを落ち着かせようと、立ち上がってキッチンへ向かった。
『ぼくのも!』と背後から声が飛んできて、『はいはい。』と答えた瞬間――
ふと視線を感じて振り返る。
ソファに腰掛けたまま、元貴がこちらをじっと見ていた。
まだ赤い頬、潤んだ瞳。
何か言いたそうなのに、唇は結ばれたままで――
その無言の視線が、さっきよりもずっと心臓に悪い。
「なに?もっかい、ちゅうする?」
動揺を誤魔化すように、ニッと笑ってからかうと、元貴は『はっ』と目を瞬かせ、クルッとテレビの方へ身体を向けた。
耳まで赤く染まっていくのが横顔越しにも分かる。
その反応に、からかいのつもりだった言葉が、自分にとっては逆効果だったようで――
おれは静かに息を吐き、涼ちゃんとの“約束”を思い出しながら、視線をキッチンへと戻した。
その後はゲームをしたり、またテレビを見たり、涼ちゃんのお菓子ストックをこっそり食べたり…
昼過ぎまで、“健全”に春休みを満喫していた。
考えうる“だらけ”をやり尽くした後、暇を持て余していた元貴が閃いたような顔で、俺に話し掛けてきた。
「ねえねえ、涼ちゃんまだ帰って来なさそうだし。夕飯、ぼく達で作らないー?」
「え?」
「あんまり凝ったのは作れないけど、三人の進級のお祝いしたいなって思って。」
元貴はそう言うと、にこっと笑った。
確かに、今日という一日をだらだらと過ごしすぎて、もうだいぶ前の事のように感じていたけど、今日は三人とも無事に進級出来る事が分かっためでたい日だ。
おれは、元貴の笑顔につられるように笑うと、『それ、いいね! 』と言って立ちあがり、早速おれ達は夕飯の買い出しに出発した。
・・・
「だあー!疲れたあー!」
「今日は二人なのに元貴が買いすぎるからじゃんっ……うわー、手痛ぇ。」
「うるさいなあ、いつも三人だからそんなノリになっちゃうじゃん!」
「どんなノリだよっ。」
手に食い込んだ袋の持ち手をやっと外して、おれ達はダイニングの椅子に腰を落とした。
いつもなら6つある手が、今日は4つだけ。
なのに元貴があれもこれもとカゴに突っ込んだせいで、帰り道はまるで筋トレ状態だった。
「なんか同じ事、涼ちゃんと夏にもやった気がする…。」
そう言って、元貴は血の気が戻らない手をぶんぶんと振っている。
「ははっ、全然学んでないじゃん。」
おれも同じように手を振りつつ、袋の上から買ってきた食材を覗き込んだ。
「んで、今日は何作るんだっけ?」
「目玉焼きが乗ったハンバーグと、スープ!」
「そうだそうだ。ハンバーグは元貴担当だっけ?」
「うん!だから、スープは若井お願いねっ。」
「おっけー。じゃあ、もうひと頑張りしますかー!」
「おおー!」
おれと元貴は気合いを入れて、椅子から立ち上がると、袋の中の食材を整理しつつ、夕飯の支度を進めていった。
「元貴、ちょっと味見して。」
一時間後、出来上がったスープを小皿に注いで差し出した。
「ごめんっ、今、手離せないから飲ませてくれない?」
「いいよ。ちょっと熱いかも…」
「…?!熱っ!ちょ、熱すぎて味分かんないんだけど!」
「だから熱いって言ったじゃんっ。ほら…もう一回。」
「熱いのやだ。ふーふーしてっ。」
「はいはい。…ふーふー……ほら、」
「…ん。………もう一口。」
「えぇ?まー、いいけど。ふーふー……はい。」
「ん。……もう一口。」
「おい、元貴。お前、ただ飲みたいだけでしょ?」
「あはっ、バレた?」
「バレるわ!んで、味は?」
「めちゃくちゃ美味しい!」
「ははっ、なら良かった。」
笑って誤魔化したけど、こちらを見てにこっと笑った元貴があまりにも可愛くて、おれは思わず目を逸らしてしまっていた。
・・・
「ただいま〜。」
元貴のハンバーグがちょうど焼き上がった頃、涼ちゃんが大学から帰ってきた。
盛り付けをしている元貴をキッチンに残し、廊下に顔を出して『お帰り』と声をかける。
「あれ?なんかすっごくいい匂いがするぅ。」
「今日は進級祝いだからね。」
クンクンとキッチンから漂ってくる美味しい香りを嗅ぐ涼ちゃんに、ニッと笑うと、おれは急かすように涼ちゃんの手を軽く取ってキッチンへと引っ張った。
テーブルの上には、湯気を立てる晩ご飯が綺麗に並んでいる。
その光景を目にした瞬間、涼ちゃんは『わぁ〜っ』と子どものような声を上げて、目をきらきらと輝かせた。
「なにこれとっても美味しそう〜!二人で作ってくれたの〜?」
「うん。ハンバーグは元貴担当で、おれはスープ担当!」
「ハンバーグ、初めて作ったから上手く出来てるか分かんないけど…見た目は完璧でしょ?」
「見た目だけじゃないと思うなぁ〜。」
涼ちゃんは『目玉焼きも乗ってる〜!』と言いながら、嬉しそうに椅子へ腰掛け、フォークを手に取った。
そして『いただきます!』と言って、湯気の立つハンバーグをナイフで切ると、ふわっと肉汁の香りが広がる。
「…んっ、これ…めちゃくちゃ美味しい!」
目を見開き、にこっと笑う涼ちゃん。
『ほんと?』と元貴が少し身を乗り出すと、
『うん、柔らかくてジューシーで…これ、お店出せるレベルだよ!』と太鼓判を押す。
その言葉に、元貴は『そ、そんな大げさな…』と口では否定しつつ、耳までほんのり赤く染めていた。
その照れた横顔を見て、つい口元が緩む――
「…っていうか、涼ちゃん。」
「ん?」
「おれのスープも褒めてくれていいんだよ?」
からかうように言うと、涼ちゃんはくすっと笑ってスープをひと口。
「……あ、これもすっごく美味しい。優しい味がする〜。」
『でしょ?』と得意げに言いながら、元貴の方をちらっと見る。
すると元貴は、『ぼくは味見したから美味しいって知ってるもんね。』となぜか自慢気に胸を張った。
「元貴、味見とか言って全部飲み尽くそうとしてたもんね。」
「ちょっ、それは言わないでよー!」
その抗議の声と同時に、元貴は顔を真っ赤にしておれの腕を軽く叩く。
涼ちゃんはそんなやり取りを見て、肩を揺らして笑った。
「よかった〜、僕の分が残ってて。」
「わあっ、涼ちゃんまで!意地悪!」
からかう涼ちゃんに、 ぷくっと頬を膨らませながらも、元貴の口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。
おれはそんな元貴の横顔を、ついじーっと見てしまう。
「…なに?」
視線に気づいた元貴が、ちょっとだけ首をかしげてくる。
「んー?別にー。」
慌ててスープをすくって口に運ぶけど、心の中は全く落ち着かなかった……
・・・
「……無理!!!」
「わぁっ、なに急に。」
進級祝いでいつもより少し豪華な晩ご飯を食べ終えると、元貴はお風呂に入りに行き、おれと涼ちゃんはいつも通りリビングのソファーでくつろいでいた。
のんびりした空気が流れている中、急におれが大きい声を出したので、涼ちゃんはビクッと肩を跳ねさせ、目を丸くしておれを見た。
「…若井?」
叫んだと思いきや、頭を抱えて唸るおれ。
心配そうに覗き込んでくる涼ちゃんに、勢いのまま本音がこぼれる。
「涼ちゃん…なんで我慢出来るの?」
「…?」
「…元貴、可愛すぎんだろっ。」
「あは〜、そういう事ね。」
「毎日一緒に居て、一緒に住んでて、キスだけなんて地獄なんだけど?! 」
「急に荒ぶるじゃん。…でも、二人で居る時の元貴って、なんかいつもより甘えてくるよねぇ。」
「そう!それ!まじで今日危なかった…。」
「ちょっと、若井〜?」
「約束でしょ?ちゃんと分かってるって。」
「ならいいけど〜。でもさ、思いのほか元貴が純粋すぎて、こっちが勝手にブレーキ踏むんだよねぇ。」
「そうなんだよなー、一歩踏み込むと逃げるし。」
「ねぇ。ほんと…僕も結構げんか――」
ガチャッ
「何話してるのー?」
おれと涼ちゃんの口が止まる。
元貴が髪の毛をタオルで拭きながらキッチンの扉を開けて入ってきた。
「ん?なんでもないよ〜。」
「…なに?また内緒話?」
「いや、まー…男同士の話っていうか…」
「…ぼくも男なんだけど?」
「ん〜、“タチ”同士の話って言うかぁ。」
「ちょ、涼ちゃんっ。」
「“タチ”ってなに?そういえば前にもその言葉言ってたよね。」
真剣な顔で問いかけてくる元貴に、思わずおれはゴホッと咳き込んだ。
涼ちゃんはそんなおれを横目で見ながら、わざとらしく肩をすくめる。
「元貴にはまだ早いかなぁ〜。」
「なにそれ!子ども扱いしないでよ!」
「いやいや、かわいいって意味だから。」
「そうそう。純粋なままでいてほしいっていう…ね?」
「えぇ〜?なんか怪しいんだけど。」
頬を膨らませる元貴を見て、涼ちゃんと同時にクスクス笑ってしまった。
その笑い声に、さらに元貴はむくれてタオルでわざと強めに髪をわしゃわしゃやる。
――その仕草がまた可愛すぎて…
「……だから無理だって。」
小さく呟いたおれの声は、元貴には聞こえていないみたいで。
けれど涼ちゃんは、横でニヤリと意味ありげな笑みを浮かべていた。
――暗くなったリビング。
「おやすみ。」
今日も、キュッと唇を硬くした元貴の唇にキスをして布団に戻る。
少し熱の残るその感触が、胸の奥までじんわり染みてくる。
まぁ、その初心な元貴も可愛いんだけど…
(地獄だ……。)
けれど、触れた唇の温度を手放せない自分がいて…
今日も心の中でそう呟きながら、おれは静かに瞼を閉じた。
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