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ゆったり眠りについていたらどこからか音が聞こえてきた、ような気がした。
それは所詮、音楽とも言えないただ音を並べて鳴らしているだけのもの。ピアノの鍵盤をただ叩いているのかとすら思えるもの。
でも、その音も曲ではあったようだ。
弾き手は初心者のようで何度も音を間違えいた。それでも最後まで弾こうとしているようだった。
その拙い演奏に何故か心が惹かれた。
今までずっとプロの演奏を聴いてきた。
こんな下手な演奏とは比べ物にならないほどのものを。
でも、今までの演奏とはまた違う魅力のようなものがあった。何かとは自分でもよくわからない。ただ、その音を守りたいとおもった。
ふと、その音が止まったかと思うと
何かに引っ張られるような感覚がした。
流石にびっくりした。驚くなんていつぶりだろうか。
強い力で引き込まれてる僕の顔に何かがぶつかってきた。何なんだ、いったい。
それは子供のために平仮名が多用してある本だった。ページをめくってみるとそれは楽譜のようだった。
初心者が指のトレーニングと簡単な曲を弾けるようにするための練習本。
え、ほんとに何??
そう思ったのも束の間、ひときわ目の前が眩くなり思わず顔を下げると大きく鈴の音がした。
足元に5枚に別れた桜が舞い落ちる。桜なんて久しく見ていなかった。
少し顔を上げると目の前には、7つか8つ程の少女。
僕はどんなところに来てしまったのだろうか。
「お兄ちゃん、誰? どこから来たの?」
目の前の少女はそう話しかけてきた。
「え、っと…西洋に長くあります、花音行安です。」「様々な音楽家の元に渡り数々の音楽に触れて育った少し珍しい刀なんですよ。」
少し頭が回らずにいたがなんとか答えられたようだった。
だが、単なる自己紹介をしたつもりがこの少女と縁を結んでしまったようだった。しまった、と思ったが
少女がかのん、花音お兄ちゃん、と何もわかっていない純粋な満面の笑みで話しかけるのでまあいいかと心中で契約を結ぶ。
この少女が新しい主君になった。
少し周りを見渡すとここは鍛冶場のようだった。僕が生まれた場所とはまた違いそうだけど
なんで鍛冶場に子供がいるのだろうと思ったがきいても彼女もわからないと言うだろうなとも思った。
というか、僕、不法侵入では?
だってどう見ても日本っぽい、ドイツじゃない
主君が入ってきたであろう扉は障子作りだし奥には縁側が見えるし床は全部ではないが畳だし主君は日本語話してたし。
視線をかんじる、もちろんこの子から。
僕の手元をじっと見ている。この楽譜がどうかしたのだろうか。それとも彼女のものなのだろうか。
「この楽譜は貴方のものですか?」
うん!と元気よく返事が返ってきた。
この年から音楽に興味を持っているのは良いことだ。音楽は幼少期からの英才教育が大切。
そう、感心していたらキラキラした瞳でさっきよりも熱心に見つめられていた。
着いてきて!と言われて手を引かれる。
2、3離れた部屋にはグランドピアノが置いてあった。ここだけ洋室だった。
いや、障子が並んでいる廊下の中でひとつだけ木枠のドアはおかしいでしょう。何を考えて設計したんですか。違和感ありまくりですよ。
だが主君は気にせず部屋に入っていく。そして
「花音お兄ちゃんは音楽が好きなんでしょ!ピアノ弾ける??聴きたい!」と、まさかのリクエストをもらった。
ぐいぐいと背中を押されて椅子に座らせられる。さっきも思ったがこの子少し強引では?
期待を裏切るようで申し訳ないが僕は鍵盤に触れることができない
今までそうだったから。
でもとりあえず一音適当に押してみると、音が出た。
よくよく考えれば人間が僕に触れるのも椅子に座れるのも楽譜を持てるのもおかしかったはずだが今の今まで気が付かなかった。
頭がまた回らなくなっているところで少女が弾いてくれないの?と首を傾げてきた。
「ああ、ごめんなさい。今弾きますね。」
初めて弾くなら絶対にこれがいい
自分で弾いてみたいと何度も練習をしていた。
ずっとパッヘルベル様の弾いているのを聴き続けてきた。
初めて曲が生まれる瞬間を見た。
レフ様に弾いて欲しいと願った。
長く眠りについていた曲。
人々に愛された祝いの歌。
一音一音響く度に巡る思い出と溢れ出しそうになる感情を抑えながら弾き続ける。
カノンとは同じ旋律が何度も繰り返される奏法のこと。それでも飽きが来ないのは彼の作曲センスの素晴らしさだろう。
あっという間に終止形になった。
最後の一音が部屋中に静かに響きを残す。
あれ…?
音楽ってここまで心を動かすものでしたっけ
もう頭の中も心の中も何が何だかわからない
ぐちゃぐちゃになった想いが欠けてしまっていた僕の何かを埋め尽くしていくような感覚
さっきまで我慢できていたはずの感情が堪えきれなくて、でもひとつだって零したくなくて
どこかで感じたことのあるきもちがたくさんたくさんこみあげてきてはもっと心の中をぐちゃぐちゃに乱していって
僕にやさしく触れてくれた兄である彼のような暖かさの中に
主君が僕を元にかいたこの曲をはじめて聴いたときに感じた幸せや
いちばん戻りたかったあの頃に片足を踏み入れたときのような切なさがあって
この曲の存在をしられないまま歌いつづけてすごした時期にも戻ったような寂しさもみつけて
主君ともこの曲ともこの曲のかたわれともひき離された苦しさと
あらたな主君のもとにたびをし続けて出会った音楽にまるで上書きされていくようなこころの空白と
ようやく見つかったのにこの曲だけが愛されていてかたわれが評価されずに忘れ去られていったことになにもできなかったときと同じような悔しさと
たくさんのいまものこる曲の誕生を目にしてきた時のような喜びがあった
これまでに知ったたくさんの感情がふくざつに絡みあって僕をしめつける
目から大粒の涙がどんどん流れて頬をぬらして
必死に押さえようとしてももれ出てくる声が大きくなって
行き場のなかった僕のうでが自分のからだを震えながら抱きしめていた
思えば、兄様と離れたときだって、主君が亡くなったときだって、カノンだけが愛され、ジーグが影に隠れてしまったときも一度だって泣いたことはなかった
そのときに泣けずに心にたまっていたものが一気にあふれてしまったみたい
誰にもうちあけることのできなかった数百年分の想いが今までとこれからの涙を代償にようやく落ち着いた気がした