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第20話 - vol.1対策委員会編 2章 失ったもの、手放さなかったもの 1-2-1 悪魔と悪魔
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2025年08月19日
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2025年08月19日
「行政官ということは……ゲヘナ風紀委員会の、ナンバー2……」
アヤネが、ホログラムに映る人物の正体に気づき、息を呑む。
「あら、実際はそんな大したものではありません。あくまで、不在がちな風紀委員長を補佐する、秘書のようなものですので……」
「……本当にそうなら、そこの風紀委員たちが、そんなに緊張するとは思えないけど」
「だ、誰が緊張してるって!?」
戦闘が一時的に中断されたこの戦場で、ホログラムの生徒――アコは、自らを謙遜する。しかし、周囲の風紀委員たちの明らかに強張った反応を見れば、彼女がその役職以上の権力を持っていることは明白だった。
その嘘を、勘の鋭いシロコが見抜くと、アコは観念したように、小さく息を吐いた。そして、シロコの名前を呼びながら、その洞察力を褒め称えた。
「なるほど……素晴らしい洞察力です。確か……砂狼シロコさん、でしたか?」
「……」
「アビドスには生徒会の面々に加え、応援として先生方もいらっしゃるとは聞いていましたが、どうやら皆さんのことのようですね……。それで、アビドスの生徒会は5名と聞いていましたが、あと1人はどちらに?」
「今はいません。それに私たちは生徒会ではなく、対策委員会です。行政官」
「奥空さん……でしたよね? それでは、やはり生徒会の方は、この場にはいらっしゃらない、ということでよろしいでしょうか? 私は、生徒会の方とお話がしたいのですが」
たとえ本性を見抜かれようと、アコは一切動じない。彼女は、対策委員会のことなど眼中にないという態度で、あくまで「生徒会」との交渉を求めてきた。
本来、アビドス生徒会はすでに解散しているはず。なぜ、代理であるはずの対策委員会と話そうとしないのか。これもまた、学園間の複雑な事情が関係していそうだ。
「ちょっと! そんなに話をしたいっていうなら、そっちの子たちの武器を、先に下ろさせてくれない? こっちだって、ずっと武器を向けられてて、ウズウズしてるんだから!」
「ふふ、それもそうですね……。失礼いたしました。全員、武器を下ろしてください」
何やら胡散臭い雰囲気のアコは、ロージャの要求など一蹴するかと思っていたが、驚くほどすんなりと、その要求を飲み込んでしまった。
「先程までの愚行は、私の方から謝罪させていただきます」
「なっ!? 私は、命令通りにやっただけなんだけど!? アコちゃん!?」
「私の命令に、『まずは無差別に発砲せよ』なんて言葉が含まれていましたか?」
「い、いや……。状況を鑑みて、必要な範囲で火力支援。その後に、歩兵の投入……。戦術の基本通りにって……」
「ましてや、ここは他の学園の自治区の付近。そして、民間人に被害が及びかけ……いえ、もう、すでに被害を出してしまったようですが……?」
言い訳をしようとするイオリに、アコは次々と冷徹な正論を突きつける。しかし、その彼女の発言に、こちら側の何人かは、微かな違和感を覚えていた。
「――失礼いたしました、対策委員会の皆さん。私たちゲヘナ風紀委員会は、あくまで、私たちの学園の校則に違反した者たちを、逮捕するために参りました。あまり望ましくない出来事も起きてしまいましたが、まだ、明確な違法行為とは言い切れないでしょうし……。『やむを得なかった』ということで、ご理解いただけると幸いです」
その言葉は、丁寧な謝罪のようでいて、その実、自らの行動の正当性を主張する、巧みな牽制だった。
そして、やはり、風紀委員会の不当な行為を許すことのできないアヤネが、毅然として声を上げた。
「先程も言いましたが……そうはいきません!」
「あらっ?」
「他の学校が別の学校の敷地内で、堂々と勝手に戦闘行為をするなんて! 自治権の観点からして、明確な違反です! 便利屋の処遇は、私たちが決めます!」
アヤネの堂々たる宣言に、他のアビドス対策委員会の生徒たちも、肯定を意味する沈黙をもって、その意志に同調した。
「まさか、ゲヘナほどの大きな学園が、こんな暴挙に出るとは思ってもみませんでしたが、これだけは譲れません」
「……なるほど。そちらの方々も、同じお考えのようですね……。ふぅ、この兵力を前にしても、まだ怯まないだなんて」
アヤネの敵対的な言葉から、アコはこちら側の確固たる意図を汲み取ると、予想外だったとでも言うように、わざとらしく溜息を吐いた。
「これだけ自信に満ちているのは……やはり、信頼できる大人の方が、そばにいるからでしょうか? ……ねぇ、皆さん?」
“……たとえ、私たちがいなかったとしても、彼女たちは同じ選択をしていたと思うよ”
アコの、どこかこちらを試すような発言。それに話を振られた先生は、以前と変わらず淡々と答えると、少しだけ苦笑しながら言葉を続けた。
“それに……便利屋は、確かに困った子たちかもしれないけど、根っからの悪人じゃないからね”
「いやいや! 悪人に決まってるでしょ!? ラーメン屋を爆破させたのよ!?」
「多分だけど……あれは、間違って爆発させちゃって、そのまま後に引けずに、見栄を張っただけなんだと思う」
「はあ!?」
「私たちを狙っていたのなら、誰もいないタイミングで爆破する理由がない。一度使ったら警戒されるような大掛かりな手段を、あんな中途半端な状況で使う意味もないはず」
「た、確かにそうだけど……。でも、結果的にラーメン屋を攻撃したのは事実でしょ?」
「うん。だから、このまま大人しく引き渡すわけにはいかない」
「そうですね。彼女たちの背後にいる方の正体も、まだ分かっていませんし。まずは、私たちがお話を聞かせてもらわないと」
「それはそれ、これはこれ……って事だな」
仲間たちも、それぞれ少しずつ主張は違う。だが、それでも「便利屋を風紀委員会には引き渡さない」という断固たる態度で、アコと対峙する。
……というか、先生やシロコは、あの爆破に誤解があったと、とっくに気づいていたのか。見抜けなかった私たちが、なんだか少し恥ずかしいな……。
「そういうわけで、交渉は決裂です! ゲヘナ風紀委員会、あなた方に、このアビドス自治区からの即時退去を要求します!!」
「……これは、困りましたね……。うーん……。こうなったら、仕方がありません。本当は、穏便に済ませたかったのですが……」
元より、穏便に済ませる気などなかっただろうに。そんなツッコミが喉まで出かかった、その時。彼女はしばらく長考するふりをした後、ついに、その本性を現した。
「……ヤるしか、なさそうですね?」
「おいお前ら! 攻撃が来るぞ!」
再び、無数の銃弾が飛び交い始めようとした、その瞬間だった。
「ぐあっ!?」
「うわぁっ!?」
突然の、耳をつんざくような発砲音。 しかし、それは風紀委員会のものでも、私たちのものでもなかった。その銃声と共に、風紀委員会の兵士たちが、次々と何者かの攻撃によってなぎ倒されていく。
「許せない……!許せない!許せない!許せない!許せない!許せない!許せない!許せない!」
その魔の手の正体は、ハルカによる猛攻だった。彼女は、鬼のような形相で、一心不乱に、次々と風紀委員会の兵士たちをショットガンで吹き飛ばしていく。
そして、その波乱に満ちた状況の中、また別の声が、冷静にアコの名を呼んだ。
「嘘つかないで、天雨アコ」
「あらっ?」
「偶然なんかじゃないでしょ。最初から、あんたが狙っていたのは、この状況だった」
「カヨコさん……」
「ハルカちゃんナ~イス☆」
「す、すみません! 助けに来るのが、遅くなりました……!」
次に、カヨコ、ムツキと……便利屋68のメンバーが、戦場の外側から次々と姿を現す。どうやら、彼女たちはアビドスの助けに来た、ということらしいが……?
「あらっ、包囲網を抜けて?」
「あいつら、いつの間にあんなところに……」
「……やるね」
「申し訳ありません、行政官。視線を逸らされた、そのわずかな隙に……! 今から、もう一度包囲を――」
「いえ、大丈夫です。大した問題でもありませんし。……それより、面白いお話をしますね、カヨコさん」
風紀委員会にとっては、かなりの痛手のはずだ。それなのに、アコは動じない。あるいは、これくらいの損害など、すぐにまとめて捻り潰せる、とでも言いたいのだろうか。
アコが反応した、カヨコのその一言が、この場の謎をさらに深めていく。
「最初は、どうして風紀委員会がここに現れたのか、理解できなかった。風紀委員会が、わざわざ他の自治区まで追ってくる理由、それも私たちだけを狙って? ……こんな非効率的な運用、いつもの風紀委員長のやり方じゃない。だから、アコ。これは、あんたの独断的な行動に違いない」
カヨコの鋭い推理が、次々と言い放たれていく。確かに、風紀委員会の行動理由として、ただ便利屋を捕らえるため、というのは、どうにも辻褄が合わない……。
「私たちだけを相手にするにしては、あまりにも多すぎる兵力。他の集団との戦闘まで想定していたとすれば、説明がつく。とはいえ、このアビドスは、全校生徒を集めても5人しかいない……。なら、結論は一つ」
そこでカヨコの推理は一度止まり、彼女は、先生の姿を一瞥した。
「アコ、あんたの真の目的は、シャーレ。最初から、先生を狙って、ここまで来たんだ」
「!?」
「な、何ですって!?」
「先生を……ですか?」
“わ、私?”
その場にいた全員の視線が、ただ一人、状況を飲み込めていない先生へと、一斉に突き刺さった。
「……ふふっ、なるほど。便利屋に、カヨコさんがいることを、すっかり忘れていました。呑気に雑談なんてしている場合では、ありませんでしたね……。まあ、構いませんが」
アコは、カヨコの推理をあっさりと肯定する。 そして、その意味深な言葉と共に、彼女が何らかの合図を送ると、どこからか、複数の部隊が行進してくるかのような、重い地響きが辺り一帯に響き渡り始めた。
「あいつら……ガチで、こっちを潰す気だぞ!?」
「うーん……少々、やりすぎかとも思いましたが……。シャーレを相手にするのですから、これぐらいの戦力があっても困らないでしょうし……。それに、『彼ら』も、私が思っていたよりも、ずっと強大でしたからね……」
〈……彼ら?〉
またしても、引っかかる発言だ。その言葉が本当なら、シャーレ以外にも、アコの標的がいたということになるが……。
「あっ、そうそう。それと、そちらにいらっしゃる、時計頭の……ダンテさん?」
〈……はい?〉
突然、私の名前を呼ばれ、思わず顔を上げてしまった。彼女が、このタイミングで私を名指しで呼んだ。ということは、やはり、そういうことなのだろうか……。
「ウーティス教官からは、お話を聞いていますよ? どうやら、あの方の手綱を握れるほどの、素晴らしい力をお持ちのようで……?」
“……ダンテも、狙いの一つか”
私の嫌な予感は、先生の呟きによって、完全に裏付けられてしまった。
ウーティスから私の話を聞き、その能力に興味を持ったアコが、先生を狙うついでに、私をも捕獲しに来た、そういうことなのだろう。事態は、最悪の方向へと転がっていた。
「……っ!まさか二重……本当に大掛かりな作戦だね」
「そうですね……カヨコさんの推理も合ってはいますが……得点をつけるなら半分、いや25点でしょうね。簡潔に答え合わせをするなら、シャーレという危険要素がトリニティに渡ってしまう前に、こちらが先に……トリニティ間との条約が無事締結されるまでは、私たち風紀委員会の庇護下にお迎えさせていただきたいのです。ついでに居合わせた不良生徒達も処理した上で……といった形です」
「ちょっと!?アコ行政官!?色々端折りすぎではないでしょうか?」
「理解に悩む『大人達』にも簡潔に分かりやすくしようとした結果です」
「……は?」
「ちょっと!?ウーティ、そんな事まで言っちゃったの!?」
なんてことだ。囚人たちの悪評が、ウーティスのせいでゲヘナ中に知れ渡ってしまい、とんでもない誤解と共に、危険視されている。
……まあ、とはいえ、名目上は不良生徒を処理するついでに、シャーレを保護するというのが、彼女たちの真の意図だった、ということか。
「ん、むしろ状況が分かりやすくなっていいかも」
「先生を連れていくって?私たちが『はいそうですか』って言うとでも思った?」
「……ふふ、やはりこういう展開になりますか。では仕方ありませんね、奥空アヤネさん?」
「……?」
「ゲヘナの風紀委員会は、必要でしたら戦力を行使することもあります。私たちは一度その判断をすれば、一切の遠慮をしません」
「……!!」
「……」
「社長、逃げるなら今しかないよ。本格的な戦闘が始まったら、もう後戻りはできない。風紀委員会は、きっとアビドスと私たちを、同時に殲滅するつもりだ。でも、アビドスがあっちの気を引いている、その間になら……。包囲網が薄いところから、突破できるかもしれない」
戦場の片隅で、カヨコがアルに、冷静に、しかし切実に、脱出という名の裏切りを提案する。
しかし、その言葉を聞いたアルは……。
「ふふっ……。ふふっ、ふふふふっ」
「……社長?」
突然、アルが、喉の奥から絞り出すような、不気味な笑い声を漏らし始めた。 その声は、いつもの虚勢でも、演技でもない。 まるで、恐怖とプレッシャーの限界を超え、何かのタガが外れてしまったかのような、乾いた、狂気じみた笑い声だった。
「……ねぇカヨコ、あなたはもうとっくに私の性格、分かってるんじゃなくて?」
「……?」
「こんな状況で、こんな扱いされておいて……背中を向けて逃げる?そんあ三流の悪党みたいなこと、私たち便利屋がするわけないじゃない!!!」
「……あはー」
アルの、腹の底から絞り出したような叫びが、戦場の空気の流れを一変させた。 それは、もはや虚勢ではない。恐怖も、プレッシャーも、全てを飲み込んだ上で、自らの信念を貫こうとする、一人のアウトローの、覚悟の雄叫びだった。
そして彼女は、足を強く踏み出し、ゲヘナ風紀委員会と、アビドス対策委員会、その両陣営に向かって、一歩、力強く踏み出した。 ここが、自分の舞台だと、言わんばかりに。
「あの生意気な風紀委員会に一発食らわせないと気が済まないわ!」
「アル様……!」
「さっき、すぐ逃げなかったっけ……まあいっか。それは良いけど、あの兵力と真っ向から戦う気?アビドスと力を合わせてもギリギリだと思うけど……そもそもアビドスは私たちに協力してくれるとは思えないし……」
強気に出るアルに対し、カヨコはまだ、現実的な問題を挙げて心配する。……だが、アビドス対策委員会と囚人たちが、あの覚悟の宣言を聞いて、手を組まないわけがないだろう。
「よしっ、便利屋っ! 挟み撃ちにするわよ!! この風紀委員会、今日こそコテンパンにしてやらないと!!!」
「先生の盾になってもらう」
「お前がそう言うと、思ってたぜ!」
「……!?」
……やはり、だ。アビドスの面々は、便利屋との共闘に、何の躊躇いも見せない。
「先生とダンテさんを守ります……。いいですね?」
「話が早いな……」
「ふふっ……あはははははははっ! 当たり前よ! この私を誰だと思ってるの? 心配はご無用! 信頼には、信頼で報いるわ! それが、私たち便利屋68のモットーだもの!」
「はい!! 先生方には、私たちも色々とお世話になりましたので! 必ずや、この作戦、成功させてみせます……!」
「あと、折角だから言っておくけど! 間違えて爆破させたわけじゃないから! あれは、全部狙い通りなんだから! 私みたいな、冷酷非情なアウトローでもないと実行できない、高度な心理戦っていうか……!」
「うわあ、墓穴」
アルの、どこか締まらない見栄も、まあ彼女らしいと言えば、彼女らしいのだろう。
こうして、即席の共同戦線が結成され、再び戦場が動き始めようとする――。
〈しかし、風紀委員会に勝つにはもうちょっと作戦を練る時間が必要だな……。〉
“……?それなら、私がーー”
〈そうだ!ここは私に任せてくれないかな?〉
“……何か作戦があるんだね?”
〈とうか、カッコつけたいっていう……〉
“ははっ、子供だね。君の作戦に乗るよ”
「うーん……まあ、これはこれで想定していた状況ではありましたが……それにしてもここまで意気投合が早いとは……その点は想定外でした……まあいいでしょう、それでは」
「風紀委員会、攻撃を開始ーー」
〈待った〉
「……はい?」
風紀委員に攻撃の合図をかけようとしたアルに、私はシッテムの箱の翻訳機能による文字起こしを使用して彼女を止めた。
「……って、何で先生とダンテが前に出てるのよ!?」
“大丈夫。ここは、私たちに任せて”
「先生たち、一体、どうする気なの?」
生徒たちの不満と心配の声を背に受けながら、私と先生は、風紀委員会の部隊の、その目の前にまで歩み出た。もちろん、これは降伏を意味するものではない。
今一度、リンバス・カンパニー管理人の、その権限というものを見せてやろうじゃないか。
「おや? まさか、降伏ですか? ……いえ、どうやら、そのようでもなさそうですが……」
〈もちろん。私たちは、アビドス対策委員会と共に戦う〉
「ええ、それは分かっています。まさか、言いたいことは、それだけですか?」
〈……どうやら、うちのウーティスのおかげで、私たちのことを、相当に舐め腐っているようだね?〉
「いえいえ。彼らの実力を、客観的に鑑みた上での、適切な対応ですよ?」
アコの、どこまでもこちらを見下した言葉。 その余裕が、いつまで続くか、見ものだな。
〈……元々、彼ら、いや私たちは、地獄に向かい、自らの罪悪を解かんとする旅人だ。そんな私たちが、こんな世界で呑気に過ごしている君たちに、ひれ伏すとでも思っていたのか?〉
「……急に、厨二臭いことを……。一体、何が言いたいのですか?」
呆れながらも、アコはこちらの挑発に乗ってくれたようだ。
ならば、見せてやろう。 私は……私の中に秘められた、真の潜在能力を解放する。 カチ、カチ……と、これまで、ただ規則的に時を刻み続けてきただけの、この頭の時計の針を。
――突然狂ったように素早く、回り始めた。
「「「!?」」」
私がそう念じた、まさにその瞬間。
私の頭で燃え盛っていた炎が、一瞬、激しく燃え上がる。 そして、その炎を中心に、空間そのものが軋みを上げた。荘厳なる黄金の光と、全てを飲み込むかのような黒色の霧が混じり合い、それは、この世界の法則を無視して、存在するはずのない異常として、周囲の空間にこびりついていく。
その、あまりにも異質で、冒涜的ですらある光景を前に、囚人以外の、先生と、生徒たちの全てが、言葉を失い、動揺を隠せないでいた。
私の時計に食らいつくようにして繋がれている、数多の黄金の枝が、今、私の意志と共鳴を始める。
黄金の枝共鳴
《SUPERBIA》
〈……先生。下がっていてくれ〉
先生は、私のその有無を言わせぬ響きに、促されるように一歩、また一歩と後退していく。
〈さあ、今一度、名乗ろう。私は、罪深き囚人と共に、星位を-を刻まんとする者……ダンテだ〉
握りしめた拳を天に掲げ、私は、高らかに、そう宣言する。
……。
…………。
「……あ、あれ? 何も、起きていませんね」
「な、なんだよ!? さっきのは、ただの見掛け倒しだったってことか!?」
「……ふぅ。何かしでかすかと思いましたが、結局、大人は大人、ということですね」
……そうだ。私が、たとえ黄金の枝と共鳴しようとも、私自身には、何もできはしないのだ。 先ほどまでの荘厳な茶番も、ただ、少しだけカッコつけたかっただけの、見掛け倒しに過ぎない。
……しかし、確かに、私は『何か』をした。 その『何か』は、私ではない、別の誰かに、作用する。
「……!? イオリ、前!」
「今度は何……っ!?」
風紀委員会が、その見掛け倒しのハッタリに気を取られている、その隙に。 私の真横から、一つの、しかし、先ほどまでとは比較にならないほど強大なプレッシャーを放つ影が、躍り出ていた。
「熱い火花が、心を溶かすことができれば……」
その影の正体は、ロージャだった。 しかし、その容姿は、先ほどまでとは、もはや別人と呼べるほどに、劇的に変貌していた。
どこまでも憂いを帯びた、虚ろな表情。 灰と炭に塗れたかのような肌に、まるで燃えさしそのもので出来ているかのような、赤と黒を基調としたドレス。それは、そういうデザインなのではない。実際に、凄まじい熱気を放ち、その裾の至る所から、陽炎のような炎が揺らめいている。
そして、彼女が手にしていたはずの巨大な戦斧は、その柄をより長く禍々しく変え、先端の刃は、もはや金属ではなく、全てを灼き尽くさんと燃え盛る、橙色の炎そのものと化していた。
彼女が立つだけで、周囲には灰燼が舞い、空気が焦げるほどの熱気が籠る。
《ロージャ覚醒E.G.O :4本目のマッチの火》
幻想体の力を一時的に宿し、そして、力を制したロージャが、風紀委員会の眼前へと迫り、その炎の斧を、静かに振り上げていた。
「な、なんだ!? あの力は……一体……!?」
「……っ! 皆さん、総員、下がって――」
アコが、ホログラム越しに、悲鳴のような退却命令を飛ばす。
だが、それよりも速く。 ロージャの斧が、無数の火花と灰燼を撒き散らしながら、振り下ろされた。
そして、その斧が地面に叩きつけられた一点から、巨大な火柱が、天を焦がすかのように、爆発的に燃え上がった。 戦場は、一瞬にして、灼熱地獄へと姿を変えた。
“ちょっ! わっ、あ、熱っ! 大丈夫なのか、これは!?”
先生が、火柱から伝わる熱波に、思わず後ずさる。
〈多分、焼き焦がすほどの直接的な威力はないはずだ。威嚇と、足止めが目的だろうし……〉
“この、天まで届きそうな火柱が……???”
「そうそう。だから、これはあくまで、時間稼ぎのハッタリってこと」
確かに、その威力は見た目ほどではないかもしれない。だが、その圧倒的な攻撃範囲と、燃え続ける炎の持続力は、桁違いだ。これで、少しは時間を稼げるだろう。
……それにしても、今さらながら、あの荘厳な宣言の茶番をやっていた自分が、少し恥ずかしくなってきたな……。
「わわっ!? 何これ、何これ!? すごい爆発じゃない!」
「あの時もそうだったけど……。やっぱり、あんたたちって……」
“よし、私が指揮を執る。前方は、ノノミ、ムツキ、ロージャ! 左方は、ハルカとセリカ! 後方は、カヨコとシロコ! そして最後に、右方は、アルが担当してくれ!”
「……あ? オレはどうすんだよ」
〈ヒースクリフは、正面からイオリを挑発し、彼女を右翼へと誘導してくれ。そこで、アルと共に叩く〉
「……うし、分かった」
さて、作戦も決まった。 この灼熱地獄を舞台に、反撃の第二幕と行こうじゃないか。
「よしっ! ヒースが、あの子を誘い出したわ! 今のうちに、行くわよ!」
「了解です☆」
「りょ~かい! じゃあ、早速いくよ~!」
前方。風紀委員会の兵力が、最も集中している場所。
そこの担当となったのは、いずれも、圧倒的な制圧力と掃討能力に特化したメンバーたちだった。
開戦の合図が鳴り響く代わりに、ムツキが投げた無数の爆弾が、前方に向かって放物線を描く。そして、着弾と同時に、次々と連鎖的な大爆発を引き起こした。
ドゴゴゴゴゴゴーン!
凄まじい爆煙と土砂が、風紀委員会の前衛部隊を飲み込んでいく。
「ナイスよ、ムツキ! 私が前に出るね!」
「気をつけてくださいね? ……ですが、今のロージャさんなら、きっと……」
ノノミの言う通り、今回の戦闘におけるロージャは、いつものLCB囚人としての人格ではない。ダンテの指示により、新たな人格が彼女に同期させられていた。
《ロージャ人格 :リウ協会南部4課部長》
耐火性能に優れた黒いスーツ。その上に、赤を基調とし、鮮やかな金色の刺繍が施された、高級感のあるコートを羽織った姿。
そして、その人格の最大の特徴は、彼女の『手刀』にあった。 ただ、その手刀を振るうだけで、まるで金属同士がぶつかったかのように、空間に灼熱の火花を撒き散らすことができるのだ。
彼女は、次々と発生する爆炎の中を、まるで散歩でもするかのように悠然と突き進んでいった。
(目の前から、結構な数の銃弾が飛んできているわね……。さすがに、私のこの手だけじゃ、全部は受け流せないか)
強行突破は難しいと判断したロージャは、銃弾が描く軌道を見切りながら、左右に巧みにステップを踏み、その弾幕を次々と回避していく。
そして、一瞬の隙を突き、一気に敵の懐へと飛び込んだ――。
「喰らいなさい!」
「きゃあっ!?」
眼前にいた風紀委員の兵士二人を、灼熱の火花を纏った手刀で、まとめて突き飛ばした。イオリほどの圧倒的な破壊力はないものの、雑兵を軽くいなすには、十分すぎるほどの威力と速度だった。
「……!? いつの間にか、囲まれてる!」
「ロージャさん! 伏せてください!」
しかし、爆炎と硝煙に紛れて、気づくのが遅れてしまった。ロージャの周囲を、いつの間にか、新たな風紀委員会の兵士たちが、完全に取り囲んでいた。
だが――。
「お仕置き、ですよ~☆」
その、どこか楽しげな声と同時に、ノノミが構えるミニガンの銃口が火を噴いた。 圧倒的な弾丸の雨。数の暴力が、ロージャを取り囲んでいた風紀委員たちへと、無慈悲に襲いかかった。
「いや~、ヘイロー無しにあそこに突っ込むなんて、度胸あるね~」
ムツキが、瓦礫の上に腰掛け、楽しそうに笑いながら言う。
「でしょ~?」
ロージャは、手刀についた火花を払うようにしながら、得意げに返す。
「まさか私たちと、刀一本で対抗できるなんて思わなくてさ。やっぱり大人は、伊達に長生きしてないね~?」
「いや、あれはたまたま……っと!」
ロージャが何かを言いかけた、その時。瓦礫の陰から、新たな敵兵が姿を現した。
「あっ、まだいますね♪」
ノノミが、嬉しそうに、ミニガンの銃口をそちらへと向ける。 彼女たちの連携は、まだ終わらない。
一方、こちらは右翼の戦場。
しかし、そこには、すでに戦闘と呼べるほどのものは残っていなかった。ただ、数多の風紀委員会の兵士たちが、地面に折り重なるようにして、倒れているだけだ。
「……ふふっ。こちらアル。大体の風紀委員の制圧には、成功したわ!」
その中で、近くのビルの屋上に立つアルは、誇らしげに笑いながら、インカムを通じてそう報告する。
彼女が手にしているスナイパーライフルの銃口から、まだ硝煙が立ち上っているところを見ると……この惨状は、全て彼女一人の仕業、ということなのだろう。
そして、その通信相手は……。
「おい! なんだか、さっきより少し、余裕がなくなったんじゃないか!?」
「う、うるさいっ!」
ウサギチームの人格を纏ったヒースクリフが、徐々に焦りの色を見せ始めたイオリを、執拗に挑発しながら相手をしていた。
イオリは、次々と、しかし、どこかぎこちない動きで、ヒースクリフが繰り出す斬撃の嵐を掻い潜る。 その度に、ライフルの引き金を引き、発射。そして、ボルトを引き、次弾を装填する。その、反復的な作業が、延々と続いていた。
(こいつ……! あのナイフを振るうたびに、だんだんと、動きのキレが増してきていないか……?)
このままでは、ジリ貧だ。 一度でも、彼の攻撃をその身に許してしまえば、相手の高速機動に完全についていけなくなり、一方的に蹂躙される。それが、この戦いの結末だ。
彼女は、この状況を打破すべく、覚悟を決めた。 次に襲いかかってくるナイフの煌めきに、もはや怯むことなく、その切っ先を、自らの体で受け止める勢いで、彼めがけて、まっすぐに突っ込んだ。
「くらえっ!」
しかし、それでも、ダメージを受けるわけにはいかないという強い意志が、彼女の体を動かす。イオリは、突進の勢いを殺さずに、ヒースクリフの体を巧みにいなすと、その頭部目掛けて、渾身の力でライフルを振り下ろした。
「……ふっ」
「さっきから、ちょこまかと……!」
だが、その起死回生の一撃も、決まらない。ヒースクリフは、まるでその動きを完全に読んでいたかのように、最小限の動きで踵を返し、その一撃を回避する。ライフルは、虚しく空を切った。
(仕方がない。一旦、距離を取って、遠距離から……!?)
イオリは、即座に次の手を考え、後方へ飛び退こうとする。
ダンッ!
「きゃあっ!? じゅ、銃弾!?」
しかし、その退路を塞ぐかのように、彼女の足元、懐に潜り込むような位置に、一発の弾丸が撃ち込まれた。
「……おっと。本当に疲れてんじゃねぇのか?」
「お前……! ずっと左脇に挟んでた、あのデカいのは……ライフルだったのか!」
「気づくのがちと遅いんだよ。傭兵が戦闘に不要なもんを、わざわざ持ってくると思ってたのか?」
その弾丸の主は、ヒースクリフだった。 これまで彼がずっと左脇に抱えていた、彼の身長ほどもある長大な四角い物体。それはただの装備ケースなどではなく、それ自体が強力なライフルだったのである。
そして、それと同時に彼の容姿にも変化が起きていた。今まで剥き出しだったその頭に、新たに
ウサギの耳を模した、全面を覆うタイプのヘルメットがいつの間にか装着されていた。
(なんだ……? 奴め、ようやく本気を出してきたということか……? ……待て。ライフルを持っていたのなら、なぜ今まで撃ってこなかった?)
突然生まれたその疑問。 銃火器が主体のこのキヴォトスの戦闘において、あえて銃を使わないという、あり得ない縛り。その理由をイオリは必死に考え、そして一つの結論にたどり着いた。
「……! もしかして、弾数が極端に少ないのか!」
ダアン!
「やっぱり、2対1は部が悪いな!」
答えを確かめるようにイオリが口に出すも、今度はアルの狙撃が、甲高い音を立てて彼女のすぐ側を掠めていった。ギリギリで回避はしたが、冷や汗が流れる。
ヒースクリフの執拗な近接攻撃。アルの的確な援護射撃。それに加え、今後は、ヒースクリフ自身の銃撃までが襲ってくる。そう考えれば、状況はかなり面倒だ。
しかし、同時に、明確な弱点も見えた。その隙を、ただ突けばいい。
「……面倒なのは、あのウサギのライフル弾だ。だが、弾数が少ないのなら……。動き回れば、無駄撃ちを誘えるかもしれない……!」
活路を見出した彼女は即座に行動に移る。
地面を強く蹴り近くのビルの壁へ飛びついた。そこを新たな足場として再び強く蹴り、高く宙を舞う。
(誘いに乗ってこない……!?)
壁を蹴り空中を舞う。その無防備な瞬間に、ライフルが火を噴くはずだった。だがヒースクリフは撃ってこない。こちらの動きを完全に見切っているかのようだ。
イオリは壁から壁へと飛び移り高速で移動を続ける。そしてついにヒースクリフの真上を取ることに成功した。 だがそれこそが敵の狙いだった。
ダアン!
別のビルからアルの狙撃が飛来する。 空中では逃げ場がない。 イオリは咄嗟に体を捻りその弾丸を紙一重で回避した。
しかし無理な回避行動で一瞬だけ動きが止まる。 その致命的な一瞬をヒースクリフは見逃さなかった。
ダンッ!
「――っつ!?」
先ほどアルの狙撃で牽制された足首。 全く同じ場所に今度はヒースクリフの弾丸が正確に叩き込まれた。
一度目とは比較にならない。 骨の芯まで砕くような凄まじい激痛がイオリの全身を駆け巡った。
「あっ、あらっ!? あの子、急に悶え出して……!? 何かやったの!?」
ビルの屋上からアルが驚きの声を上げる。
「簡単だ。一回目の弾丸で、あいつの体に『弱点』を無理やり作り出した。それだけのことだ」
ヒースクリフが、淡々と答えた。
「……ホローポイント弾じゃ、ない、だと!? ぐあっ……!?」
空中で衝撃の事実を告げられたイオリ。 激痛に耐えきれず、もはや空中で体勢を立て直すこともできない。彼女は、受け身も取れず、そのまま地面へと、強く、無様に叩きつけられた。
「ははっ。無様に倒れやがって。これじゃあ、草ばみする余裕すらねぇな?」
「くっ……!」
屈辱に顔を歪め、イオリは無理やり体を動かそうとする。だが、足首を襲う激痛で、その動きには、もはや以前のようなキレは全くない。
ダンッ!
再び、ヒースクリフのライフルが火を噴いた。 しかし、その弾丸が着弾したのは、負傷した足首ではなかった。今度は、彼女の左肩だ。
(……!? なぜ、別の場所を……?)
イオリが、その不可解な攻撃に疑問を抱いた、まさにその瞬間。
ダアン!
今度は、ビルの屋上から、アルの狙撃が飛来する。 そしてその弾丸は、寸分の狂いもなく、先ほどヒースクリフによって撃ち抜かれた、イオリの左肩に直撃した。
「があっ……!?」
足首の時と、全く同じ。 一度目とは比較にならない、骨を砕くような強烈な痛みが、今度は上半身を駆け巡った。 これは、ただの攻撃ではない。 相手の弱点を、意図的に、そして的確に作り出し、そこを徹底的に破壊する。 あまりにも悪辣で、計算され尽くした、処刑だった。
「くそっ……!」
イオリは、即座に敵の戦術を理解した。 ヒースクリフの弾丸は、それ自体が致命傷ではない。だが、着弾した箇所が、アルの狙撃の『的』になる。
(ならば……!)
彼女は、これ以上新たな弱点を作らせないことを最優先に動いた。 全身で、ヒースクリフの次の弾丸を回避しようとする。
だが、その動きは、すでに作られた弱点――負傷した足首や肩を、一瞬だけ、無防備に晒すことなった。 アルは、その隙を見逃さない。
ダアン!
「があっ……!?」
既存の弱点を、的確に、そして容赦なく撃ち抜かれる。増幅された激痛が再び彼女を襲う。
(……違う! ならば、逆だ!)
今度は、イオリは既存の弱点を庇うように、防御的な動きに切り替えた。 これ以上、同じ場所を撃たせるわけにはいかない。
しかし、その防御的な姿勢は、必然的に、彼女の動きを鈍らせ、隙を生む。 ヒースクリフは、その隙を、待っていたかのように突いた。
ダンッ!
がら空きになった脇腹に、新たな『弱点』が、また一つ、冷酷に刻み込まれた。
どう動いても、待っているのは、増幅された激痛だけ。 これは、もはや戦闘ではない。 選択肢を一つずつ奪われ、ゆっくりと嬲り殺されていく、ただの処刑だった。 かつてあれほど鋭かった反撃の牙は、もはや、どこにも残っていなかった。
「くっ、くそっ……! 悪魔かよ、お前ら……!?」
「悪魔みてぇな尻尾を生やしてるお前には、言われたくねぇな」
「……加担した私も、どうかと思うけど。これは、さすがに非道すぎるわね……」
アルとヒースクリフの、容赦のない言葉の追い打ち。 生徒二人にすらドン引きされるほどの、あまりにも悪辣な搦め手に、イオリの心は、ついに折れた。
ガクン、と。 彼女は、糸が切れた人形のように、その場に膝をついて倒れてしまった。 もはや、立ち上がる気力も戦う意志も、どこにも残ってはいなかった。
「あーあ、倒れちまったな……。まだ意識はあるみたいだが」
ヒースクリフは、ライフルを肩に担ぎ直し、膝をついたまま動かないイオリを見下ろして、面倒くさそうに呟いた。
「流石にこれ以上の追撃は、私とて許さないわよ」
「分かってるって。そもそもそういうルールだしな。それにお前なら、そう言うって思ってたし……」
「……なら、よかったわ。これ以上、あなたたちのことを見損ないたくないもの。それじゃあ、戻りましょう?」
パリン、と。どこかでガラスが割れるような音がして、ヒースクリフの姿がいつものLCB囚人のそれへと戻る。
彼とアルは、まるで旧知の戦友のように短い言葉を交わすと、作戦は無事終了とばかりにアビドスたちが待つ大通りへと、背を向けて歩き出した。
「イオリ! イオリ! そこにいますか!?」
「その声……チナツか……。ああ、ここにいる……」
「ああ、やっと見つけました――って、何ですか、その酷い有様は!?」
「……滅茶苦茶に、やられちまった……」
イオリは目を閉じ過去の戦闘を振り返る。 涙こそ流さない。だがその表情は悔しさに歪んでいた。
どうやら医療バッグを背負ったチナツが来たようだ。 彼女は近くで倒れていた兵士たちを起こしながら、ようやくイオリのもとへと辿り着いた。
「その……お疲れ様です……」
チナツは、かける言葉も見つからないといった様子で、ただそう呟くしかなかった。
「……はぁ。ウーティス教官の言葉を、素直に信じすぎたからかな。あの男、思ってたより断然強かった」
「まあ、あの方は自信に満ち溢れすぎていますから。しばしば、誇張して他人を見下してしまう癖がありますし……」
チナツは多少のサポートを入れながら、傷だらけのイオリの体をゆっくり起こし、その肩を支えた。
「……帰ったら、怒られるな」
イオリが、ぽつりと呟く。
「……今回の独断専行も含めると、より一層お説教が長くなりそうですが。でも、分かっていますよね? 彼女は、しっかりその後のサポートもしてくれる人だって」
チナツは、呆れながらも、どこか優しい声でそう言った。
「……きっと、大丈夫ですよ」
「……そうだな」
「……なるほど。私の予想を、遥かに上回っています……。素晴らしいですね。決して甘く見ていた訳ではありませんが、もっと慎重に進めるべきだったかもしれません」
〈あの人、こっちが優勢なのに、随分と余裕そうだね?〉
“もしかしたら……まだ、兵力を隠し持っているのかも”
妙だ。 現在の戦況は、明らかにこちら側が優勢のはず。それなのに、ホログラム越しのアコは、未だに冷静に状況を分析している。 東西南北、全ての戦線で、少ない兵力ながら、相手を確実に抑え込ん
でいるというのに。
すると、アヤネの口から、予想だにしていなかった報告が告げられた。
「風紀委員会、第三陣を展開してきました!」
「ええっ!? 折角、みんな集まったっていうのに、まだ来るの!?」
「お、お、落ち着け、お前ら! さっきのイオリって奴をぶっ倒したんだし、あとはもう、ウィニングラン……だよな?」
「確かに、『今の戦力』を基準に考えれば、そうだね」
「……カヨコ課長? それは、一体、何が言いたいのかしら……?」
「アコがこれ以上兵力を動かせるとなると、本来の権限を超えてる。ということは、この襲撃はアコの独断じゃない。……まさか……」
「……風紀委員長が?」
「えっ、ヒナが!? 無理無理無理! 逃げるわよ!!」
「いや、そうは言ってないよ、社長……」
カヨコの推測を要約すると……良くも悪くもとんでもない事態ということだ。 その場合私たちは対抗できるのだろうか。
不安が募る中アコが呟いた。
「ふふっ、これ以上は流石に……。委員長に知られてしまったら、イオリと仲良く反省文ですね……」
「さあ、では……三度目の正直と行きましょうか。風紀委員会、攻撃を――」
その瞬間。
「アコ」
「……え? ……ひ、ひ、ヒナ委員長!?」
アコのホログラムが、今までで一番大きく揺らいだ。 その理由は明白だ。彼女の隣に、長く白い髪、特徴的な紫色の角、そして立体感のあるヘイローを浮かべた生徒――ヒナ本人が、いつの間にか立っていたからだ。
「この状況、きちんと説明してもらうわ」
「そっ、それは……。素行の悪い生徒が、この地区で問題を起こしていると聞きまして……」
「便利屋68のこと? 見たところ、どこにもいないようだけど」
「えっ? 便利屋なら……、確かに、そこに……」
アコは、戸惑いながら、先ほどまで便利屋がいたはずの場所を指さす。 だが、その先に、彼女たちの姿はなかった。
「……って、消えてる!?」
セリカの驚きの声が響き渡る。 忽然と姿を消した便利屋68。そのことに、私たちも全く気づかなかった。多分、ヒナの登場を危惧して先に逃げてしまったのだろうが…… 一体、いつの間に……。
「え、えっと……委員長、全て説明いたします」
取り繕う理由がなくなってしまったアコは、ぎこちない笑顔でどうにか逃れようとする。
「いや。こちらも状況は把握できている。これ以上喋る必要はない」
「う、ウーティス教官!?」
〈……ウーティス?〉
再びアコの背後から新たな人物が現れた。 シャーレ支給の共通制服。首からぶら下げられた『囚人番号12番』のプラカード。
間違いなくあれはウーティスだった。
「ヘイローがない大人……あれ、ダンテの仲間?」
察しのいいシロコがそう問う。
〈うん。ウーティスっていう囚人だ〉
「なるほど。ゲヘナの方にも副先生がいると聞きましたが……彼女のことだったんですね?」
「……待ってください。もう一人、あちらに大人の方がいませんか?」
〈えっ?〉
突然ノノミがそう尋ねてきた。 反射的にゲヘナ風紀委員会の方へ視線を戻す。 確かにウーティスの隣にもう一人大人が立っている。
「あっ……」
その正体は今までアビドスの問題を共に解決しようとしていた、イシュメールだった。
「……イシュじゃない?」
「ええっ? イシュメールの出張先って、ゲヘナだったの!? 何で先に言ってくれなかったのよ!?」
“いやあ……。まさか、こっちで戦うことになるなんて、予想してなかったから……”
先生は、気まずそうに頭を掻いた。いや、私もイシュメールの出張先のことについては知っていたけど、どうせ関係ないしで喋っていなかったっていうか……。
……まあ過去のことは置いといて、向こうに見知った顔がいるといる上、事情を知っているなら話は早い。
「お前の実行しようとした事は、お前らにとっての不安要素の確認及び排除で合っているだろう?」
「は、はい……仰る通りです、ウーティス教官」
「そう……でもアコ、私たちは風紀委員会であって生徒会じゃない。シャーレ、ティーパーティー、それに連邦生徒会長。そういうのは万魔殿のタヌキ達と、そこのウーティス先生、イシュメール先生にでも任せておけばいい」
「……」
次々と浴びせられる正論に、アコは黙り込んでしまう。
そんな彼女に、ウーティスはさらに追撃を入れた。
「天雨アコ。貴様は己の私的な利益の為に、政治に首を突っ込み、他学園との戦争を勃発させようとした」
「ちょっと、ウーティス先生!? 話は、もうこれぐらいで……」
「黙っていろ、空崎ヒナ。此奴には、今ここで叩き込む必要がある。……分かっているのか? 貴様の、その幼稚な動機のせいで、お前たちの大事な学園の生徒ども、そして、罪なき人々を殺めようとしたんだぞ?」
「ウーティスさん、その言い様は子供に対するものではありませんよ!」
ダメだ、完全にスイッチが入ってしまっている。彼女は戦争に対して複雑な感情を抱いている。だから、こういう事にはつい敏感になってしまうのだ。
ここは私も止めに入らなければ。
〈ウーティス、めっ!〉
「はっ!? ……も、申し訳ありません、管理人様」
私の、たった一言(一音)で、彼女の纏っていた厳しい空気は、嘘のように霧散した。
“えっ、え? 矛が収まってる……。なんで?”
〈ウーティスは、私の指令なら大抵は聞いてくれるから……うん〉
「……なんか、ダンテの周りの人たちって、変な人多くない?」
〈そういうこと言うの、やめなさい〉
「あっ、止まった……。とにかく、アコ。詳しい話は、帰ってから聞くわ。通話を切って、校舎で謹慎していなさい。処罰は、後でウーティス先生が下すから」
「……はい」
アコのホログラムは、力なくそう返事をすると、静かに消えた。
さてこれで事態は収束しそうだと思いたい。だが生憎まだ火種は残っていたらしい。
突然シロコが前に飛び出し、力強く口にしたことが――。
「じゃあ、改めてやろう」
“シロコ! 待てって!”
「待ってください! ゲヘナの風紀委員長と言ったら、キヴォトスでも匹敵する人物を見つけるのが難しいほどの、強者中の強者ですよ!? それに、隣のウーティスさんも……同様に、只者ではなさそうですし……!」
「そうだよシロコ! 普通にやられちゃうって!」
「ですからここは、下手に動かず、一旦交渉を……!」
アヤネが相手の戦力と事情を理解した上で、懸命にシロコを止めようとする。 彼女を止めれば一件落着……という訳にもいかないのが、今の現実だ。 なぜなら私たちは、風紀委員会の公務を妨害してしまったのだから。
「こっちも、できるだけ丸くは収めたいけど……。そちらが、風紀委員会の公務を妨害したという事実もあるから」
「管理人様。誠に申し訳ありませんが、こちらにも、譲れないものがございます」
ヒナは静かに告げ、ウーティスも私に頭を下げながら、しかし毅然と言った。
〈そっか。まあ、別におかしいことじゃないけどね〉
「ええ? 抵抗の意思ぐらいは見せてくださいよ……?」
私はタブレットにそう表示させるしかなかった。
どちらの言い分も正しい。しかしこのまま彼女らと戦うのは、決して良い結果にはならないだろう。
「それはそうかも」
「それで?」
「私たちの意見は、変わりませんよ?」
「ちっ、結局、戦うしかねぇっていうのか?」
「はぁ……。仕方がないわね」
選択は、もう残されていないのかもしれない。
抗えない運命に、なおも抗おうとする者たちが殆どだった。だが、どうにかして別の選択肢はないかと、必死に焦る者もいた。
「ちょっと待ってください……! 便利屋の人たちも、もういないんです! あっちの兵力の数は変わっていないのに、私たちにはもう先生たちしか……! どういう訳か、味方を止めるのも大変ですし……! あうぅ、こういう時に、どうしてホシノ先輩がいないんですか……!」
アヤネの、悲痛な叫びが響き渡る。 その、まさに、その時だった。
「うへ~、こりゃまた、何かあったのかねぇ。すごいことになってるじゃ~ん」
その場の誰もが聞き慣れた、気の抜けた声が、戦場に響き渡った。
「!!」
「えっ!?」
「ホシノ先輩!?」
「ごめんごめん。ちょっと昼寝しててね~、少し遅れちゃった」
まさかの救世主。 今までいなかったホシノがショットガンと展開式の黒く大きい盾を装備し、私たちの目の前に現れたのだ。
「にしても、ゲヘナの風紀委員会かあ……。便利屋を追って、ここまで来たの?」
「……」
動機を尋ねるホシノに対しヒナは驚いたような、しかし冷静な表情のまま黙っていた。
「うーん、事情はよく分からないけど、対策委員会はこれで勢揃いだよ。ということで、改めてやり合ってみる? 風紀委員長ちゃん?」
「……1年生の時とは、随分と変わった。人違いじゃないかと思うぐらいに」
「……ん? おじさんのこと、知ってるの?」
「情報部にいた頃、各自治区の要注意生徒たちは、ある程度把握していたから。特に、小鳥遊ホ-ノ……あなたのことを、忘れるはずはないわ。あの事件の後、てっきりアビドスを去ったと思っていたけど……」
何やら二人の間で意味深な会話が交わされている。 だが私たちにはもちろん、他のアビドスの生徒たちでさえ、その真意を完全に理解することはできなかった。
「……そうか。だから、シャーレが……まあ、いいわ。私も、戦うためにここに来た訳じゃないから」
ヒナはそう言うとウーティスに視線を向け、こくっと一つ頷いた。 それを受け、ウーティスは何も言わずに手を挙げ……。
「風紀委員会、我々は撤収する」
「えっ!?」
イオリの悲鳴が砂漠の空に木霊した。 このまま戦闘が勃発するものと誰もが思っていた。だが下された命令は撤退だった。
「帰るんですか!?」
アヤネの言葉を気にも留めず、ヒナとウーティスは私たちの方へ近寄ると、深々と頭を下げた。
「えっ?」
「頭を下げました……!?」
「……事前通達無しでの無断での兵力運用。そして、他校の自治区内で騒ぎを起こした事案」
「このことについては、ゲヘナ風紀委員会顧問、ウーティス先生より。そして、私、空崎ヒナより、ゲヘナの風紀委員会の委員長として、アビドス対策委員会に対し、心より謝罪する」
「今後、ゲヘナ風紀委員会が、この自治区へ無断で侵入することはないと約束しましょう。どうか、慈悲を願いたい」
「委員長……。ウーティス教官……」
「ま、待って、委員長! あの校則違反者たち……便利屋は、どうす――」
「――貴様は、随分と口が達者だな? 上官の決定に、口を挟むなと教わらなかったか」
「あっ……す、すいません」
ゲヘナ風紀委員会から、正式な謝罪も貰った。 これ以上、ここに長居する必要はないだろう。 私たちも、とっとと撤収することにしようとしたが……。
「すいません、ちょっと話したいことがあって」
〈……イシュメール?〉
「……シャーレの先生、ちょっといい?」
“ヒナ?”
イシュメールとヒナ。彼女らに突然呼び止められる。
“2人同時だったけど……言いたい事は同じなの?”
「うん。……これは、先生達に直接伝えたかった事」
「カイザーコーポレーションのこと、知ってる?」
“……よく知ってる”
「そう」
ヒナの言葉によって暫し長い沈黙が続く。そしてその沈黙を破ったのも、またヒナだった。
「これはまだ万魔殿も、ティーパーティも知らない情報だけど、これはあなたたちに知らせた方がいいと思う……アビドスの捨てられた砂漠。あそこで、カイザーコーポレーションが何かを企んでる」
“アビドスの砂漠で、カイザーコーポレーションが?”
今まで砂漠に散りばめられてきたパズルのピースが、ようやく嵌った気がした。 カイザーコーポレーション……。黒服、そしてカイザーローンの一件。やはり、あの企業は、アビドスと深く関連していたのだ。
「……それと。そちらのダンテ先生にも、有益な情報があるわ」
〈私に?〉
「これは、私が説明します。簡潔に言うとですね――」
イシュメールが、一歩前に出る。 そして、彼女が次に紡いだ言葉は、あまりにも、驚愕に満ちたものだった。
「アビドスの砂漠にて、ロボトミー・コーポレーションの支部と思われる施設の、目撃情報があった、とのことです」
コメント
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え、ロボトミの支社できるの?マジでアブノマ出てくる気が…… ロージャさんの四本目のマッチの口上カッコ良すぎる…