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「イベント当番とかクソ面倒だよなー」
その声に牧村は顔を上げた。
自分の数年先輩で30歳を過ぎた玉森が、同期の福部と刷り上がったイベントチラシを睨んでいる。
「しかもエコキュートとか今更?時代遅れだっつの」
服部も鼻で笑いながら、それを指で飛ばしてデスクに置いた。
「去年のIH体験会はセゾンちゃん可愛かったよな」
玉森が下卑た笑顔を見せる。
「可愛かったー。黄色のエプロンつけちゃってさ」
服部も笑う。
「あれー、そう言えば牧村、セゾンちゃんと最近仲いいよなー?」
玉森がにやにやとこちらを見下ろす。
「……そう呼ぶのはどうかと」
牧村は2人を睨み上げた。
「ああ?」
「一応、新谷も成人男性なんだし、その馬鹿にしたような呼び方はどうかと思いますが…」
言うと彼らは顔を見合わせてから牧村を睨み落とした。
「はぁ?お前だって、つい最近までセゾンちゃんって呼んでただろ?」
「それは……」
牧村は誤魔化すために軽く咳ばらいをして話題を逸らした。
「それに最近のエコキュートってどんどん進化してますよ。スマホアプリで湯張りの予約が追いだきまで操作できるんで」
「またアプリかよ。何でもかんでもアプリにすればいいってもんじゃねえんだって」
「そうですか?帰りが不規則な父親とか、そろそろ帰るって時に会社からとか、電車からとか、自分で風呂沸かせたら便利だと思うんですけど」
「お前―――」
「あはは、やっぱり違うなあ」
服部が何か言い返そうとした玉森の肩を掴む。
「期待のホープ、牧村君は…!」
玉森も後輩を見下ろす。
「おっと。口の利き方に気をつけろよ。来月から牧村主任って呼ばなきゃいけなくなるんだから…」
牧村は先輩たちを見上げた。
「俺は、別に役職の呼び方なんて……」
「かーっこいー!」
服部が叫ぶ。
「役職なんて、アウトオブ眼中だってよー!」
「羨ましいね、言ってみたいわ、その台詞」
「…………」
こうなったらもう無駄だ。
何を言ってもつっかかり、嫌味たっぷりに虐めてくる。
牧村はため息をつきながら、
「タバキュー行ってきます」
と事務所を出た。
管理棟につき煙草に火を点け煙を吸い込むと、肺から少しずつ冷静になっていく気がした。
出る杭は打たれる。
先輩を追い越していくということはこういうことだ。
3年前、店長と同じ年間成績を叩き出した牧村を褒めてくれた先輩たちはもういない。
2年前から牧村の受注を鼻で笑うようになり、1年前からほぼ口を利かなくなった。
たまに話せば嫌味と僻みのオンパレードだ。
「気にすんなよ、牧村」
ベンチに座った牧村の後ろから店長の仲野が、背もたれに寄りかかるようにこちらを見下ろす。
「売れない負け犬の遠吠えなんて、右から左に受け流せ」
「わってるっすよ」
言いながら白い煙を空に向けて吐き出す。
「でもあまり敵を作るなよ。やりにくくなるから。お前が」
言いながら仲野は背もたれを飛び越えて、ベンチの隣に座った。
ふわっと香るコロンが、牧村の身体を硬直させる。
「……この間、お前がセゾンの新谷の手を引いて、街中を歩いていたのを見ていた社員がいる―――」
驚いて仲野の顔を振り返る。
「お前のプライベートにまで口を出すつもりないが。つまんないところで足を掬われんなよ?」
言いながら仲野は立ち上がった。
ファミリーシェルターに向かって歩き出すその後ろ姿は、40歳のくせに、やけに更けて見えた。
「足元掬われんのが怖いのは、自分だろうが……!」
その後ろ姿に呪詛を吐きつつ、牧村は後頭部をガリガリと掻きむしった。
篠崎と別れたというのは、先週新谷の口から直接聞いた。
「おいおいおいおい。絶対それ、俺が原因だろ…」
牧村は焦って新谷の肩を掴んで揺すった。
「お前それでいいのかよ?好きなんだろ?あの店長のことが!」
缶コーヒーを口につけたまま揺らされたせいで、ワイシャツに盛大にコーヒーを零した新谷は苦笑しながらこちらを見上げた。
「いや、牧村さんが原因といえば原因なんですけど、違うといえば、違うというか……」
「………お前、なんでそんなに冷静なの?」
牧村はいまいち手ごたえを感じない目の前の男を睨んだ。
「冷静っていうのともまた違うんですけど……。まあ、俺にできることは1つなので」
「お前にできること?」
新谷は軽く周りを見回した後、牧村の耳に口を寄せた。
「…………」
牧村はその言葉を聞きながら、眉間に皺を寄せた。
「それってさ………地獄じゃねえ?」
言うと新谷は目を細めながら笑った。
「うすうす勘づいてはいたんだけど、お前ってドМなんだな」
「できることが1つしかない以上、それについて悩んだり悲しんでいてもしょうがないっていうか……」
「だから、その表情、ね」
牧村はスッキリした顔で佇む新谷を見上げた。
「……いーんじゃない?そんだけ馬鹿だと清々しいわ」
言いながら新谷の肩を叩いた。
「応援するよ。何でも言って」
「ありがとうございます」
「でも身体が疼いたら相手してやるよ」
「ふふふ」
怒るかと思いきや新谷は笑った。
「同じこと、紫雨さんにも言われました」
牧村は口の端を上げた。
「あー、あのネコちゃんね」
「………え、ネコちゃん?」
「あーいや、こっちの話」
牧村がため息をつくと、新谷は微笑んだ。
「落ち着いたら、また飲みに行きたいですね。今度は林さんも一緒に」
「ゲイの集会?キモいって」
言うと彼は、冬の晴れ間のような笑顔で笑った。
◇◇◇◇◇
店長の仲野が消えていった事務所のドアを眺めながら、それに向かって白い煙を吐き出す。
新谷や篠崎のように、または、紫雨と林とかいう売れない営業マンのように、誰に臆することなく、恥じることなく、堂々と男と付き合えたら、どんなに幸せかと思う。
しかしそれには、相手がそれを恥じていないこと、そして相手が自分と同じ熱量を持っていること。さらに――――。
第一前提として、相手が未婚に限る。
自分たちと、新谷たちは違う。
そもそも自分と新谷は違う。
そんなこと最初からわかっていたのに……。
「………どうしたもんかなー」
牧村は、唇を窄めて、細く長い煙を空に向かって吐き出した。