「いいわね」ジョーン先生は教室と変わらぬ厳しいことを言う「人の家を訪問する時は、前もって連絡するものよ。もうあなたは、そういうこと考える年齢よ」
「以後気をつけます。でも、今回だけはどうか許してください」
先生は先週から学校に来ていない。これまでの長い教職生活を無欠勤で来た人が、である。
「紅茶? コーヒー? それともココア?」台所へ向かった先生の声は、しわがれていた。
「ココアにしてみます」
俺は木製の椅子に座りながら、背筋を伸ばした。窓の外には水の張られていないプールが見える。
「お体、少しはよくなって来ましたか」
「見てのとおりよ」先生はここ数週間でひどく痩せた「でも私は、今の医療チームを信頼している」
先生はココアをトレイに載せて持ってきてくれた。カップの中に、黄とピンクのマシュマロが浮いている。
先生は椅子に座ると、背もたれに寄りかかって足を組んだ。
「ところで、あんたの方はどうなの」
俺はココアに口をつけることなく、奈津美のことを話し始めていた。彼女が来週には帰国してしまうこと。彼女と離れ離れになるなんてこれから生きていく自信がない。帰国後の彼女にも俺と同じ苦しみが待っている。アレシオはそれがどんなものかを知っていて、これ以上彼女にのめり込むなという。でも、どうやらもうそれはできそうにない。ならばいっそのこと、彼女を見送る日の空港で、手を振って、静かに身を引いた方が互いのため、特に彼女のためでもあるのかどうかについて、悩み通しであるこの胸の内を。
「ごめんなさい。先生に比べてしまえば、俺の苦しみなんてちっぽけなことなのは分かっています」
先生は病人らしからぬ強い視線で俺を見つめた。
「ひとつだけ言っておくよ、ケンタ。愛は全てを包み込むこと、無条件で全てを受け入れること」
俺は見舞いに来たはずだった。でもどうしても、この人と話していると掌に乗せられてしまう。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!