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プロローグ
恋愛なんて、興味がない。
昔から、そんなものを考える余裕なんてなかった。
小さい頃から、母に言われるまま机に向かっていた。
ピアノ、習字、英語、塾。
“遊ぶ時間”も、“友達と笑う時間”も、全部削られた。
少しでも点数を落とせば、母の眉がわずかに動く。
それだけで心臓が跳ねた。
「どうして出来ないの?」
その言葉のあとに続く“音”を、何度も聞いてきた。
その度に、暴力を振るわれていた。
泣いても無駄だった。
「泣く暇があるなら、勉強しなさい」
そう言われるたびに、自分の中の何かが小さく削られていった。
それでも、母は言う。
「あなたのためよ」
その“ため”が、いつも一番苦しかった。
だから私は、笑うのをやめた。
誰かに期待するのも、やめた。
恋愛なんて、きっと無駄なものだ。
どうせ誰も、本当の私なんて知らない。
……少なくとも、そう思っていた。
あの日までは。
第1話 ペア決め
「じゃあ体育祭のペアは、このくじで決めまーす!」
担任の声が響いた瞬間、教室がざわついた。
前の席では、女子たちが楽しそうに笑っている。
「やっぱ佐久間くんと組みたい〜!」
「同じペアになったら絶対勝てるよ!」
……また、その名前。
佐久間涼太。
陸上部。
運動神経が良くて、明るくて、誰とでも仲がいい。
先生に怒られても、なぜか許されるようなタイプ。
クラスの中心にいる、まぶしい人。
私には、関係ない。
私は、机の上でペンを転がしながら、早く終わってくれとだけ願っていた。
体育祭なんて、苦手なことの詰め合わせみたいな行事だ。
走るのも、笑うのも、競うのも、全部疲れる。
「遠野ー、次」
担任に呼ばれ、無言で立ち上がる。
くじ箱に手を入れて、一枚の紙を引いた。
「……十二番」
静かに読み上げた瞬間、教室の前の方から声が上がる。
「おっ、俺だ!」
顔を上げると、例の“名前の主”が手を挙げていた。
佐久間涼太。
陽射しみたいな笑顔で、こっちに歩いてくる。
「えーと……遠野さん、だよね?」
その声が、思っていたより柔らかかった。
私は小さくうなずく。
「……はい」
「よかった。ごめん、名前ちょっと出てこなくて」
「……静香です」
「そうそう、静香さん。覚えた!」
そう言って、彼は笑った。
その笑顔が、なぜかまっすぐ目に焼きついた。
「俺、佐久間涼太。陸上部。短距離走ってる」
軽く言って、笑いながら首をかしげる。
「運動は任せて。……遠野さんは?」
「勉強、だけなら……」
「そっか。いいじゃん。得意分野、半分ずつ」
何がおかしいのか分からないのに、
彼はまた笑っていた。
その明るさが、遠すぎてまぶしかった。