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夜が明け、2人は朝ご飯を買おうと外に出かけた。東京の街は、彼らの存在など気にすることなく、今日もせわしなく動き続けている。
人ごみの中を歩きながら、チョモは無意識のうちに、周囲の視線や、不意に向けられるスマートフォンのレンズを警戒してしまう。心の奥底に刻まれた呪縛は、そう簡単に彼を解放してはくれなかった。
そんなチョモの横で、砂鉄はいつも通りのほわほわとした雰囲気で歩いている。都会の喧騒にも、彼の周りだけはどこか穏やかな空気が流れているかのようだ。
時折、道の脇に咲く小さな花を見つけては、「あ、きれい」とチョモに話しかけたり、美味しそうな匂いに誘われて「お腹空いたね」と無邪気に笑ったりする。そのたびに、チョモの張り詰めた心が、わずかに緩むのを感じる。
「チョモ、最近新しい仕事始めたんでしょ?たくさん稼げるといいね」
砂鉄が、チョモの顔を覗き込むようにして言った。彼の声は、いつも優しくて、チョモの心にそっと寄り添ってくれる。
「そうだな。少しでも多く稼がないと、また今月の宿代が危ない」
チョモが現実的な答えを返すと、砂鉄はふんわりと笑った。
「もー、チョモはいつもさぁ〜、、まぁ、なんとかなるって! 俺たち、ここまで来れたんだし。ね?」
その言葉は、まるで魔法のようだった。砂鉄のどこか能天気で、しかし安心感を与える言葉に、チョモはいつも救われていた。
彼の言葉は、チョモの抱えるものから、ほんの一瞬だけでも彼を解き放ってくれる力があった。
砂鉄の今日の仕事についての話を聞いていると、朝から痛かった頭が、さらに痛みを増してきた。何となく身体も熱い気がする。相槌も打たず黙っていることに気づいたのか、砂鉄は話をするのをやめる。
「どうした?」
横から、砂鉄の声がした。そちらを見ると、心配そうにチョモの顔を覗き込んでいた。
「……なんでもない」
チョモは、いつものように曖昧に答える。これから朝ごはんを買って、お互い仕事に行くのに、心配はかけられない。無理やり口角をあげて笑いかけると、痛々しいものを見るような、困ったような顔をされる。
最近この顔をされることが増えたような気がする。何か言いたいことがあるような感じなので、心配してくれてるんだろうなとは思う。しかしもう子どもではないんだし、少し過保護だと思い始めている。最近砂鉄からの心配も雑に受け流すようになったためか、”言いたいけど言わない”顔をするようになったのだろう。
バイトが終わり、チョモは疲れた体を引きずってネットカフェへと戻った。砂鉄は居酒屋の仕事で夜中まで帰ってこない。薄暗いブースの中で、毛布にくるまり、チョモはひたすら眠ろうとしたが、なかなか眠れない。その時、砂鉄からLINEが来た。
「明日前言ってたチョモの好きなパン買お!」
休憩時間なのだろうか。そんなの今じゃなくていいだろ、と思ったが、ふっと力が抜け安心したような気持ちになり、チョモはゆっくりと目を閉じた。
深夜の2時を少し回った頃。砂鉄は、居酒屋の生臭い匂いを纏ったまま、薄暗いネットカフェの通路を歩いていた。シャワーを浴びたい気持ちを少しだけ我慢して、まずはチョモがいるブースへと向かう。
借りているのは、いつも決まった連番のブース。今日は運良く一緒に朝ごはんを買いに行けたが、片方が寝る時はもう片方が起きている、そんな不安定な生活が、かれこれ数週間続いていた。
昨日は砂鉄が眠れなかったため、チョモのブースに転がり込み、一緒に寝させてもらった。かえってチョモが寝つけなかったことは申し訳ないと思っている。砂鉄は、ブースの入り口をそっと開けた。
チョモは、いつものようにキーボードにもたれかかるようにして寝ていた。使い古された毛布が肩までかけられているが、その寝息はどこか荒い。
「チョモ、起きてる?」
砂鉄は、小声で呼びかけた。しかし、チョモからの返事はない。いつもなら、砂鉄の気配を感じて、すぐに目を覚ますはずなのに。
少し不思議に思い、額にそっと手を伸ばした。触れた瞬間、じんわりと熱が伝わってきた。
「あれ……熱いな、」
今日様子がおかしかったのは、やっぱり体調悪かったからだったのか。チョモの顔は、赤く火照り、浅い呼吸を繰り返している。苦しそうに眉根を寄せ、時折、うめき声が漏れている。
「んん……」
チョモが、かすかに身じろぎした。砂鉄は、慌てて毛布をかけ直し、彼の呼吸を落ち着かせようと背中をさすった。
(熱があるのに、黙ってたのかな……)
砂鉄の胸が、ぎゅっと締め付けられた。チョモは、いつもは飄々としていて、砂鉄の前で弱みを見せたがらない。それが、こんなに高熱を出しているのに、何も言わずに耐えていたのかと思うと、砂鉄は居た堪れない気持ちになった。