テラーノベル
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ネットカフェの個室は、狭く、密閉されている。チョモが体調を崩したことは今までも何度かあったため、看病の方法はわかる。だが、ここまで苦しそうな様子をみるのは初めてだった。頭の中に、不安がよぎる。
砂鉄は、チョモを横に寝かせて毛布を被せた。その後、一度ブースを出て、フロントへ向かった。自動販売機でスポーツドリンクを買い、冷たいおしぼりをもらう。ブースに戻ると、チョモは相変わらず苦しそうに魘されていた。起こすと可哀想だとは思うが、水分補給をさせようと肩を叩く。
「チョモ、起こしてごめん。これ飲もう。 ちょっとでいいから」
チョモの背中に手を当て、ゆっくりと体を起こす。ペットボトルの蓋を開け、口元にそっと近づけた。チョモは、辛そうに薄目を開く。口を開き、わずかに水分を飲み込む。その喉がゴクリと鳴るたびに、砂鉄は安堵の息を漏らした。
もういい、と首を横に振ったので、ペットボトルをそばに置き、背中に当てたまま、身体をゆっくりと戻す。さっき貰ってきた 冷たいおしぼりを、チョモの火照った額に当てた。ひんやりとした感覚に、わずかに表情を緩ませ、そのまま目を閉じた。
砂鉄は、チョモのそばに座り込み、その荒い呼吸を聞き続けた。廊下の話し声が遠くに聞こえるが、このブースの中だけは、二人の静かで重い空気が流れていた。
自分が帰ってくるまで、チョモがここで一人、どれだけ苦しんでいたのかと思うと、胸が締め付けられる。自分も疲労困憊のはずなのに、チョモの熱に気づいてから、一気に眠気が吹き飛んでいた。
この薄暗い、小さな空間が、今の自分たちにとって唯一の「家」。その「家」の中で、一番大切なものが今、苦しんでいる。
砂鉄は、チョモの冷たい手を取り、優しく握りしめた。
チョモの額に当てたおしぼりを交換し、スポーツドリンクの残りを枕元に置いた。このまま寝かせておくわけにはいかない。熱を測るものも、解熱剤もない。ネットカフェという場所では、できることが限られている。
砂鉄は、自分のブースに戻り、スマホを取り出した。夜間診療をしている病院を検索する。しかし、深夜のこの時間から、チョモを連れていくのは難しいだろう。タクシー代も馬鹿にならないし、何よりチョモが熱で動けない。こんな時間にブースを長時間空けることもできない。
ネットカフェの利用規約には、ブースを離れる際は荷物を持ち出すよう注意書きがあった。 だが、そんなことは今の砂鉄にはどうでもよかった。ただ、チョモを一人にすることへの不安が、砂鉄の胸に重くのしかかった。
(どうしよう……)
砂鉄の胸に、焦りが募る。こんな時、頼れる大人も、相談できる人もいない。全てを自分で判断し、行動しなければならない。
砂鉄は、もう一度チョモのブースに戻った。チョモは、まだ苦しそうに息をしている。
「しんどいね。大丈夫だよ」
そう言ってチョモの手を握る。その声は、チョモの耳に届いているのか、いないのか。それでも、砂鉄は語りかけ続けた。
「俺、ここにいるからね。一人じゃないからね。」
そう言うと、チョモはわずかに身じろぎし、繋がれた手を弱々しく握り返した。砂鉄は チョモの隣に座り直し、毛布を首元までかけてやり、さらに二重にしてやった。少しでも体を温めて、汗をかかせることができれば、熱が下がるかもしれない。
しばらくの時間が過ぎた。チョモは 、目は閉じていたが、なかなか深い眠りにはつけないようだった。時折、苦しそうにうめき声を上げ、体を小さく震わせる。
砂鉄は、チョモの額に当てたおしぼりを交換しながら、彼の様子をじっと見守っていた。熱はまだ高いままだ。このままでは、チョモの体力が消耗してしまう。
「…眠れない?」
砂鉄が優しく問いかけると、チョモはゆっくりと目を開け、砂鉄の顔を見つめた。その瞳は、 熱によるものと眠れないことへの辛さで潤んでいる。
「…しんどい……」
その声は掠れていて、まるで幼い子供が甘えるようだった。普段のチョモからは想像できないほど、弱々しい姿に砂鉄の胸は締め付けられた。
すぐに毛布の中に潜り込み、その身体を自分の腕の中に抱き寄せる。チョモは抵抗することなく、身体を預けてきた。
砂鉄は、チョモの背中を優しくさすり、その体を温めるように抱きしめた。
「大丈夫大丈夫 。ここにいるからね。絶対すぐ治るよ。」
そう言って何度も同じ言葉をチョモの耳元で繰り返す。チョモの熱い体が、砂鉄の胸にぴったりとくっつき、その荒い呼吸が伝わってくる。チョモの汗ばんだ髪を優しく撫でながら、ゆっくりとリズムを刻むように背中を叩いた。
ネットカフェのブースは狭く、二人で横になるには窮屈だった。それでも、砂鉄はチョモを抱きしめたまま、自分の体を丸めた。チョモが少しでも安心して眠れるように、自分の温もりを全て分け与えるかのように。
チョモは、砂鉄の腕の中で、次第に落ち着いていった。砂鉄の規則的な呼吸と、背中をさする優しい手に包まれ、彼の呼吸も少しずつ穏やかになっていく。
「……さ、てつ……」
チョモが、夢うつつの声で砂鉄の名前を呼んだ。
「うん、ここにいるよ」
そう答えると、チョモはさらに深く砂鉄の胸に顔を埋める。やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。
チョモが眠りについたことを確認し、少し緊張の糸がほぐれる。腕の中のチョモは、まだ熱い。しかし、その寝顔は先ほどまでよりも穏やかだった。
砂鉄は、チョモを抱きしめたまま、薄暗いブースの中で静かに夜明けを待った。
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