本当に最低な気分です。または最高です。
わたしは元来最悪なひとでしたが、これに気づけるほどは聡いやつだとも誇っています。
きみとの仲ゆえ天気の話は省きました。品のなくて恥ずかしいけれど甘んじてください。……丁寧な口調はおかしいですか?
令嬢である身のため、かつてのわたしは非常に贅沢でした。チョコレートは苦くて、パンは固くて、スープは冷める。だなんて常識だと思いになるでしょうか。けれどわたしには思いもしなかったことなんです。空は昼の青のものしか見たことがなく、また室と庭の空気しか吸ってこなかった。まさしく箱で飼われていただけなのですから、それが変だとはわからなかったの。わたしが読書を趣味と話していたので、きみの不思議がらなかったのと訊ねるさまが想像できます。しかしあいにく親しみのない単語は見ないふりする癖があって。信じるだとか疑うとかいう概念などないんです。ひたすら、周りの者が与えてくれる温かみと優しさを惜しみなく享受していました。飽きちゃうほど穏やかで、わたしまるで塔の城の姫みたいでした。
だってわたしたち人形なんだもの。価値ある売り物を、買った側が大事にするのは責務よね。親が生むより既に商談はついていたらしいです。おそらく所有物が産まれてから何を喚こうと痒くもないんだろうに違いないんです。フィクションの設定みたいな事実を知った日も、わたしは穏やかでした。まあ大人はひとりとして身内ではなく他人でしたが、十六まで育てられたのは確かなのだし、恩はあるし、文句があったわけじゃあないですわ。でもね、本を嗜んでいたせいで気が狂っちゃったのかしら。語彙だけ身につけていたって所詮、空き瓶なの。からっぽのわたしはうちを出て行きました。本物が存在しない家は建物にすぎないからです。わたしは幻に住みたかった。これが一回の逃亡です。トマス・モアの示した、無き美しい国に皆が焦がれるみたく、わたしは心の淵で夢見をしていたようなのです。
中学校に通っていた時わたしの見目を褒めていた男の子が一人でいると聞いていたので、まず訪ねました。彼は荷物のないわたしを招いてくれました。制服が汗ばんで肌に付くのに惑っていたら剥がしてくれて、それから、首筋をやわく食むんです。吐く息に声が混ざるの。二人分の心臓が同時に鳴っていて、すごく生を感じました。少し恐かった。くどく、好きと囁かれました。なんて甘い響きなのと思いました。もういっかい言って欲しくて、繰り返し、わたしもよと返事したんです。あんまりに素敵だったので、危うく昔を忘れそうになってしまいました。きみやみんなのことも。おねがい、軽蔑なさらないで。異性と裸になるのが幸せと教わりましたもの。解っていたけど、寒いだけです。でも、束の間ですが満たされました。
二月程して、彼が安っぽい飾りが載った銀の指輪を買って帰りました。一緒にいよう、僕が守る、という言葉にわたしは微かにもときめきませんでした。お互いに求めるものが異なることを悟っていながら、わたしは人の好意を利用したんです。酷いと罵るべきなのに、殴られるのを待っていたのに、優しい彼は静かに頷いて凪いだ顔のまま逃がしてくれました。もちろん全部わたしが悪いのです。なのに、苦しかった。
わたしは魔女なのかもしれません。だから、たとえ地獄であろうとかまわない。わたしは人間未満の怪物だから匿われていたんだと、元のとこへ舞い戻りました。三日月の夜でした。わたしのだった部屋はずっとおんなじで、翌朝になれば、社会を映した目は閉じるけれど一生平和でいられると、救われた気で眠りにつこうとしました。
聞こえたのです。見てしまったのです。王ときみの秘密。わたしが完璧に無知であれば、または悪であればと悔やみました。きみが窓から射す白い靄に照る姿は幽霊みたいでした。無抵抗なきみのからだをあなたが這い、水が滴るような音だけがしていました。床には薄く霜があって、わたしは素足で触れてしまいました。ぱきっと音が立ち、そしてきみの灰の瞳がわたしを捉えました。
どくんと血が蠢きました。
きみが一度、わたしの名前を口にしたのです。気のせいでしたか?いえ、気のせいで済ませてはならなかったのです。やめてと縋る声が耳の膜を抉りました。ああ、どうぞ愚か者となじってください。わたしは固まって俯いていたのですが、それを合図に、振り返らないで寝床へ滑りました。指先はかじかんで痺れていました。
つぎの晩、やっぱり王に呼ばれました。離すものかとでも言うように、懸命に必死にわたしをなぞって唾を溢しておりました。そう、此処で最も慈しまれているのはわたしなのですから、わたしによってかたをつけなければいけない。玩具のように黙っていながら、わたしは決めていました。植えた草が喋るなど考えたこともありませんでしょう。そのように隙など幾らでもありましたので、簡単でした。あくる暗い日に敵を討ちました。わたしはいわゆるヒーローになったのですが、しかし仲間のはずだった子たちはわたしを睨むのです。たくさんの眼には憎しみがこもり淀んでいました。彼女たちは檻を失ったひよこです。おやを亡くして放たれて、やり場のない不安が伝わるのです。孤独なわたしは虚しさに苛まれ、おそらく理解者のあなたを連れて去りました。生きるために色んな人の熱を抜きました。濡れた手に銀貨を掴んで卵を買いました。きみのためなら何だって叶えられる気がいたしました。ふたりっきりになれて、しあわせでした。これまでになく幸福であるはずなのに冷や汗が伝うのです。猛毒を飲んだかのように肺が痛みました。
これでわたしは、まっとうではなくなりました。じぶんのよすがをも騙し花に毒を撒くような生き方ばかりしてきたのです。世の常のひとかけどころか、あなたの喋らぬわけさえ知り得ません。わたしは馬鹿どもと交えて唇を湿らせながら泣くのでした。涙に溶かされて消えてしまう存在でありたかった。あのきみの姿が消えないのです。眺めてきたより麗しかった。美しさに酔いながら嫉妬していました。あなたが愛おしくて倒れてしまいそうでした。さらに自白なのですけれど、じつは、きみをひそみにならっていましたの。男の方に撫でられながら、あなたの喘ぎを真似して吐くのです。なめらかな輪郭も脚の曲げ方も似せて、忘れないよう刻むのです。いまでも堪らなくなります。物語に思いを馳せるのも、眉の角度も、はにかんで頬を手のひらで包む癖も、劣化版ですけれど、わたしのそれはきみのものです。残念ですね、いっそ双子ならよかったのに。
あなたはユダなのですね。告発されたのはイエスではなくサタンですが。わたしが着ていたより堅い制服を纏った人たちに引き立てられて監獄で過ごしました。それからわけのわからないところにいますが、もうきみはいないのです。アダムとイヴの話によると、人間そのものが失敗作なんだそうね。わたしは生まれたのが罪なので、だからつらいのはきっと罰なんだわ。
わたしは泥です。白い箱に囚われている。どろなんです。穢れなき聖なる想いびとを汚してしまう。
世界ってきれいなんですね。あれがわたしの基準だったもので、とてつもなく清く感じられます。しかし眩さに斬られそうなんです。わたしには耐えられそうにないの。こんなにも駄文を連ねたのは遺書のつもりな訳です。もはやこれは紙屑ですから、どうせ価値のない塵ですから、いっそ焼き尽くして。弔いと云うなら何だってよいです。あなたの手で葬ってやってはくれませんか。
きみは賢いので解っていたことでしょうが、世界では、愛が義であるらしいのです。もう、きみを追い駆け回す純真無垢な幼子ではなくなってしまいましたが、五十音のはじめの二文字をいだき、わたくしもせめて正しく殺されてやります。
だけれどもあなたに嫌われたら死にきれないわ。化けて呪いますから。おいやなら憎んでください。そして悼んでください。しまいには、愛してください。吐くほどの愛がほしくて仕方ないんです。ずっとわたしは愛されたかった。すみません、きみのことをユダとしましたが訂正します。わたしはあなたが認めてくれるなら何を葬ってもかまわないの。わたしの主なるかたは、きみなのです。神がいるならあなたです。心から愛おしいです。お慕いしております。好きで堪りません。欲望なんかのせいで命は潰えてしまうのです。恋とは儚く脆いですね。でも輪廻がまことなら素敵じゃないかしら?わたしの理想郷はそこにあるのです。エピクロスのおっしゃったように、死とは畏れることでないのですから。真白な監獄からゆきます、翼は無いですが、けして痛くはありません。わたしは安らかに逝きます。ついに幸福になりに!
まったくきみはわたしの禁忌でした。
ほんとうに、ごめんなさい。さようなら。
⚠あらすじは本文読後におまけとして目をお通しすることを推奨いたします
コメント
2件
すごくすごく好きです。 私もこんなお話を描いてみたいなぁ… 恋文の書き手の人は、本当に「きみ」が好きだったんだろうなと思いました。 この人は「きみ」に、「王」を○したことを告発されて、裏切られたのかな? やるせなくて、どうしようもなくて、歪で濁ってるけど、なんだか宝石みたいです。本当に綺麗。 「きみ」はこの後ユダみたいに自決するのかな。それとも書き手の人を弔う?妄想が捗る…