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「あなたがどれだけ場違いか、分かっていらっしゃる?」
ダンスホールから出て、薄暗がりに連れて来られたシルヴェーヌは、一定の距離を保つ令嬢たちに取り囲まれていた。
いつの日か、バラ園で王妃とその取り巻きたちに、体質について罵られたのを彷彿とさせる。
あのときはガブリエルが、相手を言い負かしてしまったが、今はシルヴェーヌ以外の令嬢とダンス中だ。
こういうときにどうしたら穏便に事が済むのか、シルヴェーヌは必死に考える。
そして取りあえず、相手の意見を聞こうと思い、敵意はないと示すために微笑んで見せた。
だが、それがかえって令嬢たちの気分を害したようだ。
「余裕じゃない。ガブリエル殿下とファーストダンスを踊ったくらいで、つけ上がるんじゃないわよ」
「これで王家からあなたへの恩返しは済んだわ。ガブリエル殿下はしがらみから解放されて、立派な婚約者を選定されるはず」
「そもそも今夜のパーティだって、そのために開催されているのですからね」
「あなたはもう、お役御免なの。ガブリエル殿下の周りを、うろつかないでちょうだい」
どうやら令嬢たちは、シルヴェーヌがガブリエルの近くにいるのが気に入らないようだ。
「私がガブと一緒にいるのは、そもそも国王陛下から話し相手として……」
今もなお側にいる理由を説明しようと口を開くと、令嬢の一人にバシッと扇を投げつけられた。
当たったこめかみが、ジンジンと痛みだす。
きっとこれから赤く腫れるだろうが、シルヴェーヌの体質ならば、明日には治っている程度だ。
「あなた、ガブリエル殿下に対して、無礼を働いたわね」
「敬称をつけないなんて、身の程をわきまえていない証拠よ」
「私たちが直々に躾けてもいいけれど、この悪臭が移りそうで嫌だわ」
「ああ、臭い。よくこんな悪臭を振り撒きながら、生きていられるわね」
わざとらしく鼻を押さえたり、扇でパタパタとあおいだり、令嬢たちはどれほどシルヴェーヌの体臭が不快なのかを訴える。
「私を臭いと思うのならば、それはあなたたちが健康である証よ」
シルヴェーヌは喜ばしい事実なのだと伝えたかったが、他の令嬢からも扇を投げつけられてしまった。
「今夜のパーティには、ガブリエル殿下の婚約者候補として、お忍びで隣国の皇女さまが参加されているのよ」
「悪臭を放つドクダミ令嬢がいては、出会いの場が汚れてしまうでしょう?」
「私たちが率先してあなたを排除しているのは、言わば我が国の未来ためなのよ」
「分かったのなら、さっさと立ち去りなさい。……実力行使をされない前にね」
実力行使の意味が分からず、シルヴェーヌは首をかしげる。
「あとでもう一曲、ガブと踊る約束をしているの。だからそれが済むまで――」
待ってもらえないか、と続くはずだった。
だが、それより早く、令嬢の投げつけたものが、シルヴェーヌを目がけて飛んで来る。
もう痛いのは嫌だと思い、手で顔をかばったのがいけなかった。
シルヴェーヌの腕に当たって、ぼとりとスカートの膨らみに落ちたのは、ふたが開けられたインク壺だった。
さかさになったそれからは、どろりと青いインクが垂れ落ちて、ガブリエルが贈ってくれたお揃いのドレスを穢す。
あまりの出来事に、シルヴェーヌの動きが止まった。
「いい気味ね。そんな姿では、会場へ戻れないでしょう」
「ガブリエル殿下とお揃いですって? 体でおねだりでもしたのかしら?」
「いやだわ、下品よ」
「臭いドクダミ令嬢には、汚いドレスがお似合いよ。夢見る時間はもう終わったの」
ぽいとインク壺のふたを放り、くすくすと笑いながら令嬢たちは歩き去った。
残されたのは、呆然と立ち尽くすシルヴェーヌのみ。
足元に転がり落ちるまでに、いくつもの青い抽象画をスカートに残したインク壺は、すっかり中身を吐き出し床面でころりと息絶えた。
「嘘……お姫さまのドレスが……」
シルヴェーヌはハンカチを取り出し、そっとインクを吸わせようとしたが、インクはさらにドレスに染み込んで、青の面積を広げるだけだった。
「どうして……どうしてこんな……」
これまでシルヴェーヌは、真正面からの悪意をぶつけられたことがない。
7歳までは屋敷の中で、17歳までは離宮の中で。
シルヴェーヌは小さな世界で生きてきた。
そこには、こんな純粋な悪意は存在しなかった。
乳母しかり、ガブリエルしかり、盾となって護ってくれる者がいたからだ。
そんな中で、真っすぐに育ったシルヴェーヌという花の茎が、令嬢たちによってぽっきりと手折られてしまう。
(体質うんぬんではなく、私の存在自体を否定された)
ぶわっと若緑色の瞳が潤み、大粒の雫が頬を伝い落ちる。
シルヴェーヌは滅多に泣かない。
しかし、この現状は、とても受け止められるものではなかった。
◇◆◇◆
その頃、コンスタンスが休憩室を後にしようとしていた。
入れ替わるように休憩室へやってきた令嬢たちへ、席を譲る。
扉を閉めて出て行こうとしたコンスタンスが、令嬢たちの言葉尻を捉えた。
「あの顔、見ものだったわね」
#大人ロマンス
きょう
#大人の恋愛
「今にも泣きそうだったじゃない?」
「だって金色のレースが、青色になったんだもの」
「ドクダミが日の当たる場所にいてはいけないのよ」
コンスタンスの血の気が引いた。
間違いなくこの令嬢たちが笑いものにしているのは、姉のシルヴェーヌだ。
今夜のパーティで、ガブリエルの金色をまとうのを許されたのは、たった一人だからだ。
(お姉さま、一体なにがあったの?)
コンスタンスは、シルヴェーヌを探した。
もし令嬢たちにドレスを汚されたのなら、会場にはいられないだろう。
すでに何度もパーティへの参加経験があるコンスタンスは、陰湿ないじめが行われそうな場所を知っている。
たいていは男性が立ち入らない、女性専用の休憩室へ続く廊下の薄暗がりなのだ。
「お姉さま、いらっしゃいますか?」
声をかけながら探すコンスタンスの前を、何かが横切っていく。
長くたなびく美しい黒髪と、暗所でも目立つ金色のレースに、これはシルヴェーヌだと確信した。
「待って、お姉さま!」
手を伸ばし捕まえようとしたが、シルヴェーヌは凄まじい勢いで遠ざかっていく。
コンスタンスも必死に追いかけて走ったが、そもそもシルヴェーヌとは基本的な体力量と筋肉量が違う。
あっという間に、その後ろ姿を見失ってしまった。
「はあ、はあ、はあ……」
人生で初めて全力疾走をしたコンスタンスの肺は、空気を欲して焼け付くように痛む。
しかたなく立ち止まり、壁に手をついて呼吸を整えていると、後ろから人の気配がした。
(かなりパーティ会場からは離れたのに、一体どなたかしら?)
王城内なので、不埒者のはずはない。
整えた化粧が流れる汗で崩れているのも気づかず、コンスタンスは背後を見た。
そして、ひっと息を飲む。
「ガ、ガブリエル殿下!」
暗闇に赤く光る瞳と、短くそろえた金色の髪。
今しがた見失ったシルヴェーヌのドレスと、寸分たがわぬ色の持ち主がそこにはいた。
コンスタンスは慌てて腰を落として顔を伏せる。
「楽にしていい。人を探しているだけだから」
そう言って、通り過ぎようとするガブリエルに、顔を上げたコンスタンスは問いかけた。
「もしかして、探しているのは……シルヴェーヌお姉さまですか?」
「君、シルの妹?」
ガブリエルがびっくりしているのは、あまりにもコンスタンスとシルヴェーヌが似ていないせいだった。
コンスタンスはジュネ伯爵似の平凡顔で、今は化粧まで流れ落ち、顔面が崩壊している。
天使のように可憐なシルヴェーヌとの繋がりは、どこにも感じられないだろう。
「ジュネ伯爵家のコンスタンスと申します。私も、お姉さまを追いかけて、ここまで走ってきたのですが……見失ってしまって」
「シルは、あっちへ走っていった?」
ガブリエルが指さすのは、離宮のある方角だ。
コンスタンスは頷く。
それを見て、ガブリエルはホッと肩の力を抜いた。
「よかった。会場のどこにもいなくて、心配していたんだ。デザートを食べて、待っていると思っていたのに」
もしかしたらシルヴェーヌは、慣れないパーティに疲れて、先に帰ったのかもしれない。
そう思ったガブリエルだったが、コンスタンスの言葉がそれを裏切った。
「お姉さまは、おそらくドレスを故意に汚されたのだと思います。デビューしたての令嬢が、必ずどこかで受ける先輩からの洗礼ですわ」
目立つドレスや、麗しい令嬢ほど狙われるのだと、コンスタンスは説明する。
それを聞いて、血の気が引いたのはガブリエルだ。
王子さまの役目を引き受けたのに、大切なシルヴェーヌを護ることができなかった。
「教えてくれて、ありがとう」
コンスタンスへ言い残し、ガブリエルは走り出す。
どれだけロニーと特訓をしても、シルヴェーヌの足の速さには敵わなかった。
だけど今だけは、シルヴェーヌに追いつきたかった。
(あれほど喜んでいたドレスを汚されて、シルは絶対に悲しんでいる。早く僕が慰めないと――)
しかし、離宮でガブリエルを待ち受けていたのは、認めたくない現実だった。