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「この煮物、めちゃくちゃ旨いっすね。あ、これハンバーグと一緒に食べても合うな」
「……俺、子供3人おったかな?」
「え、ひど! 元宮さん、俺のこと子供扱いですか?」
「ふふっ、やって弦と洸見てみ?蜷川よりお兄さんやで?」
俺が二人を指差すと、蜷川もつられて視線を向けた。
弦はハンバーグのソースを一滴も残すまいとスプーンで必死にかき集めて、じっくりと味わっている。一方の洸は、煮物に入っている人参を少しずつ口に運んでは、何とも言えない複雑な顔をしていた。
「あはは、洸くん頑張ってるなぁ」
「大好きな新先生が昨日作ってくれたんやもんな。意地でも残したくないんやろ」
「新先生の料理、子供の心を掴むのも上手いんですね……。なんか負けてられへんな」
蜷川が少しだけ対抗心を燃やすように、追加のハンバーグを口に放り込む。
賑やかで、少しだけ可笑しくて。
新先生の時は少し緊張したけれど、蜷川の柔らかい笑顔を見ながらの食事は、強張っていた心が少しずつほぐれていくのが分かった。
奥さんがいた頃の、あの当たり前だった和やかな食卓をふと思い出し、胸の奥が少しだけ熱くなる。
その後、本気で遊んでくれる蜷川のことを洸もすっかり気に入って、三人でお風呂で大暴れしていた。脱衣所まで響く笑い声と激しい水音に、俺は苦笑いしながらタオルの準備をする。
「元宮さん! 洸くんが湯船に沈みました! モモが! モモだけ浮いてます!!」
「あはは! くうちゃん、俺も見といてな!!」
「元宮さん!! 可愛いモモが二つになりました!!」
お風呂場から聞こえてくる蜷川の実況に、本当は覗きに行きたい気持ちをぐっと抑え、想像だけでクスクスと笑う。
……なんか色々あったけど、これはこれで幸せやな。
今日は蜷川のおかげで、ささくれ立っていた気持ちが穏やかに満たされていくのが分かった。
♢♢♢
二人がようやく寝静まった後。
昨日の新先生と同じように、リビングのテーブルで蜷川と向かい合わせに座る。
ただ、昨日と違うのは……蜷川が俺のTシャツを着て、まだ少し濡れた髪で俺のことを見つめていることや。
「……新先生は毎日来られてるんですか?」
不意に、蜷川の声のトーンが変わった。
「ううん、友達になった言うても、昨日仲良くなったばっかりでホヤホヤやからな。そんな毎日は迷惑かけられへんし」
「……じゃあ、俺が毎日来ます。そしたら、新先生はもういらんでしょ?」
「え?」
思わず聞き返してしまった。いつもの穏やかな蜷川とは少し違う、刺すような物言い。
俺、何か蜷川に気を使わせるようなこと言うたやろか。
「いや、それはあかん。新先生にも言うたけど、俺たちのことを助けてくれるのは嬉しい。やけど、自分たちのことを第一に考えてほしいねん。二人ともまだ若いんやから、その貴重な時間を俺たちに奪われるのは、ちょっと違う」
本気でそう思っているから、俺の口調も自然と熱を帯びる。
けれど、蜷川は俺の言葉を遮るように、見つめながら言う。
「……元宮さんって、やっぱり優しいですよね。……なんで奥さんは、こんなに近くにいてその優しさに気づかんかったんやろう」
「……それを上回るダメさ加減に、疲れたんやろな」
自嘲気味に笑って、無理やり話を終わらせた。
もう、済んだことを思い返すのは、今の俺にはしんどすぎて耐えられへん。
「……元宮さん」
「ごめん、今の話はなし。今日はせっかく楽しかったんやから、もっと楽しい話しよ」
今は、蜷川が運んできてくれたこの明るい時間の延長線上にいたい。
奥さんのことや、これからの不安で押しつぶされそうな現実を、少しの間だけでも忘れていたい。
「……分かりました。じゃあ、次に来た時のご飯のメニュー決めしましょう!」
「蜷川ってあれやな。小学生の頃、給食が楽しみで学校行ってたタイプやろ」
「え!? なんでわかるんですか! ランドセルの時間割入れるところ、俺だけ献立表入ってました!」
「そこまで食い意地張ってるとは思てなかったわ」
俺が返すと、蜷川は「あはは!」と子供みたいに声を上げて笑った。
その屈託のない笑い声が、静まり返ったリビングに心地よく響く。さっきまでの少し重苦しい空気が、嘘みたいに晴れていった。
「蜷川のこと見てたら、弦や洸もこんなに真っ直ぐな大人になってくれるんかなって、楽しみになるわ」
ふと溢れた俺の本音に、蜷川は一点の曇りもない笑顔を返した。
「元宮さんのお子さんなんですから。絶対大丈夫です。二人とも真っ直ぐで優しくて、笑顔が素敵な……俺みたいな大人になりますよ」
「……なんか俺が褒められてんのか、蜷川が自惚れてんのかわからんなったな」
「……まぁ、結果そうなっちゃいましたよね」
蜷川はいたずらっぽく笑いながら、背もたれに深く体を預けた。俺があげた新品の匂いがするTシャツの襟元を無意識に指で弄りながら、「ふふふ」と満足げに喉を鳴らしている。その姿がなんだか無性に可愛らしく見えて、俺の口元も自然と緩んだ。
新先生の穏やかで繊細な夜も、蜷川の眩しくて賑やかな夜も。
俺の日常に、いつの間にか、自分でも戸惑うくらいの温もりが入り込んでいる。
「……ありがとな、蜷川」
不意に礼を言うと、蜷川は一瞬だけ驚いたように目を見開いて、それから弾けるような笑顔で返事をしてくれた。
嵐のような日々の中に、急に訪れた穏やかな時間。
明日からまた、いろんな問題が降りかかってくるんやろうけど。
今夜だけは、この賑やかな後輩の温度に、もう少しだけ甘えていたいと思った。
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