その日授業を終えて家に帰ると、アパートの隣の部屋に入居があったみたいで、引っ越しの荷物が運び込まれていた。
バンダナでハチマキをした髪の長い女性が、一生懸命段ボールを運び入れている。
見るといかにも働く女子、といった風貌の女性だったけど、引っ越し作業中なのにやたら化粧が濃い…。
目が合ったので軽く会釈して部屋に入る。
…もう暗くなってるのに、まだ荷物を運び入れられないんじゃ大変だなぁ…。
…今日中に終わるのかな?
そう思ったら気になって、思わず「手伝いましょうか?」なんて声をかけてしまった。
「助かります…!何しろ私、荷物が多くて…」
軽のワンボックスいっぱいに入っていた段ボールを運び入れると、別の人がもう一台分の荷物を持ってきた。
…こ、これは手伝ってあげて正解だったみたい…。
「…モネ?何やってんだ?」
しばらく荷物を運び入れていると、常に聞いていたい声が頭上から降ってきた。
…この低めセクシーボイスは…
…吉良たんっっっ!!!
尻尾をブルンブルン振る私の横で、引っ越し作業真っ最中の隣人が声をかけてきた。
「…あらまぁ…!スゴいイケメンじゃない…?!」
私をぐいっと引っ張って、自分を前に出すと
「私…この方の隣に越してきた吉備須川と申します…!」
…吉備須川(きびすがわ)さんって言うんだ。
私には名乗ってくれなかったのに、吉良さんにはアピールするようにグイグイ前に出る吉備須川さん。
スーツではなく部屋着のジャージを着ていた吉良さんは、呆気に取られたように軽く会釈を返した。
するとなんとなく流れで、吉良さんも自然と荷物の搬入を手伝うことになった。
吉備須川さん、腕まくりした吉良さんの腕の筋肉にわかりやすく目を奪われてる。
わ…私だって見たい…!
「…それじゃ、僕らはこのへんで…」
1時間強手伝って、まだ次々運ばれる段ボール。
さすがに吉良さんが撤退を伝えた。
「あらぁ…!まだお名前も教えていただいてませんよ?」
すごい…!手伝わせといて文句言ってる…!
「…私は綾瀬。彼女は桜木桃音です」
愛想笑いだとわかるけど、ニコニコと笑顔を振りまいてるのが吉良さんらしくない…。
というか、こんな笑顔…久しぶりに見た。
「…ご兄妹じゃ…ないんですかぁ?」
吉備須川さんの粘りに、私は咄嗟になんて言ったらいいか迷った。
「…それでは!失礼します」
吉良さんはまた笑顔を作って、部屋に私を押し込んでドアを閉めた。
バタン…とドアを閉め、はぁ…っと息をつく吉良さん。
「…なに請け負ってんだよ…まったく」
すいません…と謝りながら、汗ばむ吉良さんの姿にポーッと心奪われる…。
「…あ、汗かいちゃいましたよね?お風呂入ってください…」
「風呂も入りたいけど…今日送ってきたスタンプ、あれなんだよ??」
うわ…怒られるやつだ…。
私からメッセージを送らないって約束を破ったから…。
でもでも。
美麗ちゃんは送ってるのに…なんで私はだめなのですか?
考えてみれば、他の人だってバンバン送ってるはず。
なのにどうして私はだめなのですか?
口がへの字に曲がっていくのがわかる。
「…あと、週末話したい事があるとか…?」
置き手紙のことだ。
なんだよ…と聞かれ、ちょっと強めの視線で見下ろされた。
「…まだ週末じゃないし…考えが、まとまってないので…」
そう言って見上げ、強めの視線をとらえた。
吉良さんは私と視線を合わせて、意外にも先にスッと横にそらす。
「なんか、気が散るから嫌なんだよ。お前からのメッセージとか…」
ドキン…。
私からのメッセージは、邪魔ってこと?
ここんことずっと我慢して飲み込んでた涙が、ついに決壊して溢れた。
「は?なんだよ…?おい…!」
ハラハラ溢れる涙を拭おうともしない私を見て、吉良さん…予想以上に慌ててる。
多分、キツいことを言った自覚がないせい。
私も普段なら相当頑張って泣くのを耐えてる。
それでも耐えきれなくて溢れる涙は全然止まらないから、笑っちゃうくらいうろたえる吉良さんはちょっとレア。
「…な、なんで?その…俺?」
…俺に決まってる。
何がどうしてこうなった?と、らしくない慌てっぷりで、オロオロする吉良さん。
そのうち涙をいっぱいためた私と目が合って、しばし見つめ合って固まる吉良さん。
「まずは…泣き止め。話にならん」
ふんわりと胸に抱きとめられて、どうして泣いたのか、その理由がだんだんあやふやになっていく。
「笑顔が…」
「…ん?」
「吉良さんの笑顔、久しぶりに見た気がした。でもそれが私に向けられた笑顔じゃなかったから辛い」
いや、私からのメッセージは気がそがれるから嫌だ…って言われたことがショックだった。
さっきまでは…。
でも、泣く理由が多すぎて、だんだんあやふやになっていく。
「…それって、さっきのお隣さんに愛想笑いしたやつのこと?」
ふんわり抱きしめられた腕の中で、コクン…と頷く。
「最近ずっと暗闇ばっかりで、ちゃんと顔も見えなかったから…寂しかった」
寝込みを襲われること…
自分でも意外な泣く理由が出てきたと思った。
「…それは……ごめん」
胸に頬を寄せてるからわかる。
吉良さん…急に心臓がドキドキしてきた。
下を向く吉良さんの気配がして…誘われるように上を向く。
じっと見つめる目が、ゆらゆら揺れて、ちゃんと悪いって思っているのを感じる。
少し顔を傾けた吉良さんが近づいてきて、触れるだけのキスをされた。
「…ごめんな…」
それは官能的なキスではなくて、ぴったり
唇が重なる、愛しくて優しくて切ないキス。
キスにもいろんな種類があるって教えてくれたのは…吉良さんだった…。
……
その日は夕飯をデリバリーして一緒に食べることになった。
…こんな時間、久しぶりかも。
吉良さんが就職して…4年め。
毎日遅くまで仕事みたいで、休日もなかなか会えない。
知らなかったけど資格を取るための勉強もあって、本当に忙しかったと思う。
それでも隙間時間に会えれば、どうしても深い時間になって…はじめはそれでも良かったんだけど…。
だんだん帰るのが早くなって、コトが済んだらすぐ帰るようになって、そりゃ…不安にもなる。
でも、たまにこんな風に拙いながらも話をして、そのたびにわかりあえてきた…と思ってた。
と、いうより…
抱きしめてくれたら、それだけで不安は吹っ飛んでいくって知ってた。
だけどなかなか自分からいけないだけで。
仕事が忙しい吉良さんはきっと悪くない。
素直に甘えられない私が不器用だから…。
「あの写真、わざわざ飾ってるのか?」
吉良さんのまなざしが棚の上の写真に注がれた。
「…うん。嬉しかったから…」
写真は、私の就職が決まって、吉良さんがここへ来てくれた時撮った1枚。
思えば…私の就活中は、一番吉良さんに怒られたかも。
「…社会に出て成し遂げたいこととか、あんの?」
って…文系なあまりなかなか企業を絞れない私に、グサっとくる一言を言われ続けた。
先に就職した吉良さんの経験談とか聞きたいのに、あんまり教えてくれないし…。
それでもなんとか内定をもらって就活を終えると、吉良さんは私にお祝いを持ってきてくれたっけ。
…鯛の尾頭付き。
そしてお赤飯。
ありがとうだけどさ…食べたら無くなっちゃうじゃん?
そこで死ぬほど写真を撮って、嫌がる吉良さんに頼み込んで無理やり入ってもらって…
鯛と赤飯と…吉良さんと私。
…写真はこの部屋の一番いい場所に飾ってある。
写真を見る吉良さんの視線が優しい気がする。
…そしてふと私の手元を見下ろして…言われてしまった。
「…またこれ、残すわけ?」
平行二重のきれいな目を少し険しくして、横にいる私を見つめる。
「…うっ。どうしても…苦手でして…」
吉良さんが私を睨む理由…それは、幕の内弁当に入っている煮物の椎茸がすみの方に追いやられているから。
「焼いたキノコは好きなんですけど、煮たものは無理なんです…」
吉良さんは私のお弁当から椎茸を取って口に入れて「いつの間にかまた敬語だな」と言う。
あ…今度はそっちを責められるのか…。
昨日は意識してわざとタメ口をきいて呼び捨てにしてたから、素では敬語にさん付けになってしまうのですどうしても。
「呼び捨てとか…怒らないんですか?」
「怒らねぇだろ。むしろ嬉しいわ…」
…え?
固まる私を置いて、空のお弁当を捨てに立ち上がる吉良さん…。
次の爆弾を仕掛けてきた。
「…お前壁側な」
それって寝る位置…
ちょっと待って!
…泊まっていってくれるんですかっ?!
コメント
2件
吉良たんっ!ってモネちの心の声の呼び方が可愛いんだってばー。 吉良たんは言葉足らずだからね。 モネちのメッセージは(気になり過ぎて)気が散るんだよね。 モネち泣かせた時、このクズが!って思わず呟いちゃったなぁw でも分かってるよ、クズじゃなくて不器用なだけなんだってねー(๓´˘`๓)
なんだかんだ言って大好き同士💕だよね〜🥰 吉備須川さんのネチネチクネクネ厄介だわ〜やだわ〜👎👎👎