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その日を境に、僕は部屋に引きこもった。
当然、学校にも通えなくなっていた。
すでに大学生だった兄も、黒川と一緒にいつも僕の部屋にきて体調を気遣ってくれた。
「祐二、一体何があったんだよ。学校でいじめられたのか?」
僕は笑って首を振る。
兄と黒川には本当のことが言えなかった。
僕を守ってくれる人に、もう迷惑を掛けたくなかった。
「なんとなく行きたくないだけなんだ」
そう誤魔化した。
「祐二坊ちゃま……食が細くなっています。元々、お身体が細身ですので、黒川は心配で心配で」
「部屋から動かないからお腹も減らなんだ。でも一日一食はしっかり食べるつもりだから」
僕なりに気丈にそう伝えた。
でも、二人ともしっくりしてないようで、とても困った表情をしていた。
ある時、キッチンに水を飲みに行こうとした時だった。
居間でテレビを見ている母に黒川が必死に訴えていた。
「祐二さまは繊細なお年頃です。そんな時に鈴川さんを解雇なさるとは、どういう理由なのでしょうか?」
「息子の前で私を母親失格と罵ったの。それが許せなかったのよ」
黒川の勢いが削がれる。
「確かに……美麗さまのお気持ちも痛いほどわかります。ですがっ」
あの母に詰め寄った。
「今の祐二さまにはショックが大きすぎます。精神が安定するまで鈴川さんを呼び戻してくださいませんか?」
「無理よ。別の家政婦をすでに雇ったわ。明日、来るから黒川が色々と教えてあげてね」
そう言って母がソファーから立ち上がった。
僕は壁に背を付けて見つからないように息をひそめた。
母が出て行ったあと、黒川は盛大な溜息をついていた。
黒川にもこんなに心配をかけてしまって、僕はどうしようもない
なんだか無性に泣けてきた。
テレビから流れてくる音声のおかげて黒川には僕のすすり泣きは聞こえていなかった。
静まり返ったこの部屋にテレビの声が大きく反響していた。
「昨年、富士山にオープンした山小屋『日の出荘』に来ています。昨年も多くの人が訪れていました。その様子をどうぞ!」
リポーターがそう言うと画面が切り替わって昨年の山荘の様子が流れた。
『弟が引きこもりになったのをきっかけに、富士登山を始めたんです』
女性がインタビューに答える声が聞こえた。
そして、それを聞いた黒川が大声で叫んだんだ。
「おおおおっ、これですっ。これはいい方法ではないですかっ!」
黒川が一人で興奮している間に僕はそっと部屋へと戻っていった。
黒川があれほど心配しているとは知らなかった。
明日は学校に行こう。
僕はそう誓った。
翌日。
前日まではそう誓っても朝になると身体が重くて動けなくなった。自分は一体どうなってしまったのだろうか。
コンコンと鳴らして入って来たのは黒川だった。
「祐二坊ちゃま! 過ごしやすい季節になりました。絶好の登山日和でございますよ」
「登山日和?」
「そうでございます。登山シーズンの今、富士山頂でご来光を見れるチャンスが大です」
「富士登山をするの?」
「そうです! 富士は日本一高い山です。これを登頂できた時、きっと生まれ変わった自分に会えるはずです!!」
「ええ……無理だよ。僕には」
「だからこそチャレンジするのです。自信を取り戻すには、チャレンジすることが大事なのです!」
僕は黒川の異常な意気込みに押されて、人生初の富士登山をすることになってしまったんだ。
「坊ちゃま、富士登山を甘く見てはなりません。年間多くの人々がが挑戦しますが、体調を整えなければ、高山病にかかるリスクもありますゆえ」
僕は黒川に富士登山を勝手に計画さてしまった。
僕たち二人で登山をするらしい。
シャツに短パンに着替えされた。
これからマラソンに連れ出される。
「まずは基礎体力の強化ですぞ! 手始めに三キロほど走ります」
「三キロ……」
げっそりする僕の背中を黒川が押す。
「富士山がぼっちゃまを待っておりますよ!」
走っている最中も黒川はすごい熱量で登山の魅力を伝えてくる。
それが申し訳なくて、しぶしぶ黒川に付き合うことにしたんだ。
事前の準備不足は怪我や事故のもと。
腹筋、腕立て伏せ、スクワット。数日間、筋肉トレーニングも頑張った。
いよいよ登山の日。
ご来光を見るための弾丸登山は危険だとし山小屋で宿泊をした。
万全の体調と備えで迎えた富士登山なのに、ここで黒川は体調を崩した。
山小屋で、顔色が青白い黒川は起き上がることができなかった。
「黒川、大丈夫? そろそろ出ないとご来光を見ることができないよ?」
ご来光の時間から逆算すると、もうこの山小屋を出発しないと間に合わなかった。
この山小屋の宿泊者も次々に出発してゆく。
山頂に続く山道は、ライトを装着した人々のライトで、蛍が道を作っているかのようだった。
「坊ちゃま……先にお上りください。山頂を目の前にここで足を止めてはなりません。私は後から追いつきますので」
青白い顔に血色が戻ることはない。
「置いてけないよ! 今回は諦めよう。また来年、挑戦すればいい」
黒川は目に涙をためた。
「なりません! これは祐二坊ちゃんが変わるための試練。それを乗り切った時、きっと何かが生まれるはずです。私に構わずいくのですっ」
黒川が寝床から山頂辺りを指差した。
どうやら、ドラマティックな演出をしたいみたい。
正直、運動は嫌いじゃない僕にとって、登山は辛いものではなかった。
黒川は苦しい思いを乗り越えて山頂で感動を味合わせたいのだろうけど、多分、僕はこのまま何事もなく登頂してしまうだろう。
(僕、感動できるかな……あっけなく下山したら黒川は悲しむかな)
黒川の期待に応えたいと、僕なりに考えた。
「わかったよ。僕は先に出発する。黒川も体調がよくなったら後から来てね」
「もちろんでございます」
そうして僕は装備をして、山頂に向かう人たちに紛れて登頂を開始した。
シーズン中の富士登山者は予想外にたくさんいて、流れにのれば迷うこともなかった。
登山道から目を離して周囲を見れば、空は暗闇から群青色に変わっていた。
(日の出が近づいている)
ライトを消しても、近距離にいる人なら顔が認識できた。
時計を見た。
順調に登って来たので、ここで黒川を待てるだろう。僕は端によけて黒川を待つことにした。
大きな岩がありその横に座って待った。
その時、ザッザっと山道を歩く足音が僕に近づいてきた。
(黒川?)
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