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「俺がお前を愛してる、それだけじゃ帰る理由にはならないか?」
あぁ、やっぱりこの人にはかなわないな…
争いを知らず、穏やかな時の流れる小国「日ノ国」。この国には将軍と、古くからそれに仕える華族があった。そのうちの一つ、神鶴家には風華という、賢く美しい一人娘がいた。風華には、黒夜という、神鶴家とは別の貴族に生まれた幼い頃からの友人がいた。二人は身分の差を超え、兄妹のように、時にはそれ以上の親愛を持って育ってきた。しかし、大人になるにつれ「御三家」である神鶴家の令嬢と、中流貴族である黒夜の間には、見えない壁が立ちはだかるようになる。ある日、黒夜に他家との縁談が持ちかけられた。その数日後、風華は突如として消息を絶っ
…。城下町は大騒ぎになり、神鶴家当主は風華を無事に探し出した者に莫大な褒美を出すとお触れを出した。しかし、数日経っても風華に関する手がかりは一切見つからない。兵たちが血眼になって街道を探す中、風華と誰よりも仲が良かった黒夜も、居ても立ってもいられず捜索に加わることになった。
「風華が行きそうな場所…城の周りには手がかりがない。なら、あそこか?」
黒夜は、昔よく風華と二人だけで大人たちの目を盗んで隠れていた、森の奥の「隠れ家」に向かった。
「草が踏み倒されている…風華、いるのか?」
しかし、小屋の中に風華の姿はない。よく見れば、入り口にはびっしりと蜘蛛の巣が張っているのに、一箇所だけ、まるで雲の切れ間のように不自然に穴が開いている場所があった。その奥の机には、地図と『神鶴の娘は預かった』という脅迫状が置いてあった。
「風華は…攫われたのか…」
黒夜が地図を日の光にかざすと、特殊な墨で書かれた隠し文字が現れた。
『きふたのうどうかくつでふまつ』
黒夜は首を傾げた。ひらがなばかりの奇妙な文章。だが、彼はすぐに閃いた。この文字列から「ふうか」の三文字を抜き取ると別の意味が浮かび上がるのだ。
「『北の洞窟で待つ』か…。犯人の仕業にしては、なぜこんな遊びのような謎を?」
黒夜は、謎に導かれるまま北の洞窟にやってきた。しかし、ここにも風華の姿はない洞窟の中は水たまりばかりで足場が悪く、風華のような令嬢が歩けば、必ず裾が濡れ泥がつくはずだ。だが、地面には不自然なほど足跡がない。
「ここに手がかりはない…。なら、あの謎は何だったんだ」
その時、黒夜の頭の中に、ある拭いきれない疑念が浮かんだ。
「まさか…いや、そんなはずはないよな」
さらに洞窟の壁をくまなく探すと、岩肌に文字が彫られていた。『次が最後だ、天光山へ来い』天光山は、城のある本島から海を挟ん
で東に位置する、古くからの聖域だ。人の手入れが入っていないその山は、原生林が鬱蒼と生い茂り、一人の人間を探し出すのは至難の業とされていた。しかし、黒夜は冷静だった。彼は木の上に登り、遠くを見渡した。
「もし人がいれば、必ず火を使うはずだ」
冷え込む山の空気の中、森の奥深くからうっすらと立ち上る白煙を彼は見逃さなかった。黒夜は斜面を駆け下り、煙の元へと急いだ。
そこには小さな野営地があり、檻の中に囚われた風華と、彼女を監視する数人の男たちがいた。
「黒夜! 助けに来てくれたのですね!」
風華の悲鳴に近い声が響く。黒夜が駆け寄ろうとすると、抜刀した男たちが立ちふさがる
「こいつは渡さねえぞ。いい金になりそうだからな!」
「…風華を、返してもらおう」
黒夜の瞳に鋭い光が宿る。男たちが一斉に襲
いかかるが、黒夜の剣筋は迷いがなかった。黒夜は最小限の動きで攻撃をかわし、峰打ちで次々と男たちを無力化していく。最後に残った頭領らしき男を組み伏せ、懐から鍵を奪い取ると、彼は震える手で檻を開けた。
「ありがとうございます、黒夜!きっと助けに来てくれると信じていました」
檻から飛び出した風華は、黒夜の胸に勢いよく飛び込んだ。
「ああ…。無事でよかった。もし風華に何かあれば、俺は…」
「さあ、帰りましょう?お父様もきっと心から心配されていますわ」
しかし、黒夜は動かなかった。その場に立ち尽くし、冷めた目で倒れた男たちを見つめている
「黒夜? どうかしたのですか?」
風華が怪訝そうに顔を覗き込む。黒夜は静かにしかしはっきりと告げた。
「風華、正直に話してほしい。…これは全部君が仕組んだことだよね?」
風華の体が、一瞬びくりと跳ねた。
「…何を、おっしゃっているのですか? 私はさらわれて…」
「おかしい点が多すぎるんだ。まず、最初の地図が隠れ家にあったこと。あそこを知っているのは僕と君だけだ。なのに手紙の字は第三者のものだった。君はあえて、僕だけが気づく場所に、犯人を装った誰かに手紙を置かせた」
「それは…脅されたのです。あそこに置けと
「なら、地図の謎はどう説明する? 『きふたのどうかくうつでまつ』…。この文章から『ふうか』の三文字を抜いてごらん。…残るのは『きたのどうくつでまつ』だ。犯人が作った謎に、君の名前を紛れ込ませる必要がある? まるで、僕に君を見つけてほしいと叫んでいるようだった」
風華は言葉を失い、俯いた。黒夜の追求は止まらない。
「そしてあの洞窟だ。あそこは水浸しなのに
君の着物の裾は一点の汚れもなく、濡れてもいない。君は一度もあの洞窟に入っていないはずだ。違う?」
長い沈黙が流れた。やがて、風華の肩が微かに震え始める。
「…全て明かすしかないようですね。黒夜の言う通りです。全て、私が仕組みました。あ
の男たちも、私が雇った役者です」
「どうしてこんなことを…」
「逃げたかったのです…。私は、神鶴家の娘
として、常に完璧であることを求められてきました。芸事も、礼儀も、一分の隙も許されない生活。もう、耐えられなかった。その上…」
風華の目から、大粒の涙が溢れ出した。
「あなたが他の方とお見合いをすると聞いて私の糸は切れました。あなたが私の元から去ってしまうのなら、もう生きていても意味がない。…もし、あなたが私を探し出してくれなかったら、このままどこか遠くへ消えてし
まおうと思っていました」
「…風華、それって…」
「昔から、あなたのことが好きだったのです。それなのに、あなたは一向に気づいてくれないどころか、私を置いていこうとするなんて…」
黒夜は自嘲気味に笑った。
「気づかなかったんじゃない。…気づかない
ふりをしていたんだ。僕は中流貴族で、君は御三家の令嬢だ。僕なんかが君を望むなんて
許されないことだと思っていた。だから、縁談を受け入れれば君を忘れられるかもしれないと…。でも、そんなのは無理だった」
黒夜は風華の肩を強く抱き寄せた。
「実は、ここに来る前に縁談は断ってきたんだ。俺が愛しているのは、後にも先にも風華だけだから…さあ、一緒に帰ろう。俺がお前を愛してる、それだけじゃ、帰る理由にはならないか?」
風華は、その言葉を反芻するように目を閉じ
そして今日一番の美しい微笑みを浮かべた。
「…はい。その理由だけで、十分すぎます」
二人は手を取り合い、住み慣れた町へと戻った。その後、風華を救い出した功績(という
名目の狂言)により、当主から褒美として二人の結婚が正式に認められた。
「あぁ、やっぱりこの人にはかなわないな」
幸せな騒がしさの中で、風華は心の中でそう呟いた。彼女が仕組んだ精一杯の賭けは、最愛の男の洞察力によって、最高の結末へと導かれたのであった。
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