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鷹槻れん

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#契約結婚
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コメント
2件
悲しすぎる
あー、めっちゃ重い展開やけど一気に引き込まれたわ……。父親の♡♡♡直後の静けさと、そこに襲いかかる闇金の電話。そして百合香の優しさで雄二が初めて涙を見せるシーン、胸が締め付けられた。最後の「戸を閉めようとするなんてあんまりですよ」のセリフでゾッとした。続き気になる🔥
第3節 千崎雄二『招かれざる客』-1-
警察が引き上げたあと、家の中はやけに静かだった。
幸太郎の首吊り現場の第一発見者は妻の八重子。
茫然自失の状態で火事場のくそ力。どうやったのか記憶にないままに、ぶら下がったままの夫の身体を縄から外して床へと降ろした。
すぐさま救急車へ電話を掛けようとしたが、震える手はなぜか自然と息子・雄二にSOSを送っていた。
そんな八重子に代わって、救急車の手配をしたのは雄二だ。
『……はい、119番です。火事ですか? 救急ですか?』
電話の向こうの落ち着いた声に、雄二はグッと受話器を握りしめた。
「救急です。父が……首を吊っていたらしく、息をしていないそうです」
『現場にはどなたかいらっしゃいますか?』
「母がいます。……ですが、動揺していて電話には出られません」
『分かりました。場所を教えてください』
「南町の工場です。海の近くの、小さな鉄工所です」
『お父さんの意識は? 呼吸や脈はありますか?』
「すみません、私はまだ現場へ到着していないので詳しいことは……。母が第一発見者ですが、意識は愚か呼吸もしていないと……」
『了解しました。救急車をすぐに向かわせます。お母さまに、可能であればお父さまの首を圧迫しているものを外して、平らなところに寝かせていただくようお伝えください』
通信指令員の冷静な声が、現実を突きつけるように耳へ刺さった。
「……分かりました」
本来ならば心臓マッサージや人工呼吸なども促される場面だろう。
だが、そんな指示を受けても、今の母にそれを実行できるはずもなかった。
***
雄二がやっとの思いで実家へたどり着くと、家の前には警察車両だけが残っていた。
駆けつけた雄二を迎えたのは、制服姿の警官たちだった。
「救急隊の方は……」
「応急処置を試みましたが、すでに……。今は我々が現場検証を行っています」
玄関の奥、工場へと続く通路にはブルーシートが敷かれ、何人かの警察官が黙々と作業を続けている。
それを呆然と見つめる小さな背中を見つけた雄二は、警察官にそっと黙礼すると足早にそちらへ向かった。
「母さん」
「雄二……」
息子の顔を見るなりその場へへたり込みそうになった八重子を咄嗟に支えると、「一旦母を休ませてきます」
雄二は警官らにそう声をかけて現場を離れた。
***
工場と母屋を隔てる扉の向こうには、まだ黄色い規制線が張られたまま。
父の遺体は検視のために運び出され、戻るのは明日になるという。
工場から家屋へと続く玄関先のセメントには、警察官たちの防護靴の泥が、いくつもの足跡となって残っていた。
乾きかけた泥の粉が、外気に揺れてかすかに舞い上がる。
ほんの数時間前まで慌ただしい人の気配で満ちていた場所が、いまはただ、静寂だけを宿していた。
家の中へ入ってみれば、母・八重子が座卓の前にひざをつき、手を合わせたままぼんやりと座っていた。
幸太郎の遺体がないので、線香を焚くこともできない。
それでも、昨日までは確かにここで生きていた彼の痕跡が、そこかしこに残っている。
そのことが、いっそう物悲しかった。
***
静かな室内に、携帯のバイブ音が耳障りに響く。
それは実家の固定電話の線を抜き、父の携帯の電源も落としたあとに始まった、雄二自身の携帯への着信だった。
この番号は仕事の連絡先も兼ねている。迂闊に電源を切るわけにもいかず、マナーモードにしたのだが――こうもしつこいと、バイブ音でさえ神経に障る。
いっそサイレントモードに切り替えたほうがいいかもしれない。
画面の着信履歴には、見知らぬ番号がいくつもいくつも連なっていた。
初っ端に掛かってきた時だけ、仕事絡みかもしれないと出てしまったのだが、こちらが「もしもし?」と告げる間もなく、耳障りな声が届いた。
『――千崎雄二さんの携帯で合ってますかぁ? 幸太郎さんの息子さんの。わたくし、ネクサスファイナンスの者です。お父さまの件でご連絡させていただきましたぁ』
口調こそ丁寧だが、ねっとりと間伸びした抑揚で、雄二は相手が〝どの筋〟の人間かを悟った。
銀行員という職業柄、表では〝経営者〟を名乗りながら、裏で汚れた金を動かすような人間も見てきた。
だからこそ、分かる。――これは、その手の声だ。
雄二は話すだけ無駄だと、言葉を返すより先に通話を切った。
すぐさまその番号を着信拒否に設定したが、相手は番号を変えては何度も掛け直してくる。いたちごっこのようなその繰り返しに、母が怯えたように顔を歪めた。
このままでは母親に余計な負荷を掛けてしまう。そう判断した雄二は、携帯をサイレントモードにしてから、テーブルの上へ伏せ置いた。もう仕事の電話なんてクソ喰らえだと思った。
そもそも自分は『あすな』とは縁を切るつもりだったではないか。
(しかし……どうして、やつらが俺の番号を知っているんだ? まさか父さんの携帯から……?)
ふとそう思ったけれど、父の携帯は――電源を落としたまま、今まさに雄二のスマートフォンのすぐそばへ置かれているのだ。
だとしたら……。
(誰かが、意図的に流した……?)
そうとしか思えなかった。
***
――嫌な予感がする。
その直感を振り払うように、雄二が立ち上がったとき、玄関の戸が叩かれた。
インターホンはあえて電源を抜いて使えなくしてあった。それは、今は亡き幸太郎の仕業だ。それだけろくでもない連中が実家を訪っていたということだろう。
小さな音だったが、夜の静けさの中で、その音はやけに大きく響いた。
(やつらか?)
規制線テープは貼られたままだが、警官たちは引き上げたあとだ。
狡猾な闇金業者のこと。どこかでそのさまを虎視眈々と観察していた可能性は十分にある。
だが、あの連中にしては戸の叩き方が控え目だとも思った。
それでも一応用心をして、母親と二人で息を殺して玄関の様子を窺っていたら、
「雄ちゃん……?」
外から小さく雄二の名を呼ぶ声がした。
戸を開けるまでもなく分かる。百合香だ。
八重子がホッとしたように肩の力を抜いたのを横目に、雄二は大股で玄関へ向かうと、鍵を外して玄関扉をカラカラと引き開けた。
工場の外壁へ取り付けられた裸電球の明かりを背に、海風にコートの裾を揺らしながら百合香が立っていた。
季節は晩夏を過ぎ、朝晩は肌寒い初秋。百合香は薄手のコートの前をギュッと握りしめて雄二をじっと見上げてきた。
招かれざる訪問者へ在宅を知らせたくなくて、玄関灯も廊下の電気も、部屋の明かりさえもすべて切ったままだった。
母と息をひそめて座っていた居間も照明をつけていない。
いつの間にか日が落ち、真っ暗になっていたことを百合香の訪問で気付いたくらい、家族を失った二人にとって明かりは必要なかったのだ。
こうして百合香を出迎えている今も、暗闇に慣れた目だからだろうか。明かりをつけないままでいる。ここで下手に明かりを点せば、誘蛾灯のように〝良くない害虫〟を引き寄せそうで尻込みした結果でもある。
「真っ暗だったから……留守かと思った」
「ああ、すまん……。ちょっとな」
柄の良くない借金取りが家まで押しかけてきているだなんて百合香に話せば、なんだか彼女を巻き込んでしまう気がして……つい言葉を濁してしまった雄二だ。
「雄ちゃんの携帯も、実家の宅電も鳴らしたんだよ? けど……どっちも全然応答ないし……私、気がついたら来ちゃってた。邪魔にしかならないって分かってたのに……ごめんね」
百合香の話では、彼女の実家――桐生家から『千崎さんの家の方で良くないことがあったらしい』と電話が掛かってきたそうだ。
雄二と百合香が懇意にしていることは、二人が幼い頃から双方のことを知る百合香の両親もよく知っていた。
桐生家と千崎家は同じ町内会。いわゆる〝味噌汁の冷めない距離〟というやつだ。
救急車が来たり警察が来たり……と、あれだけ派手な動きがあれば、近所の口に戸が立てられないことは火を見るよりも明らかだった。
「あの……それでね、雄ちゃん……」
きっと百合香は何があったのか、大体のところは把握しているんだろう。彼女にしては珍しく所在なげに揺れる視線からそのことを悟った雄二だ。
「百合香も何となく聞いてるんだろう? 親父が……工場ん中で自殺したんだ」
雄二は百合香の前でだけ、虚勢を張るように普段は〝父さん・母さん〟と呼ぶ両親のことを〝親父・お袋〟と称していた。その癖がこんな時にも出てしまうんだな……とぼんやり思ってから、可笑しくもないのに笑ってしまいそうになる。
眼鏡を外してこめかみを揉んだと同時、百合香がギュッとしがみついてきた。雄二に回された百合香の腕には、ほんのわずかに震えが混じっていた。それでも、その震えごと包み込むように、懸命に力を込めてくる。
「雄ちゃん、しんどい時はちゃんとそう言って? 私の前では頑張らなくていいんだよ?」
百合香の赤くなった目元が、背面からの明かりでぼんやりと照らされる。
「……ああ、そうだな」
後ろに母がいることも忘れたように吐息を落とせば、百合香が片腕を緩めてそっと雄二の目元へ触れてくる。それで気が付いた。雄二は知らぬ間に涙を流していたのだ。
「雄ちゃん、しんどかったね」
百合香が雄二の胸に額をこすりつけるようにして涙をこぼす。まるで雄二が思い切り泣けない分を、百合香が肩代わりしてくれているみたいだった。
八重子がふらりと立ち上がり、「百合香ちゃん……」と掠れた声を出す。
「急にごめんなさい……どうしても二人の顔が見たくて」
そう言って玄関に入った百合香は、泣き濡れた顔を隠さないまま、八重子に深々と頭を垂れる。
「おじちゃんは……」
玄関から直に見通せる居間には、幸太郎の遺体が安置されている気配はなかった。
そればかりか、家の中に線香の香りすらしていないことに、百合香はここへ足を踏み入れた時から気が付いていた。
「……すまんな、百合香。せっかく来てくれたのに……親父、まだ帰ってきてないんだ」
雄二の、絞り出すような低い声が部屋に落ちる。
八重子はうつむいたまま、何も言わなかった。
雄二はやっとのことでそれだけを告げると、グッと拳を握りしめたままうつむいてしまう。
そのときだった。
外で、タイヤが砂利を乱暴に踏みしめる音がした。
エンジン音が近づき、家の前で止まると、ヘッドライトの光が百合香の背中越しに室内へ差し込み、玄関先に濃い陰影を落とす。
雄二は咄嗟に百合香を奥へ入れると、玄関扉へ手を伸ばした。
だが、あとわずかで完全に閉ざされるというところで阻止されてしまう。
僅かな隙間に、節くれだった指が差し込まれていた。
ギギ……と、レールが軋む。
空気が一瞬で冷えたように感じられた。
――嫌な音だ。
次の瞬間、玄関扉がド派手な音を立てて、無理やり全開にされてしまう。
「わたくしらが来たのに気が付いていながら、戸を閉めようとするだなんて……あんまりじゃないですかぁ、雄二さぁーん」
その声は、戸に手を掛けている男のものではなかった。
もっと奥――外灯の薄明かりの中、車の脇に立つ黒い影がゆっくりと前へ出てくる。
前に立つ男が扉を押さえたまま、後ろの男に目で合図を送った。
その瞬間、外の空気が張り詰める。
月明かりと工場の裸電球、そして車のヘッドライトに照らされて現れたのは、黒いスーツを着た男だった。
戸を押さえている男も、後から悠々とやって来た男も、どちらも短髪で、無駄のない体つき。手前の男のこめかみには、古い傷跡が白く走っている。
もう一人――背後の男は、首元に数本の金のネックレスを光らせながら、にんまりと口角を引き上げた。