紫雨から電話がかかってきたのは、木曜日の朝だった。
『……篠崎さん、あんた、うちの新谷に何かしました?』
取り次がれた電話を代わると、開口一番、紫雨は噛みついてきた。
「……なんで」
言うと、
『今朝メールで、”身内に不幸が出たので、土曜日まで休みたい”って連絡が来たんですよ。日曜日の引き渡しの件もあるから電話したんですけど……出ないんすよね』
「…………」
それは篠崎がかけても同じだった。
昨日から幾度となく電話を掛けているのだが繋がらない。
メッセージも送ったが、返答どころか既読もつかない。
篠崎は受話器を握ったままカレンダーを見上げた。
今日が木曜日。日曜日までは3日ある。
(……あいつは今どこにいて、何をするつもりなんだ?)
やっと捕まえたと思ったのに、自分の腕からすり抜けていった新谷に、苛立つとともに仄暗い焦りを覚える。
もし、自分がこうして仕事をしている間にも、彼が取り返しのつかない何かをしようとしていたら……。
篠崎のただならぬ空気を感じ取ったのだろう。電話口の紫雨が黙る。
「………連絡が取れたら、お前に電話するように言っておく。それでいいだろ」
受話器を置こうとすると、
『ハァ――――』
音が割れるほどの大きなため息が聞こえた。
同時に展示場と事務所を繋ぐドアが勢いよく開き、携帯電話を耳に当てたままの紫雨がドスドスと入ってきた。
「自分のケツくらい自分で拭いてくださいよ、篠崎さん。あんたチンコついてないんですか!?」
他のメンバーが唖然と見守る中、紫雨はそのまま篠崎を見下ろした。
篠崎も受話器を耳に当てたまま紫雨を睨み上げる。
「あ。そういえば」
紫雨は口の端を上げながら踵を返すと、また展示場に消えていった。
ドアが閉まり受話口からのみ、紫雨の声が響く。
『LOUIS ROEDERERのペアグラスは気に入っていただけましたか?』
紫雨の声に混じり、展示場の自動ドアのベルが聴こえた。
『どうぞクソ女とマズい酒でも飲み交わしてくださいね』
「だから、それは……」
篠崎が言葉を返そうとした瞬間、電話は切れた。
「ちっ…!!」
受話器を叩き付けるように置いた篠崎を、渡辺が心配そうに見つめる。
小松と仲田が目配せをして、仕事に戻る。
「……そうです!だから出血大サービス!単価に色つけますからー!ね、お願い!」
窓際の席で、猪尾だけが明るい声を発していた。
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