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#🐟️×🍇
ねぎ茶
27
※若干のセンシティブ描写あり。
※苦手な方は読み飛ばしてください。
別の現場が終わったのは、夜の九時を回った頃だった。
撮影機材を積んだ車が走り去るのを見送ってから、勇斗はごく自然な調子で口を開いた。
「飯、行く?」
「……まあ、少しなら」
仁人の返事はいつも一拍遅れる。断る理由を探して、結局見つからずに頷く。
そんなやり取りを、もう何十回、何百回と繰り返してきた。
小さな居酒屋の奥の席で、最初のうちは仕事の話が続いた。次の現場のスケジュール、クライアントの反応、機材の手配。仕事の話をしているときの仁人は、いつも歯切れがいい。けれど、話題が少しずつ私的な方向へ滑っていくと、言葉の切れ目に妙な間が増えていく。
「最近、忙しい?」
「まあ、それなりに。……勇斗さんは?」
「俺はいつも通り。仁人がいないと現場回んないくらいには忙しいけど」
軽口のつもりだったが、仁人はそれに笑わず、グラスの中身を静かに揺らしただけだった。
何か言いたいことがあるのに、うまく言葉にならない——そんな顔を、勇斗はもう何度も見てきた。
店を出た頃には、日付が変わる少し前になっていた。
「もう少し飲み直そう。うちでよければ」
勇斗がそう言うと、仁人は少し黙ってから、小さく頷いた。
その、よければの先に何があるのか、口にしないまま、当たり前のようにタクシーは部屋の前で止まった。
部屋の灯りは、玄関先だけつけてすぐに落とされた。
ソファに並んで座った距離は、最初の数十分こそ言葉のための距離だったのに、気づけばどちらからともなく縮まっていた。
「……仁人」
名前を呼ぶ声に、いつもより甘さが滲む。
仁人が視線を上げた瞬間、勇斗はゆっくりと顔を寄せ、唇を重ねた。急かすことのない、確かめるようなキスだった。仁人の睫毛が震え、微かに開いた唇の間から、小さな吐息が漏れる。
最初は、それで終わるはずだった。けれど一度触れてしまうと、もう歯止めが利かなくなる。
二度目のキスは、最初よりずっと深く、余裕のないものになった。仁人の後頭部から髪へと指を滑らせ、指先に力を込めて撫でつける。逃げる隙を与えないまま、貪るように唇を塞ぐ。仁人の指先が、勇斗のシャツの襟を強く掴んだ。
「……っ、勇斗さん」
途切れがちな声で名前を呼ばれると、余計に自制が利かなくなる。
勇斗は唇を離し、そのまま仁人の首筋に顔を埋めた。輪郭をなぞるように唇を這わせ、鎖骨のあたりまで丁寧に口づけていく。肩が小さく跳ね、掠れた声が漏れた。
「そこ……」
「知ってる。弱いもんな、ここ」
わざと確かめるように、同じ場所に何度も唇を落とす。
反応ひとつひとつを、この三年間で嫌というほど覚えてしまった。
シャツのボタンを外す手つきは、性急なようでいて、どこか丁寧だった。
肩から袖を抜き、布が滑り落ちるたび、白い肌が薄闇の中に浮かび上がる。脱がせながらも、勇斗の唇は止まらず、鎖骨から胸元へと移動していく。
「……見すぎ」
「見るだろ、これは」
軽口を返しながらも、声には余裕がなかった。勇斗も自分のシャツのボタンに手をかけ、性急に脱ぎ捨てる。素肌が触れ合う感覚に、仁人の呼吸が一段と乱れた。
脇腹に手を這わせると、びくりと体が跳ねる。
そのまま指先は緩やかに腰のラインをなぞり、抱き寄せるように引き寄せた。
指先で拾う体温の高さに、距離の近さを感じた。
ふと視線を上げると、仁人の目尻から、一筋だけ涙が伝っていた。
頼りない滴だった。指先でそっとそれを拭う。
──指先で、気持ちが伝わればいいのに。
言葉にできないものを、せめてこの指先だけで伝えられたらと思う。
「……もっと、見せて」
他に言いたい言葉はいくつもあるのに、もっと知りたいことは他にあるのに、結局いつもそこで止まってしまう。もう一度、仁人の唇を塞いだ。これ以上、言葉が零れるのを拒絶するように。
言葉の代わりに、体温だけがあった。
静けさが戻ってきたのは、それからしばらく経ってからだった。
仁人は黙って体を起こし、手早く身支度を始めた。
さっきまでの熱が嘘のように、部屋の温度だけが急速に冷えていく。
「明日、朝から現場だから」
そう言った仁人の口元には、笑ったような、笑っていないような、曖昧な形だけが浮かんでいた。
「……そっか。気をつけて」
会話は、それだけで終わった。もっと何か言うべきだと、分かっていた。
けれど、口を開きかけて、結局言葉は喉の奥に留まったままだった。
「じゃあ、また」
仁人がそう言って、静かに玄関へ向かう。
振り返ることのない背中を、勇斗はベッドに座ったまま見送った。ドアの閉まる音が、思っていたよりずっと大きく響いた。
一人になった部屋で、勇斗はしばらく天井を見上げていた。
三年間、ずっとこのままだ。
近づいているはずなのに、少しも縮まらない距離がある。仁人が何を思ってここにいるのか、本当は聞いてみたい。けれど、聞いてしまえば終わってしまう気がして、今夜もまた、何も言えなかった。
体だけでも手元にあるなら、それでいい。
そう思おうとしたのに、一度溺れた体は、会うたびに、手放せなくなっていく。
仁人は、いつも朝を迎える前に帰る。
それが、これ以上は望むな、という答えなのだとしたら。
聞いてしまえば、はっきりと思い知らされる。そして、失う。だから今夜も、何も聞けなかった。
──キリガナイな、これ。
胸の中だけで呟いた言葉は、誰にも届かないまま、静かな部屋に溶けて消えた。
マンションのエントランスを出ると、夜風が、熱の残る肌に冷たかった。
仁人は、一度だけ振り返って、部屋の窓を見上げた。灯りは、消えている。
あれだけ近くにいたのに。
名前を呼ばれて、触れられて、抱き寄せられて。
それでも、いちばん奥にあるものには、指先ひとつ届いた気がしない。
朝まで残れば、また、あの顔を見ることになる。
だから今夜も、「明日、朝から現場だから」と、口にして出てきた。
気持ちを知りたい、と言えたなら。
けれど、そう口にした瞬間、この夜ごと終わってしまう気がした。
面倒だと思われて、「そっか、気をつけて」と、あの穏やかな声で、静かに扉を閉められる。
──トドカナイ。
すぐそこにいるのに、三年経っても、気持ちだけが、どうしても届かない。
タクシーを拾う気にもなれないまま、人気のない夜道を、駅の方へ歩き出した。
コメント
1件
うわああああ読んだああああ!!😭💕💕 もうね、物理的にはこんなに近いのに心の距離が縮まらない感じが切なすぎる……っ!“聞いてしまえば終わる”って思う勇斗さんと、“伝えたら今の関係が終わる”って怖がる仁人のループ、どっちもわかるから辛い!! POV切り替えで両方の胸の内が読める構成、天才かよ…好きなシーンは鎖骨責めの「知ってる。弱いもんな、ここ」です(真顔)。るり先生、尊すぎてしんどいです続きください!!🔥