テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
魔力増加法の講座をした次の日。
外はまだ薄暗く、カーテンの隙間から覗く空は、夜と朝の境目みたいな曖昧な色をしていた。
世界が本格的に動き出す前の、息を潜めた静けさだけが家の中に満ちている。
私は寝間着のままベッドから抜け出して軽く伸びをすると、そのまま部屋の中央に陣取っている“居候その1”――リシルの方へと歩み寄った。
彼女は相変わらず当然の顔で、私の部屋の隅を自分の作業スペースにしている。小さな机と、どこから持ってきたのか分からない魔道具の部品やら金属片やらが散乱していて、ひどく研究室のような見た目をしていた。
「ねぇ、リシル。ちょっと手出して」
軽く声をかけながら、私はアイテム袋に手を突っ込む。
暗い袋の中で、指先にゴツゴツした冷たい感触が触れた。それを少し持ち上げて重さを確かめ、狙い通りのものだと判断して、そのまま一つ引きずり出す。
「おっも……!? これ、超重鉱石じゃん。何作ってほしいの?」
受け取った瞬間、リシルの膝ががくんと折れた。
床板がミシッ、と低く軋む。
両腕がぷるぷる震えているあたり、見た目以上に重さはえげつない。
「話が早くて助かる。実は――」
私はそのまま、前々から頭の中でだけ組み上げていた“欲しいもの”の設計を、ひとつひとつ言葉にしていく。魔界にいた頃から、こっちに帰れたら絶対に作ろうと決めていたものだ。
「魔力を流すと流体になって、体に沿って密着する性質に変換してほしい」
「ん~~~、難しいこと言うね……。確かに超重鉱石は性質の変換ができるけど……何に使うの?」
リシルが興味深そうに鉱石を撫で回しながら問い返してくる。
金属表面をなぞる指先には、研究者特有のいやらしいほどの好奇心が宿っていた。
「全身タイツみたいにして着用する。毎日胸に包帯巻いてさらし作るのが面倒だし、性質変えても重さは変わらないから、着用していれば訓練にもなるし」
自分で言いながら、改めて「脳筋だなぁ」と思う。
でも、実用性は高いはずだ。防御面でも鍛錬面でも、ついでに胸を潰すためのさらしを巻く手間の問題の解決にもなる。完璧だ。
超重鉱石は魔界原産の鉱石だ。
その名の通り、素で持てば笑うしかないほど重い。が、その分、魔力の通りが良く、加工の自由度も高い。
魔力を流せば、重力に逆らうベクトルが発生し、「見かけ上の重さ」が変わる。
さらに高度な加工ができる職人なら、硬い金属から液体のような粘性を持つ素材まで、かなり幅広く“性質の変換”を行える。
要するに、「扱いは大変だけど、夢が詰まっている素材」だ。
「できるけど……代金は先払いしてね。首筋出して?」
リシルがニマァと笑って、こちらの顎にそっと手を添えてくる。
あ、これは完全に獲物を狙う目つきだ。
「……指じゃダメ?」
「ダメ」
食い気味に即答された。ひとかけらの迷いすら感じられない。
観念して髪をかき上げ、首筋を晒す。
冷たい指先が、鎖骨の下からそっと上へ――皮膚の薄いラインをなぞるように滑り、ちょうど脈の通る場所で止まる。
次の瞬間。
ちくり、と針を刺したような小さな痛みが走り、その直後、そこを中心にじわりと熱が広がっていく。
骨の髄をとろとろに溶かされているような、腰の奥から抜けていくような甘い感覚が、血の流れに乗って全身を駆け巡った。
(……う、わ……)
背筋にぞくりとした痺れが走る。膝から一瞬力が抜けそうになる。
意識の輪郭がぼやけて、視界の端が柔らかく滲んでいく。
このまま流されてしまえば、簡単に“墜ちる”のだろう。
だから――私は、奥歯でぐっと下唇を噛んだ。
(……負けない。こういうのは、気合)
意識が、とろんと滑り落ちそうになるたびに、自分の足元をしつこく踏み固めるようなイメージで踏ん張る。
頭の奥の方がふわふわして、時間の感覚がおかしくなりかけた頃――ふっと、牙が離れた。
「ぷはっ……ごちそうさま!」
リシルが満足そうに唇を拭って笑った。
私はと言えば、椅子の背もたれにぐったり体重を預けて、大きく息を吐く。
「じゃあ、作ってね……」
「ほんと不思議……。私の【|魅了《チャーム》】はお母さまより強いはずなのに、何で墜ちないの?」
じっとこちらを覗き込んでくる瞳に、ほんの少しだけ拗ねた色が混じっている。
「気合」
即答して、立ち上がる。
これ以上ここにいると、また血を要求されそうだ。
部屋を出て扉を閉めてから、そっと首筋に手を当てる。もう傷はきれいに塞がっていた。
体内の魔力の循環を少しだけ強めてやると、抜かれた分の血と魔力が、じんわりと補填されていくのが分かる。
血が抜かれた後特有の、ふわふわとした貧血感が、だんだんと薄れていった。
廊下を歩いていると、ちょうどリビングから扉が開いた。
欠伸を噛み殺しながら、沙耶がとことこ歩いてくる。
「おはよ」
「お姉ちゃん、おはよー。相変わらず朝早いね……」
寝癖の付いた髪を片手で押さえながら、もう片方の手で眠そうに目を擦る。
スリッパのぱたぱたという音が床に小さく響いた。
そのままキッチンに向かい、無言でコーヒーメーカーのスイッチを入れる。
時計を見ると、ちょうど6時を指していた。
外はまだ肌寒く、窓ガラスがうっすら白く曇っている。
しばらくして、ぷくぷくとコーヒーの落ちる音と共に、香ばしい匂いが部屋に広がった。
沙耶はマグカップを二つ用意して、黒い液体を注ぎ、それぞれを持ってテーブル席に腰かける。
「はい、どうせ飲むでしょ?」
「うん。ありがとう」
受け取ったカップを両手で包む。
陶器越しに伝わる熱が、冷えていた指先を少しずつ温めていく。
一口啜る。舌にしっかりとした苦味が乗り、鼻腔に香りが抜けた。
さっきまでふわふわしていた頭の中が、じわじわと輪郭を取り戻していく。
「今日は何するの?」
「うーん、周囲にあるダンジョンを潰してまわるかなぁ」
カップをテーブルに置きながら答えると、向かいの沙耶が肩をすくめる。
「ほんと戦うの好きだよね……」
呆れ半分、諦め半分の声色。
けれど、その目の奥には、どこか安心したような色も見えた。
「そろそろ朝ごはん作るかな」
「今日は何にするの?」
「食べたいものはある?」
「あまり重すぎないものがいいかな……肉以外で……」
朝から肉は沙耶には重いらしい。
朝ごはんで肉を出して喜ぶのは、小森ちゃんとカレンだけだ。
かわいらしい見た目に反して、小森ちゃんはよく食べる。
たくましく育ったものだ……と、姉のような気持ちで少しだけしみじみしてしまう。
「じゃあ軽く作っておくよ」
「……ほんとぉ?」
疑い深い目で沙耶が私を見てくる。
この前、「軽食」と称して脂身の少ない肉料理を出したことを、まだ根に持っているようだった。
仕方ないので、目玉焼きとサラダ、炊き立ての米という、真面目に“軽め”の朝食メニューを準備することにした。
フライパンに油を引き、卵を割り落とす。
じゅっ、と白身が音を立てて広がり、黄色い黄身がぷくりと膨らんだまま中心に収まる。
サラダ用にちぎったレタスの上にミニトマトとキュウリを載せ、さっとドレッシングを回しかける。
「……普通だ」
「でしょ? ほら、サラダをテーブルに持って行って」
「はぁーい」
ミニトマトを一つつまんで口に放り込んでいる沙耶に、皿を持つように促す。
……多分これだけだと物足りない人もいるだろうから、食べる人だけ用に肉を別で焼いておこう。
別のフライパンに肉を並べる。
じゅう、と焼ける音と共に、脂が弾け、食欲をそそる香りが鼻を刺激した。
キッチンの方に漂ってきた香りに、沙耶がジト目を向けてくるが、そこは聞こえないふりをしておく。
朝食の準備がそろそろ整う頃、部屋の扉が開き、小森ちゃんと七海が続けてリビングに出てきた。
キッチンの肉の存在に真っ先に気づいた小森ちゃんが、ぱぁっと顔を輝かせる。
一方で七海は、テーブルの上とキッチンの両方を見比べて、どこか怪訝そうな顔をしていた。
その対比がおかしくて、私は小さく笑ってしまう。
カレンはというと、案の定まだ姿がない。
朝が壊滅的に弱いから、誰かが起こしに行かないと永遠に出てこないタイプだ。
「小森ちゃん、カレン起こして連れてきて」
「はい~」
小走りでカレンの部屋に向かう小森ちゃん。
数分後、半分寝ぼけたカレンをずるずると引きずりながら、リビングに戻ってきた。
「みんな揃ったね?」
「ん……姉上は?」
「リビング来る前に血あげたから大丈夫でしょ」
「ん。また姉上を甘やかしてる……」
じと、と目を細めてカレンが私を見上げてくる。
制作の対価として血を渡しただけなのだが、どうにも「甘やかし」と判定されてしまったらしい。
――まぁまぁ、とカレンの頭を軽く撫でて宥めてから、食卓に向き直る。
「いただきます」
こうして、魔力も血もそこそこ持っていかれた、けれどいつも通りの一日が、静かに始まるのだった。