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……それにしても「女の子」か。
確かに新の顔立ちは綺麗やし、子供好きで、お世話もプロや。料理の手際もいいし、尚且つ美味い。そして、優しい。
「奥さんになったら、いうことなしやな……」
なんて、自分に都合のいいことばかりを考えてしまう。
今の俺にとって、新が差し伸べてくれる手はあまりに温かく、理想的すぎて。
「……何考えてんねん。あほか、俺は」
俺は慌てて皿を拭く手を早めた。キュッキュと鳴る皿の音が、静まり返ったキッチンに不自然に響く。
風呂場からは、相変わらず楽しそうな三人の声が聞こえてくる。
俺は洗い終えた皿を棚に片付け、新の汚れたエプロンを洗って固く絞って干した。
「……よし」
気合を入れ直して、俺は風呂上がりの子供たちのためにパジャマを用意し始めた。
今はただ、この日常が少しでも長く続くように。
彼に求めすぎないように、でも、突き放しすぎないように。それだけはちゃんと見極めなあかん。
「今日もほんまにありがとうな」
子供たちを寝かしつけ、一仕事終えた解放感の中で、二人静かにビールで乾杯する。
「いえ、僕の方こそ。元宮さんのお手伝いを始めてから、一日が充実してて楽しいです」
「でも、仕事、まだやらなあかんことあるんやろ?」
「……明日のお迎えは蜷川さんなんですよね? じゃあ、明日と土日に少しやれば全然大丈夫です」
新はそう言って、頼もしく微笑んだ。
「家のこともひとりでやらなあかんのに、ほんまにごめんな」
「元宮さん、謝ってばかりですよ? 楽しい日やったんやから、楽しく一日を終わらせましょうよ」
「ふふっ、そやな」
このやり取り、つい先日、蜷川といる時にも似たようなことがあったなと思い出す。あの時は俺がなだめる側やったけど、今は新になだめられてる。新のこの低くて落ち着いた声で言われると不思議と心にスッと入ってくる。子供達もきっとこんな気持ちなんやろな。
「元宮さん、この写真……」
新が指差したのは、リビングの壁に掛けてあるコルクボードだった。
「ん? これ、弦が生まれた時に三人で撮ったやつ。で、これは次の年に洸が生まれた時の。一年に一回、家族四人で撮るって決めてたんやけどな」
「……二人を見てると似てるなって思ってましたけど、こうして並んでると、洸くんってお母さん寄りなんですね」
「そうやろ。特に洸のこのスッと上がった目が綺麗やろ?うちの奥さん、美人で有名やったからな」
「うわ、急に惚気ですか? でも、確かに……お話しする時、お綺麗なのでちょっと緊張はしてました」
「ははっ、やろ?」
仲の良かった頃を思い出し、二人でコルクボードを覗き込んでいると、ふとした瞬間に、至近距離で視線がぶつかった。
どちらともなく慌てて距離を取る。心臓が跳ねた。人間、こんなに近くで見ても隙がないほど綺麗なんてこと、あるんやな。
「……元宮さん、これ、一枚足りませんよね? ここ、押しピンの跡はあるのに」
新の指摘に、俺は弾かれたようにコルクボードへ視線を戻した。
「……ほんまやな。今年はまだ撮ってないから、もう一枚、去年のがあるはずやねんけど」
「もしかして、奥さんが持っていったんでしょうか?」
「……俺も写ってるのに? でも、もしそうやとしたら、ちょっとだけ嬉しいかもしれん」
俺の少し震える声に、新は少し切なそうに目を細め、俺の肩にそっと手を置いた。
「……大丈夫です。絶対、元気になって帰ってきはりますよ」
「……ありがとうな」
新の濁りのない笑顔を見ていると、本当に全てが大丈夫だと思えてくる。
やけどな……心のどこかで「もう、そんなことは絶対ありえへん」と冷めた目で自分を見ている自分も、確かにそこにいた。
「じゃあ、そろそろ帰りますね」
「うん、ありがとう。明日、二日目のカレー食べたら感想送るからな」
俺の言葉に、新は靴を履きかけの手を止めて、少しだけ視線を送ってきた。
「……蜷川さんの感想も、聞いておいてくださいね?」
「あかんよ。あと一人分しかないのに。あれは俺だけで独り占めや」
冗談めかして笑いかけると、新は一瞬フリーズしたあと、耳を真っ赤にして俯きながら嬉しそうに笑った。
……え、今の、俺の言い方ガキっぽかったかな。あかんな。新「先生」の前やと、どうにも格好つけきれへん自分が出てきてしまう。
「……じゃあ、また明日の朝。お会いできるの、楽しみにしてます」
「うん、ありがとう。おやすみ」
「……おやすみなさい」
玄関のドアを開け、夜の静かな空気の中へ消えていく新の背中を見送る。
ついさっきまでそこにいた温もりが遠ざかっていく寂しさはあるけれど、胸の中には確かな満足感があった。