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走る、走る。清廉とした白い壁に豪奢な金の装飾が彩られた調度品が飾られた屋敷の中を、がむしゃらに走る。
ちぎられてボロボロになった黒い翼が大きな花瓶にぶつかってガチャンと嫌な音を立てた。派手な音に焦りながらもなりふり構っていられない。スピードは緩めず、息を荒らげながら先の見えない迷路のような廊下を走り続ける。
くそ、広すぎるんだよこの屋敷!
ずっといた建物なのに、全てが初めて見るものだ。
いつも鬱血痕と体液でべとついた身体を投げ出して、自分の身体を好き勝手貪った男たちが出ていく時にぼんやりと廊下を眺めるだけ。大きなベッドと最低限の家具があるだけの個室。それがここ数十年続いた、潔世一の世界だったのだ。
長く閉じ込められていた身体が悲鳴を上げる。2体の天使たちに好き勝手暴かれた身体は、天使たちの体液で悪魔としての力をひたすら浄化され続けてその力の大半を失っていた。並の悪魔では生きてはいられない。そもそも天界の空気を吸っているだけで悪魔は弱っていくのだから。
かつての天使と悪魔の戦争で猛威を奮った悪魔は今は見る影もなく、今は飛ぶこともできず無様に地面を蹴るだけ。
不甲斐ない。恥辱に顔が歪む。悔しい。絶対に許さない。瞳に緑の殺意が灯る。涼しい顔したあの天使たちの羽を撃ち落としてもぎ取って、幼虫のように地面を這う姿を嘲笑いながら見て潰してやっても釣りが来る。それだけのことをされた。悪魔としての尊厳をこれでもかと踏み躙られた。許さない。絶対に許さない。
こんなことを喚いても、きっとあの天使たちは小馬鹿にしたように鼻を鳴らすだけなのだろう。
「今のてめぇに何が出来る。芋虫野郎」
目つきの悪い弟の方は、そう言って仕置きとばかりに羽を手で千切りとる。あいつはいつだって激痛に喘ぐ潔を異常なまでに興奮した眼をしながら見下ろして、こちらが焼けそうなほど熱い息を吐くのだ。
しかし、だからこそ。そこまで弱った自分にだからこそ掴める警戒のアヤがあった。それを、潔は決して見逃さなかった。
今の潔はほとんど力が使えない。だからこそ、あのふたりの天使は油断したのだ。閉じ込めていた部屋の扉の結界がほんの少し緩んでいるのに気付かず、潔から目を離した。潔はずっと待っていた。その好機を。その緩みに気が付かないまま、ふたりが潔から離れるその瞬間を。
天使と悪魔の戦争は未だ続いている。4枚羽を持つ位の高い兄と戦闘能力の極めて高い弟は定期的に防衛戦に駆り出されていた。傲慢な天使も所詮、神の造物でしかない。創造神には逆らえず、神の威厳を護る戦いに舌打ちしながらも、ふたりは潔を置いて部屋を出ていくのだった。
︎︎ふたりが出ていき、戻ってこないことを確認してから、潔は部屋の扉に手をかける。
ひとりになった潔はあの天使たちすら知らない、己に残された「超越視界メタ・ビジョン」を使い、4枚羽の天使の編んだ結界を見事解いてみせた。
開かれた扉、続く回廊。
そこからは、ただ走るのみ。己の幸運を信じて。
必ず、仲間の元へと戻れると信じて。
再び取り戻した希望が、自らを奮い立たせた。
黒色のフードは脱げ、辛うじて角に引っかかって頭部でばたつく。五月蝿い。耳障りな音だらけの世界は瘴気不足の頭を痛めつける。
空気を求める喉が痛い。カヒュ、とひりつく痛みと共に吸い込んだ澄んだ空気すら悪魔の身体を蝕む毒になる。それすら取り込んで走り続けるしかない。
走る、走る。逃げなければならなかった。こんなところにいたくない。絶対にあの部屋に戻りたくない。
見つかったら、捕まったらすべて終わり。今までより酷い地獄が待っている。
それを理解しているからこそ、絶対に失敗できない。
やっと目の前に、大きな扉が見えた。
「あそこだ!」
やっと見つけた、救いの扉。
喜びに身体が震えたつ。もっと早く、地面を蹴る。
きっと出口なら強い結界が張ってあるだろう。関係ない。この”眼”でまた解いてやればいい。
恐らくだが、この屋敷の結界はほとんど兄の方が担っている。1体の天使が造る結界の構造なんてそう違うものじゃない。結界が緩んでいたとはいえ、一度解いたパズルだ。自分にならできる。勝った。やっと逃げられる。幸運のピースはこの手にある。
扉に手をかける。やはり開かない。ならばこの眼を使ってもう一度――――。
「――部屋の結界を解いたか。いい脳ミソしてんじゃねーか」
「それとも、その”眼”のおかげか?」。
背後から投げかけられた声に、世界から音が消えた。
瞬間、ドッドッと心臓が痛いほど激しく拍動した。走っていた時より荒い息。腹の底から湧き出る恐怖に冷や汗が吹き出る。視界がグラつく。
縋るように、グッと扉を掴む手に力がこめる。
「正直驚いた、たかが悪魔が俺の結界を解くとは。あの青薔薇を出し抜いただけはあるか」
カツン。こちらに近づく靴音。
急げ、急げ急げ!
”眼”を開く。超越視界メタ・ビジョンで結界の穴を見つけろ。あと数秒。
早く、早く!この扉を開け!
「…………あ、れ?」
ない。結界どころか、扉が、ない?
脳で視ているものと、この手に握っているものが一致しない。確かにここに扉があるはずだ。ここに、あるはず、なの、に。
「だが、まだぬるい」
ダンッ! と後ろから脚が飛んできた。
右脇腹を掠めたそれは扉にぶち当たり、扉にみえていたものをボロボロと崩していく。テクスチャ偽装が剥がれたそれは、ただの白い壁になっていく。
「往生際の悪いバカにも分かるように教えてやる。この屋敷に出口は無い。扉がなくても、結界を張った俺と凛は自由に行き来できるからな。勿論、お前にも必要がない。理由はわかるな?」
ならば、この扉のテクスチャの意味は?
聞かなくたってわかる。罠だ。この天使は、わざとこの「希望」を創った。最初から潔世一に希望なんてなかったのに、この扉に潔世一の希望を込めて、潔がそれに縋った瞬間目の前でぶち壊したのだ。潔の心ごと壊すために。
何故そんなことを? 簡単だ。
「……あぁ。今までで一番『良い』壊れ方だ。たまらねぇな」
糸師冴は、潔世一の心を美しく壊すことに執着する異常者だからだ。
パリ、と心の柔らかい部分にヒビが入っていく。
降ろされた脚の代わりに腕が伸びてきて、やわく抱きしめられる。
「……はなせ」と絞り出した掠れ声はぽたりと落ちていく。聞き入れられない声は、ぼたぼたと落ちる汗に混じるだけ。
優しく抱きしめてくる腕に、ドクンと心臓が跳ねる。動かない、動けない身体に震えが止まらない。潔の心が壊れていく姿を間近で見る男を跳ね除けたいのに、それができない。こんな恐怖を感じるなんて、おかしい。
潔世一は並外れた精神力の持ち主だ。だから何十年も閉じ込められて破壊されて、凌辱されても生きていられた。何回でも生き返った。何度身体が壊されても、心を壊されても、絶対に折れない精神が”潔世一”を支えていた。
一度でも心が折られたら、きっと二度と戻れない。だから耐えた。耐えてきた。なのに。
潔の心を抉る言葉を紡ぐ唇が、ただまるで愛しいものに口付けるようにうなじに吸い付いてくる。
酷い言葉を吐くくせに、行為は穏やかで。熱い吐息に、男が酷く興奮しているのがわかってしまって。
ちぐはぐで、理解の出来ない男が怖い。
汗を舐めとる舌に、恐怖以外で震えてしまう自分も怖い。
耳元で、囁かれる。
「バカな奴だ。天使に犯された悪魔の居場所なんてあるわけねぇのに」
バキリ。心が大きな音を立てて壊れる。
たすけて、と白い壁に手を伸ばすが、やんわりと潔を包む4枚の羽に遮られる。あぁ、もうダメだ。ぱらぱらとパズルのピースが落ちていく。勝手に自分が壊れていく。自分が、自分じゃなくなっていく。
だれか、誰か助けて。
「……潔」
極度のストレスによる自壊。そして潔世一にとって、この状況から逃げられる唯一の方法。
天使は何も言わず、悪魔から落ちるピースをひとつも取りこぼさんとするように、純白の翼でまるく包み込む。
言葉とは裏腹に。やさしくやさしく。愛するものを抱き締めるように。
「『希望』を追いかけるのは楽しかったか? 最近生意気を言う元気もなかったみたいだから、餌をくれてやったんだ。喜べよ」
その腕を拒否するように身体が崩れていく。壊れていく。
この腕から逃げるように。その愛を拒絶するように。
「しっかり噛み締めておけ。この希望はもう二度と、お前に与えられることはないものだ」
こんなもの、愛なんて優しいものであるはずがない。
「……なぁ、ここでぶっ壊れたって構わねぇが、そ・ん・な・こ・と・で俺から逃げられると思うなよ」
それは上位存在の横暴、傲慢。
最後のピースが崩れる刹那。潔世一は確かに視た。
潔世一のピースへ愛しそうに口付ける、糸師冴天使の恍惚に塗れた微笑みを。
□■□
遙か昔から、天界と魔界は戦争を繰り返していました。
それは互いの領域を守らんとするため、自分達を地に堕とした神を殺すため。天使と悪魔は長く、永く、地上の文明が何度も入れ替わるほどながく戦ってきました。
悪魔は数が多く、選び抜かれた精鋭の天使に対して数で対抗していました。人を唆し、天使すらも地に堕として堕天させ、その数を増やしては消耗戦を仕掛け続ける。それは天使たちの疲労を何千年もかけて蓄積させていきました。
しかしだからこそ、悪魔1体毎の質は低い。絶えず侵略する悪魔も、4枚羽を持つ位の高い天使には敵わず、いつしか4枚羽の天使が悪魔と天使の領地の境界を守護するようになりました。
世界にたった11人しかいない4枚羽を持つ者のうち、青薔薇を首に戴く天使は、嘲笑うかのように悪魔たちを消し飛ばしていきます。
「……クソ面倒だな。あと500年もこのつまらない遊戯に付き合わないといけないのか」
「この境界を守りきれば、カイザーが6枚羽になる日も近いですからね。少しの辛抱ですよ」
天使として最高位となる6枚羽になる為、青薔薇の天使はやりたくも無い神へのゴマすりをしている最中でした。
青薔薇の天使にとっては群がる羽虫を手で払うくらいの、なんでもない日々。
そんな、何の変哲もない日。それは起こったのです。
「そんなに暇なら俺とヤれよ、クソ天使共」
1体の悪魔が、膠着した戦況を揺るがしました。
無敗を誇っていた青薔薇の天使は片翼を銃で撃ち抜かれ、目を見開いたまま落ちていきます。
「なぜ」
何故、あの悪魔は消滅しない――!?
従者ネスになんとか抱き止められながら、青薔薇の天使はその悪魔を呆然と見上げました。
金の銃から硝煙を立たせた悪魔は、青薔薇の天使が放った衝撃波で粉々に砕けたはずの身体をパズルのように組み立てながら、後方の同胞に告げました。
「侵略開始」
その日、1000年均衡を保った天秤は大きく揺らぐことになりました。
後に青薔薇の天使は、悪魔に出し抜かれた事実に苦しみ自分の首を締めて危うく自壊しかけるまで追い詰められます。それは何度も何度も、彼があの悪魔に撃ち抜かれた瞬間を思い出し続けていたからです。
何故、自分の一撃をあの悪魔が耐え抜いたのか。それを理解するまで、何度も何度も。あの悪魔を絶対に殺すために。
彼の従者は、彼が錯乱の中意識を失う寸前に聞いた言葉を神に伝えました。彼が苦しみながら残した警告を、万物の本質を捉える脳を持つ彼の言葉を、神に伝えなければと思ったからです。
『あの悪魔は、天上の光を貪らんと地から這い出る不死身の災厄である』
災厄は、その名の通り天界を喰い荒らしていくのでした。
□■□
潔世一が戦争で生き抜けたのは、その不死身の身体にある。正しくは「躊躇ない自己破壊、その後の再構築の速さ」。これが潔世一を下級悪魔の立場から爵位を約束されるまでに成り上がらせた能力である。
致命的な攻撃を受ける瞬間に自らを壊し、パズルのピースのように瞬時に再構築する。
理屈で言えば他の悪魔も不可能なわけではない。身体が壊れても、自分を構成する核コアがあれば再生は可能。今も何名かの名のある悪魔が核を媒体に何百年もかけて自己修復をしている。そう、本来ならば、それは「長い時間をかけて」行われるものだ。
「戦闘中に自分を躊躇いなく殺し、再び自分の身体を構築する」。それには迷いなく死を選ぶ強靭な精神と覚悟、そして自らの身体を正しく理解し素早く修復する再生能力。これが全て揃わなければなし得ない。だからこそ潔世一は、悪魔の中でも異端の力を持つものとして扱われた。
意図的に生と死を繰り返すそれは「自死」を禁忌とする天使たちには特に恐怖の象徴となり、かつて交戦した青薔薇を首に戴く天使をして「イカれてる」と言わしめた。
そう。潔世一とは、天地の道理から外れ、己だけの理エゴから成る災厄である。
戦士として一般的な訓練を受け平凡な悪魔として戦争に参加したはずの潔世一は、天使たちとの生命の駆け引きや仲間の死の中で己の武器と才能に気付き、進化させながら確実に生き残り、その名を轟かせていった。
不死身に対抗出来るものなどいなかった。悪魔は勢力を増し、潔世一を先頭にこのまま天を呑みこまんと一気に天界に攻め入った。
その時だった。
「……ぬりぃんだよ。脇役モブ共が」
その日、本物の災厄が戦場に放たれた。
剣を振るった一閃の光に消滅していく仲間たち。その惨状を見て、潔は考える間もなく真っ直ぐその天使に突っ込んでいった。
それは反射だった。本能が叫んでいた。
あの化け物を止めなければ、ここにいる全員が死ぬ。その予感が、先陣を切る潔を化け物の元へ向かわせた。
銃弾を撃ち込むが、難なく躱される。距離が詰まる。剣の切っ先を弾いて、せめて体勢を崩してやろうと身体をぶつけた。あわよくば魔界に近いところまで落としてやろうとしがみついた。天使は神の座する天上から落ちれば一転、確実に力が落ちる。リスクはある。しかしそうでもしないと、この化け物は止まらないと思った。
ぶつかった衝撃で、しがみつく身体に痛みが走る。崩した体勢を直ぐに戻される。落とすのは無理か。ならばと自分の全てを壊した。
天使とはいえない形相の男が剣を持ち直す。潔の心臓を貫こうとするが既に遅い。身体はなく、剣は虚空を切る。
目を見開く化け物の背後で素早く右半身を再構築する。手に持った金の銃を後頭部に押し付ける。勝った。
引き金を引く、刹那。
バキン!と、目の前の天使から何かが突き出した。
「……ッア? ぐ、……う゛あぁぁぁッッッ!?!?」
化け物の背中から飛び出した棘が、潔の右手を貫いた。それだけじゃない。再構築の最中だった右半身にまともに喰らった。貫かれる身体。激痛に再生が止まる。
痛い痛い、いたい!
おぞましい棘に、身体の中から浄化される。焼け焦げる。串刺しにされた状態に背筋が凍り、思わず再び自壊しようとした、が。
「……あ、?」
崩れた、いや崩した身体のピースが、歪にひしゃげていた。ざっと青ざめた。ピースがおかしくなれば再構築は不完全になる。右半身のピースがほぼ使い物にならない。まずい。まずい。
今この化け物に立ち向かえるのは恐らく自分しかいない。潔の再生が遅れれば遅れるほど仲間が死ぬ。自壊している場合じゃない。このまま戦わなければ――。
「潔、俺達にかまうな! とにかく逃げろ!!」
「そいつマジでヤバい! 受け止めるから落ちてきて!」
千切と蜂楽の声にハッと我に返った。
そうだ、自分には信頼出来る仲間がいる。まずこいつから離れて2人と合流して、戦場の状況を再確認しなければ。
この化け物の登場で一気にすべてが変わったはず。指示を待つ仲間がいる。潔を守ろうとする仲間がいる。仲間の元に帰り、これ以上の犠牲を食い止めなくては。
潔は自分の右目だけを残して、自分の身体をすべて破壊した。
どんなに身体が崩れても、潔世一の核コアさえ仲間の手に渡ればそこから身体を再構築できる。潔世一は核をも分解し、化け物の手から滑り落ちるように仲間の元へ落ちていく。
「チッ、逃がすかよ!」
化け物の手が核のピースを掠めるが、あと数ミリ届かない。ヒヤリとする。核のピースは”潔世一”を構成する特に重要なピースだ。精神体は核に依存する。ひとつのピースでも失えば、それこそ修復するのに時間がかかる。こんな大量のピースからわざわざ核のピースに手を伸ばす嗅覚の良さに寒気がした。心臓を鷲掴みにされかかった気分だ。危なかったと安堵する。
千切と蜂楽は潔世一のピースの区別がつく数少ない仲間だ。ふたりに核のピースを集めてもらいながら、ふたりのところまで落ちて、それから…………。
「弟の抱き心地は悪かったか? 不死身の悪魔」
――は?
落ちる潔の核のピースを数個掴んだ天使が、下から包み込むように潔のピースを羽で囲いながら冷えた目でこちらを見つめていた。目が合った。
は……?はぁ!? ︎︎いつからいた?全く気配がなかった。そんな筈ない。この男は、この天使は……4枚羽の天使!?
この強烈な威圧感を、今の今まで気付かなかった!? ︎︎俺が!?馬鹿な!!そんなことありえない!
「自分の核まで壊す、か。大した度胸だ。確かに並の神経じゃできねぇな」
大きな翼がばさりと世界を切り取るように右目だけの潔を包み込んだ。覆われた大きな4枚羽の中に、いつの間にか飛ばしたピースがほとんど集められている。どうして。どうして。
「だがこうやって核を掴まれるのは初めてだろ。じゃなきゃ、こんな無謀なことをするわけねぇ。どうなるか、わかってねぇんだろうな」
ほら見ろ、と天使が羽を少しだけ広げる。その先、天の光のなかに、先程の化け物がいた。
その手には、1枚の核のピース。
「うちの弟は悪食でな。諦めろ」
その数秒は、永遠にも感じられた。
口に放られた核のピース。それは噛まれることなく喉を通り、ごくんと腹の中に収められた。
――は?
心臓を飲まれたような不快感に、一気に吐き気を催した。
「マジ、かよ……。あの天使、悪魔潔を喰いやがった……!」
「……千切りん。アレって、本当に天使? ︎︎悪魔を喰って無事なはずないじゃん」
悪魔たちがどよめく。悪魔喰いの天使? そんなの聞いたことがない。だって天使は清廉でなければならない。天使が悪魔を喰って無事では済むはずがないのだ。
そんなこと、あの非合理を許さない神が黙認する筈がない――!
「聞いてるか、潔世一」
化け物が、腹に手を当てながら呟く。
「お前は、俺の為に生まれてきた。俺に喰われるためだけに。壊されるためだけに。その為だけに今日まで生きてきた」
腹のピースが小さく呼応する。
「これからは、俺の為だけにその能力を行使しろ。お前は俺に喰われるために、壊されるために、死ぬまで殺される義務がある」
こいつは、何を言っている?
「来い、潔世一。お前は俺の一番近くで、俺が神に成るのを見届けろ」
――こいつは、一体なんなんだ?
︎︎神に成る?何を言っている?神への反逆?天使が?そんなわけない。天使は神の造物。神に愚直に従う物ではないのか……!?
「……全然”聞いて”ねぇな。プロポーズもまともにできねぇのか、お前」
「黙れ糞反吐マウントお兄。プロポーズじゃねぇ。てめぇだって何も言わねぇで拉致しようとしてるだろ。早くそいつを寄越せ」
「断る。今わかった。こいつはまだお前には扱いきれねぇよ」
「あ゛?」
兄と呼ばれた4枚羽の男の中のピースが浮く。それは形を変えて天使の薬指に巻きついた。
そして、その指輪に囁く。
「……潔世一、『身体を再構成しろ』」
瞬間。
「…………え?」
あたたかい。声が出る。右目だけ構成していたはずの身体が一気に人の形に戻って、目の前の天使の腕の中にすっぽりと収まっていた。
あの化け物のせいで歪んだピースも無理やり捩じ込まれるように嵌められて、ところどころ身体に穴が空いている。無理やり嵌め込んだ痛みが身体をじくじく蝕んでいく。
自分の意思に反した身体の再構築に、脳が追いつかない。
「な、なに……? どう、なって……」
「俺の言うことは”聞く”ようだな。4枚羽の方が好みか?」
「……チッ、悪魔のクセに選り好みしやがって」
なに、なんだ?何が起こっている?選り好み?知らない。目の前の男の言うことに身体が勝手に反応する。支配されている。それだけは分かる。だが、理由がわからない。
逃げ出そうとする身体が動かない。身動ぎすらできない。天使の腕の中にいるショックでまた身体がぶっ壊れてしまいそうなのに、それすらも出来ない。
制限されている。制約を受けている。なにが、なにが起こって。
「自分の核を奪われるってのはこういうことだ。馬鹿な悪魔め」
自分の左手に嵌ったパズルピースだったものを見せつけてくる。クソ、なんだその薄気味悪い真似は。
見下した言い方に、思わずギッと睨みつける。今はこんなことしか出来なかった。動かない身体。悔しい。恥辱に顔が歪む。まさか核のピースをひとつ奪われただけでこうなるなんで。
いや、まさか。あの核のピースから直接俺に干渉している?そんなことができるのか?たった一つのピースから?その程度のものから?
睨む顔に目を細めた男が「いい顔だな、悪くねぇ」と頬を撫でてくる。優しく優しく。小動物でも愛でるように。
思わず、ぽかんと口を開いた。
こいつは今、何をしている?
天使が悪魔に、天敵に、何をしている?
「く、狂ってる……」
その言葉に、ようやくフザけた真似をした手が止まる。
「そうだな、俺達は狂ってる」
「は……?」
「だからお前が必要なんだ。なぁ、俺達を満足させてくれよ、不死身の災厄。悪魔ってのはヒトを誑かすのが得意なんだろ?」
羽で強く囲われた後。ちゅ、と口付けられたのは一瞬で。
よくわからない言葉からのそれに理解が遅れる。
「潔世一、今からお前は俺のものだ」
瞬間、天使の背後の空が割れる。
「……あ。い、いやだ、いや、だ……ッ!」
直感。連れていかれる。行きたくない。逃げろ、逃げろ逃げろ!!体が動かない。どうして。いやだ。たすけて、誰か助けて!!
「潔! 早く逃げろ!」
「凛、止めろ」
叫ぶ千切と蜂楽に向かって手を伸ばす。ふたりは駆け寄ろうとしてくれたが、凛と呼ばれた化け物に阻まれる。
「先に戻る。適当に相手したら戻ってこい」
「クソ兄貴が……! 勝手に喰うんじゃねぇぞ!」
千切と蜂楽の声が一気に遠ざかっていく。空間が切り替わる。転移が終わったことを知る。
目の前の希望が、消えた――。
「絶望に落とすのは悪魔の専売特許だったな。どうだ?自分が味わう気分は」
どこか機嫌の良さそうな声に、潔はただ「……絶対に、殺してやる」と睨みつけることしかできなかった。
□■□
むかしむかし、天使たちは悪魔の猛攻に危機感を覚えました。
天使は元来、人を教え導くもの。神の言葉を伝えるもの。戦闘に長けたものは限られており、多勢の悪魔に対抗出来る者の負担が大きくのしかかり問題となっていました。
そこで、天使たちは神に願い出ました。
「次に生まれる天使たちには、戦闘に特化した祝福を授けてほしい」と。
その願いは叶えられ、糸師冴と糸師凛が生まれました。
この2人は戦争で猛威を振るい、冴は天界の境界を広げ、凛は多くの悪魔を破壊しました。ふたりなら、この世界から悪魔を一匹残らず駆逐できる。ふたりは並んで、『いつか冴が神に、凛が最高位の天使となって、いつまでも一緒にいよう』と約束しました。今の神は強者と戦うことに飢えているからか、決闘によって神座を明け渡すと明言していたのです。ふたりぼっちの天使は、ふたりの居場所をつくろうと頑張りました。
しかしとある日、糸師凛は訓練中に暴走し、味方の天使の核の一部を貫いてしまいました。
それは、起こるべくして起こった事件でした。それまで冴が凛の制御をしていたのに、同じタイミングで冴も破壊衝動で暴走してしまったからです。
ふたりには、神からの祝福がありました。「破壊衝動」というそれは単純ながらも強大な力で、まだ未熟な天使には到底扱いきれなかったのです。
ふたりの破壊衝動は、相手が天使か悪魔かに限らず断続的に暴走しました。
冴は「知性体の精神を破壊する」ことで破壊衝動を満たすように訓練し、表立って他の天使を壊すことはなくなりました。しかしついに制御不能になった凛は、冴によって冴の結界で編んだ屋敷――牢獄に閉じ込められました。それは冴にとっては、神に失敗作だと壊されないように弟を守るための家。しかし凛には何も無い、何も満たされない地獄のような家でした。
冴は頻繁に悪魔を攫ってきては、凛に与えました。直ぐにぐちゃぐちゃになってしまう悪魔を見下ろしながら、凛はこの部屋も、すぐに壊れる弱い悪魔も大嫌いになりました。閉じ込める兄も、少し嫌いになりました。
もっともっと、強い悪魔を壊したい。俺も戦争にいきたい。壊して壊して、俺が壊れるまで壊したい。
戦争のために造られた化け物天使は、ただただ破壊を求めたのでした。
気の遠くなる日々。ある日、ふたりに天使たちから召集がかかりました。
冴はともかく凛は、久しぶりに天使達の円卓に座ることを許されました。
「不死身の悪魔を討伐せよ」
それが、ふたりに課せられた使命でした。
昏睡している青薔薇の天使が残した言葉と映像を見て、凛は早く戦場に出たくて堪らなくなりました。
その災厄を見た兄は、天使たちに言い放ちました。
「俺達がその悪魔を殺しても褒章はいらねぇ。だが、もしそいつを生け捕りにできたら、俺達に飼わせろ」
天使たちは大騒ぎです。
「悪魔を飼うなんて!」「気が狂ってる!」「絶対に滅ぼすべきだ!」
天使たちは叫びます。
「あぁ、そうだ。俺達は狂ってる。後先考えねぇ天使たちのせいで、壊せればお前達同朋でもいいくらいには頭がおかしくなる祝福を受けているもんでな」
シンと静まり返った円卓に、冴は笑いそうになりました。何体かの天使たちには心当たりがあるのだろう、低脳が。
「『不死身の悪魔』。ちょうどいいサンドバッグになりそうだと思わないか? そうすりゃ俺達は破壊衝動を正しく悪魔に向けられて、仲間を殺すような間違いを起こさなくなる。お前たちは安心して過ごせる。皆幸せってワケだ。……許してくれるよな、神サマ?」
神は沈黙を貫いた。それでいい。拒絶さえなければ、天使たちを言いくるめられる。
天使たちは、「万が一悪魔を逃がしたら兄弟を廃棄処分とする」とし、兄弟の奇行を黙認することになった。
誰もいなくなった円卓。
冴は、じっと悪魔の映像を見続けている凛の後ろに立ちました。
「凛、その悪魔は直ぐに壊すなよ。生け捕りにするから、捕まえられるように動きをよく見ていろ」
「……うん」
「そいつが、俺達の運命を握ってる。俺達が廃棄されるか否かがそいつにかかってる」
「うん」
「……おい、本当に聞いてるか?」
嫌に素直な、幼い子どものような返事に不審に思った冴は凛の顔を覗き込みます。
凛は、長い舌を出しながら涎を垂らしていました。
「コイツ、何度も壊れて、生き返ってる」
「……そうだな」
「俺、こいつが欲しい。俺のにする。だってこいつ、死ぬまでぶっ壊しても、すぐ生き返るんだろ?」
なぁ、兄ちゃん。
凛を屋敷に閉じ込めてから、久しく呼ばれていなかった呼称。破壊衝動を持て余したストレスで冴にすら当たるようになった凛は、天使とは言い難いほど攻撃的な性格になってしまいました。祝福の負荷と閉じ込められたストレスで、精神すらも歪まされていたのです。
「こいつ、きっと俺達のために生まれてきたんだ」
俺達の欲を満たすため、ただそれだけのために。だってそうじゃなきゃおかしい。
だって、こんなに自分たちに都合のいい存在が生まれてくるなんて、それこそ奇跡じゃないか。
「……あぁ、そうだな。きっと」
天使を撃ち落とした悪魔の顔が映る。その勝利に歓喜した不敵な笑みは、あまりに艶めかしく映って――。
早く、あの顔を恥辱に歪ませたい。
兄弟は、自分たちの『奇跡』を、いつまでも眺めていたのでした。
□■□
「はーっ♡ はーっ♡ あぇ、♡ぉ゛っ、あぁ……ッ!!♡」
「……何してんだ」
「逃げようとした仕置き」
弱い悪魔共を蹴散らし終えて帰ってきたら、兄が潔に跨って犯していた。潔の甘ったるい声から、相当時間が経っていることがわかる。
早くも血管がブチ切れそうだ。こいつら愉しそうになにヤッてんだ。
ぱちゅぱちゅと仰向けで腰を打たれている潔が何度も仰け反る。何度も吐き出したのだろう、潔の腹の上は白濁が溜まっては、振動でどろどろとシーツに落ちて染みを作っている。ここまでくれば数度奥を突いてやるだけで絶頂するだけの身体に成り果ててる頃合だ。本当に、一体どれだけ抱かれ続けていたのか。
しかしそこまではまぁ、普段通りといえばその通りだった。兄は自分と違って激しくというより、長時間的確に潔の好きなところだけを突いて理性を溶かすヤり方を好んでいる。だから潔が快楽でだらしなくなっているのはいつものこと。言葉もまともに話せなくなるほど抱かれるのもいつものこと。正直兄の執着は凛よりも長く続く。ぶっ壊したら落ち着く自分とは異なる兄の性質は、未だに理解できないことが多い。
そんないつもの風景をみて、やっと違和感に気が付いた。異様なのは、潔の両脚が復活出来ず周りでピースが所在なさげにふわふわと浮いているところだった。
潔世一のピースを完璧に嵌め直すのが趣味の兄にしては珍しい。あの面倒な作業についに飽きたのだろうか。
「逃げる脚は無くてもいいだろ。なぁ?」
どこか浮かれた兄の声に、「ひッ」と悲鳴が上がった。成程、合点がいく。仕置きとはそういう意味か。
逃げた脚の修復を邪魔しているのは兄の術式だ。しばらく潔の脚は見ることは無くなるのだろう。
機嫌良さそうな兄にも納得した。どうせ潔の心を折るために悪趣味な罠でも仕掛けていて、今日その努力が報われたと見た。そういう方向には全力を尽くす兄に付き合わされる潔にも多少は同情する。兄の精神破壊は、並の知性体なら一発で壊れてしまうから。強靭な精神に感謝すべきか絶望するかは、潔次第だろう。
しかし潔もいちいち兄を悦ばせる反応をする。折れて従順になった潔にも、それを「良い子だ」と甘やかす兄に反吐が出そうだ。
ぐい、と膝までしか組み直されてない脚を掴む。こっちにも媚びてみせろよ、潔。
「1回、脚治せよ」
「あ?」
「り、凛……!」
「脚、折りてぇ。もう要らねぇんだろ? なら最後は俺が、修復できなくなるくらいまでぶっ壊してやる」
ヒュ、と潔の喉が鳴った。あぁイイな。その音たまんねぇ。俺も興奮してきた。
「やだ、やだやだやだ!やめろ、やめて、怖い、助けて……冴、お願いこのままにして、脚なくて良い、なくていいから……お願い……!」
錯乱する潔が必死に兄に縋る。そんな懇願で聞き入れられた試しはないだろうに、学習しねぇな。
しかし今日は随分弱気のようだ。最近どこか諦めたように反応がなくなったのがつまらなかったのだが、今日は今日で喋る割に噛み付いてこないのがまたつまらない。
余程、酷く兄に叩きのめされたのだと察する。完全に、精神が折られている。哀れなもんだ。
「今脚折ったら、本当にぶっ壊れちまいそうだな」
「それも見てぇな、ヤるか」
ぬぽ、と兄が反り勃ったままのものを抜く。肉欲より破壊衝動が勝ってるなんてどうかしてんな。
「え、ぁ? うそ、嘘だよな……?冴、まだ一緒がいい、一緒がいいから……。凛? 凛もシたいならシていい、から……」
無様に媚びる姿。他のやつなら即座に顔面を潰してやるのに、どうしてこいつがやると悪い気がしないのだろう。珍しい、そしてヘタクソな懇願はつまらないが悪くない。
泣き腫らした顔。強い眼光のないぐちゃぐちゃの顔も、それはそれでそそるもので。でもなぁ。
やっぱ、思い切りぶっ壊してぇなぁ。
「何言ってんだ。お前に決定権なんかねぇんだよ、潔」
真っ青になる潔とは対照的に、兄は至極愉しそうに周囲のパズルピースを手に取って、潔の脚に近づける
ぱちり。一発で綺麗にはまる。
それは流れるように正確に、あるべきところに嵌められる。兄は決して間違わない。
「……い、やだ、いやだいやだぁ……!もうやめて、許して、……もうころして、ころ、せよぉ……!」
「お前が死にたいと喚いても、再構築をやめても、必ず俺が直す。死ぬくらいで逃げられると思うなっつったろ。お前のパズルなんざ、ガキのお遊びだ」
兄によってまたひとつ。ピースが嵌められていく。
「お前が何度でも生き返れるようにうまく壊してやる。壊れたお前を正しく直してやる。それができるのは俺だけだ。なぁそうだろ? 潔世一」
潔が自分の頭を掴んで全てを拒否するようにかぶりを振る。「嘘だ」と泣く。信じたくないと全てを拒絶するように。
潔が再構成するためのパズルは、潔にしか理解できないはずだった。そして自己の再構築は上手く壊れなければ起こりえない。引き裂かれた布のように壊れれば再生はまず不可能になる。だから潔は瞬時にパズルのピースのように自己を上手く破壊して再構築をはかる。多大なリスクを最小限に抑えながら、潔は自壊と再生を繰り返していた。その正確さこそ神の如き御業。だからこそ青薔薇の天使は、潔世一を「イカれている」と評したのだ。
なのに、兄はまるで慣れ親しんだ児戯のように潔のパズルを組み立てていく。
それは正確に無慈悲に。死を願う悪魔を優しく抱きしめながら蘇らせる。慈愛がこもったかのような声は呪いのように、嵌められたピースに染み込んでいく。
「思い知れ。この世で最もお前を理解しているのは、この俺だ」
兄の顔は、嘲笑も侮蔑もない。しかし視えすぎる眼を持った潔には、きっと平静とした瞳の奥のものが視えてしまうだろう。
腹の底から燃え上がる欲に、執着に、エゴに。再構築された身体ピースが呼応する。服従しろ、とその眼に命じられている。いやだ、いやだと目が訴えている。
拒絶の言葉を叫ぼうとした口が、はくりと空気を吐くだけで終わる。乾いた喉に張り付いた言葉を、何度も吐き出すように紡ぐ。
「俺は、俺だけのものだ。誰かのものなんかじゃない」
あぁ、それでも強制的に蘇らされる身体は潔の意志とは関係なく生を望むのだろう。
それは、知性体の本能。生きたいと願う願望。
あぁ、それを希望ごとぶち壊すのが、俺達の最も純粋な欲望エゴなのだ。
「……凛、りん、たすけ、て。りん……」
「……、潔……?」
名前を呼ばれてハッとする。その目は兄ではなく、糸師凛だけを映していた。
「ころ、して。おれを、こわして」
「お前に壊して欲しい」と、その目が訴えている。
糸師冴の創る地獄から救ってくれるのは、凛しかいない。
兄の玩具になるのを拒絶して、凛に縋る。兄の美しい破壊より、修復に時間のかかる醜い破壊を選んだのだ。
潔世一が、俺を求めている。
ぞく、と腹の底から湧き上がる歓喜に打ち震えた。なんだこれ。なんだ?
抵抗する潔を捩じ伏せるときくらい興奮する。生意気に噛み付く潔をぶっ壊すときみたいに気持ちいい。一気に頭が沸騰する。ぼた、と鼻からあたたかいものが落ちた気がした。関係ない、どうでもいい。
あぁ、潔、潔。潔、潔、潔!!
潔は今、兄ではなく俺を求めているのだ!!
兄のような、再生を前提とした美しい破壊ではなく。
俺の不死をも穿つ、永遠の死を魅せる醜い破壊を。
不死身を超える、絶対的な破壊を、潔世一は求めている。
嬉しかった。手を伸ばす。欲しいなら与えてやる。俺の欲を求める悪魔に、望み通り、醜い破壊を。
だが、興奮した頭の片隅の自分が問う。
潔が、それを望む理由はなんだ?
一瞬だけ輝いた光が、消える。それから一気にこの世の憎悪を映したようなどす黒い感覚が支配する。
伸ばされた潔の手を、渾身の力で弾き飛ばした。
歪んだピースが弾け飛ぶ。潔の左手が肘まで砕け散る。痛みに顔を歪ませる。叫び声が聞こえる。
知るか、ふざけやがって、ふざけやがって!
潔世一、お前は俺達から逃れるために、俺を使おうとしたな?
「甘えるな、潔。言ったろ。お前は俺のためだけに、死ぬまで殺される義務がある」
「ぐ、……くそ、凛……ッ!」
「簡単に死ねると思うな。俺が満足するまで何度でも蘇れ。そうしたら――」
顔を掴んで、貪るように口付けた。
口中舐め回して、喉奥に舌を突っ込んで溺れる様を愉しんで。
赤い血が混じった糸を引いた舌のまま、教え込むように言葉を紡ぐ。
「いつか俺が最期にぶっ壊れるときに、お前も一緒にぶっ壊してやる」
俺がどうなろうと、連れてってやるよ。潔世一。
「……狂ってる……お前、お前ら……どっちも狂ってる」
自壊が始まりだした潔に吐き捨てる。
「お前に言われたかねぇよ」
「今更だな」
兄もため息をつく。本当に、今更だ。何十年ぶち壊してやっても、こいつにはそれが理解できていなかったのか。
おめでたい頭だ、本当に。
「……、…………してやる」
微かな声。聞こえねぇよ。
耳を近づけた瞬間、突然の激痛に勢いよく顔を上げた。
瞬時に押さえた耳から手を離すと、大量の血。こいつ、耳に思い切り噛みつきやがった!?
「……はは、は、ざまぁみろ! 死ね、死ねよもうお前ら。ふたりとも羽もいで、死にたくなるまで壊してやる!! ︎︎ああああ!!! ︎︎さいあく、最悪だ。殺す、お前らなんか死ねばいい、死ね、欠陥品の天使共!!!!」
なりふり構わない、自分の憎悪だけを吐き出す稚拙な言葉。明確な殺意を宿した眼光がこちらを射抜く。
あぁ、流石4枚羽の天使をも蹴落とした悪魔。今にも心臓を潰されそうな殺意の重圧。最高、さいこう。たまらねぇ。背中の棘がじくじく疼く。この潔をぶち壊してぇ。殺意で気がおかしくなった潔とヤるのが最高に気持ちいいんだ。
あぁくそ、ちんこ痛ぇ。どっちが先だ?どっちからヤる?どっちでもいい。久々に生意気な口を聞いた潔世一をぶっ壊せればなんだって。ねじ伏せられればなんだって。
なぁ、兄ちゃんも同じだろ?
「……悪くねぇな。俺達を殺せるように頑張れよ、潔世一。それまで俺達に殺されてくれるなよ?」
同じ楽しみを孕む兄に、嬉しくなった。
とりあえず、その身体に誰が格上か教え込むために、ごぽりと兄の精液を吐き出す穴に手を伸ばした。
□■□
「おぐっ!?♡ぐ、っぉ゛えっ、ごぼ、ォごッ……!」
「そんなに喉が気持ちいいか?変態」
睨む余裕もない潔は、テーブルに行儀悪く座る俺の股座に顔を突っ込んで喉奥まで怒張を受け入れている。
さっき凛に破壊された左手も満足に直せず、右手だけで支えながら喉の苦しさから逃れようとしている。
そんな潔の頭を優しく撫でる。丸っこい頭は撫で心地がいい。双葉のような髪の毛が指に絡んでくるのが気に入ってるし、ツノも何かと掴みやすくて便利だ。
髪の柔らかさを堪能しながら、ぐぐ、と頭を股に押し込んだ。
ごぶ、と汚い水音と溢れ出る白濁。何回出したっけなぁとぼんやりした頭が過去を思い描いて、やめた。こいつの胃が白濁で満たされるくらいには吐き出した筈だ。破壊衝動を性欲に変えれば際限がない。完全には満たされないが、別の部分が満たされるのでこれはこれで気持ちいい。そう教えてくれたのは、飲みきれない白濁を口の端から溢れさせている愛しい悪魔だ。ていうか飲みきれてねぇのかよ。しっかり腹に入れろ。喉をゴンと突く。汚ぇ声が、耳に心地良い。
「はぁ、はぁ、!いさぎ、潔……ッ!」
膝から下が再生出来ないまま、興奮して血走った目をした弟に腰を掴まれてがむしゃらに揺さぶられている。脚で支えられなくて苦しそうだ。
あ、なんかこれ、見たことあるな。あぁあれだ。人間が作ったオナホってやつ。あれに似てる。全く人間というのは快楽のためなら時に悪魔のような発明をするよな。穴さえあればいいみたいな構造に引いた思い出。誰に弁明する訳でもないが、天使は基本的に人間観察が主な仕事なので、刺激的なものは天使の中で密かに話題になる。だから知っているだけだ。清らかな天使なんていねぇよ。多分絶滅した。
ぷらぷらと揺れる脚がペチペチと弟の太腿に当たっている音がする。背のちいせぇ奴抱くとこんなになるんだな。新たな知識だ。背が小さいというか脚が短いというか。完全な身体の潔世一をとことんしゃぶる方が良いと思っていたし、欠損した身体なんて興味無いと思っていたが、なかなかどうして。結局、潔世一ならなんでもよくなっちまったんだなと更に新たな自覚を持ってしまう。
弟の突き上げとタイミングが合うと、これ以上呑めるのかってくらいちんこの先が潔の喉奥にハマッて気持ちいい。ちんこを噛みちぎると喚いていた姿は見る影もなく、ただ自分と弟の欲の捌け口になるだけ。
悔しいだろうな、そうだろうとも。
だが、それはこちらも同じなんだよ。
なぁ。知ってるか、潔世一。
なんでわざわざ俺達が、破壊衝動を性欲で満たすなんて遠回りをしているのか。
お前が完全に壊れて再起不能になったら、他の悪魔を適当に捕まえて壊す日々に戻ったっていいのに。
そうならないように気を付けながら、最後のラインを超えないようにお前を生かし続けている理由がなんなのか。
知らないだろうな。知るわけないだろうな。
知ったら、ショックと絶望で今度こそ精神ごとぶっ壊れるかもな。
その手間を割く程度には、俺は潔世一を愛している。
誰よりも潔世一を理解し、本人以外で生き返すことのできる者が自分だけであれと願うくらいには。勿論、凛も同じだ。でなければ、とっくに潔はガラクタに成り果てているだろう。
いつか、この思いを伝えてもいいだろうか。駄目だろうな。
きっとその瞬間、俺は堕天使に成り下がるのだろう。今は悪魔の浄化をしていると理由付けて、破壊衝動を発散するための道具だと言い訳して、悪魔を愛した自分をなんとか誤魔化している。
だから駄目だ。この想いは、いつか自分達が壊れるまで核の中にしまいこむしかない。
「……、潔、もっとだ、こっちこい……!」
「う゛あっ!?」
唯一残った右腕を後ろにいる弟に引かれて、口から俺の熱を離して反り返った潔と目が合う。
白濁塗れの顔が汚ぇ。でも可愛いな。顎をすくって口付ける。不味いキス。最悪だ。でも止められない。
なんで、と言いたげな顔に誤魔化すように乳首をつねってやる。「ん゛っ!?♡」と驚いたように喘ぐ姿に満足する。あぁ、かわいいな、かわいい。頭がバカになる。今だけはぶっ壊すより可愛がりたい欲が勝つ。
知ってるか、潔世一。こんなこと、本来闘う為だけに生まれてきた俺達にはありえない事なんだよ。
壊す以上に優先することなんて、あってはいけないのに。
「お゛っぐぅ……!♡ あぐっ……ぅうッ……!!♡」
「くそ、出る…………ッ!」
「ん゛~~~~ッ!!!」
弟の吐き出したもので腹がパンパンになった潔がぼたぼたと泣く。涙を指で拭ってやる。驚いたような顔が、やっぱり可愛い。あぁ、どうしてかな。どうしてこんなに愛しいんだろう。
なぁ、潔世一。俺達は、生まれた場所を間違えたと思ったんだ。
天使じゃなくて悪魔として生まれたら、この破壊衝動も価値あるものだったはずなのに。自分勝手に生きて、自分達の為だけに生きて、誰にも縛られず兄弟で生きていられたら。いっそ堕天したら、こんな悩みはなくなるんじゃないかって。
でもそんなものは幻想でしかない。堕天したとて悪魔からは遠巻きにされ、堕天使相手だって危害を加えれば許されないだろう。自分達は生きていく場所がない。最初から、居場所なんてないのだ。
だからこそ、弟と約束した。ふたりで神に、最上位の6枚羽の天使になるんだと。誰にも邪魔されない、俺達の居場所を自分達で作ろうと、そう決めた。
でも、お前を見つけて。お前を捕らえて。俺達はやっと自分達の存在価値を見い出せた。
天使として、歪に生きてきた。天使として間違って生まれてきたと思ってきた。
だが、お前という悪魔がいる。俺達にしか壊せない悪魔がいる。
誰にも止められなかった悪魔を殺し続けることで、やっと俺達は天使として生きていられる。
「ごほっ、うぇぇ、く、るし……。くそ、くそ! 地獄に堕ちろ、ヘンタイ共……ッ!」
あぁ、バカだな。潔世一。
俺達を救ってくれる、神よりも愛しい俺達だけの悪魔。
「カス悪魔が、堕とすならさっさと堕とせ」
愛しさで口付けたそれは、噛まれた痛みと血の不味さで彩られた。