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翌日の昼過ぎ、雲が薄く広がる空の下で、
志摩重蔵と矢代洸一の二人は県警の監視センターを訪れていた。
昨日、空振りに終わったあの件
──山中の廃神社周辺に設置された監視カメラ映像の確認。
今回は事前に時間を合わせておいたことで、
担当の監視官と会うことができた。
その男は、年の頃で言えば三十代後半。
質素なグレーのシャツに、ネイビーのカーディガンを羽織った
どこか控えめな印象の人物だった。
眼鏡はかけておらず、髪型もごく一般的。
まるでどこにでもいそうな、静かな事務職の男という感じだった。
「すみません、昨日は席を外しておりまして
……急にお越しいただいたのに、対応できず申し訳ありませんでした」
彼──**榊原 正利(さかきばら まさとし)**は、
やや気弱そうな口調で頭を下げる。
「いやいや、こっちがアポなしで押しかけたのが悪いんだ。
気にせんでくれ」と志摩が応じると、
「まあ、俺としては肩透かし食らったような気分でしたけどね。
昨日、あの映像、期待してたんすよ」と矢代が軽口を叩いた。
「はは……。そう言っていただけるのはありがたいですが、
僕の方も昨日は運が悪くて……」
取るに足らないようなやり取りが数分続く。
季節や天気、ここの職場の空調の話、
誰が見ても無駄にしか思えない会話。
しかし、警察の現場ではこうした“間合い”の取り方が意外に重要だった。
相手の温度感を探り、
状況を読みながら本題へと踏み込んでいく。
そして、ふと志摩が声のトーンを下げて言った。
「それで、榊原さん。例の件、あの映像──見せてもらえますか?」
その瞬間、矢代が前のめりになって榊原に詰め寄るように続けた。
「そうそう、それですよ! あのカメラ、廃神社の近くに設置されたやつ。
例の通報の後、映像に不審な影が映ったとかって
……その辺、詳しく教えてもらえません?」
「矢代、少し落ち着け」志摩が低く、しかし制するように言った。
「榊原さん、昨日は色々あったと思う。
申し訳ないが、可能な範囲で構わない、詳しく教えてもらえると助かる」
志摩の言葉に、榊原は静かに頷いた。
「はい。では、そちらの端末で……」
彼がログインを済ませ、監視記録を呼び出す。
映し出されたのは、件の山奥の廃神社の前を
斜め上から映した、粗めのモノクロ映像だった。
定点で録画された映像は、ノイズのような雨粒が
画面に走っており、解像度もそこまで高くはない。
「ここです……この、2時23分。動体検知に反応がありました」
榊原が映像のタイムラインを操作すると、
画面の端に何かが“ぬるり”と現れた。
まるで影のように、しかし間違いなく“人のような”形。
「……一時停止」
志摩が静かに命じる。
榊原の指が止まり、画面が凍りついた。
矢代が眉をひそめる。
「なんだこりゃ……人、ですよね? でも顔が……映ってない」
志摩はしばらく画面を凝視していたが、
やがて口を開いた。
「明度とノイズ、調整できるか?」
「はい。少々お待ちください」
榊原がソフトウェアの調整機能を使い、
映像のコントラストを強め対象の拡大処理を施す。
画面に映った“それ”は、まるで現実の物とは思えない、
異様な存在感を放っていた。
黒く、布のようなものを纏い、顔が闇に溶けている。
「……あれ……?」と、矢代が呟いた。
「これ、噂に上がってるワンピース……じゃない?!」
志摩が目を細めた。
「じゃあ、お前の目にはどう映ってる?」
「……着物……かな?
間違いなく、普通の服には見えませんよ。
裾のあたり、広がり方が……」
志摩も再び画面を睨みつけた。
たしかに、袖の形状や裾の広がりには洋服とは
異なるものを感じさせる。
動いていないはずなのに、画面からひやりとした風が
吹き抜けるような錯覚に襲われた。
「でも……こんな場所に?」榊原がぽつりと呟いた。
「あんな山奥の、しかも朽ちた廃神社に
……わざわざ着物を着て現れる理由って
あるんでしょうか……?」
映像の解析はそこまでしか進まなかった。
異様な影が現れ、消えるまで数十秒。
声も、足音も、何一つ記録には残っていなかった。
映像を見終えた志摩と矢代は、榊原に丁重に礼を言い
センターを後にした。
帰りの車の中。
志摩がハンドルを握りながらふと思い出したように口を開く。
「さっきの……洸一、お前、本当に着物に見えたのか?」
「うーん、確信はないですけど……
あの裾の感じとか……布の揺れ方が和服っぽいような……」
志摩は唸るように低く呟いた。
「着物……廃神社……」
言葉が車内に沈む。
しばしの沈黙のあと、志摩が言葉を続けた。
「……もし、あれが本当に廃神社だったとしたら、
“丑の刻参り”の類かもしれんな」
「呪い……ってことですか?」矢代が口を挟む。
「あるいは……あの神社に昔いた巫女の幽霊とか?」
「巫女ねぇ……。
あんな真っ黒な着物みたいなのを着てる巫女がいるか?」
「いないと思いますけど……
でも、幽霊なら、服くらい自由なんじゃないですか?」
どこか冗談のようでいて、冗談には聞こえないやりとり。
志摩は息をついて言った。
「このままじゃ埒があかん。
ただ疑問点を話し合ってるだけじゃ何も進まん。
……洸一。明日、あの廃神社について徹底的に調べるぞ」
「了解です」
二人を乗せた車は、
ゆっくりと夕暮れに向かう街を走っていった。
沈黙の中、ただ車のエンジン音だけが
現実を繋ぎ止めていた。
(→ 後編へ続く)
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