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既に満身創痍。それでも歩みを止めることはない。
止まった瞬間に殺されると本能が理解している。
肩に刺さった闇の槍を肉と骨ごとへし折るような勢いで掴み、軋む痛みを無視して一気に引き抜く。
骨の欠片が筋肉の中をこすりながら動く不快な感覚が走る。
そのまま槍を投げ捨てる代わりに、引き抜いた反動ごと前方へ身を投げ出すように地面に転がり込んだ。
乾いた土と血に濡れた泥が私の頬と首筋を冷たく叩く。
砕けた骨や折れた牙を靴底で蹴り飛ばしながら転がり終えると同時に足裏で大地を強く叩きつける。
沈み込んだ地面がぐっと踏み返してきて、その反動を全部、前への推進力に変えて踏み切った。
風が背中を押し上げる。
防具に纏わせた風が私の輪郭をなぞるように流れ、空気そのものが、私という形の鞘に収まっているかのように密着する。
余計な抵抗をすべて削ぎ落とされ呪術師までの距離が一息で縮まる。
髑髏の冠を被った呪術師が、こちらに気付いて振り向く。
骸骨じみた顔に浮かんだ驚愕が固まるより早く、私はすでに剣を振り下ろしていた。
呪術師の頭蓋ごと縦に斬り割る手応えが両腕にのしかかる。
刃が頭蓋を割り、その下に隠れていた粘つく何かを砕きながら滑り落ちていく。
乾いた骨の抵抗と、柔らかな脳の感触が混ざり合った鈍い衝撃が、肘の内側までびりっと響いた。
声を上げる暇も与えられず、呪術師は糸の切れた操り人形のように、がくりと膝から崩れ落ちる。
割れた頭蓋の隙間から吹き出した闇の魔力が、黒い霧となって一帯に溢れかえろうとした瞬間、防具に纏った風がそれを叩き潰すようにぶつかり、霧を細かく裂いて空へと攫っていった。
その背後から、刺すような殺気が伸びてきた。
振り返る前から分かる。
ごり、と軋む槍の音と地面を削り砕く重い足音。先ほど胸を砕かれたはずの槍使いが、まだ立っていた。
肋骨のきしみなど歯牙にも掛けないと言わんばかりに口の端から血を垂らしながら目だけぎらぎらと光らせて突撃してくる。
振り返る動きと同時に黒鉄色の槍の穂先が視界に飛び込んでくる。
狙いは真っ直ぐ私の胸骨の中心。体を捻れば外せる軌道だが、そうしようとした瞬間――弓兵からの殺意の線が私の背中を叩いた。
両方を躱すのは……無理だ。ならば、貰うならまだマシな場所を自分で選ぶしかない。
槍の軌道に、剣の側面を滑り込ませる。
穂先をわずかに外側に逸らし、そのまま先ほどまで闇の槍が刺さっていた自分の左肩へ誘導する。
次の瞬間、皮膚を裂いて筋肉を押し分けた鉄が骨にぶつかり、ひどい軋みが肩の奥で鳴った。
視界に瞬間的に火花が散り、喉の奥まで酸っぱいものがせり上がる。
それでも、貫かれかけた槍を両手で掴み、指の骨が悲鳴を上げても離さない。
腕に力を込め、槍を全力で押す後に全ての力を抜いた。
拮抗していた力が急に無くなったことで体勢を崩された槍使いの上体が前のめりに倒れ込んでくる。
開いた喉元に合わせるように膝を跳ね上げた。
膝頭に固いものが潰れる生々しい感触が乗る。
喉骨が砕けて空気の通り道が押し潰される音が、耳ではなく骨を通じて伝わってくる。
そのまま槍の柄を大きく回して逆回転の勢いを乗せて突き返すと穂先は今度は逆流するように悪魔自身の胸板を内側から貫いていた。
胸骨を割り、心臓を杭打ちするように突き抜ける。
槍使いの身体はびくびくと数度痙攣し、その後は糸が切れたように脱力して、ぐしゃりと血の水たまりへ沈んでいった。
その瞬間、ぬるりとした気配が周囲に広がった。
短剣使いだ。視界の端で地面に落ちたはずの影が、黒い舌のように揺らめいている。
そこから伸びる漆黒の鎖が、蛇のように低く蠢きながら、こちらの死角を狙って迫ってきていた。
今度は、先に動く。
肩に突き刺さった槍を引き抜いて防具に流す魔力を一段強める。
足先に魔力を集中させて地面を抉るようにして蹴ると、靴底と土の間の摩擦がさらに薄くなり、滑るようにして横へと飛ぶ。
残像だけをその場に置き去りにして、影の真正面へと回り込んだ。
影が驚いたように、一瞬だけ揺らぐ。
鎖が伸びてくるより早く、その影の本体――地面にべったりと張り付いていた黒い塊――を、足裏で強く踏み抜いた。
柔らかいはずの影から、不釣り合いな、骨ごと砕けるような鈍い感触が返ってくる。
踏み込んだ脚の骨にまで震動が伝わり、靴の中で指先がじんと痺れた。
地面に押し付けられていた影の輪郭が大きく歪み、真っ黒な液体のようにじわりと広がっていく。
その体勢のまま、上半身をひねる。
踏み込んだ脚を軸にして腰を回し、剣を握った腕が慣性に乗って滑らかに振り抜かれていく。
影がかろうじて刃を受け止めようと細い腕を上げたが、その華奢な腕ごと首を斬り飛ばした。
黒い血を撒き散らしながら、影の首が宙を舞う。
輪郭の曖昧だった身体が、ガラスが砕けるように細かな欠片に分かれて、霧散するように崩れ落ちた。
最後に残ったのは、空に浮かぶ黒翼の弓兵だけだった。
黒曜石のような輝きを持つ翼を大きく広げ、上空を円を描くように旋回しながら矢を番えている。
さきほどまでの戦闘のサポートをする射撃とは違う、静かな殺意だけを纏った気配が空気を刺していた。
空の高みに張り付いた黒い影が、私を中心にゆっくりと輪を描いている。
矢じりに絡みつく闇の魔力が、ひときわ濃い。
刃の形がはっきりと分かるほど凝縮された闇は、見るだけで皮膚の上を冷たい汗が流れるような嫌な重さを持っていた。
肺の奥の空気までもが重くなったような錯覚を覚える。
あれを真正面から受ければ、いかに風の加護があっても弾き切れないかもしれない。
――ならば、まともに撃たせなければいい。
地面を蹴る。
足首から太腿、腰、背中へと力の連鎖を一気に繋げていく。
筋肉が悲鳴を上げるのを無視して、足先にまで魔力を叩き込み、風を足場にするように空へ飛び上がる。
骨の軋みと、開いた傷口の焼ける痛みが全身を貫くが、極度の集中が途中でそれを削り取って感覚だけを研ぎ澄ませてくれた。
全身の筋肉と魔力を一瞬だけ総動員した跳躍で黒翼の悪魔の高度に肉薄する。
弓兵もそれを視認していた。焦りを押し殺した動きでわずかに軌道を外し、空中で矢を放つ。
張り詰めた弦が鳴る高い音が、遅れて耳に届く。
矢が一本、一直線にこちらへ突き進んでくるのが見えた。闇の尾を曳きながら、空そのものに黒い傷を刻むような軌跡を描いている。
避けるのは、おそらく間に合う。
だが、避けた先でまた新しい矢が番えられるだけだ。撃たせ続ける限り、どこかで必ず貰うだろう――ならば、ここで折る。
矢の軌道に、あえて剣を差し出す。
風竜の素材で鍛えられた刃と、闇を凝縮した矢じりがぶつかり合い、甲高い金属音が空に散った。
衝撃が腕から肩へ、背骨へと抜けていく。掴んだ柄が一瞬だけ震え、手のひらの皮が内側から裂けるような痛みが走った。
矢の中身に詰め込まれていた闇が弾け飛び、黒い飛沫となって四方へ散る。
剥がれた魔力を風が絡め取って引き裂き、そのまま空の彼方へと薄めていった。肌を撫でていた重苦しい圧が一拍だけ軽くなる。
痺れた腕に力を込め直し、風を操ってそのまま距離を詰める。
弓を持つ黒翼の悪魔の双眸が初めて大きく見開かれ、そこに遅れて恐怖の色が差した。
翼の付け根を狙って、横薙ぎに大きく振る。
風の補助を受けた斬撃は刃の長さを越えて広がり、黒い羽根ごと肩を深々と切り裂いた。
骨を断つ鈍い手応えと、筋肉を引き裂くぬるりとした感触が、腕の内側をざわつかせる。
肉と骨が裂ける音と同時に、耳を裂くような悲鳴が空へと突き抜ける。
支えを失った翼が変な角度に折れ曲がり、悪魔の身体は高度を維持できずにぐらりと傾き、落ち始めた。
重力が一気に掴みかかってくる。
落ちていく悪魔を追うように、自分の身体もそのまま落下に身を任せる。風圧が顔を叩き、開いた傷口にまで空気が入り込んで焼けるような痛みを増幅させたが、その痛みは生きている証拠としてただ通り過ぎていく。
地面が近づく。
最後の一瞬だけ、空気を一歩だけ踏みつける。風の力を足場に変えて軌道を微かに修正して落ちていく悪魔の胸元――心臓の位置へと刃先を一直線に向ける。
次の瞬間、地面に叩きつけられた衝撃と、胸骨を貫いて内側の臓器を潰す手応えが同時にやってきた。
土と砂と血が混ざったものが周囲に爆ぜるように舞い上がり、視界が一瞬、白と赤で塗りつぶされる。
耳鳴りだけが残る、数秒間の静寂。
やがて、足元で黒翼の悪魔がぴくりとも動かなくなった。折れた翼がだらりと地面に広がり、矢筒から転がり落ちた矢が一本、乾いた音を立てて止まる。
肩で荒く息をする。
肺に空気を押し込むたびに、貫かれた箇所が奥から疼き、胸の内側で何かが擦れる感覚がした。
骨も数本は確実に折れている。それでも無理やり動くように体を繕っているせいか、まだ動くことはできる。
今はそれで十分だ。
視界の端に、また赤いウィンドウが浮かんだ。
『プレイヤー陣営:一人。モンスター陣営:一体』
「……あと一体」
自分でも驚くほど掠れた声が口から漏れる。
喉の奥が焼け付いたみたいにひりつき、飲み込んだ血の鉄臭さが胃の底に重く沈んだ。
剣を杖代わりにして体を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。
――その瞬間、空気が変わった。
それまで戦場に満ちていた、数えきれない魔力のざわめきが、嘘のようにぴたりと止む。
腐臭も血の匂いも、風に攫われて一歩ずつ遠ざかっていく。代わりに、肌の表面に冷たい圧だけがじわじわと押し寄せてきた。
地面のあちこちに転がっている死体の山が、ざわりと震える。
地に溜まっていた影が一斉に伸び、見えない糸で引かれるように、ある一点へと収束していった。
荒野の中央。
さっきまで何もなかったはずの場所に黒い亀裂が空間ごと刻まれていく。
裂け目の向こう側から底の見えない深淵がこちらを覗いた。
闇の中から、一歩。
人型をした何かが、ゆっくりと足を踏み出す。
額から伸びた二本の角。背中に生えた二対の翼。
身にまとう魔力の密度は、先ほどまで相手にしていた悪魔族とは比べものにならない。闇の魔力だけではなく、何か別種の、異様な力が混ざり合って渦を巻いている。
視線がぶつかる。
相手はゆっくりと口角を持ち上げた。ここまでの戦いを最初からすべて眺めていたと言われても納得してしまうような、底の見えない笑みだった。