言うまでもなく、奏にとって絵名は大切な仲間である。
絵名は『25時、ナイトコードで。』として音楽を作るのに欠かせない人材だし、そうでなくとも奏は絵名のことを友人だと思っている。
例え絵名がもう2度と絵を描けなかったとしても、その程度のことで奏は絵名から離れるつもりはない。自暴自棄になっている絵名を一生支える覚悟だ。
そして何よりも、奏は『25時、ナイトコードで。』のイメージイラストを絵名以外の誰かに描かせるつもりはない。
それくらい、奏は絵名のことを『唯一』だと思っている。
「…………曲、聞いてくれたかな…………」
右ポケットに入れた音楽プレーヤーの存在を重く感じながら、冷たい足取りで奏は病院の廊下を進む。
何の因果か、絵名が入院している病院は奏の父が入院している病院と同じだった。
だから、この病院には2人、奏の大切な人が眠っている。1人は奏が傷つけて、殺してしまった。だけど、もう1人はまだ間に合うはずなのだ。まだ、取り戻せるはずなのだ。
例え絶望していても、
例え切望していても、
例え渇望していても、
湖面に映る偽物の月を掬うことができずとも、空に浮かぶ本物の月に辿り着くことはできるのだ。
だから、例え右腕利き手を喪ったとしても、まだそこで終わりではなく、
だから、例えもう2度とかつてと同じように絵を描けなかったとしても、まだそこで終わりではなく、
右手の代わりに左手で、左手が気に入らなければ義手を使って、義手で上手く描けないのならば口に筆を加えて、それすらも気に入らないというのならば全身を使ってでも、
諦めてほしくない。
諦めさせない。
殺した喪ったあの時とは違う。
気づけなかった失ったあの時とは違う。
独りよがりの偽善でも、
自分本位の独善でも、
それでも全然構わない。
だから、昨日の今日でも奏は再び絵名の病室に向かっていた。今度は1人で。
本当はまふゆと瑞希も伴いたかったのだが、なぜかまふゆは絵名に会いたがらなかった。
曰く、『羨ましいから』、だそうだ。
その言葉の真意は、まふゆすらも分からないようだったが、ともかくまふゆは絵名に会いたがらなかった。そして、いつも通りの無表情でそんな『感情』を出力したまふゆのことを心配して瑞希もまた奏と共に病院に行くことを選択しなかった。
それほどまでに、まふゆの状態は不安定に見えたのだ。
ともすれば、右腕利き手を喪った絵名よりも遥かに。
「――――――絵名、起きてる?」
父親のいる病室を通り過ぎ、辿り着いたのは絵名がいる病室の前だ。
軽くノックして、扉の向こう側にいる絵名に声をかける。
声を、かけた。
「絵名?」
返答は、なかった。
おかしい、もう起きているはずの時間で、そのはずなのに、耳を澄ませても物音1つ聞こえないのは、
どう、して?
「……絵名?」
たった1枚の扉が世界を2つ分けていた。
もし、こちら側が『せいじゃ』のみが存在することを許された世界ならば、
きっと、扉の向こう側は――――――、
「――――――入るよ、絵名……?」
そして、
そして、
そして、
奏は、扉を開いた。
開いてしまった。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
そして、奏の目の前に地獄が顕現した。
「ぇ」
引き裂かれた布団。
散乱する長い髪の毛。
摘出された眼球。
削れた皮膚片。
噛み千切られた小指。
脱ぎ捨てられた衣服。
ズタズタにされた枕。
剥ぎ取られた爪。
啄まれた腹。
狂わされた精神。
喪った右腕。
耐えられなかった絶望。
赤く染まったベッド。
「絵名!!!???」
病室に踏み込む。
1歩踏み込んで、遅れて、どうしようもない『臭い』を感じた。
あの時と同じ、
あの時とも同じ、
終わりの臭い。
死臭。
「ぁ」
だから気づく。
気づいてしまう。
遅かった。手遅れだった。間に合わなかった。
その事実。現実。真実。
紅に染まったベッドの上に、動かない人形死体が1つ。
それが誰かなんて、語るまでもなく分かりきっている。
「ぁ、ぁぁ」
ベッドの接する壁には、血で12の文字が書かれていた。
否、描かれていたと言いなおすべきか。
いっそのこと空想的なまでに非現実的な、
むしろ戯画的なまでに妄想的な、
だからこそ嘘偽りなく虚構染みた、
世界で1番、
下らない当たり前の、
12文字。
『こんな人生は無意味だった』。
「あぁぁあっぁぁあぁああぁぁぁあああぁああああぁあぁあぁぁああぁあぁあぁあぁあぁあ」
失敗した間に合わなかった届かなかった救えなかった喪った死んでしまった助けられなかった希望を見せてあげられなかった手を取れなかった神様になれなかった認めてあげられなかった終わってしまった始めさせることさえもできなかった続けさせてあげられなかった慰めきれなかった肯定してあげられなかったできなかった聴かせるべきじゃなかった塵だった馬鹿だったあげられなかった失った殺したまた殺したまたまた殺して殺して喪った奏が殺した痛い遺体傷い死にたい死にたい死んでしまった間に合わなかった今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそできたはずなのに何も変わってない救えた気になっていただけ独りよがり偽善者屑塵自己中心的思いやりの欠片もない思いやれない助けられない血に染まって今度こそ今度こそ今度こそどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてできたはずなのに造れたはずなのに創れたはずなのに作れたはずなのに完璧だったはずなのに救えたはずなのに救済を救世を救国をできたはずなのに今まで1番頑張ったのに寝る間も惜しんで頑張ったのに気が狂うほどに救いたく助けたくて死なせたくなくて頑張ったのに全部無駄になった終わった死んで無くなって壊れて失って削って亡くしてなのになのになのに増えていくのは後悔だけ減っていくのは寿命だけ現状はいつかと変わらず代わりがいないモノだけを喪っていく1つ1つ順番に大切な人が大切だった人になって大切にしたい人は大切にしたかった人になって湖面に映る月を掬うが如き無駄無茶無謀無意味無価値夢幻に挑んで破れて敗れて被れて超えることもできず越えることもできずただ純粋な死に向かう誰かを止めることもできず追い縋っても届かずに無意識な後押しで背中を押して崖から突き落としていなくなったのを確認してから明日頑張ろうだなんて戯言をほざいて全てを過去にして勝手に呪いだなんて謀って嗤いながら哭いて死にながらに生きていくのだとしたら一切の欺瞞も偽装も義侠もないその姿だけが奏の真実なのだとしたらそこにあるのはきっとただ1つの認めたくない認められないけれど認めるしかない狂ってしまった最悪の最低の最狂の最期の最後の終わりというなの終焉。
つまり、奏の音楽雑音では誰も救えない。
「ぁぁぁぁああぁあぁああぁっぁあっぁっっあぁああぁぁあああああぁぁああああぁあっぁぁあああぁああぁぁぁあああぁぁああぁああああぁああああぁああぁあああああああぁああぁぁっぁああああああぁぁああぁぁああぁあああぁああぁあああああああああああああアあぁぁあぁあああぁアアアアアアぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
ッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
だから、それで終わりだった。
奏は絵名を、
奏の創った曲は絵名を、
右手利き手を喪った絵名のことを、
救えなかったのだ。
――――――絵師にとっての命≒利き手 BAD END
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