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「どこ行くんだよ?」
ガブラの背中に鋭い声が刺さった。振り返ればアルバートが黒檀の椅子に腰かけたまま、鷹のような眼差しでこちらを見据えていた。朝食後の皿洗いを終え、庭先で煙草でも吸おうとしただけなのに。
「別に……ただ外の空気を吸いに行くだけだっつの」
言いながら手首の鎖がちゃりんと鳴る。この三ヶ月間で身につけた習慣だ。地下牢のような密室ではなく、豪邸の一室を与えられていたが出入りは原則禁じられていた。
「駄目だ」
端的な拒絶に胸が重くなる。だが今日は違った。昨日の夜、メイドのエマがこっそり鍵束を見せてくれた。「ガブラさんがどうしてもって言うなら……」と震える声で囁いた彼女の瞳には哀れみが滲んでいる。
「俺だって一人になりたい時くらいあるだろうが!」
思わず声を荒げるとアルバートがゆっくり立ち上がった。長身が影を作り出し壁際に追い詰められる。
「『一人』なんて概念は消したはずだ」
冷たい指が顎を持ち上げた瞬間ぞくりとした。
「ここには俺しかいない」
囁かれる言葉と共に唇が塞がれる。歯列を割って侵入してきた舌がねっとりと口腔内を探る。
息苦しさと共に込み上げるのは反発心だった。無意識に肘打ちしようとするが逆に腕を捻り上げられた。
「痛ッ……!」
悲鳴を上げた拍子に解放される代わりに右耳元で低く響いたのは殺意にも似た警告音だった。
「もう一度命令を無視したら今度こそ足の腱を切る」
血の気が引く。冗談ではないことは肌で分かる。本気なのだ、この男は。怖いのに身体は熱を帯びていく矛盾が苦しい。どうしてこうなる? 最初出会った時はただのカモ相手だったのに……!
二ヶ月前。雨降る埠頭でチンピラに絡まれていた時だった。傘もささず現れた黒づくめの紳士は一瞥だけで野良犬たちを蹴散らし去っていった。それだけの出会いのはずだった。しかし数日後、見知らぬ黒塗り車に連れ込まれ目覚めた時には既に手枷足枷付きでベッドの上……。
「逃げる方法を考えてる顔してるな?」
思考を遮る声に我に帰る。いつの間にか目の前に膝まずいていたアルバートが靴紐を解いている最中だった。
「やめろ!触んな!」
蹴り飛ばそうとした足首を捕まえられ靴下越しでも伝わってくる体温に戦慄する。
「毎晩同じ夢を見てるんだろう?海辺で母さんに捨てられる夢を」
唐突な告白に呼吸が止まった。
「なぜそれを……」
「調べさせたからな」
淡々と言う彼の掌中で自分の人生すら玩具扱いか。怒りより底なし沼のような絶望が迫ってきた。涙腺が壊れそうだ。
「なぁ聞けよ坊ちゃん様よぉ……」
精一杯虚勢を張ろうとしても喉が詰まる。
「俺みたいなゴミ屑育ちは一生誰かの奴隷なんだよ。母親だって俺のことなんか……」
「だから俺が貰ってやると言っている」
即答に愕然とする。この男は何言って──?
「お前の全てが欲しい」
真摯な眼差しが嘘じゃないこと示していた。歪んでいるけど純粋すぎる愛情表現に、戸惑う自分がいるなんて信じたくない。
混乱の中でも身体は勝手に反応してしまう。触れられるたび火照る皮膚も鼓動も全て計算尽くされた支配なのだろう。それでも拒めない自分こそ最低だと分かっていても……。
「今日こそ絶対抜け出す」
薄暗い廊下でガブラは拳を握りしめた。手首の擦り傷跡が疼く。昨晩アルバートに暴行された箇所だ。「嘘をつく悪い子にはお仕置きが必要だ」と笑顔で平手打ちされ額の切れた痕跡は未だ赤黒い。
深夜三時。警備員交代直後の死角時間を狙う計画は万全だった。エマから教わった秘密通路へ滑り込んだ瞬間背筋に悪寒が走った。
「素晴らしい判断力だ」
天井から降ってきた声に硬直する。
「え……?」
振り仰ぐより早く漆黒の影が落下し背中を強打され床に叩きつけられた。
「アル……バート……さん……?どうしてここ……」
見上げれば月明かりで浮かび上がる人影。普段のスーツ姿とは違う動きやすそうな黒装束が不気味さを増幅させる。
「私が把握していない場所があると思うのか?」
冷笑と共に顎を掴まれ上向かせられる。痛みで呻く間もなく再び深い口付けに襲われた。乱暴だけど甘すぎる刺激に脳が麻痺していく……。
「もっと私のものになってくれ」
耳朶を噛みながら呟かれる恐ろしい台詞。その刹那全身を電流が貫いたように感じたのは何故なのか理解できなかった……。
三週間経過しても状況は好転しなかった。むしろ悪化の一途だ。
脱走失敗以来アルバートの束縛は苛烈さを増しており、最近では外出すら許可されていない。唯一許されているのは食事とトイレタイムだけ。監視カメラ付きのバスルームすら覗き見られているようで落ち着かない日々だった。
そして更なる試練が待ち構えていた。性的虐待という名の暴力だ。初めは抵抗していたガブラだったが、殴られ蹴られる恐怖から次第に従順になってしまう。吐き気がした。
しかし奇妙なことに屈辱感とは別種の昂揚を感じてしまう自分が存在することも確かであり、葛藤は深まるばかりだ。