マッドハッター 〜 夢の中にて 〜
下半身とさよならする覚悟だった私。しかし、いくら待っても痛みがこないのでうっすら目を開けた。
目の前には舞い散る無数の白い羽。その中には赤い血のついた羽根もあった。そして、私の前に真っ逆さまに落ちてきたのは。
「エヴァン!!」
「っ!?」
舞い散る無数の白い羽の隙間から、さっきとは反対の手の爪が振り下ろされそうになっていた。私は咄嗟に杖を右手に持ち替えて、爪を受け止めた。
硬く重い金属同士が当たったような重々しい音と共にボキボキと骨が折れる音がした。
右手が、折れた。
今度は尾を振り降ろすイドーラ。防御のしようがなく、木っ端微塵になる覚悟で受けようと思ったが、クロウがものすごい速さで私とエヴァンに体当たりをして、そのまま距離を離してくれた。
「クロウっ!!」
「ぐっ!」
クロウと私達はそのまま地面に不時着した。私は折れた右手をかばって受け身をとったが、エヴァンは翼をやられたのかそのまま地面に打ち付けられた。
「エヴァン!」
「ハッター!」
ウル達が駆け寄ってきた。クロウもなんとか立ち上がり、私の近くに跳ねてきた。
「私はいい。エヴァンは…。」
「平気よ、こんなの、かすり傷だわ…。」
エヴァンは自力で立とうとしたが、それも叶わず。ふらついてはすぐに倒れてしまう。翼は治らないわけでないが、酷くやられているらしい。一方、私はというと、右手は完全に折れてしまったが、まだ左手が使える。
あの時、クロウが私達を助けてくれなかったら、全身複雑骨折、あるいはもう二度と立てないくらいの重症を負っただろう。
「よくやった、クロウ。」
「しかし、手が…。」
私は杖を左手に持ち替えて、ウル達の前に立つ。イドーラは、ゆっくりゆっくり体をうねらせて近づいてきたのだ。杖を向けると、イドーラは呆れたようなため息を吐いた。
「はぁあ。もういい加減諦めなさいよ、ハッター。貴方もどっちかというとこちら側でしょう? もう人間でもないんだから、人間の味方なんて貴方らしくないわ。」
「…。」
「ねえ、どうして貴方はそこまで人間の味方をするの? お金? 昔貴方が人間から受けた仕打ちを許したわけじゃなんでしょ?」
「…確かに、私はもう人間でもないし、どちらかと言うとスパイキー達のようなやつらと一緒にいるほうが気が楽だ。人間の気持ちなんて一ミリもわかりたくもないね。…けど。」
左手で杖をくるりと回して、強く握る。自身の手で握られた杖をみて思い出すのは、死に際のクロッカーの顔。
私は、杖の先をイドーラに向けた。
「亡くなったジジイが人間の味方するもんでね。師の教えを破るほど、まだ落ちぶれちゃあいねえよ!」
「そう。じゃあ、死になさいな!!」
私達に巨大な尾が振り下ろされた。迫りくる尾、私はウル達を抱きしめて目を瞑ったとき、左の裾の中に隠していた<ドリームキャッチャー>が桃色の光を放ち、防御壁を作り出した。
突然現れた防御壁に尾は弾かれた。尾の先は黒く焦げて、イドーラにダメージを与えた。
「な、なんだ!? この光はぁ!?」
イドーラは後退りする。私達は光っている<ドリームキャッチャー>を見つめた。私は、<ドリームキャッチャー>の効果を思い出した。
「魔を退き、悪夢を捕らえる…。そうか、そういうことか。」
「我が主、どうしましょう?」
このクロッカーの作ってくれた<ドリームキャッチャー>があれば、イドーラを夢の彼方へ飛ばし、現実との干渉を一時的に断ち切ることができるかもしれない。
しかし、それでは駄目だ。一時的に干渉を断ち切ることができたとしても、こいつはまた戻ってくる。その時、同じ方法で対処できるとも思えない。ならば、どうするか。
私は<ドリームキャッチャー>を強く握りしめた。
「…下がってろ、こいつに賭けるしかない。」
「お待ちください!」
ウルに呼び止められた私は、彼女の方を見る。私の服の端を震えた手でつかんでいた。
「私も、お力添えを! これでも巫女の端くれ、食べられた住民達の仇を取りたいのです!」
彼女の目を見て、私は深くため息をついた。一度言い出したら聞かない性格なのかもしれない。
「…わかった。どのみち、左手一本じゃかなり難しいことだったんだ。力を貸してもらうぞ、巫女さん!」
「はい!」
<ドリームキャッチャー>の作り出した防御壁の外ではイドーラが尾や爪で猛攻撃を繰り出している。まだ防御壁が作動しているうちに杖で床に魔法陣を描いた。
「これでよし。後は…、ウル。<ドリームキャッチャー>の上に右手を。」
「は、はい!」
「この<ドリームキャッチャー>に魔力を注ぐイメージをして。そして、人生で一番楽しかった事を思い出してごらん。」
ウルは言われたとおりに、私の左手に重ねるように右手を置いた。淡い桃色のオーラが私達二人を包んだ。私の手の平ごしに、ウルの魔力が流れ込んでくる感覚が伝わってくる。
<ドリームキャッチャー>からクロッカーが刻んだと思われる術の詠唱が浮かび上がり、私の頭の中に入ってきた。
昔、アルマロスを初めて召喚したときの感覚に似ていた。
「闇の奥深きに在りし古の力と、その身に受けた禁断の呪いにより生まれし力。我が身を魔力の渦に溶け込ませ、今その姿を具現化せよ。…睡(ねむ)れ! ドリーマー!」
淡い桃色の光は大きく膨張し、やがて私達だけでなく、イドーラまでも包んだ時。
それは顕現した。
全員が目に慣れ、ようやく視界がはっきりしてきた。最初は周りを見渡してみても何も無いように見えたが、私達の背後に<それ>はいたのだ。
「な、な、なんなのよ!? あれはぁぁ!!?」
イドーラだけでなく、一緒にいたウル達まで驚愕していた。大きな影がぼろぼろになった神殿全体を覆った時、私は後ろを振り向いて<それ>とご対面した。
ナイトキャップとパジャマを身に着け、枕を手に持っているピンク色の体をした巨大なバクのような生き物が空中に浮いていた。
「紹介しよう。夢喰バクこと、<ドリーマー>だ!」
左手を高くあげると、<ドリーマー>はとても甲高い雄叫びをあげた。アルマロスを初めて召喚した時もそうだったが、私が創造するものはだいたいでかい。これは、力の調整の練習をしなければと思った。
「か、かわいい…。」
「ドリーマー! でっっかああい!!」
ウルは<ドリーマー>の容姿が気に入ったようで、スパイキーとスパイクのように目を輝かせていた。バクは目を瞑ったまま、イドーラに顔を向けて大きく口を開けた。
「ひっ!?」
<ドリーマー>は口を開けたまま、大きく息を吸った。まるで、ブラックホールのように神殿の建物や床を飲み込んでいった。そして、イドーラもふんばってはいるが巨大な体がずりずりと<ドリーマー>の口の中へと引き寄せられていく。
「ま、まさか…私を吸収するつもりなの!?!?」
「<ドリーマー>は、クロッカーの作った<ドリームキャッチャー>に私の創造の力を混ぜて具現化させた魔物だ。悪夢を捕らえるだけじゃない。お前を封印することができるんだからな!」
「いやぁぁ、嫌よぉ。嫌だああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
イドーラの下半身が完全に浮いて、剥がれる床に必死でしがみつく姿を眺めていた私達。やがて、その掴んでいた床も宙に浮いた。
イドーラは抵抗もできずに、<ドリーマー>の口の中へ吸い込まれていった。
「いやああああああああああ!!!!」
「…無限に広がる胃袋の中で孤独に絶望するがいい。」
私は帽子を深く被り、指をぱちんと鳴らすと<ドリーマー>はイドーラを完全に吸い込んだ後、ゆっくり口を閉じた。どうやら、ちゃんと言うことは聞くらしい。アルマロスと違ってちゃんと仕事をしてくれる、いいこだ。
「終わりのない夢は、これにて終幕。」
私が残った床にあぐらをかいて座り込むと、ウル達が駆け寄ってきた。スパイキーとスパイクは<ドリーマー>に大興奮して兎のように跳ねていた。
「凄いよ! 凄いよ! ハッターとウルさん!」
「私は何も…。凄いのはハッターさんですわ。あんなものを召喚してしまうなんて。」
ウルは<ドリーマー>を見て微笑んだ。よほど気に入ったらしい。正直、鬼が出るか蛇が出るかの賭けだった。兎に角、あのイドーラさえどうにかできればいいと必死だった。
「にしても、被害は大きいな…。」
私は自分の折れた右手と、翼を怪我したエヴァン。疲弊したクロウに、イドーラに食われた何人かの住民達。前者はどうにかなるかもしれないが、イドーラに食われた住民たちの魂を戻す方法はない。
しばらく、沈黙が続いていると<ドリーマー>の体が突然光りだした。
「な、なんだ!?」
<ドリーマー>が光に包まれると、アルマロスと同じように中くらいのサイズになった。それと同時に<ドリーマー>の体から複数の魂が出てきた。
「こ、これは…。」
「イドーラに食われた住民達の魂?…お前、こんなこともできるのか。」
ふよふよと浮いている<ドリーマー>。彼女? は欠伸を一つして手に持っている枕に頭をおいた。おかしい。どうしてクロウとスパイキー・スパイク以外の二匹はこんなにものんびり屋なのか。
「飼い主に似るてか? 冗談だろ?」
己のどこか怠慢なところがこの二匹に伝染してしまったのかと考えると頭が痛くなった。
すると、周りの背景にヒビが入ってきた。これは、イドーラの術が解け、現実世界に戻る合図だ。
「さぁ、諸君。おはよう、新しい一日が始まるぞ。」
ヒビの隙間からまばゆい光が差し込む。やがてその光が強くなり、私達を包みこんだ。
終わらない夢はない。
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