しばらくして、玄関のドアが開く音がした。砂鉄と大森が戻ってきたのだ。チョモの体に緊張が走る。戻ってきてくれた安堵と、戻ってきてしまったと嫌気がさす気持ちが混ざっている。チョモは思わず、目の前に座っている藤澤と若井の顔を交互に見た。二人とも優しい笑みを浮かべながら頷く。
ドアが閉まり、廊下を歩く音がする。砂鉄は大森に何を言われたのだろうか。激怒されて、泣いているかもしれない。そんな不安を抱えながら、部屋のドアを見つめる。部屋に入ってくると、砂鉄は真っ先に、ソファにいるチョモに視線を向けた。チョモも、恐る恐る砂鉄の方を見つめている。二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
藤澤が、その沈黙を破るように、優しく砂鉄に声をかけた。
「おかえり」
張り詰めていた場の空気が少し緩む。その言葉に促されたように、チョモは少しだけ身動ぎした。あれほど言葉を考えていたのに、何も口から出ない。砂鉄の方を見れないまま、時間が過ぎる。大森が、砂鉄の方をチラッと見た。その視線に気づいた砂鉄と、大森の目が合う。
砂鉄は、腹を括り、ゆっくりと口を開いた。彼の声は、少し言い淀んでいるが、表情は喧嘩していた時よりも晴れやかになっている。
「……言いすぎた」
と、言葉を噛みしめるように続けた。
「ごめんな」
彼の目は、チョモの顔を真っ直ぐに見つめている。チョモは、砂鉄の言葉を聞くと、微かに目を伏せた。そして、まだ少し掠れた声で、静かに返した。
「……俺も。ごめん。」
チョモの言葉は、それだけだった。だが、その短い言葉の中には、砂鉄に心配をかけたこと、そして自分自身が無理をしていたことへの、チョモなりの謝罪が込められているようだった。
リビングに、微かに安堵の空気が流れる。二人の間には、まだ完全な和解とは言えないまでも、確かな変化が生まれていた。しかし、まだひりつくような空気感は続いている。
若井が大森を上目遣いで、二人への心配な気持ちを隠すことなく見つめた。大森はその視線を敢えて無視する。そして砂鉄へ視線を送った。
砂鉄は、一歩、チョモの方へ近づいた。チョモも、その動きに合わせて、少しだけ砂鉄に体を向ける。
「お前、無理すんなって、言っただろ」
砂鉄の声には、まだ少し不器用な響きがあった。しかし、喧嘩中にあった怒りは消え、ようやく純粋な心配を伝えることが出来た。
「……うん。けど、知らない人の家に泊まるの、ちょっと怖くて」
チョモは語尾が消えかかりそうな声をこぼした。砂鉄はチョモの本音を聞けて、緊張した態度を一気に解いた。
「…なんだよ〜。そういうことなら、早く言えよなぁ。なら、」
と、砂鉄が泊まるのをやめることを提案しようとした時、被せるようにチョモが続けた。
「でも!…でも、今は、大丈夫…かも。」
また語尾にかかるにつれて小さくなっていく声に、砂鉄がほぐれた笑みを浮かべる。
「なに、どっちだよ」
「話してて、砂鉄が大丈夫だって思った理由が分かった…から。だから、大丈夫。」
そう言って、チョモは朗らかな笑みを浮かべた。大森が藤澤たちを少しからかうような目で見つめ、二人が照れたように目を逸らした。
チョモの言葉に砂鉄は、少し目を見開いた後、ふっと息を吐いた。
「そっか。チョモが大丈夫なら、良かった。」
その言葉は、心からの願いだった。そしてチョモにゆっくりと近づき、優しく抱きしめた。
「やめろよ、恥ずかしいって」
と、チョモは照れくさそうにしたが、三人の自分たちを見つめる優しげな目線を見て、安心したように砂鉄の背中に手を回し、目を閉じた。彼の頬を、また涙が伝う。今度は、悲しみや怒りではなく、安堵と温かさからくる涙だった。
結局、チョモの体調が良くなるまで、大森の家で泊まらせてもらうことになった。
ある日、大森は仕事で外出しており、若井と藤澤の二人がリビングで話していた。チョモは、飲み物をもらおうとキッチンに向かって歩いていた。途中、リビングの角を曲がったところで、二人が話している声が聞こえてくる。
「いやぁ、まさかあの子たちが、こんな形で東京にいるとはねー」
若井が、声を抑えながらも、驚いたような声で言った。
「ね、ほんとびっくりしたー。凄い大きくなってたよねぇ」
藤澤の声が、それに続く。その声には、驚きと、どこか興味のようなものが混じっているように聞こえた。
全身が、一瞬で凍りついた。
(…嘘だろ)
チョモは、息を殺して、壁の陰に身を潜めた。二人は、何も気づかずに話し続けている。
「でも、本人たちが隠したがってるみたいだからさ、俺たちは気づいてないフリしとこうぜ。変に掘り返されるの、嫌だろうし」
若井の言葉が、チョモの心に突き刺さった。
(気づいてないフリ…?)
チョモの頭の中は、一気に真っ白になった。彼らの優しさは、僕たちの正体を知った上でのお節介だったのか。彼らは、僕たちを”可哀想な子たち”として見つけ、近づいてきたのか。
「うん、そうだね」
「あの子たちって、なんでやめたんだっけ?」
「え、アレだよ、配信でさぁ、」
そこから先の会話は聞きたくなかった。
親に勝手に動画を撮られ、ネットに晒されていたことが分かったあの時の、信用していた人に利用されたという痛みが、チョモの心臓を鷲掴みにした。あの時は、晒されていたことよりも、何よりも、”親に騙されていた”という事実が辛かった。そして、この人たちにも騙された。
チョモは悟った。彼らの優しさは、自分たちの”可哀想な状況”をネタにしようという下心からきていたのだ。そしていつか、自分たちの窮状を、彼らのSNSに投稿し、拡散するに違いない。そう考えると、三人の優しさが、一気に毒のように感じられた。
きっと今も、どこかで隠し撮りをしているのだろう。気持ち悪い。またか。やっぱり。
チョモは、息を詰まらせながら、音を立 てないように、小走りで部屋に戻った。
砂鉄は、ベッドに座って静かにスマホを見ていた。飲み物を取りに行ったチョモが一向に帰ってこない。若井さんたちとはなしてるのかな、僕も行こうかな、なんて考えていた。
その時だった。
「…砂鉄」
勢いよくドアを開き、チョモが駆け込んできた。顔が青ざめていて、息も荒い。砂鉄は、様子のおかしいチョモに怪訝そうな顔を向けた。
「…どうしたの」
チョモが、震える声で話す。砂鉄は、チョモの話が進むにつれ、どす黒いものが心に広がるのが分かった。砂鉄は、持っていたスマホを無意識に握りしめた。
「…知ってたのかよ。ずっと、知ってて…」
チョモが、ゆっくりと砂鉄の前に座る。
(また消費されるのか、)
彼らが、自分たちを助けたのは、善意からではない。きっと、面白いネタを見つけたと思ったからだ。チョモと同様、砂鉄もそう思った。自分たちのトラウマを知りながら、それを言わずに近づいてきたこと、それが、二人の心を深く抉った。
真実か否か判断する必要がある、ということは二人の頭の中にはなかった。ただただ、これ以上傷を負いたくない一心だった。判断するということは、彼らをもう一度信じる選択肢が存在するということ。しかし当たり前だが裏切られる可能性もある。重ねて傷を負うリスクを自ら背負ってまで、人を信じたくないのは、砂鉄もチョモも同じだった。
二人は、その場で決断を下した。
「…出よう。今すぐ」
砂鉄が、掠れた声で言った。チョモは、ただ頷いた。
彼らは、自分たちが彼らの正体に気づいたことを、三人に悟られてはならないと考えた。もうこれ以上、彼らと関われば、自分たちの心が壊れる。三人に何かを言えば、また引き止められ、感情を弄ばれるかもしれない。ましてや、当時の話を持ち出されたらなんて考え出したら、どんどん気持ちが谷底に引きづられていった。
その日の夜、大森たちが仕事で帰りが遅くなるのを見計らい、二人は荷物をまとめた。チョモの体調はまだ完璧ではなかったが、そんなことはもう気にしている場合ではなかった。
持てるだけの荷物と、わずかな所持金。大森の家を出る直前、チョモはそっとリビングを振り返った。そこには、三人の温かい残像があった。しかし、そのすべてが、今は冷たく、裏切りの証のように感じられた。
ドアを閉めようとした時、砂鉄がポツリと言った。
「ごめん、チョモ。あの人たちについてったせいで」
「いや、砂鉄のせいじゃないって。」
「まさか、知ってたなんてな」
沈んだ砂鉄の声を聞いて、チョモは顔を上げた。そして息を飲んだ。あまりにも、声に不似合いな、安堵した表情を浮かべていたからだ。驚いた顔をして固まるチョモ。砂鉄は気づいて、申し訳なさそうな顔をして笑った。
「…ごめん、ちょっと…なんか安心したから」
「は…?」
「ううん、なんでもない!…家に、帰ろう」
困惑するチョモをよそに、砂鉄はドアを閉めた。
二人は、夜の闇に紛れていった。彼らが向かう先は、再び、東京のネカフェの、薄暗い個室。
誰も知らない、誰にも利用されない場所へ。
〜第一章 終わり〜
更新が凄く遅くなり申し訳ありません!!
先をどうするか物凄く迷っていたからです。
それをお伝えする前に、ラストのシーンをついて、少しお話しようと思います。
【長文注意】
映画では、チョモ(鈴木)の、まだ誰かを信じたいと思ってしまう自分へのやるせなさと、案の定自分が一番可愛い大衆に絶望する気持ちとで揺れる描写があったかと思います。(ラストの鈴木が泣くシーンで、特に私はそう思いました)
ふるはうす☆デイズの件があったのにも関わらず、桐山を見てクズだと思ったのにも関わらず、それでも人間を信じたいと思ってしまう、皮肉的に言えば、人情味があるキャラクターが「チョモ」なのであれば、
「砂鉄」は逆に、冷めたキャラクターだったとしたらどうだろうと考えました。(私の作品限定の設定です)
この備忘録のお話の中で言えば、三人(大森たち)に裏切られて「信じてたのに、」と思うのは二人とも共通していると思いますが、砂鉄は安心する気持ちもあったりするのかなと思いました。
仮にですよ、
今まで接してきた大人たちはクズだった。信じないことによって、裏切られても大丈夫なように、保険をかけて、自分の心を守ってきた。それなのに、ここにきて真正面から優しい、信じたくなるような人がきたら。目を背けたくなるような気持ちになりませんか。
こんな優しい人たちがいるなんて。今までの俺の人生はなんだったんだ。今までみたいなのが当たり前じゃないのか。そんなのあるわけない。信じたくない、と。
だから、(勘違い、というか思い込みではありますが)あの三人に裏切られて、砂鉄は、「あぁ、やっぱり!間違ってなかった。今までの奴らと同じ。良かった。本当に優しい人ってやっぱりいない。なんか安心したぁ、」なんて、思うんじゃないかなーと考えて、この話を書きました。
あくまで全て私の妄想なので、エンタメとして楽しんでいただければ十分です!
ただ、私も含めて誰にだって、チョモのように、それでも人を信じたいと思う心と、(この作品限定の)砂鉄のように信じないことによって自分を守りたい心、どちらも経験したことがあるのではないでしょうか。
なんか割り切れないなぁと思いつつ、チョモの方がある意味健康的といいますか、砂鉄の方がなんだか苦しいと思いませんか。もう手を伸ばして欲することはしないなんて、切ない…。
さて、この話はこのくらいにしておきましょう。
次回からは、第二章!!!
成長したチョモがコンビニで働いていると、”あの子”に似た女の子が同僚として入ってきて…??
また見にきて下さると嬉しいです!!
ひより
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影ながら応援させていただいてました!私が初めてテラーでコメント出来たのもこの小説です!!毎日更新されるのを楽しみにしてました☺️🎶第一章?とても素敵でした!!第二章も応援してます❤️🔥