マサさんは俺がひとりで行くことを心配したけど、あれから数日後、大学の授業が終わった夕方、玲夜さんがくれた名刺に書かれた研究所の住所を頼りに、街外れのビルに足を踏み入れる。
誰もいない薄暗い廊下を進み、指定された部屋のドアをノックしたら、「どうぞ」と玲夜さんの低く掠れた声が中から響いて聞こえた。
恐るおそる中に入ると、白衣を着た玲夜さんが机に向かい、試験管とノートパソコンの画面を交互に睨んでいる姿があった。室内の様子は研究室らしく見るからに無機質で、消毒液の匂いが辺りに漂い、窓から差し込む夕陽が玲夜さんがかけている銀縁メガネに反射する。
「瑞稀くん、よく来てくれたね」
彼が顔を上げた瞬間、黒目が瞬く間に赤眼に変わり、燃えるように光る。
マサさんとはじめて逢ったときに見た吸血鬼の姿に俺は魅了されて、目が離せなくなったというのに、玲夜さんの姿にはまったくその感情が起こらなかった。おぞましさを覚えるせいで半歩下がり、反射的に首筋の傷跡を無意識に撫でながら「マサさんのためなら……」と呟いて、気持ちを強く持つ。
「座ってくれ」と怜夜さんが椅子を指したので、勢いよく歩を進ませて室内に入り、指定された椅子に素直に腰かけると、目の前に注射器と試験管を取り出す。
「あの夜の血液を解析したよ。君の血に含まれる抑制因子Zは、確かに遺伝子変異S-13を中和する力がある」
玲夜さんは、熱を込めた口調で告げる。
「……そうだったんですね」
「でも量が足りない。やはり一回じゃ効果が薄いみたいなんだよ」
「それじゃあ、何回か血をあげればいいでしょうか?」
俺が腕を差し出しながら訊ねてみたら、メガネのレンズの奥にある赤眼が意味ありげに細められた。
「そうだね。今回提供される血と前回の血液を比較したら、はっきりすることだけど、愛情が鍵になっているかなって。雅光さんと君の絆が、抑制因子Zの活性化になんらかの影響があることを、僕は予測している」
俺を凝視した玲夜さんの冷たい指が、差し出している俺の腕に触れる。
「……君の血が欲しくて堪らない」
「えっ?」
「君の血……あの夜から、どうにも頭から離れないんだ」
掠れた声で口にした玲夜くんの赤眼が、欲望に揺れたように見えた。
「美味すぎて、また喰らい尽くしたい衝動が抑えられない」
「そ、それは困りますっ!」
ここはしっかり拒否しなければならない場面だと、すぐに判断。内心怯えていたけど、はっきりとお断りしたら、玲夜さんは冷静になったのか、吸血鬼の姿から人間に戻ってくれた。
「困らせて悪い。研究のために君の血を使わせてもらうよ」
彼が苦笑いし、注射器を俺の腕に刺す。注射する技術がうまいのだろう。前回同様に針で刺されても、ほとんど痛みを感じることはなかった。俺の血が試験管に流れ込むさまを、漫然と眺める。
「マサさんや玲夜さんが苦しまないなら、もっと血をあげてもいいですよ」
「そんなことを言われてしまったら、君の首から直接吸血してしまうかもしれないよ?」
冗談なのか本気なのかわからないセリフに反応できず、無言でいたら。
「君の血を吸うたびに吸血衝動が楽になるけど、君の血についての渇望がひどく疼く。それを乗り越えるために、そして一族の呪いを解くまでは、なんとか我慢するよ」
玲夜さんが注射器を抜き、俺の腕に絆創膏を貼る。
「瑞稀くん、数日おきに来てくれ。研究を進ませて薬ができれば、一族を救えるからね」
「わかりました。時間を作ってここに来ます」
「ありがとう、助かるよ」
マサさんとその一族を救うために、玲夜さんと気持ちを重ねることで、彼に対する怖さが薄まったのは良かったと思う。
研究室の静寂に窓から差し込むあたたかい夕陽が、俺たちの影を長く伸ばしたのだった。
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