「はい、乾杯です」
グラスを重ね合わせて乾杯した。
ロックグラスを傾けて中身を含むと豊潤で奥深な味わいが口内に広がった。普段味気ない酒が最高の美酒へと変わる。飲む相手ひとつでこんなにも嬉しく、うまい酒になるなんて。
「おいしいです」彼女が喜んでくれた。
「それはよかった。さて、律さん。どうしてこうなったのかお話できますか?」
「ええと……」
「こんなになってしまうまでお飲みになった理由、辛い話を誰かに聞いて欲しいからですよね?」
「実は、光貴と大喧嘩しました。ライブ当日、光貴に詩音の死産を知らせた時、彼、私の想像以上に怒りだしてしまって、ちゃんと知らせなかったこと怒鳴られてしまったんです。それを未だに引きずっていて……そのことを責めてなじってしまいました」
「そうでしたか。それは、お辛かったですね」
「はい……彼を気遣う余裕が私にはなくて。自分のことでいっぱいでしたから……でも、もう少しわかって欲しかった。光貴のためだけに頑張っていたつもりですが……ひどく滑稽に空回りしていて。急に訃報を聞かされた状況から出た言葉や態度だということはわかっています。彼は悪くないのに……ひどいことを言ってしまいました」
空色の目に涙が滲んだ。ぐい、とゴブレットの中身を飲み干して彼女がぽつりと呟いた。「もう酔って記憶もなくなって、消えてしまいたいです」
「律さん。落ち着いて下さい」
傷心の彼女を慰める方法は俺には持ち合わせていない。せいぜい彼女の愚痴や吐き出す苦しみに耳を傾けるしかできない。空色の美しい髪を撫でた。
「今日…光貴が……久々に早く帰って来てくれました。話し合おうと思ったのですがうまくいかなくて。その時彼に言われました。『落ち込んでばかりいたら詩音が浮かばれない』とか『もう一回頑張ろう』と。だから思わず叩いてしまいました。許せなくて……」
遂にダムが決壊したかのように、彼女の瞳から涙が溢れた。
随分辛いことを言われたんやな。それにしても旦那のやつ……デリカシーのかけらもないな。空色が大事なんやったら、もっと言葉を選べよ!
聞いている俺の方が腹立った。
「あの日のことが消化できないのです。私の行動はみんなから責められました。家族は仕方ありません。非難されることは覚悟していたつもりですが、想像以上に堪えました。でも、一番はやっぱり……光貴にわかってもらえなかったことが辛くて……」
「そうでしたか。律さんの優しいお気持ちを光貴さんに理解してもらえなかったのは、大変悲しいことですね」
気持ちに寄り添ってもらえないのは本当に辛いことだ。
せめて俺だけでも、彼女に寄り添いたい――
「辛い中、律さんはよく頑張りましたよ。私だけが知っています。あの選択は間違っていませんでした。律さんは立派なアーティストでした。だからどうか自分を責めないで下さい」
俺がそう言った途端、空色が声を上げて泣きだした。
子供を見送ってから今日までの間、彼女はこんな気持ちを抱えながら生きていたのか。
もっと誰か、彼女の苦しみをわかってくれる人間はいなかったのか。
空色を思うとやるせなくなった。
誰も悪くないから余計に。
泣きじゃくる彼女を俺のできる限りで包んだ。
早く元気になって欲しい。
空色は俺の分まで笑って生きて欲しい。
だから今、俺の腕の中にいる彼女を守りたい。心から彼女の幸せだけを願った。
暫くすると声を上げて泣くことはなくなったので、「落ち着かれましたか?」と声をかけた。抱きしめた腕をほどき、再び俺と彼女の間に空間ができる。それを埋めるように俺は酒を煽った。
「もうだめです。もう無理です……」
いつになく弱気な空色。相当辛い思いを抱えているのだろう。そう簡単に浄化はできないか。
子を失ったのだから当然だろう。
「どうしたら元気になってくれますか?」
深い意味もなく聞いてみた。お前の願いならなんでも叶えてやりたい。
「RBの白斗に逢えたら、元気になると思います」
頭が真っ白になった。
まさかこんなことを言われるなんて、思いもしなかったから――
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