コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
放課後、伊織は落ち着かない気持ちで図書室に向かった。藤堂が本当に来るのだろうか、という疑問が頭から離れない。もしかしたら、ただの冗談だったのかもしれない。そう思うと、胸の奥がチクリと痛んだ。図書室の扉を開けると、一番奥の窓際の席に、藤堂が座っているのが見えた。彼が普段座るような、人気のない場所だ。伊織は思わず息を呑んだ。藤堂は、持ってきたらしい文庫本を開き、真剣な表情でページを追っていた。その横顔は、教室で見せる自信に満ちた笑顔とは違い、どこか落ち着いた雰囲気がある。
藤堂の隣に座ることを躊躇しながら、伊織が立ち尽くしていると、藤堂が顔を上げた。
「お、来たな、伊織」
その声に、伊織は少しほっとした。藤堂は、伊織が持っていた文庫本を指差した。
「この本、面白いな。主人公が、最初は何もできないんだけど、実はとんでもない力を持ってて、ってやつだろ?」
伊織は驚いて藤堂を見た。彼は、本当に読んでくれたのだ。しかも、核心をついた感想を述べている。
「はい、そうです。まだ途中なんですけど……」
「俺もまだ序盤だけど、続きが気になる。お前のおすすめってだけあるな」
藤堂はそう言って、にこやかに笑った。その笑顔は、伊織の胸の奥に温かい光を灯した。
「あの、藤堂くん、本当に読んでくれたんですね」
伊織が感動したように言うと、藤堂は少し照れたように頭をかいた。
「ああ。お前が熱心に読んでるから、気になったんだ。それに……」
藤堂は、そこで言葉を区切り、伊織の顔をじっと見つめた。伊織は、その視線にドキリとした。
「お前が読んでる本だから、余計に面白く感じたのかもしれない」
その言葉に、伊織の顔は真っ赤になった。藤堂の言葉の真意がわからず、伊織は心臓が口から飛び出しそうなくらいに高鳴っているのを感じた。
「そ、そんなこと……」
「あるんだよ。俺、お前と話すの、結構好きだぜ?」
藤堂は、伊織の困惑した表情を見て、さらに笑みを深めた。
「いつも一人でいるだろ? もったいないよ。お前、もっといろんな話ができるのに」
伊織は、藤堂の言葉に言葉を失った。これまで、自分を気遣ってくれる人間などいなかった。ましてや、話したいと言ってくれる人間なんて。
「俺、伊織のこと、もっと知りたいな。本のこととか、好きなものとか、なんでもいいから」
藤堂のまっすぐな言葉が、伊織の心を震わせた。伊織は、これまで自分を閉じ込めていた殻が、少しずつ壊れていくのを感じていた。
「俺なんかの話で、よければ……」
伊織が控えめに言うと、藤堂は伊織の肩に手を置き、ポンポンと軽く叩いた。
「お前の話は、俺にとっては特別なんだよ」
その言葉に、伊織の瞳は潤んだ。自分は、藤堂という、手の届かない存在に、特別だと言われた。それは、伊織の人生の中で、最も嬉しい瞬間だった。
その日から、伊織と藤堂の関係は少しずつ変化していった。放課後、図書室で一緒に本の話をしたり、時には他愛のない雑談をしたり。藤堂は、伊織の知らなかった世界を次々と見せてくれた。
ある日、藤堂が伊織に尋ねた。
「なあ、伊織。お前さ、なんでそんなに俺のこと避けてたんだ?」
伊織は、ドキリとした。やはり、藤堂は気づいていたのだ。
「だって……藤堂くんは、キラキラしてるから。俺なんかと一緒にいると、迷惑かなって……」
伊織が俯きながら言うと、藤堂は伊織の顔を両手で挟み、無理やり上を向かせた。
「バカだな、お前。俺は、お前と一緒にいる時が一番落ち着くんだよ。お前は、俺にとって特別な存在だ」
藤堂の真剣な瞳が、伊織を射抜く。伊織の心臓は、再び激しく高鳴り始めた。特別。その言葉が、伊織の心に深く染み渡った。
「俺は、お前がいなきゃ、ダメなんだ」
藤堂の言葉は、まるで魔法のようだった。伊織は、これまで感じたことのない温かい感情に包まれた。それは、友情とは違う、もっと深い、甘い感情。
その日、図書室の夕焼けに染まる窓際で、二人の距離は、急速に縮まっていくのだった。