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『宴』
夢でも見ているのかと、私はその二人を凝視する。
眩しい金髪の澪様と嫋やかな美貌の臣様。
お二人は少し前髪が伸びた気がしたが、澪様と臣様に間違いない。
すると臣様がにこりと私に向けて微笑んだ。
それはとても懐かしい笑顔。思わず手を振ってしまいそうになる。
澪様はと見つめるが、澪様はずっと前を向いていた。その視線の先に桐生様がいるのは気のせいだろうか。
隣で桐生様が「これはっ」と、鋭い声を上げたが百合子様が静かにと、細い指先を口元にもって行くだけ。
それだけで桐生様はぐっと息を飲み込み。沈黙した。
緊張する。
なぜ、この場に澪様と臣様がいるの?
百合子様に問いたくても、きっと何も答えてくれない気がした。その証拠に百合子様の視線は舞台に注がれ、口元には笑みが浮かんでいた。
──きっと黙ってこの場を見るのが正解なのだろう。
私も言葉を飲み込み。瞬きすら惜しくてじっと舞台を見つめる。
ここにいる人達の注目を一身に受けた二人は舞台の中央部まで進み、座り。
それこそ噺家のように二人同時、口上を述べた。
「本日は、このような高貴な場にまかり越した理由はただ一つ。芸の褒美を貰うがために浅ましくも来た次第です。その望む褒美とは──千里姫を我らが元に返して頂きたい」
庭に大きなどよめきが走る。
周囲の人々が口々になにか言っているような気がするけど、ちっとも耳に入って来ない。
私はそれどころじゃなくて、びっくりしすぎて何も言えない。
ただ舞台の上の二人を見つめるだけ。
臣様の朗々とした声が庭に響く。
「千里姫は元々は我々の姫。それを桐生黎夜殿に奪われてしまい、我々はそれに納得が出来ずにここまでやって参りした。時間が経ちましたが、これはお返し致します。弟が大変お世話になりました」
庭に広がる動揺の空気を受け流し。
臣様が言葉を言い切ると、舞台の裏手から給仕係の人が玉手箱のような箱を手に持ち、しずしずと桐生様に向かって運んで来た。
いつの間にか庭は水を打った静けさに包まれ、好奇の目は桐生様と玉手箱に注がれていた。
桐生様は迷いなく立ち上がり。玉手箱を受け取った。その勢いのまま朱色の組紐を解き。中を見ると激昂して舞台に向かって吼えた。
「──ふざけるな。藤井兄弟ッ! 元より千里様は我ら一族が守ると命に従ったまで。ここはお前達が来るところではない。疾くと去れ!」
桐生様は玉手箱を持って来た給仕の人に押し返した。
私の視界からでは、何やら汚れた紙幣みたいなものがチラッと入っているのが見えた。なぜ、このようなやり取りをするのか気にはなるが、ひりつく空気に口は閉口してしまう。
給仕の人は静かに下がり。
舞台の二人は顔色を変えることなく、桐生様と睨み合っていた。
そこに穏やかな百合子様の声が響く。
「黎夜、落ちつきなされや。退出を決めるのは妾え。良いではないか、確かに此度の千里姫との婚約。あまりにも急。黎夜とは年が離れて、あらぬ噂をするものもいる。それを潔白するのに良い場面じゃ」
「それは、そうですが……」
桐生様が眉間に深い皺を刻んだが、百合子様の微笑み一つで皺は幾分、緩む。
「なるほど。百合子様。これは全て百合子様の御手の内ですね?」
ふうっと桐生様は肩を落とすと、百合子様は二マリと笑った。
「良い男はただ構えておればいい。して、藤の兄弟よ。妾やここにいる人々を楽しませてくれたら。そうさな。褒美としての千里姫──は渡せない。妾が先ほど婚約を認めたからの。しかし」
百合子様はふふっと笑ってから。
私を見た。
「千里姫よ。そなたが誠の言葉を二人に与えてやれ。甘い言葉でも、酸いの言葉でも、一言でも良い」
「わ、私が……」
何を言えばいいのか、既にわからない。
けれども百合子様は微笑むばかり。
「千里姫恋しさに、ここまできた藤の兄弟。なんと美しきかな。褒美は姫の言の葉とは浪漫がある。サァ、藤の兄弟──妾は期待しておるぞえ」
その言葉が藤井様達の舞台開始の合図だった。
会場はなんとも奇妙な空気に包まれていた。
それは私と婚約した桐生様がいて。そこに私を奪い返し来たと言う、澪様と臣様。
場内に居る人達はこれは、恋の鞘当てなのかと思っているのだろう。
違う。それは違う。
私は本当の意味で誰にも桐生様も、臣様も──澪様にも愛されてる訳ではない。
三人はそれぞれの誇りの為にここに居るのだろう。全ては私が巻き込んでしまったから、こんなことになったのではと胸がキリキリする。
それすらも口に出来ずにいると、臣様が喋った。
「先ほどは皆様に驚きを与えてしまい、申し訳ありませんでした。お詫びに季節外れの満開の桜をご覧頂きたいと思います」
桜?
今は桜の季節なんかじゃない。私も誰しも首を傾げると澪様が手を挙げた。
するとばさり舞台の後ろ。紫の陣幕の一角が剥がれた。布が剥がされると、そこには枯れ木がポツンと立っていただけ。
桜などありはしない。
一瞬、陣幕の後ろに満開の桜を想像しただけに枯れ木の光景は、より寒々しい光景に見えた。
それを見て臣様がおやと、困ったふうに首を傾げた。
「あぁ、先ほどまで桜は満開でしたのに。もう散ってしまったようです。皆様にもお見せしたかったのに、花の命とは短い」
おっとりとした口調。
澪様も緩やかに首を振る。
これはなにか仕掛けが失敗したのかと、そんな残念な空気が漂うと臣様が「そうだアレがあった」と立ち上がり、澪様も続く。
「失礼しました。我らは堺の地に根ざす商人。藤井屋でございます。様々な品物を扱っており、かの有名な「花咲かじいさん」の「灰」も扱っています」
それがこれでございますと、二人は懐から小さめな赤い紙袋を出した。
臣様の冗談混じりの会話に、くすりと小さく笑い声がした。
私も口元もが一瞬緩んでしまったけど、隣の桐生様はふんっと鋭い呼吸をされたので、慌てて口をきゅっと引き締めた。
「もしこのように皆様。火急にて花を咲かせねば
、ならない場合は藤井屋にて灰を販売しておりますので、どうぞご贔屓に『花咲じいさん』の合言葉でお安くお売り致しましょう」
臣様の滑らかな口調で、こんどこそ緩やかな笑い声が起こった。
さすが臣様。良い声に会話がお上手。
そして臣様はにっこりと微笑んだ。
「灰は貴重な品ゆえ、今日は商品紹介だけで帰りたいところですが、褒美のため。皆様が藤井屋を訪ねてくれると信じて、本日は大盤振る舞いと行きましょう──」
その言葉に澪様も頷き。
二人同時に扇子を取り出し。赤い袋の端をぴりっと破って中身をさぁっと宙に撒いて、扇子でばさりばさりと灰を仰いだ。
おぉと周囲の人達は驚く。
灰の中身は銀粉なのだろうか。
太陽の光を受けて雪のようにきらきらと舞う。そして同時に何やら甘い香りがした。
この香りはなんだろう。不思議な香りと思っている間に、銀粉を木に届けるように二人がさらに扇子で仰ぎ。香りと銀粉の乱反射は空へと広がる。銀粉は雪みたいで美しい。
なんとも不思議な光景に目が釘付けになり、晴れた日の雪景色に目を奪われていると。
「枯れ木に花を咲かせましょう!」
威勢の良い声がしたと思った刹那。
ぱさりと乾いた音がして、侘しい枯れ木にはらりと──桃色の一片が現れた。
そして、またひとひら。ひらひら。はらはらと。
花弁は瞬く間に枯れ木に現れて、枝を鮮やかな桜色に染めあげる!
「本当に桜?」
私の声に応えるかのように、花が満開になったとき。花開いた桃色の花弁はなんと、木からふわりふわりと、離れて宙に舞い上がって行く。
「これは……桜じゃなくて、蝶! 桜色の蝶が沢山!」
さらに。臣様の声が響く。
「これだけでは満開と行きませぬ。藤井屋の桜、とくとご覧あれ!」
響きわたる声と重なるようにパンッと紙風船が割れる音がすると、陣幕の後ろから一斉に桜吹雪が舞った。
四方八方から桜が舞い踊る。
空の青さを桜色で埋める膨大な量の花吹き。
その間をゆらゆらと揺蕩う蝶。見たこともないほどの圧巻の桜の舞。
これは桃源郷だ。
「きれい……夢のよう」
隣で百合子様も桐生様も、この夢のような景色に見惚れている。
心の底から素晴らしいと思うと、パチっと誰かが拍手して。いつの間にか万雷の拍手となった。誰もが笑顔で空を仰いでいる
「これは絶景なり。あな美しや」
百合子様が舞い散る桜を見つめながら、ほぅっと感嘆の言葉を発した。
桐生様もさすがに驚きを隠せない表情で桜吹雪をずっと見つめていた。
誰も彼も、舞い散る桜と蝶に心を奪われていたとき、
──我らもこの景色に相応しい、姿にならねば。
と言う声が聞こえて。
壇上にいるお二人がなんと、ばっと着物を脱ぎ去った!
また庭園に大きなどよめきが走る。
次はなんだと驚き、瞬きをするその刹那に。
なんと臣様は澪様に。澪様は臣様に。
お二人の姿も地味な着物から、眩いばかりの白いスーツ姿になっていた。
またもや拍手が巻き起こる。
「いったいどう言う……」
あまりの驚きに声を出してしまうと桐生様が「こんなの、ただの奇術。入れ替わりも兄弟ならさほど難しくない」と言い切った。
その言葉を聞いて落ち着いて考えてみる。
着物の下にスーツを着用し、外套を外す要領で着物を脱ぎ去ったと言うことかと思った。
髪も同じように、カツラを取れば……確かに今みたいな現象が起きるとは思うけど。
それでも手腕見事な鮮やかな変化に間違いない。
それにお二人はとびきりの美丈夫。未だ桜色の花弁が舞うなか。白いスーツを着こなしたお二人はあまりにも華麗。
周りにいる女性達はうっとりとして、言葉を失っていた。
あぁ、お二人は本当に王子様みたいだ。
でもここにはお姫様なんかいない。
私は決してお姫様なんかじゃない。
たまたま、この血筋に生まれた来ただけ。偶然の巡り合わせでここに居る。
本来の私は山奥で静かに暮らすのがお似合いだと、理解している。なのに、なのに。
静かに金髪を揺らしながら。先ほどまで臣様の姿をしていた、澪様が私にゆっくりと近づいてくるのを見て、胸が高鳴った。心が熱くて痛い。
澪様の歩を止める人は誰もおらず、澪様はとうとう野点傘の前までやってきた。
「みお、さま……」
なにを言うのだろうか。
桐生様に言葉を掛けるのだろうか。それとも百合子様なのか。
私に声を掛けてくれるはずなんてない。雑木林で私は一方的に忘れてくれと言ったのだ。
でも、翠緑の綺麗なあの瞳は私をずっと見つめていて──花びら舞うなか、澪様は優しく微笑んだ。
「千里。足の怪我は大丈夫そうやな。心配してた」
その瞬間、ばちっと私の背筋に電流のようなものが走った。
「あ……、あっ……わたしっ」
涙が溢れて、世界が沈む。
澪様は三ヶ月間私のことを忘れないでいた。
しかも、ずっと足の怪我を心配してくれていた!
その気持ちは愛と呼ぶのに相応しいと思った。
何も男女の愛だけが愛の全てではない。他者を慈しむ心。思いやる心。それを愛と言わずして、なんと言う。
私は愛されていた。それに気付かないなんて、なんて愚か。
澪様の言葉に和敬清寂の真髄を見た気がした。
澪様はきっと『愛』を持ってこの場に来て下さったのだ。
しかしだ!
私はその『愛』に応えられない。
応えてはいけない。
私にはその資格がないっ。
あの日の雑木林の私のように、俯き頭を下げてしまうと。百合子様がぴしゃりと言った。
「千里姫よ。藤のものに褒美を与えよ」
「そ、それは……」
油を差し忘れたブリキ人形の如く、重い頭を上げてぎこちなく百合子様を見る。
「今の花嵐に変面の如くの衣替え。実に見事じゃ。褒美を与えるのに相応しい。その様子では千里姫も心を動かされたのであろ?」
そう問われて、百合子様の真意がやっと分かった。
「私は──」
私は立場上。桐生黎夜様の婚約者。その立場から一脱した発言は桐生様の顔に泥を塗りかねない。それに桐生様は長きに渡る時間、私の一族を探し求めて来たのだ。その気持ちを踏みにじってはならない。
さりとて澪様、臣様は大事。
澪様には特別な思入れがある。
それを百合子様は全て見抜いている。
その上で私に覚悟を問うたのだ。
しかも今、やっとわかった。
私は澪様のことが──。
これは涙なんか流している場合ではない。私の言葉や行動でもう、これ以上誰も迷惑を掛けたくない。だから私──前を向け。顔を上げろと喝を入れて。
澪様にちゃんと向き合った。
翠緑の眼差しを受け止める。
あぁ、そう言えば出会った最初もこうして、翠緑の瞳に見つめられていた。
震える唇を無理矢理に動かす。
「──た、玉の緒よ。絶えなば絶えね、ながらへば、忍ぶることのよわりもぞする……っ。
私はこの場所を選びました。だから、藤井澪様に申し上げることは、以上でございます」
いい終わり、静かに瞳を閉じた。
一筋の涙が溢れたがそのままにした。
「それは……百人一首か」
澪様が句の意味を探るように呟いたとき「あっぱれじゃ!」と言う百合子様の声が響き、がばっと私を抱きしめた。
目を見開き、百合子様の腕の中からお顔を見つめる。
「おぉ、千里姫よ。泣くな。そなたの気持ち良くわかった。まさか、式子内親王の句を持ち出すとは驚いたえ。妾の意地悪が少し過ぎたようじゃ」
「百合子様……」
「妾はそなたの覚悟が見たかったのじゃ。黎夜と藤の兄弟。どちらを選ぶのか。だが……まだ姫は十六歳。人生も恋もまだ覚悟するのにはちと、早いと言うもの。この場は妾に任せよ」
百合子様は自らの着物の袖で私の涙を拭い。ニコリと微笑んだ。
そして戸惑う澪様、臣様。桐生様を見渡して毅然とした声で告げた。
「黎夜、藤の兄弟よ。千里姫の今後について、そちらに妾が言い渡す。良く聞くがよい。この賢き千里姫を──……」
──百合子様のお言葉を聞いて、私は全てを納得したのだった──。