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『紗良』
放課後。
気づいたら屋上に向かっていた。
昨日、あんなことを言ったのに。
もう来ないかもしれないのに。
それでも足は止まらない。
思いドアを押す。
冷たい風。
そして――
誰もいない。
分かっていたはずなのに、胸が小さく沈む。
フェンスのそば。
いつも立っていた場所。
空っぽ。
「……」
何か言おうとして、やめる。
誰もいないのに、声を出す意味がない。
昨日の光景が蘇る。
何も知らないくせに。
何も、抱えてないくせに。
――最低だ。
自分が言った言葉なのに、刃みたいに刺さる。
座る
コンクリートが、昨日より冷たく感じた。
風だけが吹いている。
こんなに広かったんだ、ここ。
今まで気づかなかった。
しばらく待つ。
時間がわからない。
時計を見る勇気がない。
来ない。
当たり前だ。
「……帰ろ」
立ち上がる。
でも足が動かない。
もし、今来たら?
そんな都合のいい可能性に縋ってしまう。
来ない。
結局、日が沈み始めるまで動けなかった。
次の日。
また来た。
そして、誰もいない。
三日目も、四日目も。
屋上は、ずっと空っぽのままだった。
教室で、何気なく周囲の会話が耳に入る。
「最近さ、例の人来てなくない?」
「誰?」
「ほら、あの無口な……」
心臓が一気に跳ねる。
聞くつもりなんてなかったのに、体が反応してしまう。
「前も長く休んでたらしいよ」
「え、そうなの?」
「不登校気味ってやつじゃない?」
不登校。
その言葉が妙に重く響く。
「でも最近は普通に来てたよね」
「また戻ったんじゃない?」
「なんか怖いよね、ああいう人」
笑い声。
胸の奥が冷たくなる。
怖くない。
少なくとも、私は――
そこまで思って、止まる。
私は何を知っている?
何も知らないくせに。
自分の言葉が、また刺さる。
放課後。
今日も屋上へ向かう。
もう来ないと分かっているのに。
扉を開ける。
風、空、そして、誰もいない。
「……」
フェンスに近づく。
手を触れる。
冷たい金属。
ここに、確かにいた。
毎日、同じ時間に、隣に。
「……ごめん」
小さすぎて、風に消える声。
届くわけがない。
それでも言わずにいられなかった。
「……言い過ぎた」
目の奥が熱くなる。
泣く資格なんてない。
傷つけたのは自分なのに。
優等生は泣かない。
人前では、絶対に。
でもここは――
誰も見ていない。
涙が一滴、落ちた。
すぐに拭う。
「……もう、来ないよね」
分かっている。
屋上はまた、自分だけの場所に戻った。
はずなのに。
前よりずっと、息がしにくい。
『悠真』
朝。
目は覚めている。
でも体が動かない。
布団の中は暗くて、静かで、安全だ。
外の音が遠い。
学校に行く時間、とっくに過ぎている。
でも、起きる理由がない。
行かない。
今日は、昨日も、一昨日と。
スマホが光る。
画面を見ない。
見たら現実が来る。
全部無視する。
「……」
天井を見る。
何もない。
なのに頭の中だけ騒がしい。
抱えてにくせに。
声が蘇る。
大きくて、震えていて、必死だった声。
怒りよりも――
悲鳴に近かった。
「……違う」
小さく呟く。
違う。
何も知らないのは、向こうだけじゃない。
自分も何も言ってない。
言えるわけがない。
言ったら、壊れる。
全部。
屋上で感じていた、あの静かな時間も。
あの距離も、空気も。
――全部。
だから行かなかった。
今日も、これからも、行けない。
目を閉じる。
すると、浮かぶ。
フェンスの前に座る姿。
風に揺れる髪。
何も言わなくても成立していた時間。
「……最悪だ」
どうして思い出す。
忘れたいのに。
忘れられない。
胸が痛い。
物理的じゃない、もっと奥の方。
昔と同じ痛み。
「……もう関係ない」
言い聞かせる。
関係ない。
ただ同じ場所にいただけ。
名前も知らない。
他人だ。
それでいい。
それが正しい
それなのに――
「……なんで」
声が震える。
目の奥が熱い。
泣くな。
泣く理由がない。
それでも、涙が滲む。
手の甲で、乱暴に拭う。
止まらない。
「……っ」
声が出ないように、歯を食いしばる。
布団に顔を押し付ける。
屋上には行かない。
二度と、あそこには――
もう、安全な場所じゃない。