テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
30
55
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
入学式の朝、ソウルの空は珍しくよく晴れていた。
ソンイェゴ演芸芸術高等学校の体育館は、すでにざわめきで満ちていた。新入生の多くが制服をピシッと着こなし、スマホを片手に写真を撮ったり、知り合いを探したりしている。俺、高橋蓮は後ろの方の列に立って、ぼんやりと壇上の校長の話を聞いていた。
「この学校は、君たちの夢を形にする場所です……」
夢、か。俺は小さく息を吐いた。
日本人の父と韓国人の母を持つハーフで、中学2年からソウルに住んでいる。言葉は両方ネイティブだけど、時々「どっちの国の人間だ」と聞かれるのが面倒くさくて、なるべく目立たないようにしてきた。
音楽が好きで、この芸術高校を選んだ。野球も続けたいけど、プロとかそんな大それたものは考えていない。ただ、弱いチームでみんなと汗を流すのが楽しいだけだ。
式が終わってクラスに移動すると、同じクラスのイ・テヒョンがすぐに声をかけてきた。
「レン、お前野球部入るんだろ? 俺、キャッチャーやるからよろしく!」
テヒョンと中学が同じだったお調子者のスン・ソンジェがニヤニヤしながら割り込む。
「強豪校スカウト断ったってマジ? すげーなー。でもここの野球部、部員10人くらいしかいねーぞ。毎年初戦敗退だし」
俺は肩をすくめた。
「それでいいんだよ。野球は大好きだけど、音楽の勉強がしたいんだ」
放課後、グラウンドに向かうと、美術科のキム・ジョンフン先生がすでに待っていた。野球部監督も兼任している人だ。
「はあ……高橋、お前か。なんでまたお前みたいなのがうちの部に来るんだよ。中学の頃から全球団が目をつけてた右腕が、こんな弱小部で何やってんだ……強豪行けよ……」
監督は弱気な愚痴をこぼしながら、迷惑そうな態度を取っていた。でも、練習メニューは適当に組んでくれるし、音楽の課題で休むのも大目に見てくれる。美術教師らしい、柔らかい人だった。
軽くキャッチボールを始めた。まだ新学期早々で、本格的な練習じゃない。テヒョンがミットを構え、俺が軽くストレートを投げ込む。球は低めに決まり、いい音を立てた。
「いい球だな、レン!」
その時だった。
グラウンド脇の通路を、茶髪のロングヘアを優雅に揺らした女子が歩いていた。
小顔で、大きな瞳。制服の上に薄いカーディガンを羽織っているのに、スタイルの良さが一目でわかる。非の打ち所がない完璧なプロポーション。 周囲の生徒たちが自然と道を空け、ひそひそと囁くのが聞こえた。
カン・ソウォン。高2の音楽科で、16歳でデビューした今人気急上昇中のアイドル。学校には週に1、2回しか来ないらしい。
俺の投げたボールが、少しだけコントロールを外れた。
低めに落ちるはずが、わずかに浮いて、ソウォンの方向へ転がっていく。危うく足元に当たりそうになった。
「わっ……!」
ソウォンが小さく声を上げて足を止めた。ボールが彼女の靴の横で止まる。
俺は慌てて駆け寄った。
「すみません……」
謝りながらも、なぜか声が少し尖っていた。女子に興味なんてない。ただの事故なのに大げさに反応されたくない気分だった。
ソウォンがゆっくりとこちらを見上げた。大きな瞳が少し細くなる。
「……危ないよ? ちゃんと周り見て投げてくれないと。怪我したらどうするの」
声は綺麗だった。でも、明らかに不機嫌そう。いつもカメラに向けてる可愛いらしい笑顔じゃなく、素の少し苛立った表情。
俺は目を逸らさずに答えた。
「すみませんでした。でも、練習してるのにグラウンドの近く通るのもどうかと思いますけど」
喧嘩腰気味に返ってしまった。テヒョンが後ろで「レン……」と小さく止める声が聞こえた。
ソウォンは一瞬、驚いたように眉を寄せたが、何も言わずにボールを俺に突き返すと、くるりと背を向けた。茶髪がサラッと揺れる。
その後ろ姿を見送りながら、俺は小さく舌打ちした。面倒くさいな……。
少し離れたところで、ソウォンは友達らしき女の子と合流した。
「ユジン、あいつ何? 新入生でしょ? なんか態度悪くない? 『グラウンドの近く通るのもどうかと思いますけど』って……ふざけんなよー」
ソウォンが少し愚痴をこぼす。ユジンはくすくす笑いながら、
「でもイケメンじゃん。日本人とのハーフっぽいし、すごい投手らしいよ。珍しいよね、うちの学校であんな強豪レベルの人が野球部に入るなんて」
「どうでもいいし興味ない。」
ソウォンはため息をついて歩き去った。
俺はその声を少しだけ聞きながら練習に戻った。
ただの事故だ。関わるつもりなんてないはずだった。