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第207話 残された名前
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
白い光の粒が、校庭にゆっくりと落ちていた。
さっきまでそこにいたはずのレアは、もういない。
パイソンもいない。
校庭の中央には、黒く焦げたような跡だけが残っている。
そこに、白い光の粒がいくつも漂っていた。
サキは、その前に膝をついていた。
「レア……」
名前を呼んでも、返事はない。
さっきまで聞こえていた声もない。
「サキちゃん」と呼んだ声もない。
「友達に、なれたかな」と笑った顔も、もうそこにはない。
サキの肩が震えた。
「友達だよ……」
声が、涙で途切れる。
「なれたよ……」
ハレルは肩の傷を押さえながら、サキの方へ一歩踏み出した。
けれど、途中で止まった。
何を言えばいいのか分からなかった。
慰める言葉が、今は軽くなる気がした。
「助かった」と言うには、失ったものが大きすぎる。
「レアは自分で選んだ」と言うには、サキの涙が痛すぎる。
リオも、傷ついた副鍵を押さえながら黙っていた。
アデルは外周線を支えたまま、校庭中央を見つめている。
ヴェルニは肩で息をし、炎を消していた。
誰も、すぐには動けなかった。
その沈黙を破ったのは、ジャバだった。
「……なんだよ」
低い声だった。
ジャバは、黒い焦げ跡を見ていた。
パイソンが消えた場所。
レアが消えた場所。
「なんなんだよ、今の」
その声には、怒りが混ざっていた。困惑もあった。
「パイソンが……消えたのか」
ヴェルニが身構える。
「まだやる気か」
ジャバはゆっくり顔を上げた。
その目は、さっきまでより濃く黒い。
「当たり前だろ」
黒い影が、ジャバの足元から膨れ上がる。
「パイソンの小細工は消えた」
「ラストも消えた」
「あの女も消えた」
ジャバは歯を剥き出しにして笑った。
「なら、残った俺がぶっ壊せばいいだけだ!」
次の瞬間、校庭の地面が黒く割れた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭南西側・朝】
ジャバの影が、一気に広がった。
パイソンの構文はもうない。
ifも、elseも、returnも、breakも消えている。
だが、代わりにジャバ自身の力がむき出しになった。
力任せ。粗暴。だが、それだけに分かりやすく重い。
黒い影が巨大な腕のようになり、南西外周へ叩きつけられる。
ドンッ!
外周線が大きく揺れた。
アデルが歯を食いしばる。
「外周線、保持!」
王都兵たちが声を合わせる。
「アデル、外周を支えています!」
「南西槍列、維持!」
「ヴェルニ、前にいます!」
ヴェルニはふらつきながらも前へ出た。
「勝手に俺を前にするなよ」
そう言いながら、彼は両手に炎を灯した。
ジャバが突進する。
「どけええええッ!」
ヴェルニは正面から受けた。
炎と黒影がぶつかる。
衝撃で、ヴェルニの足元が沈んだ。
「ぐっ……!」
ハレルが主鍵を向ける。
「一点固定――〈固定界〉!」
今度は構文に邪魔されない。
白い光は、狙った場所にまっすぐ立った。
ジャバの踏み込みが、ほんの一瞬止まる。
リオも副鍵を構えた。
傷ついた腕輪から、弱い光が出る。
「まだ使える……!」
リオは歯を食いしばる。
「〈光縛・第二級〉!」
光の紐が、ジャバの片腕へ絡みつく。
ジャバはそれを力任せに引きちぎろうとした。
だが、今度はパイソンの補助がない。
一瞬、動きが鈍る。
アデルが叫んだ。
「ヴェルニ、右へ流せ!」
「了解!」
ヴェルニが炎の壁を斜めに立てる。
ジャバの巨体が、外周線からわずかに逸れた。
そこへハレルの固定界がもう一本入る。
「一点固定――〈固定界〉!」
ジャバの足元が止まる。
リオの光縛が、もう一度腕に絡む。
ヴェルニの炎が、正面から押す。
ジャバが初めて、大きく後ろへよろめいた。
「っ……!」
ジャバの顔が歪む。
「なんでだよ」
ヴェルニが荒い息を吐きながら笑った。
「パイソンの補助がねえと、だいぶ雑だな」
ジャバの目が怒りで濃くなる。
「黙れ!」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の床に走っていた黒い構文は、ほとんど消えていた。
if student == fear。
return target。
その文字も、もう薄い。
青山先生は、それでも名前確認を止めなかった。
「私は、青山和子です」
「三年二組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
生徒たちも続く。
「小森ハルカ、ここにいます!」
「内田ソウタ、ここにいます!」
「遠藤ミナ、ここにいます!」
声は震えている。
泣いている生徒もいる。
でも、声は止まっていない。
ダミエは結界線を見た。
パイソンの干渉が消えたことで、体育館の結界はだいぶ軽くなっている。
だが、校庭ではジャバが暴れている。
南西外周が落ちれば、帰還の線は崩れる。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『体育館側、安定上昇』
『パイソン構文、ほぼ消失』
『でも、ジャバの黒影圧が南西に集中してる!』
ダミエは短く答える。
「体育館から補助を回す」
『無理しないで!』
「もう少しなら可能だ」
ダミエは床へ手を置いた。
体育館の結界から、細い白い線を校庭南西へ伸ばす。
それは強い力ではない。
押し返す力でもない。
ただ、外周が落ちないように、下から支える小さな支え。
ダミエは呟く。
「ここは、まだ学園だ」
「体育館も、校庭も、外周も、切り離さない」
床の白い線が、静かに伸びた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
現実側でも、変化ははっきり出ていた。
日下部の端末から、黒い構文の警告が次々と消えていく。
《PYTHON CORE / LOST》
《COMMAND STRUCTURE / CLEARED》
《ROLE INTERFERENCE / DECREASING》
だが、その代わりに別の警告が大きく表示された。
《JABA PRESSURE / SOUTHWEST》
《BOUNDARY STRAIN / HIGH》
《SCHOOL RETURN LINE / HOLDING》
日下部が叫ぶ。
「パイソン干渉、消失!」
「でも、ジャバの黒影圧が南西に集中!」
「外周線が押されています!」
城ヶ峰は即座に指示を出す。
「南西班に人員を回せ」
「ただし、外周の他区画を薄くしすぎるな」
「北側と東側は維持したまま、支援を送る」
木崎は無線を取った。
『南西班、聞こえるか』
『相馬です。聞こえています!』
『持つか』
一瞬、ノイズが入る。
それから相馬の声が返る。
『持たせます』
『南西一班、相馬。旧学園南西外周、維持』
『佐久間、光具を支えています』
『宮野、布紐を維持しています』
名前の声が続く。
日下部は画面を見て、息を吐く。
「名前確認で揺れが少し下がりました」
「でも、まだ足りない」
木崎は森の奥を見る。
そこには、校庭の影が映っていた。
炎と黒影がぶつかる。
白い光が外周を支える。
そして、校庭中央には、さっきまであった白い光の名残がかすかに見えた。
木崎は低く言った。
「あいつが消したのは、パイソンだけじゃないな」
日下部が顔を上げる。
木崎は続けた。
「言葉で崩す敵がいなくなった」
「なら、今度は正面から耐えればいい」
城ヶ峰が頷く。
「そうだ」
「構文は消えた」
「残った敵は、力で押してくる」
「なら、押し返す」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
ジャバは、怒りに任せて暴れていた。
黒い影が、何本もの腕のように伸びる。
校庭を叩く。
外周を叩く。
王都兵の槍列を砕く。
だが、さっきまでとは違う。
パイソンの構文がない。
守る場所をずらされない。
攻撃を返されない。
名前を役割に変えられない。
ハレルの固定界は、狙った場所に立つ。
リオの光は、まだ弱いが、まっすぐ伸びる。
アデルの副鍵は、外周を確かに支える。
ヴェルニの炎は、煙に変えられない。
それでも、ジャバは強い。
単純な力だけなら、誰よりも重い。
「押し切ってやる!」
ジャバが叫ぶ。
巨大な黒い腕が、南西外周へ振り下ろされる。
アデルが声を張る。
「全員、名前を!」
王都兵が叫ぶ。
「アデル、外周を支えています!」
「ヴェルニ、前にいます!」
「ハレル、中心を支えています!」
「リオ、校舎側を支えています!」
「サキ、校庭にいます!」
サキは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、立ち上がった。
レアが消えた場所を背にして。
「雲賀サキ!」
「ここにいる!」
その声が、外周線へ届いた。
白い光が強まる。
ハレルはサキを見た。
本当は、休ませたい。
泣かせてあげたい。
でも、サキは立っている。
なら、自分も立つしかない。
「雲賀ハレル!」
「中心を支える!」
主鍵の光が立つ。
リオも続く。
「一ノ瀬涼!」
「副鍵はまだ使える!」
傷ついた副鍵が、弱くても確かに光る。
アデルが言う。
「アデル!」
「外周を落とさない!」
ヴェルニが叫ぶ。
「ヴェルニ!」
「ジャバを止める!」
それぞれの名前が重なった。
ジャバの黒い腕が外周線へ落ちる。
その瞬間、ハレルの固定界、リオの光縛、アデルの副鍵、ヴェルニの炎、ダミエの結界補助が重なった。
白い光と炎が、黒い腕を受け止める。
重い。
地面が割れる。校庭の土が跳ねる。王都兵たちが膝をつく。
それでも、外周線は落ちなかった。
ジャバの顔が歪む。
「なんで……折れねえ!」
ヴェルニが歯を食いしばって笑う。
「一人で支えてねえからだよ!」
ハレルも叫ぶ。
「今だ!」
リオの光縛が、ジャバの腕へ巻きつく。
アデルの副鍵が、外周から白い線を返す。
ヴェルニの炎が、真正面から押し上げる。
ハレルの固定界が、ジャバの足元を止める。
四つの力が重なり、ジャバの体が大きく後ろへ吹き飛んだ。
「ぐあっ!」
ジャバが校庭の端まで転がる。
黒い影が大きく散った。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭端・朝】
ジャバは、片膝をついていた。
口元から黒い影が漏れている。
肩も、腕も、影が裂けている。
それでも、倒れてはいない。
「……くそ」
ジャバは、校庭中央を見た。
パイソンはいない。
レアもいない。
ラストもいない。
残っているのは、自分だけ。
そして、目の前には、ハレルたちが立っている。
傷だらけで。疲れ切って。それでも、まだ立っている。
ジャバは笑った。
「いいねえ」
その笑いは、さっきまでより少し低かった。
「まだ終わってねえ」
ハレルは主鍵を構える。
「終わらせる」
リオも副鍵を構える。
「ここから先には行かせない」
アデルは外周を支えたまま言う。
「帰還の準備を壊させない」
ヴェルニは炎を握る。
「次で押し返す」
ジャバはゆっくり立ち上がった。
「やってみろよ」
その時、ジャバの背後に黒い亀裂が開いた。
だが、それはジャバが作ったものではなかった。
もっと深い場所から開いたような亀裂。
ジャバの顔が歪む。
「……あ?」
亀裂の奥から、冷たい声が響いた。
「戻りなさい」
カシウスの声ではない。
パイソンの声でもない。
黒影側の深層からの命令のような声。
ジャバは歯を食いしばる。
「ふざけんな」
「まだやれる」
亀裂の奥から、さらに黒い線が伸びる。
ジャバの足元へ絡む。
ジャバは怒鳴った。
「引っ張るな!」
だが、その黒い線は強い。
パイソンが消え、ラストも消えた今、ジャバをここで失うわけにはいかない。
そう言っているようだった。
ジャバはハレルたちを睨んだ。
「覚えてろよ」
「次は、俺一人で全部ぶっ壊す」
ヴェルニが息を切らしながら返す。
「次があればな」
ジャバは笑った。
「あるさ」
黒い亀裂が、ジャバの体を飲み込んでいく。
最後に、ジャバは校庭中央の白い光の跡を見た。
「……気に食わねえ」
その言葉を残し、ジャバは亀裂の奥へ消えた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
黒い亀裂が閉じた。
校庭に、ようやく静けさが戻った。
誰もすぐには動けなかった。
ハレルは肩の傷を押さえながら、膝をつきそうになる。
リオは副鍵を押さえ、苦しそうに息を吐く。
アデルは外周線を支えたまま、ようやく少しだけ力を抜いた。
ヴェルニは地面に座り込み、大きく息を吐いた。
「……死ぬかと思った」
アデルが言う。
「まだ死んでいない」
「そういう問題じゃねえんだよ」
それでも、ヴェルニは笑っていた。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『パイソン反応、消失』
『ジャバ反応、撤退』
『外周線、維持』
『学園帰還ライン……安定してる』
その声は、震えていた。
『レアの光で、黒い構文がほとんど消えてる』
『帰還に必要な線が、前より澄んでる』
ハレルは校庭中央を見る。
そこには、サキが立っていた。
サキは、レアが消えた場所から動いていない。
ハレルはゆっくり近づいた。
「サキ」
サキは振り返らなかった。
「お兄ちゃん」
「うん」
「レア、いなくなっちゃった」
ハレルは何も言えなかった。
サキは続ける。
「でも、最後に選べたって言った」
「うん」
「だったら……」
サキの声が震える。
「ちゃんと覚えてないとだめだよね」
ハレルは頷いた。
「うん」
サキは、涙を拭かないまま、校庭中央を見た。
「ここにいたのは、レア」
「カシウスのものじゃない」
「パイソンの駒じゃない」
「私の友達の、レア」
その言葉に、白い光の粒が一つだけ、ふっと浮かんだ。
それはすぐに消えた。
でも、サキは見ていた。
◆ ◆ ◆
パイソンは消えた。
ジャバは撤退した。
ラストも、もういない。
黒影三人のうち、二人は失われ、残る一人は深層へ引き戻された。
学園の校庭には、深い傷が残った。
ハレルも、リオも、ヴェルニも、兵士たちも傷ついた。
アデルも、ダミエも、限界近くまで支え続けた。
そして、サキは友達を失った。
だが、レアが最後に放った光は、学園に残っていた黒い構文を焼いた。
帰還の線は、以前より澄んでいる。
悲しみは消えない。
けれど、道は残った。
次にやるべきことは、もう決まっている。
学園を戻す。
レアが残した光を、無駄にしないために。
#切ない
コメント
1件
ああ……もう、胸が苦しいです。 レアが消えた場面、それでも「友達になれた?」と確かめた最後の言葉が刺さりました。サキが「なれたよ」って声を絞り出すところで目が热くなりました。 パイソンの構文が消えたことで、バトルの手触りがガラッと変わったのも見事でしたね。複数人で連携してジャバを押す流れ、速度感が気持ち良かったです。 サキが「ちゃんと覚えてないとだめだよね」と立つ決意を見せたあの言葉。あれだけで、レアの存在が決して無駄じゃなかったと確信できました。道は残った――その一文がすべてを支えています。