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#希望
#感動的
◇◇◇◇
星篝の魔女、リースペイトの家。
夜は深く、空には雲ひとつない。無数の星の光が街に降り注いでいた。
ヴァルディウス王国の敗北。
その報は風のように広がって、リースペイトの元まで届いていた。
「……明日にはバリスハリスへ向かうわ。準備をしておきなさい」
リースペイトは窓辺に立ったまま、振り返りもせずに言った。
その声音は淡々としている。だが、その奥にわずかな焦りが混じっていることに、ジークは気づいていた。
「わかった」
ジークは肩の力を抜くように息を吐く。
「僕がセレナの貢物でも……それでもセレナに会えるって思うと、少し楽しみなんだ」
自嘲とも、本音ともつかない声音だった。
リースペイトはゆっくりと振り返る。
「前にも言ったはずよ。白の魔女の心の端にも、貴方はいない。それは自覚しておきなさい」
言葉は刃のように鋭い。
「バリスハリスの王の前で、馴れ初めなんて語り出したら、貴方も、私も、その場で首が飛ぶわ」
軽く言われたその一言は、冗談の色を一切含んでいなかった。
ジークは苦笑する。
「……そこまでか」
「そこまでよ。セレナ一人のために戦争を起こすような男よ。正気で測ろうとする方が間違ってる」
窓の外へと視線を戻す。
「狂ってるわ」
ぽつりと溢れたその言葉は、どこか乾いていた。
ジークは肩をすくめる。
「愛の重さなら負けないつもりだったけどな。それを聞くと、僕のは愛はずいぶんと軽い」
「ええ」
リースペイトはあっさりと頷いた。
「羽みたいなものね」
そのときだった。
ちりん、と。
鈴の音にも似た、かすかな金属音が室内に響き渡る。
ジークの表情が引き締まる。
「……なんだ?」
「さあ」
リースペイトはわずかに首を傾げる。
「こんな時間に訪ねてくるなんて、珍しいわね」
「訪ねてくるって……客か?」
違和感が、言葉の端に滲む。
ジークはゆっくりと窓へ歩み寄った。
外を覗く。
そして。
息を呑んだ。
門の前に、整然と並ぶ影。
ヴァルディウス王国の兵たちが、数十。
夜の闇の中で、鎧の輪郭だけが鈍く光っている。
「……逃げよう」
ジークの思わず言葉は、震えていた。
だが。
リースペイトは首を横に振る。
「無理よ」
その声には、すでに諦めが混じっていた。
「あの女からは逃げられない」
窓の外をいちべつする。
「明日、こっそりとヴァルディウスから出るつもりだったのに……遅かったわね。戦争の結果なんて待たず、さっさとバリスハリスへ行くべきだったかしら」
ジークは眉を寄せる。
「あの女って……誰だよ」
「アメリア。ヴァルディウス王国の王妃よ」
空気が、ひやりと冷えた。
ジークの背筋を、見えない手が撫でたような感覚が走る。
「……王妃様が何で?」
「さぁ? 魔女が嫌いなんでしょ。貴方を助けた意味も、これで半分、消えたわね」
そう言いながら、懐に手を入れる。
取り出したのは、小さな玉だった。
手のひらの上で、それはかすかに光を宿している。
まるで夜空を削り取って閉じ込めたように、小さな星々が内側で瞬いていた。
「これを持って」
ジークの手に押し付ける。
「明日までに私が戻らなかったら、これを空へ投げなさい」
「……それは?」
「保険よ」
それ以上は語らない。
ただ、静かに言葉を重ねる。
「それが終わったら、貴方は自由」
ジークの手の中で、玉が微かに温もりを帯びている。
「どこへでも行きなさい」
一瞬だけ、視線が柔らかくなる。
「ただし、この国には残らない方がいいわ」
その言葉には、優しさがあった。
そして。
ジークが瞬く間に。
リースペイトの姿は、そこから消えていた。
風も、音もなく。
まるで最初から存在していなかったかのように。
ジークは息を止めたまま、窓へ駆け寄る。
視線の先。
門の前に、彼女は立っていた。
兵たちに囲まれ、その中心で、抵抗はしない。
ただ、受け入れている。
金属音が響く。
手錠が嵌められる音。夜の静寂に、その音だけが妙に大きく広がった。
ジークは、動けなかった。
窓越しに、その光景を見つめることしかできない。
手の中の玉だけが、やけに重い。
「……自由、か」
ぽつりとこぼれた言葉は、ひどく空虚だった。
与えられたはずのそれは、どこにも実感がない。
ただ。
失われていくものの輪郭だけが、はっきりと胸に残っていた。