コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「たしか…声はこっちから…」
ほんの僅かな情報を頼りに進むこと数時間(正確な数字までは分からないが)。相変わらずの真っ暗な景色にも慣れてきて、恐怖心は多少は控えめになってくれた。今こうして動けているのは、さっきかすかに聞こえた声のおかげ。
――…ザ…ザザ…
(…砂嵐、みたいな…なんだろう、この音…)
それは進むごとに大きくなっていった。調子の悪そうな、少し不快な音。時折プツプツと、途切れる感じもする。自然的なものではない、例えるとすれば、機械のような…
「…んぅ…音が、また大きく…」
耳障りなノイズが鳴り続ける。流石にそろそろ嫌になってきた。思わず耳と目を塞ぎながら進んでいく。
どれだけ、歩を進めただろう。
塞いだ耳にも音が届いたような気がして、はっとして目を開ける。
「…えっ?」
そこにあったのは、空間を崩して空けられたみたいな穴と、そこにはまって足をジタバタさせているピンクの物体だった。
草がざあざあと揺れる。
吹き付けるはるかぜが止まない。
どこか懐かしい夢だった。
ぼくには決して触れられない幻想だった。
遠くから音が聞こえてくる。
ぼくを呼ぶ声。
呼び戻されているんだと分かった。
…もう行かなくちゃ。
「あ…起きた?」
目を開けて、確かめるようにしばたたいたピンク玉が、その目をキョトンとさせる。その表情も、仕草も、あまりにもそっくりで、こみ上げてきた懐かしさと胸の痛みを悟られないように隠した。
「ええっと、助けてくれた…んだよね?ずっと動けなくて困ってたんだよ」
裏表のない素直な言葉。それも“彼”を想起させる要因となって、また胸が痛む。
「ところでさ…キミ、すごく珍しい見た目してるよね。ぼく、こんなひと初めて見たよ」
「…そう、かな」
彼にとっては何気ない感想だったのだろう。でもあたしは、その言葉を嫌に感じていた。ひとと違うということが、なんとなく嫌だったから。
「…そういえば、なんであんなことになってたの?通ろうとして、つっかえてたとか?」
「…まあ、そんな感じ。気づいたら穴が開いてて、気になって行こうとしてみたら通れなくて…そのあと、キミに引っこ抜かれたってわけ」
「へえ。じゃあ、向こうに何があるかは分からないってことだよね?」
「うん。…行くの?」
名も知らぬ彼に問われた。少し迷ったあとで、深くうなずく。
「…じゃあその前に、ふたついいかな?まず、キミの名前は?」
「…アド」
「ぼくはポポポ。覚えやすい名前でしょ。
じゃあもうひとつ。どうしてぼくを見つけられたの?」
「どうして、って…ポポポの声が、聞こえた気がしたから…あなたが呼んだんじゃないの?」
「……えっ………?どういうこと…?ぼく、そんなこと知らないけど…」
驚きのあまり、今度はこちらが困惑する番だった。
「知らない、けど…ぼく、ずっと寂しかったんだよ」
返答に困っていると、ポポポが語りだした。
「気がついたら一人でここにいて、長い間なにもしてなかった。あの穴が開くまで、なにもなかったからさ。夢も見られない、ゴハンも食べれない…
だから今、キミが来てくれて、すごく嬉しいな」
泣きかけの目をしたまま、ポポポはそう言った。
「…もし、キミが穴を通って、ここから出ていくことができたらさ――」
期待を込めた眼差しが、今はとても痛かった。
「ぼくにその世界のこと、教えてよ」
彼がここから出られないことを、なんとなく察してしまったから。
「…うん、」
その約束を守れる気は、しなかった。
「――いいよ」
戻って来られないような、戻りたくないような、そんな気持ちだったから。
「じゃあ、もう行くね」
そう言い残して、あたしは穴をくぐってさっさと行ってしまった。
ポポポのようにつっかえるかと思ったが、そうはならなかった。
目覚めたあとの目の前は、白に近い空色だった。きっと、天空に張る薄雲のせいだろう。
(てことは…)
期待して起き上がる。やっぱり、今あたしがいるのは、雲の上、あたしが知る限りでは、星に一番手が届きそうな場所。確信を得るために、辺りを見回す。
(ああ…よかった…)
背後にあったのは、何よりも馴染みのある建物。
ここは、あたしのアトリエがある、クラウディパークだった。
家の裏に回る。描きかけの絵がそのまま置かれていた。いつの間にか持っていたパレットと絵筆を握り直して、前に立つ。描きたい衝動のまま、筆を動かした。
(楽しい…!)
夢中で描いているうちに、しばらく時間が経ってしまったようだ。ずっと固定していた左手がしびれていた。
ふと、何気なしに空を見上げる。
…あの日見た黒い雲が広がっていた。
「あ、おかえり!どうだっ――」
「……」
「あっ、ちょっと!…行っちゃった…」
穴から帰ってきて、何も言わずにまた入っていったアドの背中を、どうすることもできずに見送る。あそこで何があったかは知らない。ぼくには一生見られないだろう世界だ。
…そんなところに行けるキミが、ちょっと羨ましかったり。
「…」
クラウディパークで目が覚める。
「…」
気がついたら、絵を描いている。
「…」
黒い雲に襲われる。
「…」
“あの人”に出会う。
「…」
“あの子”たちに助けられる。
「…」
一連の流れを繰り返す。
「…」
何度繰り返しても、
「…」
何度繰り返しても、変わらない。
「…」
同じ世界。
「…」
同じ景色。
「…」
同じ出来事。
「…」
自分ではどうしても、抗えない。
――今、何周目?
「…」
「ようやく、帰ってきたね。いや…戻ってはいたけど、すぐに行っちゃうから、まあそういう意味だったんだけど…」
カ――ポポポの言葉は、ほとんど聞いていなかった。聞こえてはいたけれど、 答える気にはなれなかった。
「つれないねぇ…キミも…」
あの穴と繋がっていたのは、元の世界なんかじゃなかった。
あの中にあったのは、かつてあたしの経験した“過去”だった。
何度繰り返しても、何も変わらなかった。
「ねえ、ねえってば!」
まるで最初から決められた出来事だったみたいだ。
過去に起きたことだから仕方ないとはいえ、どう動こうとしても、元の方向に戻されてしまう。
だから、結局あたしは――
「…アド?聞いてる?てか、起きてる?」
「……駄目、だった。あたしも結局、出られなかった」
「そっか。
…向こうで、何かあったの?」
何度も見たのに、言いだすまでには時間がかかる。
「――なんにもなかった。あたしが昔に経験したことが、繰り返し流れただけで」
「それ、どういうこと?なんにもなかったなんて、そんなことないのに」
…え…?
「キミには繰り返す分の歴史があるけど、ぼくにはそれすら無いんだよ?」
(…!)
ポポポに歴史が、無い…?
意味が分からなかった。
理解するまでに、かなり時間がかかってしまった。
でも、
「あたし、これでもまだ…」
それを理解できたとき、彼とあたしの間にある違いが浮き上がってきたとき、どうしようもなくやるせなかった。
「あーあ…ちょっと遊びすぎちゃったかな。もう壊れて使いものにならないや」