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石をどかしていくと、見慣れた白い綺麗な手が見えた。
見つけた!
「ドロシー!!」
俺は急いで手をつかむ……が、何かがおかしい……。その違和感が、俺の背筋を凍らせる。
「え? なんだ?」
俺はそーっと手を引っ張ってみた……。
すると、スポッと簡単に抜けてしまった。
「え?」
なんと、ドロシーの手は肘までしかなかったのである。その瞬間、俺の心が軋んだ――――。
「あぁぁぁぁ……」
俺は崩れ落ちた。
ドロシーの腕を抱きしめながら、俺は、自分が狂ってしまったんじゃないかという程の激しい衝撃に全身を貫かれる――――。
「ぐわぁぁぁ!」
俺は激しく叫んだ。無限に涙が湧き出してくる。その叫びが、空虚な空間に木霊する。
あの美しいドロシーが腕だけになってしまった。俺と関わったばかりに殺してしまったのだ。
なんなんだよぉ!
「ドロシー! ドロシー!!」
俺はとめどなくあふれてくる涙にぐちゃぐちゃになりながら、何度も叫んだ。その声には、深い悲しみと後悔が込められていた。
「ドロシー!! うわぁぁぁ!」
俺はもうすべてが嫌になった。何のために異世界に転生させてもらったのか?
こんな悲劇を呼ぶためだったのか?
なんなんだ、これは……、あんまりだ。
絶望が俺の心を塗りたくっていった。その暗闇が、俺の魂を蝕んでいく。
俺はレベル千だといい気になっていた自分を呪い、勇者をなめていた自分を呪い、心がバラバラに分解されていくような、自分が自分じゃなくなっていくような喪失感に侵されていった。
周りの世界が、灰色に染まっていく。ドロシーの腕を抱きしめたまま、俺は虚空を見つめた。これからどうすればいいのか。その答えが、どこにも見つからない。
死んだ魚のような目をして動けなくなっていると、ボウっと明かりを感じた。その光が、絶望の闇を僅かに照らす。
う……?
どこからか明かりがさしている……。瓦礫の中の薄暗がりが明るく見える……。
辺りを見回すと、なんと、抱いていた腕が黄金の輝きを纏い始めたのだ。
えっ!?
腕はどんどん明るくなり、まぶしく光り輝いていく。その輝きが、俺の心を揺さぶる。
「えっ!? 何? なんなんだ?」
すると、腕は浮き上がり、ちぎれた所から二の腕が生えてきた。さらに、肩、鎖骨、胸……、どんどんとドロシーの身体が再生され始めたのだ。その光景は、まるで奇跡を目の当たりにしているようだった。
「ド、ドロシー?」
驚いているとやがてドロシーは生まれたままの身体に再生され、神々しく光り輝いたのだった。その姿は、まさに女神のようにすら見えた。
「ドロシー……」
あまりのことに俺は言葉を失う。感情が溢れ、再び涙が頬を伝う。
そして、ドロシーの身体はゆっくりと降りてきて、俺にもたれかかってきた。俺はハグでそっと受け止める。
ずっしりとした重みが俺の身体全体にかかってきた。柔らかくふくよかな胸が俺を温める――――。
俺はその温もりに、生きている実感を覚えた。
「ドロシー……」
俺は目をつぶってドロシーをぎゅっと強く抱きしめる。
しっとりときめ細やかで柔らかいドロシーの肌が、俺の指先に吸い付くようになじむ。その感触が、ドロシーの存在を確かなものにしてくれる。
「ドロシー……」
華やかで温かい匂いに包まれながら、俺はしばらくドロシーを抱きしめていた。
ただ、いつまで経ってもドロシーは動かなかった。身体は再生されたが、意識がないようだ。新たな不安が胸を軋ませる。
「ドロシー……? ねぇ、ドロシー……」
俺は美しく再生された綺麗なドロシーの頬を軽くパタパタと叩いてみた――――。
「う……うぅん……」
まゆをひそめ、うなされている。ちゃんと生きているようだ。俺は安堵を覚える。
「ドロシー! 聞こえる?」
俺はじっとドロシーを見つめた。
すると、ゆっくりと目が開く――――。
美しく伸びたまつ毛、しっとりと透き通る白い肌、そしてイチゴのようにプックリと鮮やかな紅色に膨らむくちびる……。
その瞬間、俺は世界が色を取り戻したかのように感じた。
「ユータ……?」
「ドロシー!」
「ユータ……、良かった……」
そう言って、またガクッと力なくうなだれた。その姿に、胸が締め付けられる。
俺はドロシーを鑑定してみる。すると、HPが1になっていた。
これは『光陰の杖』の効果ではないだろうか?
『HPが10以上の時、致死的攻撃を受けてもHPが1で耐える』
確か、こう書いてあったはずだ。
HPが1なのはまずい。早く回復させないと本当に死んでしまう。そのヤバい現実が、俺を急き立てる。
俺は焼け焦げた自分のパジャマを脱いでドロシーに着せ、お姫様抱っこで抱きかかえると急いで家へと飛んだ。
「ドロシー、もうちょっとの辛抱だからね……」
寒くならないよう、風が当たらないよう、俺は細心の注意を払いつつ必死に飛んだ。
46. 琥珀を思わせる瞳
必死に飛んでいると、アバドンから連絡が入る。
「旦那様! 大丈夫ですか?」
「俺もドロシーも何とか生きてる。お前は?」
「私はかなり吹き飛ばされまして、身体もあちこち失いました。ちょっと再生に時間かかりそうですが、なんとかなりそうです」
「良かった。再生出来たらまた連絡くれ。ありがとう、助かったよ!」
「旦那様のお役に立てるのが、私の喜びです。グフフフフ……」
俺はいい仲間に恵まれた……。
自然と湧いてきた涙がポロッとこぼれ、宙を舞った。
空を飛びながら、俺は仲間たちを守り抜こうと決意を新たにする。勇者もボコボコにしてきっちりと分からせ、二度とこんなことにならないようにしてやる。俺はギリッと奥歯を鳴らし、家路を急いだ。
◇
蒼穹に聳える王宮の尖塔。その頂きの小部屋に立つ少女の瞳が、遠見の魔道具を通して街を見下ろしていた。
「まあ……これはいいものを見つけてしまったわ!」
微かな驚きを含んだ声が、風に乗って消えていく。少女は十八を過ぎたばかりといったところか。透徹した白磁のような肌に、琥珀を思わせる瞳。爽やかな風を受け、彼女の金糸の髪が煌めいていた。ルビーの髪飾りが、その美しさに更なる輝きを与えている。
豪奢な金の刺繍が施された深紅のドレスは、彼女の高貴な身分を物語っていた。胸元のレースが、その曲線美を強調している。
少女の視線の先には、一人の若者の姿があった。
「あの爆発の中を駆け抜け、勇者の側近を打ち倒すとは……。あなた、一体何者なのかしら?」
彼女の唇に、興味深そうな微笑みが浮かぶ。
まだ炎と煙の残る麦畑の上空を、ユータが颯爽と駆け抜けていく。その腕には、一人の少女が抱かれていた。
「なんという洗練された飛行魔法……。こんな事が出来る宮廷魔術師なんて居ないわ」
少女は思わず息を呑んだ。ユータの飛行は、まるで風のように軽やかだった。
ユータが店の方へと下りて行くと、彼女は素早く羽ペンを取り、優雅な筆跡でメモを書き付ける。
「バトラー!」
少女の声が、静寂を切り裂いた。瞬時に、黒服の執事が彼女の側に現れる。
「お呼びでございますか、リリアン様」
「ええ。至急、この男を調査なさい」
リリアンは、艶のある声で命じた。メモを執事に手渡しながら、彼女の瞳に危いほどの興奮の色が宿る。
「物語が、思わぬ方向に動き出したようですわ」
彼女の唇が、面白いおもちゃを見つけたように歪んだ。
「お楽しみはこれからよ、可愛い英雄さん……」
リリアンの言葉が、塔を吹き抜ける風に溶けていった。
◇
俺はドロシーをそっとベッドに横たえると、彼女の頭を優しく支えながら、ポーションをスプーンで少しずつ飲ませていく。朱唇に触れるスプーンの冷たさに、ドロシーは微かに眉をひそめる。
「う、うぅん……」
最初はなかなか上手くいかなかったが、徐々に彼女の喉が動き始め、ポーションを受け入れていく。俺は鑑定スキルを使って彼女の状態を確認する。HPが少しずつ上昇していくのを見て、安堵の息をつく。
ポーションを飲ませながら、俺はドロシーの顔をじっと見つめていた。整った目鼻立ちに紅いくちびる……。幼い頃から知っているはずなのに、今まで気づかなかった彼女の美しさに、俺は息を呑む。もはや少女ではない。いつの間にか、ドロシーは魅力的な大人の女性へと成長していたのだ。
俺の手に伝わる彼女の体温が、心の奥底に温かな感情を呼び起こす。前世を入れたらもうアラサーの自分は、ドロシーをどこか幼い子供と思ってきた。しかし、今や彼女への愛おしさが、新たな形で俺の胸を満たしていく――――。
俺はそっとサラサラとした銀髪をなで、静かにうなずいた。
◇
上級ポーションを二瓶与え、HPも十分に回復したはずなのに、ドロシーはまだ目覚めない。俺はベッドの脇に椅子を引き寄せ、そっと彼女の手を握る。長いまつげが作る影が、彼女の頬に揺れていた。
安らかに眠る彼女を見つめながら、俺の中で勇者への怒りと不安が渦巻く。勇者との決着をつけなければならないが、相手は特権階級。正面からやれば、国家反逆罪で死罪は免れない。俺だけなら何とかなっても、ドロシーまで巻き込むことになったらとても耐えられない。
「はぁ~……」
深いため息が漏れる。勇者に立ち向かうということは、この国の統治システムそのものと対峙することを意味する。しかし、ドロシーをこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。
俺は顔を両手で覆い、必死に策を練る。静かな部屋に、ドロシーの寝息だけが響いていた。
しかし、いくら考えても名案など浮かばない。やるとしたら勇者を人知れず拉致するくらいだった。
それにはアバドンの快復を待たねばならないだろう。
「今すぐには動けないか……うーむ」
俺はため息をついてうなだれた。
47. 満月の違和感
夕焼に染まる空を背に、俺は夕飯の準備に取り掛かっていた。鍋から立ち上る湯気が、部屋に温かな香りを満たしていく。そんな中、背後でかすかな物音がして振り返ると、ドロシーが毛布を羽織って立っていた。
「あっ! ドロシー!」
俺の驚きの声に、彼女はうつむき加減で応えた。
「ユータ、ありがとう……」
その声には、感謝と恥じらいが混ざっていた。
「具合はどう?」
俺は優しく尋ねる。ドロシーの顔色を確かめながら、彼女にそっと近づく。
「もう大丈夫よ」
彼女は柔らかな微笑みを浮かべた。その表情に安堵し、俺も思わず笑みがこぼれる。
「それは良かった」
しかし、ドロシーの様子がどこかおかしい。彼女は頬を朱く染め、俺の目を避けるように下を向いている。
「それで……、あの……」
「ん? どうしたの?」
俺の問いかけに、ドロシーの頬はさらに赤みを増した。
「私……まだ……綺麗なまま……だよね?」
その言葉の意味を、鈍感な俺はすぐには理解できなかった。
「ん? ドロシーはいつだって綺麗だよ?」
俺の返答に、ドロシーは少し困ったように目を伏せる。
「そうじゃなくて! そのぉ……男の人に……汚されてないかって……」
ドロシーの言葉に、ハッとした俺は急いで答えた。
「あ、そ、それは大丈夫! もう純潔ピッカピカだよ!」
俺の言葉に、ドロシーは安堵の表情を見せる。
「良かった……」
彼女は目を閉じ、大きく息をつくとゆっくりと微笑む。その表情に、俺は胸が締め付けられる思いがした。
「怖い目に遭わせてゴメンね」
俺は精いっぱい謝罪する。しかし、ドロシーは首を横に振った。
「いやいや、ユータのせいじゃないわ。私がうかつに一人で動いちゃったから……」
「でも……」
その時、ドロシーの腹から音が鳴った。
ギュルギュルギュ~
ドロシーは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに俯く。俺は思わず笑みがこぼれた。
「あはは、おなかすいたよね、まずはご飯にしよう」
俺たちは向かい合って食卓に座り、夕飯を共にした。今日の出来事には触れないという暗黙の了解のもと、孤児院時代の思い出話に花を咲かせる。院長の物まねをしたドロシーの表情に、俺は思わず吹き出してしまった。
朝の大事件が嘘のように、部屋には温かな空気が満ちていく。ドロシーの明るい笑顔を見ながら、俺は不思議な感慨に浸っていた。日本にいた頃の自分を思い出す。あの時の俺には、こんな風に女の子と笑い合うことなどできなかった。
夕食が終わると、俺はドロシーを家まで送ることにした。夜の街を歩きながら、俺たちは肩を寄せ合う。
それはとても穏やかで幸せな時間だった。
◇
ドロシーの家に着くと、俺は念入りにセキュリティの魔道具を設置した。誰かが近づいたら即座に俺に連絡が入るよう設定する。
「これで安心だ」
俺はドロシーに微笑みかける。彼女も安心したように頷いた。
「ユータ、本当にありがとう」
ドロシーの瞳に、感謝の色が宿る。俺は彼女の手を取り、優しく語りかけた。
「何があっても、俺がドロシーを守る。約束するよ」
その言葉に、ドロシーの頬が再び赤く染まる。
「ありがとう……。頼りにしてるね……」
俺たちは互いに見つめ合い、うなずき合った。
◇
薄闇に包まれた帰り道、俺は蒼白な月光に照らされた石畳を歩いていた。夜の静けさを破るように、あちこちの家々から漏れる賑やかな声が耳に届く。俺は思わず顔を上げ、天空に浮かぶ満月を見上げた。
「今日は月のウサギが良く見えるなぁ……」
朧げな光の中に浮かび上がる、餅つきをするウサギの姿。その懐かしい光景に、俺は一瞬、心が和むのを感じた。しかしその時、俺の脳裏に違和感が走る。
あれ? なんで日本から見てた月とこの月、模様が同じなんだろう……?
今まで当たり前のように見ていた月の姿が、俺の中で急に異質なものに変貌する。ここは地球ではない。別の惑星のはずだ。そうであれば、衛星の数も、その色も、大きさも、模様も、全てが違っていてしかるべきだろう。にもかかわらず、目の前に浮かぶ月は、地球のそれと寸分違わぬ姿をしている。
これは一体どういうことだろう?
俺の背筋を、ゾクリとした感覚が走る。まるで、自分が気づいてはいけない何かに触れてしまったかのような不安感。それは、この世界の根幹に関わる重大な秘密を垣間見たような、そんな感覚だった。
思えば、この世界には様々な矛盾が存在する。ドロシーの奇跡的な再生も、その一つだ。科学的に説明のつかない現象が、この世界では当たり前のように起こる。確かに、俺自身が死後に転生してきたという事実を考えれば、常識外れの出来事も納得できなくはない。
だが、それならばなおさら、この世界は地球とは全く異なる姿をしているはずではないのか?
俺は立ち止まり、再び月を見上げた。その神秘的な輝きの中に、何か重大な秘密が隠されているような気がしてならない。
「この世界の真実を、俺は知らなければならない」
この世界の謎を解き明かすことができれば、きっとドロシーを守る手がかりも見つかるはずだ。
夜風が頬を撫でる。その冷たさが、俺の決意をさらに強くする。明日から、この世界について徹底的に調べてみよう。図書館や古老たちの話、あるいは遺跡の探索……。あらゆる手段を使って、この世界の真実に迫るのだ。
月明かりに照らされた道を、俺は新たな決意と共に歩み続けた。この世界の謎を解き明かす冒険が、今まさに始まろうとしていた。
48. 宇宙へ……
この世界の不自然さが、俺の心に引っかかり続けていた。生き返る魔法、レベルアップ、鑑定スキル――――。これらはあまりにもゲーム的で、現実味に欠ける。まるで誰かが意図的に設計したかのようだ。そう考えると、この世界はMMORPGのような、リアルに見えて実は人工的な空間なのではないか? その仮説が、俺の頭の中で徐々に形を成していった。
もしそうだとすれば、ゲーマーが通常行わないような行動を取れば、世界の綻びが見えてくるはずだ。バグを見つける――――。それは日本にいた頃の俺の得意分野だった。俺は唇を噛みしめ、この世界の真実を暴くための冒険を決意した。
◇
翌日、まばゆい朝日が街を照らす中、俺は意を決して鋳造所へと足を運んだ。煙突から立ち上る煙と金属の匂いが、この場所の特徴を物語っている。
「おはようございまーす!」
俺は少し緊張しながら中に入った。敷地の隅には、スクラップの山。その中に、ひときわ目を引く大きな教会の鐘が横たわっていた。
俺はその鐘に近づき、慎重に観察する。人の背丈ほどの高さ、まさに想定していたサイズ。俺の目的にぴったりだ。
「坊主、どうした?」
突然の声に、俺は驚いて振り返った。そこには屈強な体つきの男が立っていた。その腕の筋肉は、長年の鍛錬を物語っている。
「この鐘、捨てちゃうんですか?」
「作ってはみたが、いい音が出なかったんでな、もう一度溶かして作り直しだよ」
男は肩をすくめ、少し残念そうに答えた。
「これ、売ってもらえませんか?」
俺は最大限の笑顔を浮かべて尋ねた。男の顔に驚きの色が浮かぶ。
「え!? こんなの欲しいのか?」
「ちょっと実験に使いたいんです」
「うーん、まぁスクラップだからいいけど……、それでも金貨五枚はもらうぞ?」
「大丈夫です! ついでにフタに出来る金属板と、こういう穴開けて欲しいんですが……」
俺は素早くメモ帳を取り出し、構想を図に描いた。男はその図を見て、首を横に振る。
「おいおい、ここは鋳造所だぞ。これは鉄工所の仕事。紹介してやっからそこで相談しな」
「ありがとうございます!」
「じゃ、ちょっと事務所に来な。書類作るから」
「ハイ!」
俺の心は高鳴っていた。これで第一段階は完了だ。巨大な金属のカプセルを手に入れた今、俺の壮大な計画が動き出す。
これは宇宙船。そう、俺は宇宙へ行くのだ。
この世界の真実を知るため、そして何より、大切な人たちを守るため。俺は誰も見たことのない宇宙へと飛び出そうとしていた。もちろん空をどんどんと高く飛んでいくことはできるが、どんどん寒くなって何より空気が薄くなって、とても宇宙まではたどり着けない。
だからこの鐘の登場なのだ。この鐘に入って飛べば宇宙まで行けるはずだ。
頭の中では、これからの冒険のシナリオが次々と描かれていく。
空を見上げれば青い空にポッカリと白い雲が浮かんでいる。その向こうには、きっと誰も知らない真実が待っているはずだ。俺の胸は期待で一杯だった。
◇
煌々と輝く陽光の下、次に俺はメガネ屋へと足を向けた。この世界でも、視力の衰えは避けられない宿命のようでメガネを売っている。ただし、メガネの値は法外に高く、庶民には手の届かない贅沢品だ。
俺の目的は拡大鏡。この世界の真実を解き明かすため、ミクロの世界も探検しようと考えていたのだ。
地球では、顕微鏡や電子顕微鏡が当たり前のように存在し、原子レベルの観察すら可能だった。さらには、直径十キロにも及ぶ巨大加速器で素粒子の世界まで覗き込める。しかし、この異世界では、そんな高度な技術は望むべくもない。それでも、もしこの世界がMMORPGのような人工的な空間なら、きっと拡大鏡でも何かの綻びが見えるはずだ。
表通りから小路に入り、しばらく歩くと、メガネの形をした小さな看板が目に入った。ショーウィンドーには様々な形のメガネが並んでいる。
「こんにちは~」
俺は、小さなガラス窓のついたオシャレな木のドアを開けた。
「いらっしゃいませ……。おや、可愛いお客さんね、どうしたの? 目が悪いの?」
三十歳前後だろうか、やや面長で笑顔が素敵なメガネ美人が声をかけてきた。その洗練された雰囲気に、思わず緊張してしまう。
「拡大鏡が欲しいのですが、取り扱っていますか?」
「えっ!? 拡大鏡? そりゃ、あるけど……高いわよ? 金貨十枚とかよ」
「大丈夫です!」
俺は満面の笑みで答えた。店主は少し驚いた様子だったが、
「あらそう? じゃ、ちょっと待ってて!」
と言って店の奥へ消えた。程なくして、彼女は木製の箱を持って戻ってきた。
49. お腹の健康
「倍率はどの位がいいのかしら?」
店主は木箱のフタを丁寧に開けながら聞いてくる。
「一番大きいのをください!」
俺の即答に、店主は俺を見て眉をひそめた。
「倍率が高いってことは見える範囲も狭いし、暗いし、ピントも合いにくくなるのよ? ちゃんと用途に合わせて選ばないと……」
「大丈夫です! 僕は武器屋をやってまして、刃物の研げ具合を観察するのに使いたいのです。だから倍率はできるだけ高い方が……」
咄嗟に思いついた嘘を口にする。しかし、店主の鋭い眼差しが俺を射抜いた。
「嘘ね……」
彼女はメガネをクイッと上げ、厳しい表情で俺を見つめる。
「私、嘘を見破れるの……。お姉さんに正直に言いなさい」
え……?
その言葉に、俺は冷や汗が湧いた。彼女のスキルなのか、それとも……。いずれにせよ、面倒な事態になってしまったことにキュッと口を結んだ。
この世界がゲームの世界かどうかを調べたいなどという荒唐無稽な話を、とても口にできるはずがない。俺は頭を巡らせ、どうにか説明をごまかそうとした。
「実は……」
完全な嘘はバレてしまう。だが、全てを明かすわけにもいかない。表面的な真実を巧みに紡いだ説明を、俺は慎重に話し始めた。
「……。参りました。本当のことを言うと、この世界のことを調べたいのです。この世界の仕組みとか……」
彼女はじっと俺の瞳の奥をのぞきこむ。その鋭い眼差しに、まるで心の奥底まで見透かされているような感覚を覚えてゾクッと背筋に冷たいものが流れる。
「ふぅん……嘘は言ってないみたいね……」
店主の表情が、僅かに和らいだ。その表情には、俺への興味が浮かんでいる。
「私ね、こう見えても王立アカデミー出身なのよ。この世界のこと、教えられるかもしれないわ。何が知りたいの?」
彼女の笑顔に、俺は少し緊張が解けるのを感じた。
「ありがとうございます。この世界が何でできているかとか、細かい物を見ていくと何が見えるかとか……」
店主は自慢げに知識を語り始める。
「この世界の物はね、火、水、土、風、雷の元素からできてるのよ」
その説明に、俺は中世の錬金術を思い出した。しかし、それだけでは納得できない。
「それは拡大していくと見たりできるんですか?」
「うーん、アカデミーにはね、倍率千倍のすごい顕微鏡があるんだけど、それでも見ることは出来ないわね……。その代わり、微生物は見えるわよ」
「え!? 微生物?」
予想外の回答に、俺は思わず声を上げた。
「ヨーグルトってなぜできるか知ってる?」
彼女の質問に、俺は日本での知識を思い出す。
「牛乳に種のヨーグルトを入れて温めるんですよね?」
「そう、その種のヨーグルトには微生物が入っていて、牛乳を食べてヨーグルトにしていくのよ」
「その微生物が……、見えるんですか?」
「顕微鏡を使うといっぱいウヨウヨ見えるわよ!」
俺の脳裏に、かつて見たヨーグルトのCMの映像が蘇る。
「もしかして……、それってソーセージみたいな形……してませんか?」
「えっ!? なんで知ってるの!?」
彼女の驚きの声に、俺は慌てて言い繕う。
「いや、なんとなく……」
俺はうつむき、深い思考に沈んだ。この世界にも乳酸菌が存在する。しかし、MMORPGの世界に乳酸菌を実装する意味はない。顕微鏡でしか見えないものをわざわざ作り込む必要などないはずだ。
しかし、彼女は確かに「顕微鏡の中で生きている」と言った。この世界がゲームの世界ではないとすれば、一体何なのか? 魔法の存在はどう説明できるのか? 死者が復活するような非科学的な現象が、なぜこんなにも緻密に構成された世界に存在するのか……。
俺の頭の中で、疑問が渦を巻く。この世界の真実は、想像以上に複雑で深遠なものかもしれない――――。
「不思議な子ね。で、拡大鏡は要るの、要らないの?」
その問いかけに、俺は我に返った。
「あ、一応自分でも色々見てみたいのでください」
俺は顔を上げ、笑顔を作りながら答える。彼女は微笑み、棚から皮袋を取り出すと、拡大鏡を丁寧に収めた。
「まいどあり~。はい! 金貨九枚に負けてあげるわ」
「ありがとうございます……」
俺は金貨を一枚一枚丁寧に数えながら支払いを済ませる。その様子を見ていた店主は、突然言った。
「良かったらアカデミーの教授紹介するわよ」
彼女は上目遣いに、ちらりと俺を見る。その眼差しには、好奇心と期待が混ざっているようだった。
「助かります、また来ますね」
俺は深々と頭を下げ、店を後にした。外の空気が、俺の混乱した思考を少し整理してくれる。
歩みを進めながら、俺は考え続けた。乳酸菌を実装しているこの世界。一人前のヨーグルトには約十億個の乳酸菌がいるはず。それを全てシミュレートしているとすれば、誰かが作った世界にしては手が込みすぎている。そんな無駄な労力をかける意味がない。
しかし、もしこの世界がリアルだとしたら……。ドロシーの不可解な再生や、レベルアップ、鑑定といったゲーム的システムの存在をどう説明すればいいのか。この矛盾は、一体どう解決できるのだろうか。
帰り道、俺は公園に立ち寄った。池の水面が、夕陽に照らされてキラキラと輝いている。俺は水筒を取り出し、観察用の水をくみ始めた。
水面に映る自分の姿を見つめながら、俺は呟く。
「この世界の真実は、一体どこにあるんだ……」
水面にはポチャンとカエルが飛び込んだ小さな波紋が広がっていった。