太陽も沈みきって夜風が冷たさを纏い始めた頃、この街を分断する程の大きな河を渡す橋の下だけが燦々と照らされていた。数台の緊急車両が赤いパトライトを回し、黄色いテープが交わる歩道の全てを封鎖している。
「ご遺体は佐藤麗一19歳。調べではこの辺の不法薬物の売人を束ねているらしいのですがあくまで噂の範囲です。高校の頃に補導歴ありですがそれ以外で目立った前科はありません。因みに祖父が現役の国会議員です。現状だと他殺とゆうより転落死ですかね?。首の骨がボッキリですし…」
刑事としてオーソドックスな紺色スーツを着た部下が、死亡者の身元や簡単な調査報告をしてくれる。年齢的にはまだ少年課の担当範囲なのだが、原因不明な死亡者が出たとなれば話しはまったく変わってしまう。
しかも警察署の目と鼻の先での出来事なのだ、手の空いている刑事一課の班が駆け付けるのは常識の範囲内だろう。たとえ事件性が無くても…だ。
「……現場を見る限り、あの階段を踏み外したって線が濃厚だけど…年齢的な運動神経を考えるとねぇ。こうも転げ落ちてしまう物なのかしら?。途中の手摺とかに掴まった形跡はどお?。……ひとつも残ってないの?」
「あ、ちょっと待ってて下さい警部。いま鑑識の人を呼んできます。」
青い制服の左腕に『鑑識』と書かれた腕章を着けた数人が、手に持った強光ライトで照らす地面を丹念に睨み続けている。見つけた物全てに目を凝らして白いマーカーでマーキングしては写真を撮り、何かしらをタブレットに書き込んでいた。地道な作業の連続だが必要不可欠な捜査方法だ。
「おお、お嬢かぁ。いま調べてっけど期待はできねぇなぁ。あまりに不特定多数が触ってて絞りきれねぇよ。それに高低差14メートルで傾斜は約52度。階段の幅から考えても転落での即死は有り得ねぇ話じゃねぇさ」
「…仁さんの見立てでも事故なのねぇ。転落死かぁ。何にしても司法解剖の結果を待つわ。(顔が真後ろを向いているなんて…可愛そうな死に様)」
「ああ、そうしてやってくれ。俺ら鑑識で解るのは『御遺体が発見された状況と特徴』であって『直接的な死因』じゃねぇからなぁ。…御遺体の細かい確認はこれからになるが…いつもみたいに手を合わせてくかい?」
人懐っこく話してくれる鑑識の責任者、金守仁《カナモリ・ジン》。あたしがこの地方警察に配属されてから最初にできた信頼できる相談相手だ。
今まで担当した殺人事件や死亡事故でも何かと顔を合わせるし、その助言も的確で信用できる。言わば誰よりも客観的に事件を見ている人なのだ。
「ええ、そうするわ。…仁さんの推理も聞いておきたいしね?」
「へっへっへ、推理なんてよせやい。ロートル鑑識官の独り言だよぉ」
こうして責任者と情報交換している間にも、数人の若い鑑識員たちが地面を丹念に睨み続けている。彼らの働きがあってこその現場検証なのだ。
車道から直下の公園を繋ぐ長い階段の手摺を丁寧に調べる者や、コンクリート製の階段の角に透明なシートを貼り付ける者が、何一つ見逃さない覚悟で地道な鑑定作業に勤めている。地を這う姿は…職人さんそのものだ。
「ただいまレオく〜ん♪。お腹すいた〜」
「お帰り愛夜ちゃん。今日は遅かったんだな?。今夜はガッツリ系なロースト風チキンにしてみたよ。あ、お風呂も湧いてるけど…どうする?」
ここは街の中心地に近い築30年の8階建てマンション。就職祝いとゆう事で実家の母がわざわざ現金で買ってくれたのだ。間取りは普通の3LDKで最上階。中古物件とは言え家賃がいらないのは非常に助かっている。
結局のところ刑事ドラマみたく、その場で判断はしちゃいけないので帰宅した。ご遺体の司法解剖は明日の朝一番に予約してあるし、別の死亡者発生事件でも起こらない限り、今夜はもう呼び出されることもないだろう。
刑事になってまだ三年あまり。経験不足は否めないからこそ現場に赴くのだけれど、他の捜査官たちは良く思っていない。さっきの佐藤麗一の件にしても司法解剖の予約を入れただけで決断が遅いと揶揄されてしまった。
「それは勿論♪お・ふ・ろ。が先よ〜♡。獅子くんも一緒に入ろ〜♡」
「うわわわ。そんなに引っ張らなくても。…仕方ないなぁ…もう…」
しかし彼等は二ヶ月前の未解決な事件を追いかけて、今夜も忙しく走り回っている。その事件もあたしの見立てでは飲酒運転による事故死が濃厚。
このまま事件として扱い続けるのならば…お蔵入りは間違いないだろう。
しかも女子が率いる班に手伝われるのはプライドが許さないらしいので、頭を下げてくるまではアタシも口や手を一切出さずにいる。そもそも過去の経験や既成概念が捜査範囲を狭め邪魔しているのだ。あの石頭どもめ。
「ふぅん、男性の階段転落死ねぇ。もぐもぐもぐ…しかも19歳かぁ…」
「ほうなのほ。もぐもぐもぐ…こくん。手首の骨折は解るとしても首まで折れるぅ?。ぱく…もぐもぐもぐ。…このソース美味しい♪。流石ね?」
今夜も愛しのレオ君はしっかりと帰りを待っていてくれた。家事どころかあたしのボディーケアまで、何から何まで熟してくれる彼がいなければきっと生きてはいけない。特に夜の一人寝などもう絶対にできなくなった。
そして今夜の料理も最高だ。フワフワな焼き上がりの蒸し鶏と青野菜タップリなピリ辛サラダ。シュリンプカクテルのソースもガーリックが効いていて美味だ。ビールにもワインにも合う料理ばかりで、今夜も酒が進む。
「お口に合ってなによりですお嬢様。んで?何か不審な点でも?。事故の際の身体の損傷は想定通りにはならないもんだろ?。不自然だったの?」
「こくこく。…ん〜?不審な点と言えば…顔がほぼ真後ろを向いていたことかなぁ。…頭部と顔面の外傷から不自然ではなかったのだけれど…」
「怖っ。顔が真後ろにまでねじ曲がってたんだ。つまり、首の骨の骨折が直接的な死因だとしたら…相当な勢いで転がり落ちたってことかな?」
「う〜ん。階段の高さ的には無理がないのよねぇ。ゴクゴク。…ふぅ…」
俺がバレットと組むようになって二回目の仕事だったが、このまま行けば『不幸な転落事故』で処理されそうだ。そもそもそう見える様に殺して、階段を転がるよう落としたのだから簡単に見抜かれても困るものがある。
『この獅子皇市に違法薬物はいらない。』恐らくはそんな思いや願いを持つ者から依頼された暗殺なのだろう。それとも直接的に薬物被害に遭った者からなのか。或いは現在進行系で薬物に蝕まれている者からとか…
憶測は勝手だ。そして俺達には依頼者が誰なのかも絶対に知らされない。知ったところで互いに得はないからだ。人の命を奪うからには深く関わらないのがマナーだろう。『好奇心は猫を殺す』と言う諺もあるコトだし。
「鑑識のご遺体確認に立ち合ったけど…確かに全身が傷だらけだったわ。でもそこが…なにか不自然だったのよねぇ。ぱく…もぐもぐもぐもぐ…」
「不自然かぁ。…アヤちゃんが思うんならそうかもだなぁ。…因みにだけどワインの飲み過ぎは良くないぞぉ?。…ちゃんと主食もたべなよ?」
前回の標的は夜のスカウター達だった。異性や快楽や遊びに好奇心の絶えない若い女性をメインターゲットに、ホストを介した返済不可能な借金を押し付けては市外の性風俗店へと斡旋していた大学生のグループだ。
警察には『半グレ』と認識されてもいたのだが、犯罪事実の尻尾を掴まなければ手は出せない。被害を訴える数名の女性がいたものの、その被害届けも数日で取り下げられてしまうのだ。イタチごっこにもならなかった。
「えへへへへ〜♪。もう一杯だけぇ〜♪。海老さんも美味しー♪」
「……これで最後だからね?。真夜中にお腹空いたって知らないぞ?」
お告げの対象者は、スカウトグループのリーダー伊勢辰巳を含める幹部の三名。部下の二人は車の運転中に橋から河に転落して溺死。リーダーの伊勢は焼身自殺とされているのだが、他殺の線でも捜査されているらしい。
しかし警察がどこをどう調べても俺達の影すら拝めないだろう。溺死した二人からは高濃度なアルコールが検出され、自殺した伊勢からも覚醒剤反応が確認されている。つまりどこからどう見ても『飲酒運転による事故』と『薬物による錯乱』の他には疑いようが無いのだ。事件にはできない。
「え〜?お腹空いたって言ったらいつも何か作ってくれるじゃん♪」
「お腹空いて寝れないって言うから作ってあげてるだけだよ…もう。」
俺の仕事は他人の命を無慈悲に奪うことだ。しかしそれで世界が凄く良くなるわけではない。だが確かに救われる人達がそこにはいて、その依頼者の悲痛な願いや懇願を聞き届けるか否かは『告げる神』が決めてくれる。
俺はただその指示に従って働く。俺に温かい手を差し伸べてくれた女性を影ながら支え、共に暮らしてゆくために。そして多額な報酬のために、俺はこの手を血に染めてゆく。暗殺を生業とする『闇の華』の一員として。
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