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――林間学校2日目。
前日の雨は姿を消し、白んだ空と爽やかな日差しが眩しい午前6時34分……そこはかとない風情を感じながら各々が次の予定に合わせて準備をする傍らで、2人の少年は繊細な趣をぶち壊す勢いで廊下を走っていた。
「なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ、大野!」
息を切らしながら、半ば八つ当たりで投げかけた梅林の言葉に「仕方ねーだろ」と答える声が振り返ることのない背中越しに聞こえてくる。
「俺だって――まさかお前が手ぶらだなんて思わなかったよ!」
予想はしていたが、もっともな主張には反論する余地がない。
うっと言葉に詰まる梅林を背に「いいから急ぐぞ」と一人大野が呟く。
遡ること午前6時……起床時刻を告げる先生が部屋を訪問する少し前に先に起きていた2人に起こされた俺、梅林 一は終始時間に追われながらも、正面出口の近くで行われる「朝の集い」の集合にはかろうじて間に合っていた。
「俺、時間ないしこれ着たまま行くわ!」
皆がその日着る服に着替えてから部屋を出る最中、そう発言した俺に2人が怪訝な表情を向けたのをよく覚えている。
「梅林……。」
「さすがにそれは……。」
「え、そんなに?やっぱりパジャマっぽい?」
あの時着ていたのは紺色に数箇所白いラインが入ったジャージだった。
典型的なパジャマというよりはまだ普段着に近いような気がして、朝の集いのため外に出る僅かな時間なら許されるだろうと考えた故の発言だったのだが、よくなかっただろうか?
「戻ってきてすぐ着替えるならいいんじゃないか?」
どうしようか迷いつつも、そんな大野の声が決定打になった。
2人の後を追ってスリッパから靴に履き替え、外に出た俺たちが先に集まっていた花浦たちと合流すると、朝の集いではどこかで聞いたような先生の話と軽いラジオ体操をやって思いの外すぐに部屋に戻ることになった。
「え、首を寝違えた!?」
表情が優れない様子に気になって尋ねたところ、返ってきた意外すぎる答えに思わず吹き出したところまではよかったはずだ。
もっとも、軽くいじる俺に「10分もしないで爆睡してたくせに」の返す大野はどこか不貞腐れたような様子で、「ごめんごめん」と笑って謝ったのを機に形勢が逆転すると今度は俺が弁明を述べる番になってしまったのだが。
「そういえば昨日の夜……」と寝言やら寝相やらをそれっぽく指摘されると、たとえ身に覚えがなくても肝が冷える。
結局のところどこまで本当なのかわからないが「でも後ろの方、寝癖すごいことになってるよ?」という月岡の言葉でどっと笑いが起こり、この話題は終了となった。
その後は男女別れて部屋に戻り、俺が本当の2日目用の服に着替えながら竹田と話しているといつのまにか大野がウトウトとしていて――結局2人して竹田に急かされて部屋を飛び出したのだ。
そして部屋を出てすぐに食事係の仕事に必要な給食当番の白衣をもってないことを大野に指摘され、今に至る。
かたや一段飛ばし、かたやできる限りの高速な足捌きで階段を駆け降りる2人の手には空っぽの水筒とともに白衣の入った袋が握られている。
食事係の人は前もって持参するように言われていたそれは俺も大きいカバンの中に入れてはいたのだが、大野の指摘がなかったらもう一度取りに帰っていたのは確かだろう。
――勢いに任せてついあんなことを言ってしまったが、袋を取って戻るまでなんだかんだ待ってくれていたのを考えるに大野はやっぱり慈悲深い性格なのかもしれない。
食堂の前まで到着すると先生に遅れて来たことを注意されたものの、先に集まっていた生徒はまだちょうど白衣に着替え始めたばかりのようで、着替え終わって配膳をはじめる生徒たちに混じって俺たちは急いで白衣を頭からかぶるのだった。
「おつかれ。集合時間、間に合ったか?」
大野は一通りの仕事を終えて白衣をたたんでいると、今まさに部屋から皆と一緒におりてきた竹田が声をかけてきた。
「あぁ、なんとかな。」
ありがとな、と大野が話す傍らで「俺たち間一髪だったよな!」と梅林が便乗する。
「元はと言えばお前のせいだろ?」
「ごめんって!そんなに怒るなよ……」
あーだこーだと話しながら白衣をたたみおわると二人は決められた机へと座った。
朝の集いが班ごとに集まっていたのに対し、こちらはクラスごとに男女別れて座っている。
「――おはようございます。いよいよ林間学校も二日目となりますが、みなさんはよく眠れましたか?」
突然のマイク越しの声に、あちらこちらで盛り上がっていた雑談が途端に小さくなる。
聞こえてきたのは去年同じクラスだった山川の声だ。
昨日ここについてすぐに食べた昼ごはんやカレー作りの時に続き、いただきますとごちそうさまの号令は各クラスからの代表生徒がすることになっているらしい。
こいつ首寝違えたんだぜ、とこずく梅林を制止しながら、大野は久々に見る友人の姿に妙な懐かしさを覚えていた。
「――それでは、手を合わせてください!」
勢いのいい合図に続き、いただきます!と皆で声を出すと雑談は再開されることとなった。
「紺野のやつ、『ギャッ』てすげぇ顔してたよなー」
「あれは不可抗力だって!いきなり山田が出てきたら誰だって驚くだろ……!」
ギャハハと響く笑い声にいまいち乗れないでいると、少し離れた席で「何話してんの?」と隣のクラスの男子がこちらに身を乗り出して話に加わろうとする様が大野の目に映った。
「今朝早く起きた俺たちでまだ寝てるやつを驚かそうって話になってよ。じゃんけんで山田が押入れの中に隠れていたんだけど――。」
彼は近くにいた折原から事情を聞くと「嘘だろ!?」と一緒になって笑い始める。
「ちょ、そんなに笑うなって!」
「そ、そんなの無理だって!そのところを想像したらよ……!あーでもそういえば、お前昨日のかくれんぼの時もすごかったよな――」
隣の部屋ではかくれんぼをしていたのか……。
メインの話し手と席が離れているとはいえ、同じ机にいる両者のテンションには大きな違いがあった。
昨日の夜といい今朝のこれといい、隣から度々聞こえてくる笑い声に一人気分が沈むのを隠して大野はミニトマトの1つを箸でつまむ。
「いいなぁ、向こうはなんかすごかったみたいだぜ。」
当たり障りのない食材についての会話の合間、呟くように発せられた梅林の声に「ん?」と先に反応したのは竹田だった。
「……あぁ、わかんないけどすごかったみたいだな。」
味噌汁に手を伸ばしながらそう答えた竹田に目をやると、その表情は意外にも寂しそうに見えて、あれ?と大野は思う。
「なー、やっぱり俺たちだって枕投げとかしてもよかったんじゃないの?」
「さすがに無理だろ……俺たちがそんなことしたら絶対あいつらが黙ってないと思うぜ?」
俺だってできることならやりかったけどよ、と呟く声は昨夜の問答を想起させた。
普段から規則や常識を重視しがちな彼は保守的なばかりと思っていたが、羽目を外して非日常を楽しみたいというのはどうやら本心らしい。
じゃあ消灯後に話すのは?と矢継ぎ早に選択肢を挙げてはなんだかんだ断られている梅林を眺めていると「大野?」と不意に声をかけられて大野はハッと我に返った。
「その……大丈夫か?あんまり食べてないみたいだけど――」
話題を切り出した竹田は「もしかして、体調が良くないのか?」と続ける。
心配そうにじっと見つめる彼の隣では梅林が「昨日も色々あったからな……」と呟いた。
「いや、違うんだ。ちょっと起きたばかりで食欲がないというか……でも体調が悪いわけじゃないんだ。 もしかしたらまだ胃が寝てるのかもしれないな、ははは」
あぁ、どうでもいい考え事をしていたせいですっかり食べるのが遅くなってしまった。
笑ってそう大野が続けると竹田は「それならいいんだけどよ……」と引き下がったかに見えた。
しかし彼は一度言うべきと考えたことを簡単に飲み込む性格ではないことを大野はわかっている。
「でもよ、何かあったらすぐに俺たちに言えよな。」
「あぁ――そうするよ。」
それを聞いて今度こそ竹田は言及をやめたのだった。
時間はまだ残ってはいるが、このままでは食べ終わるのはずっと遅くなってしまう。
大野が黙々と食べるスピードをあげる傍らで「でも朝起きてすぐ食べれる人って意外と少ないよな!」と続ける梅林に「そういうことじゃなくて!」と竹田が話しているのが聞こえてくる。
しかし皿の上の食事が残り5分の1ほどになった頃だろうか――残り時間が知りたくなって大野が不意に顔を上げると、交錯する視線の中でただ一つ、折原大輝の視線がこちらに向けられていたのである。
目と目が合った瞬間、大野は驚いて目を見開いたがそれ以上に向こうの動揺が大きいような気がした。
え、と短く声をあげる頃にはそれとなくパッとそらされた折原の目は雑多な視線の中に紛れていて、気づけばわけがわからないでいるのは大野ただ一人だった。
――いったいなんだったんだ?
残り時間はあと10分……皿の上にはまだ食事が残っていることもあって、手と口の動きを忘れずに考えうる可能性を模索する。
偶然か、はたまた勘違いか。
正直なところ折原とは今や一切の接点がないせいで、ここにきて個人的な理由があるとはあまり思えない。
だが、そうなるといったい……。
考え込む大野の横で不意にまた一つ、どっと大きな笑いが起こる。
それにギョッとして小さく肩を震わせた時、気づいてしまった。
――もしかすると折原はこの明らかな雰囲気の違いに気づいたのではないだろうか。
同じ机にいながら話題に混じることもなく、こちらを取り巻く通夜さながらの静かさは異質だったはずだ。
盛り上がる皆に水を差すような、空気を読む気もないような身勝手な振る舞い。
それはもう何かと目については離れないのではないだろうか……下手したら「喧嘩を売っている」と思われかれないくらいに。
その時大野はハッとして、脳裏によぎった考えを慌ててかき消した。
――こんなの全部俺の被害妄想じゃないか。
少なくともせっかくの林間学校に来てまで考えることではないはずだ……これじゃあ楽しみを捨てる姿勢をとっているのはどっちかわからなくなってしまう。
せいぜいが気になってちょっと目をやった程度だろう。
そうしたら運の悪いことに、俺と目が合ってしまった。
……あり得ない話ではない。
思えば意図を持って俺を見ていたと考える前提がそもそも間違っていたのだ。
まさに流れ弾のように目が合ってせいできっと反射的に……それも夏休み前の一件からよそよそしくなったせいで、何でもないことがどこかぎこちなくなってしまったのだろう。
「――ごちそうさま。」
なんとか食べ終わった大野が手を合わせるとまもなくしてマイクの音が響き、最初と同じように皆で手を合わせると一組から順番に部屋に戻ることになった。
「じゃあ俺お茶係だから水筒ちょうだい」
朝早くに聞いていた通り、竹田は大野たちの水筒を受け取ると他のお茶係の奴と一緒にどこかへ歩いて行く。
「お茶係ってどこで仕事するんだろ?」
「さぁな……食堂の中とかじゃないか?」
帰り際、ゾロゾロと並んで部屋に戻るクラスメイトに紛れる二人の間では そんな会話が飛び交っていた。
大野の予想では給食の時と同じようにお茶の入ったやかんを扱うのだろうと思っていたが、梅林はどうやら違うらしい。
部屋に着くと次の活動に必要な準備をしながら交代で洗面を済ませ、準備が終わった人から栞を書き進めたり雑談をしたりして、集合の時間が近づくまでは各々が自由に過ごしていた。
「――あ、あいつらやっと来た。」
月岡や松本と話していた花浦はそう言うと、「ほらこっち」と言わんばかりに手招きする。
「ここだよ、ここ!」
「悪い、後ろからだとよく見えなくてよ……。」
リュックサックと水筒を下げた3人が合流するなり早々、既視感のある反応を示す花浦の声にムッと竹田が顔をしかめた。
大野は二人の間で今にも散ろうとする火花をなんとかなだめながら、しかし花浦の言葉には同様に少なからず不快感をおぼえていた。
……今朝の食事係の集合の時と違い、今回の集合は時間通りだったはずだ。
こちらが遅刻したわけでもないのに、たまたま早く来ていただけでどうしてそんな態度をとれるのだろう。
周囲の班がそうしているように、6人は誰からともなくその場に体操座りをした。
班全員が揃ったことを示すためだ。
それを前方からまわってきた学級委員が確認し、クラス全員が揃ったことを報告された先生は学級委員も含めた全員がその場に戻ったのを確かめてから、説明を始める。
2日目の最初のイベントは各班ごとにルート上のチェックポイントを目印に周囲を散策するという、ハイキングと宝探しを合わせたような活動だった。
クラスごとに別々のところからスタートするものの、ゴールに必要なのは各チェックポイントをまわった文字を集めることだけでなく班員全員がその場に揃っていることだという。
この2つの条件を満たした上で、ゴールしたチームの成績は到着までのタイムといくつかのチェックポイントで行われるクイズでの得点から計算される。
協力、連携、助け合い……先生はそう何度か言っていたが、結果によってはささやかだが景品が貰えるらしい。
「それでは1組から順番に移動を始めます。1組の皆さん、立ってください!」
いつものことながら、先生の先導で真っ先に立ち上がった生徒を見送るのはなんとも言えない歯痒さがあるものだ。
皆が先生の声を遮らない程度に雑談するなかで、最後尾の班が横切るのを見計らって隣のクラスの班がゾロゾロと前に詰めはじめる。そうこうしているうちに大野たちのクラスも立ち上がると、数多の視線に見送られてその場を立ち去ることになった。
「10番だ。10番から右にぐるっと回って16番のチェックポイントを通ろう。」
「それより22番のチェックポイントを先に目指した方がいいよ!その方が効率的だし16番ならその後に行けるんだから後でもいいでしょ?」
「22番は上り坂だろ?後から行けるんだからわざわざ今行かなくてもいいじゃねーか!」
「だーかーら、体力があって人が少ないうちにちゃっちゃと行けばいいって言ってるのよ!」
少しは頭使えば?と吐き捨てる声にさらなる文句が飛び出す。
2人1組が3つ分、長く続く下り坂を進む計6人の班員の先頭に位置する竹田と花浦の争いは一向に収まる気配がなかった。
「――大野、今何分?」
「9時38分」
「ちっ――さっきのクイズで意外と時間かかっちまったな……。」
班の中で唯一の時計係として腕時計をもってきていた大野は何度目かの質問に密かにため息をついた。
相談して決まった係の仕事を放棄するつもりはないのだが、この短時間で2人の語気はどんどん強まっている。
「ちょっと、何ため息ついてるのよ。」
「……あぁ、悪い。」
――まさか聞かれていたとは。
反射的に大野が謝ると「大野にあたるなよ」と竹田が吐き捨てる。
この活動では珍しく、時間内にゴールに辿り着くための過程は班ごとに選択を委ねられていた。
つまり班員の行動が成績に大きくかかわっているのである。
大野は前方を歩く二人に目をやった。リーダーの竹田と地図係の花浦――理想的な連携には時計係の参加も不可欠のはずなのだが、争う2人を調停する余地があったのはもはや過去のことだ。
今はそれぞれの持論をぶつけ合うことで忙しいのだろう。
時が経つほどに頭を冷やすどころかさらに激化する争いは、この山道以上に体力が奪っていく気がする。
「ねぇ、しりとりでもしない?」
ささやくような小ささで、不意に後方から聞こえてきたその声は班員の一人である松本のものだった。
何を言おうとも聞く耳を持たず、口論とともに徐々に足が早まっていく二人に傍観を強いられた重い沈黙。
それを破る意外な声の主に、大野は思わず聞き返していた。
「しりとり?」
「うん。あの2人の喧嘩なんて見ていてもしょうがないしさ、私たちだけでも楽しもうよ。」
「いいなぁ、それ!」
真っ先に賛成したのはいつものことながら梅林だった。
梅林に便乗する形で大野と月岡も参加の意思表示をすると、言い出した松本の顔がぱっと明るくなる。
それじゃあ順番は、最初の文字は何にしようか、どうせならお題を決めてみるのはどうか……そんなことを話し合ううちに、険悪だった表情がしだいに和らいでいく。
気づけばいがみ合う2人を差し置いて、4人は和気あいあいと勝負を楽しんでいた。
「――ちょっと、あんたたち!」
再び2人に目をやったのは、歩みを止めて振り返る花浦の声に責められた時だった。
「さっきから話してるんだけど!聞いてるの?」
「……ごめん、何だっけ?」
静かに聞き返した月岡の声に花浦は呆れたように大きくため息をついて言った。
「この先の話。右に遠回りして16番のチェックポイントを通るか、左に進んで22番のチェックポイントを通るか、どっちがいい?」
「おい、だから遠回りじゃないって言ってるだろ!」
どうやら話し合いでは埒が明かないということに二人は気がついたらしい。
岐路を目前にして他者の意見を求めたことで独裁者から一転したかに見えたものの、流れるような印象操作には花浦の性格を感じずにはいられなかった。
「うーん、私は16番でいいと思うな。」
「でも22番を先に行く方が効率的で……!」
焦りを隠さない声色を「でもさ、」と彼女は最後まで聞くことなく言葉をつづけた。
「そっちはずっと上り坂なんでしょ?」
「今から登るのはちょっとね……。」
疲れるのは嫌だし、と話す女子二人に「でもそっちの道も後で通るんだぜ?」と大野が聞き返したが「それはわかってるって」と月岡が笑った。
「じゃあ多数決で決めよう。……16番がいいと思う人ー」
竹田の声に挙がる手は5つ――ピンと伸ばしたものから肘を直角に曲げただけのものまで、花浦以外の全員が竹田の意見を支持していた。
「――決まりだな。」
6人は右に曲がった。
定期的に見えてくる看板に似た形の、簡易的なチェックポイントに書かれている文字を記録係の松本がしおりに書きながら、紐と杭で仕切られた道を大野たちはずんずんと進む。
「しりとり、花浦もやらない?」
立ち止まったあるチェックポイントの前で、梅林がそう声をかけた。
その声に大野も目をやると、花浦はスッと目をそらして「……いい。」と短く答えた。
――これはもしかするとチャンスではないだろうか?
花浦とは昨日の件も合わせていろいろともめたものの、これを機に和解できたならば平和で和気あいあいとした林間学校はまだ期待できるはずだ。
今からだってきっと、遅くない。
説得を続ける梅林を前に自分もなんて言うべきだろうかと考えていたその時、大野は残された他の3人もまた同じように二人のやり取りをじっと見つめていることに気がついた。
「なんでだよ、花浦もやろうぜ?食べ物しか言っちゃいけないルールなんだけど――」
「いいって言ってるでしょ!まったく…………わからないの?もういいでしょ。」
冷たく突き放すように、一方的に話を切り上げられて立ち尽くす梅林に声をかけるべく大野は一歩踏み出す。
しかしそれが合図になって、「そろそろ行くか」とリーダーの竹田が進行を促すと、5人は再びぞろぞろと歩き始めた。
そんなつもりじゃなかったのに……。
言い訳じみた言葉を口にする間もなく、皆がこちらを追い越して進む中で「大野?」と竹田に呼ばれると、大野は曖昧に笑って皆の後に続くべく――最後尾として足を踏み出した。
その時になって、大野は記録係の仕事として鉛筆を出すのも手間取っていたように見えた松本が今や無言で2人を見守っていたことにはじめて気づいたのだった。
「梅林も律儀だよね~」
不幸にも、関係の再構築の失敗に落ち込む大野にさらなる衝撃が与えられるのに、そう時間はかからなかった。
月岡の声に大野はハッとして目を向けると、彼女は少し驚いてこちらを見つめている。
大野の傍らで不思議そうに梅林が聞き返すと、月岡は流れのままに言葉を続けた。
「昨日のこともそうだけど、花浦さんみたいな感じ悪い人にまでいちいち声をかけるなんてすごいよね。別に先生だって見てないのに。私なら絶対できないな~」
「あの人いつも身勝手だし、どうせ何言っても変わらないのにね。……あ、もしかして花浦さんのこと好きだったとか?」
キャハハ、と笑う女子二人に「え、お前そういうこと!?」と竹田までもが便乗する。
「違うって、そういうのじゃないから!」
「じゃあなんで花浦をかばってるんだ?」
「それは――うまく言えないけど『見てられない』というか……。」
「え~何それ……」
「そういうのを『好き』って言うんじゃないの~?」
輪の中心で困ったように笑う梅林、梅林をからかう竹田と月岡、意味深そうに眉をひそめる松本……。
なんでもないことのように語り合う彼らは大野の知る顔ではなかった。
彼らの発言を主張として、その一部を切り取れば「事実」としてまだ分からないこともないものの、その思考回路だけは依然として理解できない。
不満混じりの談笑に、昨日とはまた雰囲気の違う笑顔。
――なんだか見てはいけない物を見てしまったような気がして、徐々に動悸が高まっていくのがわかる。
「――大野は?」
「……え?」
先行していた月岡の、射抜くような鋭い視線が振り返ってこちらに向けられた。
言葉としてはそれ以上のものではないはずなのに、大野の胸により一層大きく鼓動が響く。
「梅林、花浦さんに対してちょっと過保護じゃない?」
「……そ、そうかもな。」
加担して、決定的なことを言ったと思われるのが嫌で「よくわかんないけど」慌てて予防線を張ると月岡の目がスッと冷たくなる。
しかし幸いにもそれに気づいたのは大野ただ一人のようで、松本と竹田は「ほらな」「やっぱり過保護だって~」と梅林をいじっている。
大野は一人、前を歩く花浦の後ろ姿に目をやった。
意見の食い違いで喧嘩することもあれど、非日常を前にすれば一丸となって、簡単に仲良くなれると信じていたこと。
花浦といつも一緒にいると思っていた月岡や松本が、本当に仲の良い3人組だと思っていたこと……何もかもが浅はかだった。
唐突に、ここに来る前に学校で聞いた言葉が大野の脳裏によぎった。
‘‘特別な環境では普段は無い接点や気づかなかった一面を知って、深く仲良くなることができると思います”
――たしかに、色々な一面を知れたのは確かだろう。
それでも、できることならこんなのはずっと知らないでいたかったなぁ……。
山道のせいか、足取りが重くなったことは極めて自然なこととして、それ以上に変に疑われることはなかった。
一度休憩しようか、やっぱり歩くのをもう少し遅くしよう……竹田は班のリーダーなだけがあって、度々こちらを気遣ってくれる。
「大野、氷砂糖俺の分もいる?」
休憩になると梅林がそう言って、山道に入る前に一人一袋配られた氷砂糖をこちらに差しだしてきた。
「ありがとう、でも気持ちだけで十分だぜ!俺の分もまだのこっているからな!」
いつまでも要らぬ心配をかけ続けるわけにはいかない。
大野はそう言って笑うと、自分でもやっと心機一転して臨むことができたのだった。
ゆっくり景色が見たいからとことわると、なんとか形を保っていた二人一組は崩壊し、花浦と大野の隣から一人ずつ中央に集まって、1人、4人、1人の並びに変化していく。
時計係として時刻を答える時と、先生が立っているチェックポイントで出題されるクイズを解く時を除いては話題が振られることはなくなり、大野が静かに思考を巡らせる一方で、孤高に先頭を歩く花浦は積極的に記録係の松本へとチェックポイントの文字を伝えていた。
「28番あったよ。『ゆ』だって。」
ゴールは目前に迫っている。
ありがとう花浦さん、と話す月岡と松本の笑顔をもう信じることはできなかった。
目の前を楽しそうに歩く竹田たちの話題が他愛のない世間話だということもわかっていたが、今さら加わりたいとはとても思えない。
――チェックポイントを見つけた時以外に、花浦は決して振り返らなかった。
淡々と報告するその表情から何かが読み取れることもなく、今や班としての一体感は完全に失われている。
今日の班行動が始まってから一つだけ、後悔していることがあった。
竹田の言う16番と花浦の言う22番、どちらのチェックポイントを先に進むべきかの投票で、大野は嘘をついたのだ。
…………あの時、16番のチェックポイントに進むべきだと主張した竹田の意見を大野は支持した一方で、内心では花浦と同じように体力の残っているうちに坂を上るべきだという意見も悪くないと思っていた。
否、本当は花浦の言うように22番に進むべきだと強く考えていたのだ。
しおりに印刷された地図を見る限り、後から22番に向かう道はここから直接向かうよりも急な傾斜が続いている。
進む距離の違いのせいで分かりにくくなってはいるが、体力のあるうちに比較的楽な道で難所を進もうというのは効率的で理にかなっていると大野は分かっていたのだ。
――――それに、後回しにするということは単に疲れている状態で臨むというだけでなく、気温の上昇によるさらなる負荷を相手にしなければいけない。
だからここで一度坂を上ってしまえばゴールまでの道は比較的楽に進めるはずなのだと、せめて一度話してみるべきだったのだ。
……それなのに、何も言わず大野は竹田に賛同した。
張り詰めた緊張状態を打破するつかの間の休息を邪魔し、ことあるごとにこちらを攻撃する花浦の行動に嫌気がさしていた大野は、いい機会だと、たとえ自分を曲げることになろうとも彼女に報復する道を選んだのだ。
身から出た錆だとか、自業自得だとか、言い訳はいくらだって並べられる。
花浦の行動が擁護できるものではないし、人間は感情を持つ生物なのだということも大野はこれまでの人生でよくわかっているつもりだった。
それでも誰だって、あんな風に後ろ指をさしていいはずがないに決まっている。
――――ひとりになりたい。
こんなにも強くそう思ったのは人生で初めてだった。
どこにいたって誰かしらと鉢合わせてしまう、この状況から逃げだしたかった。
自分ただ一人しかいないことを確認して、大きく息を吸って、何も気にすることなく泥のように眠る。
誰の呼びかけにも気づかないくらい深い眠りの中で、少しのことで過剰に反応して、摩耗した思考を真っ白になるまで洗濯したい。
そうだ……そうするしかないのだ。
だって今できるのはそれくらいじゃないか。
これはたまたま偶然運悪く起きてしまった不具合で、時間が経てば正常に戻るのだと、性根そのものが腐っているわけではないのだと信じて思考を放棄すること。
今の自分が何を言ったところで、一度手を染めてしまった時点で矛盾にしかならないのだ。無から有は生まれはしない。
無鉄砲にただ楽しい時間を過ごしたいと願っていた挙句自らそれを捨てる行動をして、さらに他人まで裏切るというのか?吹けば倒れるような自分は何を支えにして、誰を信じられるのだろう?
「――あぁ、ついたみたい。」
大野が顔を上げると木々ばかりの道がスッと開けて、広い場所に出た。
班ごとに一つづつ、待機場所として設定されたテーブルには向かい合わせになるようにベンチが取り付けられていて、見渡すとそのテーブルの半分ほどが既にゴールした班員で埋まっている。
大野にはちらちらとこちらに目をやってはそれぞれの会話に戻っていく他の班員の視線が強く感じられる一方で、梅林たちは疲れたー、やっとついたな、と楽しそうに話していた。
「やったな!」と振り返ってこちらにハイタッチを求めてくる竹田を拒絶する理由はとくになかった。
4人の間で交わされた小気味いい音が遅れて一つ、次いで響く。
その余韻に浸る間はなく、直前に到着した班の対応が終わった先生に呼ばれて、6人はひとまとまりとなって声の主のもとへと向かった。
「『なかまといっしょにしぜんのなかではぐくむかけがえのないゆうじょう』全て集められていますね。」
その声にハッとして、大野は目を見開いた。
班員の点呼、クイズポイントの合計の確認……何事もないように先生が作業を進めていく中で、時が止まったような感覚に陥ったのはおそらく大野ただ一人だった。
急にナイフを突き立てられたような、そんな感覚。
各チェックポイントを回るたびに一文字ずつ松本が書き入れていたそれが一つの言葉になっていたことは、常に彼女と一緒にいた月岡たちならばとっくに知っていたことなのだろう。
事実、彼女たちは驚くことも動揺した素振りも見せることはなかった。
「意外と難しかったな……。結構早くついたと思ったのに。」
「クイズとか難しかったもんね~。仕方ないよ。」
「それより俺は腹が減ったぜ。早く昼ご飯の時間にならないかなぁ。」
テーブルについてからの会話は和やかだった。
当たり障りのない話題を振られると誰もあえて波風を立てるようなことはなくて、6人はある時は率先して話し、ある時は相槌を打ちながら、笑う。
それは真実によるものか敵対心を隠すためかはわからないが、昼食の時間も写真屋さんがまわってきた時も、他のたくさんの班がそうするのと同じように。
――後から知ったことだが、班活動はこれで最後だった。
厳密には次の日の朝の集いで一度顔を合わせる機会があったのだが、大した会話をすることなく終わってしまったからだ。
何も知らず、何を言うこともなく、先生の指示に従っているうちにその瞬間は突然訪れる。
こうして始まった昼食後の活動はロープやネットで作られた多数の遊具が並ぶアスレチック、一学期のうちから有志の人たちで計画されていたクラス対抗のレクリエーションと続いた。
班として縛られなくとも一日目の昼食の時がそうだったように、3人でひとかたまりとなって行動するうちに時間はあっという間に過ぎ去っていく。
夕食中の騒がしい食堂を一人抜けて、通りがかった廊下の窓から見た外はだいぶ暗くなっていた。
――真夏ではないとはいえ、それなりに日差しを浴びたものだから今夜はよく眠れる気がする。
大きなあくびをしながらも、まだ心地よい疲労感に浸るべきではないと大野はわかっていた。
……あと一つだ。
長かった一日を締めくくるにはあと一つ、見逃せないイベントがまだ残っている。
「やっぱりあいつちょっと変だったよな」
「え?」
帰り際、自分がいた席を探しているうちに声だけが突然聞こえてきた。
「朝からなんか上の空だし、ノリ悪いし――お前も気づいてただろ?ずっと何考えてるかわかんないと思ってたら急に『景色が見たい』とか……あんなのちょっと手に負えないよなぁ。」
長い一日を締めくくる最後に残された活動はキャンプファイアーだった。
完全に日が落ちた外は暗く、ダメ元で目をやった空は巨大な屋根が邪魔で見えなかった。
これでは星なんて見えるはずがない……それなのに、気づいた時にはまた、思わず目をやっている。
一日目の昼にレジャーシートを広げてお弁当を食べた、柱と屋根だけの倉庫のような施設に大野はいた。
学校の体育館よりも広そうなこの空間で学年全員が大きな輪になって座り、まだ火のついていない木の塊を囲んでいる。
前髪を揺らす風に混じってそこらじゅうから雑談する声が聞こえてきた。
世間話からこれから始まることの話まで、他にもたくさん。
自分たちをここに先導した先生たちはなにやらまだ準備をしているようで、待たされることに皆悶々としつつもこれから始まる楽しみに心躍らせているのだ。
「…………大野」
懐かしい声はまたも隣から聞こえてきた。何度かわからない間の後に、その度に言葉を選びながら、躊躇いがちに声をかけ続けている。
――初めて声に気がついて振り返った時からずっと、意図的に答えないでいることに気づいているはずなのに。
「……急にどうしたんだ?話す奴なんて、他にいっぱいいるはずだろ?」
話したくない感情より無視し続けることに耐えきれなくなって、ついに大野は声に応じた。
怒っているわけではないし、決して言うつもりもないのだがーー内心ではなんで今なんだと理不尽な思いが募っていく。
俺と違って、と続けたくなる衝動を抑えて……冷静に、自分としてはできるだけ普段通りに聞き返してみたつもりだ。
答えが知りたいわけでもない質問は盾であり矛だった。
わざわざここで聞かなくたって、男女問わず友達が多い彼が背の順の並びごときで縛られるはずがないのはわかっている。
「違う!大野と話したかったんだ……ずっと、こんなことになる前に本当は言わないといけなかったんだけど――」
大きさは抑えながらも、安堵と焦りがそのまま形になったような声だった。
いつだって正々堂々としているのに、らしくもない。
折原 大輝はまっすぐにこちらを見つめていた。
いつも誰かしら取り巻きがいるのに一対一で話すのは本当に久しぶりだ。
やっと顔を突き合わせた‘‘友人”は迷いながら、それでも何かを言いたげな様子は崩さずにゆっくりと口を開いた。
「1学期の時さ……俺、大野の夢のこと――」
「……いいよ、もう。」
「――え?」
聞き返した折原だけでなく、存外に落ち着いた声に自分でも驚いていた。
“そんな口先だけの夢物語、叶うわけないって言ってるんだよ!”
そうかつて言い放った声は掠れていた。
信じられない物を見るような目は大野を映したまま固まっている。
「俺もなんというか、よく考えもしないで言っちゃったなって思ってたからさ―― 冷静に考えたら折原の言ってることも正しいって気づいたんだ。……言葉で言うだけで中身が伴っていなかったら、どんな夢でもうまくいかないよな。 」
嘘でも皮肉でもない、紛れもない本心だった。
あの言葉があんなにも鋭利に刺さったのはただのショックではなくて、その主張が無視できないことを突きつけられたからだろう。
俺だってもっと早く言えばよかったのにな、と大野は笑った。
実際に声に出して言うと、自分だって変な意地をはって話しかけられなかったことを実感するばかりだ。
「じゃあ船乗りの夢は……!」
「いや、それはないよ。やっぱり舟は好きだし、俺にはそう簡単に諦められることじゃないからなぁ……。」
ハッとして見開いた目がほっと安堵したものへと変わっていく。
張り詰めた空気がスッとほどけて、やっと息が吸えたような気がしたのは大野も同じだった。
……折原の凄さはこの数日に限らず幾度となく感じることができた。
日常生活の中で当たり前のように行われていたことが本当は誰にでもできることではなかったのだと、トラブルに対峙するたびに強く意識するのだ。
縁の下の力持ち、その内包する難しさと苦悩を思い知って初めて見えてきたものだってたくさんある。
「よかった、本当……。俺――」
「いいって。実はもうあんまり気にしてないんだ、俺。折原だって……事情があったんだろ?」
折原は微かに目を見開くと、「あぁ」とうなずいた。
気持ちは確かに受け取ったし許してもいるが、今は誰が相手であろうと深入りしたくない……そんなことを知ってか知らずか、折原はそれ以上そのことについて触れてくることはなかった。
タイミングよく先生がマイクで話す声が聞こえてきて周囲の雑談がぴたりと止むと、興奮の渦は儀式めいた着火とともに瞬く間に広がっていく。
簡単なゲームや練習した歌の合唱、クラスごとにダンスを披露しては有志の人によるトーチトワリングを見ていると、湿っぽい空気は跡形もなく消えていった。
――――あれこれ考えるよりも、いいところにだけ目を向けるようにしよう。
一晩寝て考えた結果はシンプルだった。
全てを水に流すことはできないが、自分だって完璧な人間ではないのだから寛大であるべきだと……そう思ったのがきっかけだった。
キャンプファイアーが終わって部屋に戻ってくると有馬たちは相変わらず塾の課題をしていたが、昨日のように衝突することはない代わりに会話をすることもほとんどなかったのが少し残念だった。
取り残された3人は昨日と同じように静かにトランプをしながら勝ったり負けたりを繰り返すうちに、消灯時間は近づいていく。
「結局俺たち、一回も徹夜できなかったな」
朝食の時に梅林がそう言うと「そうだな……」と大野もしみじみと呟いた。
「昨日はずっと歩き回ってたからな……俺は11時少し前ぐらいに寝ちゃった気がするけど、梅林は?」
「俺も11時過ぎてから記憶がないんだよ。寝言とか絶対聞いてやろうって思ってたのに。――それより、だ」
梅林の目がキラリと光り、その視線を向けられた男がギクっと顔を引きつらせる。
「竹田!お前俺が10分で寝たって昨日騒いでたけど、もう俺のこと笑えないからな!」
「ごめんって!俺だって起きてるつもりだったんだよ。不可抗力!不可抗力だから!それよりお前だって来る前は幽霊が出るかもって話してたじゃん。」
「そ、それは別にいいんだよ!」
援護してくれ!と視線を向ける二人に大野は笑って会話に加わった。
楽しもうとする姿勢さえ忘れなければ昨日だってきっと円滑に進むはずだったのだ。
竹田は場を盛り上げるのが上手いし、梅林の話はいつだって人を明るくさせる。
朝の集いの時、早々に諦めてしまった自分と違って梅林は誰よりも諦めていなかったということに気がつくと、大野はギュッと胸が苦しくなった。
思えば一日目のカレー作りの時だってその片鱗は明らかだったのだ。
ハイキングの時だって月岡たちに茶化されながらも“見てられない”と言った彼の強さには……気づくことができたはずなのに。
3人で一緒に徹夜しようという約束をしていたはずの竹田は花浦たちと離れるとどこまでも気のいい奴だった。
喧嘩腰な口調も嘲るような笑いもなく、楽しそうに話している。
朝食後の活動は工作と栗拾いだった。
小刀で竹を削って作る竹蜻蛉は思ったよりも上手くできて、続いて移動した栗の木が並ぶ広場では一人につき5個までは拾った栗を家に持って帰ることができると説明されて、できるだけ大きいのを探そうと注意深く歩き回ったのをよく覚えている。
「――――!」
栗拾いの終盤、地面に落ちた空のイガを集めている時に大野は楽しそうに友達と話す要の姿を見ることができた。
声をかけようか迷ったが、あまりにいい笑顔なのと距離が離れていることもあって、やめておくことにした。
「ん?どうした、大野」
「いや、なんでもないよ」
すごい大きいの拾えたんだぜ、と袋の中身を見せ合って話すうちに大野たちは施設の前まで歩いてきていた。
昼食、施設の掃除、と活動は続き、最後の集いをもって行きと同じように重い荷物を運ぶと、3日間過ごしたあっという間に見えなくなっていく。
…………行きの時と同じようにサービスエリアに立ち寄ってしばらくすると、大野の周りの生徒は皆眠っていた。
やけに静かだと思っていた梅林と竹田は通路を挟んだ席でいつの間にか眠っており、行きは通路側の席に座っていた隣の席の男子はずっと前から窓にもたれかかって眠っている。
バスの振動に合わせて頭がガタガタと揺れるのを見ていると起こすべきかどうか少し迷ったが、やっと手に入れた自由をそう簡単に手放すことはできなかった。
――カレーは上手く作ることができたし、折原と仲直りできたのは予想外だったが、嬉しかった。
それでも、カレー作りでのやりとりといい昨日のことといい、特に班活動のことに関しては一言では片付けられないことがたくさんある。
大きく深呼吸をして、大野は窓の外の景色を遠巻きに見つめた。
そう言えば林間学校に行ったら感想を知りたいと、杉山の葉書には書いていたはずだ。
この3日間の、感想。
宿題の感想文は適当にすませるとして、杉山にはなんて書くべきだろうか……。
色々と考えているうちに肩を揺すられて、気がつくとバスは学校のすぐ近くの下道を走っていた。
校門の前には母さんも迎えにきてくれていて、重いボストンバッグを持って帰路に着くと、夕方らしい傾いた太陽の日差しで足が長くなった影が2人分、並んでいる。
ガチャリと鍵を開ける音がして玄関の扉が開くと、すっかり見慣れてしまった部屋の内装が目に入ってきた。
重い荷物をリビングの一角に下ろすと不覚にも疲労がどっと押し寄せてきてそのまま眠りたい衝動にかられたが、しばらくして母さんの声とともに漂ってきた鼻腔をくすぐる香りには抗えなかった。
いっぱいに腹を満たしたけんいちはこうして早々に自室へと戻ると、ほっと息をついた。
こうして長かった三日間の林間学校はついに終わりを迎えたのだった。