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朝の教室。窓から差し込む陽射しに、少しだけ春のにおいが混じっていた。
桜の花びらが風に舞って、遠くのグラウンドまで運ばれていく。そんな景色の中で、僕は教室のドアを開けて、何気なく中を見回した。もうすでに涼ちゃんは席にいて、ノートに何かを書き込んでいた。その姿を見つけると、胸の奥がじわっと熱くなる。たったそれだけのことで、今日も僕の一日が始まってしまう。
「おはよう」
声をかけると、涼ちゃんは顔を上げて、ふわりと笑った。
「おはよう、元貴」
その一瞬だけ、まるで世界が僕だけのものになったような錯覚がする。でも、それはいつもすぐに終わってしまう。
「若井、まだ来てないんだね」
涼ちゃんがそう言って、少しだけ寂しそうな顔をした。
「うん、さっき昇降口では見かけなかったけど……寝坊かもね」
僕はなるべく平然と答えるけど、内心は複雑だった。若井が来ていないのに、涼ちゃんの視線がどこを向いているのか、僕はよく知っている。
彼の目は、いつも“僕じゃない誰か”を探している。
一時間目が始まっても若井は現れなかった。普段なら時間にきっちりしている彼が、ここまで遅れるのは珍しい。先生の問いかけにも「体調不良でしょうかね」と軽く流されたけど、涼ちゃんの顔はどこか曇っていた。
僕は、その横顔を見ているだけで胸が痛くなる。
彼が来ないだけで、涼ちゃんはこんなにも不安になる。
それなのに、僕が休んでも、きっとそこまで気にされないんだろうな……って、そんなことまで考えてしまう自分が嫌だった。
昼休み、僕たちは購買でパンを買って、教室のベランダに出た。春の風が心地よくて、遠くで部活の声が響いている。
「若井、大丈夫かな」
涼ちゃんがぽつりと呟いた。パンに手をつけることもなく、じっとスマホの画面を見つめている。
「何か連絡あった?」
僕が聞くと、涼ちゃんは小さく首を振った。
「ううん、まだ既読もついてなくて。……昨日、ちょっとだけ話してたんだ。なんか、元気なさそうだったから」
「そっか……」
僕はパンの袋をゆっくり開けながら、あえて目を合わせなかった。
涼ちゃんの言葉の端々から、彼の“優しさ”が滲み出てくる。
それが僕には、羨ましくて、悔しくて、どうしようもない。
「僕、何かできてるのかな」
ふいに、涼ちゃんがそう言った。
「若井のこと、ちゃんと見れてるのかなって。自分じゃ、ちゃんと向き合えてるつもりだったけど……僕、鈍いところあるから」
「……涼ちゃんは、すごく優しいよ」
僕の言葉に、涼ちゃんは少し目を見開いて、ふっと笑った。
「ありがとう、元貴。でも、優しいだけじゃ、届かないこともあるのかもしれないね」
そう言った彼の目は、どこか遠くを見ていた。
その視線の先に、僕はいない。
午後の授業が終わるころ、ようやく若井が教室に現れた。髪は少し乱れていて、目の下にはうっすらとクマができていた。
「悪い、寝坊した」
それだけを言って、自分の席に着く。誰かが軽口を叩いて笑っていたけど、若井はそれにも反応せずに机に顔を伏せた。
涼ちゃんがすぐに駆け寄って、「大丈夫?」と声をかけた。その手が若井の肩に触れたとき、僕の心はまた軋んだ。
放課後。僕はわざと二人に近づかないようにした。
帰り支度をするふりをして、教室の端から様子をうかがう。
涼ちゃんと若井は、廊下で二人きりで話していた。
何を話しているのかは聞こえなかったけど、若井の顔はずっと俯いていて、涼ちゃんの声もどこか不安げだった。
僕はその様子を見ながら、自分の存在がどれだけ中途半端なのかを思い知る。
友達という立場は、ただ“近くにいられる”ことを許されているだけ。
でも、本当の意味で“必要とされる”存在ではない。
若井が苦しんでいるとき、涼ちゃんが真っ先に声をかけるのは、僕じゃない。
家に帰る道すがら、僕はイヤフォンを耳に差し込んで、プレイリストの一番下にある曲を再生した。
繰り返し聴いてきたそのメロディは、まるで自分の感情そのものみたいに胸に響く。
「友達だって 言い聞かせて 笑ってみても 全然足りないんだよ」
そんなふうな気持ちが、ずっと心の中で膨らんでいく。
涼ちゃんが若井を想って泣くのなら、僕はきっと、その涙すらも愛おしく思ってしまう。
そんな自分が、情けなくて、ずるくて、嫌いになりそうだった。
でも、それでも──君を好きでいたいと思ってしまう。
それが、どんなに叶わない想いでも。
夜、机に向かって課題をしていても、集中できない。
スマホを開けば、SNSの通知。
涼ちゃんが若井との写真をアップしている。ふたりの笑顔は、やっぱり眩しくて、綺麗で。
だけど、その中に僕はいない。
僕の存在なんて、きっと“思い出”にさえ残らないんじゃないかって、不安になる。
『知らない顔をして、隣にいる。
本当は、こんなに君が好きなのに』
僕は、今日もまた誰にも言えない想いを胸に抱いて、知らない顔で君の隣にいる。
それがどれだけ苦しくても、手放すことなんて、できないんだ。