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「これ、隼士が事故に遭う前日に贈ってくれたものなんだ」
箱の中から紺色のリングケースを差し出し、そっと開ける。すると隼士は中に入っている指輪を見て、驚愕の眼差しを浮かべた。
「これは俺が持ってるものと同じ……じゃあ、俺がプロポーズした相手というは……」
「そう、俺。俺達、高校卒業した時からずっと恋人同士だったんだ」
真実を告げ、そっと目を伏せる。それからポツリポツリと恋人から友人に戻ることを決めたこと、隼士の部屋から荷物を全て持ち帰ったことなど、全ての真実を話した。
「俺、プロポーズされる前からずっと、いつか自分が隼士の未来を壊すんじゃないかって怖がってた。実際、指輪を受け取った直後も本当にいいのかって考えてたし。そんな時に隼士が記憶を失って……、引き返すなら今しかないって思ったんだ」
「怖いというは、さっき言ってた周りが認めないとか、そういう話か?」
隼士の部屋から持ち帰った物が敷き詰められた箱から二人が写る写真を取り、眺めながら隼士が聞いてくる。
「ん、そう。けどさ、隼士に幸せは自分で守るものって言われて、やっと勘違いに気づいた。俺は未来を壊すことじゃなくて、隼士に嫌われるのが怖かったんだって」
朝陽と一緒になったせいで、辛い目に遭った。仕事を奪われた。こんなことなら女性と結婚しておけばよかったと後悔される未来に怯えていたのだと、素直に話す。
「ごめんな、隼士。俺、お前のためって言いながら、ずっと逃げてたんだ」
「そうか……」
不意に隼士がこちらに背を向けた。そして何かを考えるかのように、口元に手を当てて沈黙する。
「あの……やっぱ、怒るよな……俺、隼士の愛を信じてなかったんだから……」
背中を見せたことに怒りの意を感じ取った朝陽が、指先を震わす。
けれど返答は意外なものだった。
「いや、確かに隠されていたことはショックだが……今はそれよりも……」
「それより、も……?」
ゴクリと息を飲んで、言葉を待つ。
「探していた恋人が朝陽だったことが嬉しくて、夜なのに叫び出しそうだ」
「え、は……?」
思い浮かべていたものと全く逆の反応に、思わず瞠目してしまった。
「えっと……嫌じゃねぇの? 俺、隼士を騙し続けてたのに」
朝陽は二人で培った過去を、独断で全てなかったことにしようとした。恋人を探し出したいと願う隼士の隣で、協力する振りをしながら邪魔もしていた。これはどれも許されるべきことではない。
「それを言うなら、事故とはいえ朝陽のことだけ忘れた俺だって悪い。それに、もしかしたら忘れてるだけで俺も朝陽と似たようなことや、もっと別の、言葉にも出せないようなことを考えていた可能性だってあるかもしれないだろ?」
背を見せていた隼士が、再びこちらに顔を見せる。
「結局、朝陽を不安にさせていたのは、俺の愛が足らなかったからだ」
「そんなことないっ! 昔の隼士は十分すぎるぐらいの愛情をくれてた!」
自分の悩みが原因で、隼士が自分を責めてしまっては大変だ。朝陽は必死に首を振り、隼士に非がないことを主張する。
隼士の言う可能性は確かにあるかもしれないが、記憶が戻らない今、そんなたられば論を繰り広げても意味がないし、だからといって愛が足らない理由になるわけでもない。朝陽は強く訴える。
「だが実際に悩んでいたというのなら、どこかしらが至らなかったのは確かだ。…………けどな」
自信に満ち溢れた顔の隼士に両手を取られ、強く握られる。
「悩みが明確になった今なら、どうすれば朝陽が不安にならずに済むか対処することができる」
間近まで迫った精悍な顔に、胸がドキンと鳴った。
「だから朝陽、もう一度俺とやり直して貰えないか? 今度は絶対に不安にさせない。幸せしか見えないよう、最善を尽くすから」
心からの懇願を向けられ、朝陽は緊張に唇を噛んだ。いつの間にか喉がカラカラになっていて、唾を飲み込むと酷く痛い。
しかし、それも無理はなかった。
恐らくこれが最後の分岐点になる。隼士の言葉を聞いた今、朝陽の中に以前のような不安や迷いはもうないが、それでももう二度と引き返すことのできない重大な局面だということには違いはない。だからこそ、後悔しない言葉を選ばなければ。
「隼士、これまでずっと自分のことばっかり考えてて、ごめん。本当なら隼士に捨てられてもおかしくないことしてたのに、また好きって言って貰えるなんて奇跡だと思ってる」
僅かも逸らすことなく隼士の目を見つめ、一つ一つの言葉を噛み締めるように形にする。
「俺さ、隼士みたいに強くないから、これからもまた迷うことがあるかもしれない。でももし迷ったら、その度に隼士が教えてくれた『幸せは自分で守るものだ』ってこと、思い出すよ」
もし、それでも不安が募ってどうしようもなくなったら、その時は記憶をなくしても再び同じ道を選んでくれた隼士を頼ればいい。生涯を誓うということは、二人で支え合うということなのだから。
そう、もう心配することは何もない。
朝陽は大きく息を飲み、決意を固める。
「ホント……俺、頑張るから、二人の幸せが死ぬまで続くよう、目いっぱい努力する。だから……もう一度、俺を隼士のパートナーにしてくださいっ!」
握られた手に額を着けるように頭を下げ、今度は朝陽が懇願する。
するとすぐに頭の上から、「ありがとう」という言葉が降ってきた。
「じゃあ改めて指輪……着けてくれるか?」
「うん」
顔を上げると固く握られていた指が解かれ、そのままそっと掬い上げられる。隼士の手にはいつの間にかリングケースに入っていた指輪が握られていて、もう一秒でも待てないとばかりにその指輪を朝陽の左手薬指へと近づけた。
ゆっくりと指に指輪が通っていく。
こうして指輪を着けて貰うのは、これで二回目だ。
だが、今回は一点の曇りもない気持ちで、受け取ることができる。
「朝陽が俺のパートナーだなんて、嬉しくてどうにかなりそうだ」
「そんな……大袈裟だって」
「大袈裟じゃない。本当に嬉しいんだ、許されるなら選挙カーみたいに車に拡声器を着けて、俺の恋人は朝陽だって伝えて回りたい」
「ちょっ、それは止めてくれよっ。わざわざ広め聞かせるもんでもないんだし……」
反対したのは別に二人の関係を隠したいからではなく、ただ単に近所迷惑になると懸念したから。
本当は朝陽だって言い触れ回りたい。
俺の最高の恋人は、隼士なんだと。
「そうか? なら叫ばない代わりに……」
頬から首の辺りを、そろりと一撫でされる。それは一見、愛おしい恋人に触れる優しいものに見えたが、朝陽はすぐに隼士が何を求めているのか分かってしまった。
返答の代わりとでも言わんばかりに、朝陽はそっと自分の手を隼士の手の上へと重ねる。
と、すぐに頭一つ分上から影が降りてきた。