テラーノベル
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その美術館に着いたのは、偶然だった。帰り道を間違え、雨宿りのつもりで入っただけだったのに、入り口の自動ドアが閉まると同時に空気が変わった。
静かすぎる。
呼吸の音が壁に吸い込まれていくみたいだ。
一歩踏み出すと、スピーカーからアナウンスが流れた。
「──ようこそ。当館では展示品と“対話”をお楽しみいただけます」
……展示品と、対話?
そう不思議に思っていたら、気づいたら私の右手に音声ガイド用のヘッドフォンが握られていた。
なんだか不気味だと思いつつも音声ガイドを使用した。
その直後すぐ横の彫像が、低く囁いた。
「さっきから視線が落ち着かないね。緊張しているのかい?」
私は反射的に飛び退いた。
「驚かせてしまったか。すまないね。
声は、案内ガ イドを通しているだけだよ。
だが、君にしか聞こえていない。 どうせ暇なら、俺達美術品の声を聞いていってお くれ」
彫像は硬い石のくせに、まるで人間みたいな声音だった。
私は怖さより興味が勝ってしまい、ひとつひとつの展示品を回った。
壺は孤独をこぼし、
絵画は永遠を訴え、
古い人形は「ここが家なの」と微笑んだ。
どの作品も、救われたいのだ。
話すたびに胸がぎゅっと締めつけられた。
──そして、私は“それ”を見つけた。
真紅の油彩画。
少女がただ一点、観客を見つめている。
タイトルは
《君ノ願イヲ、聞カセテ》。
絵に近づいた瞬間、他の展示品たちの声が遠のいた。
「……来てくれたね」
ささやきは、絵の中からだった。
声は澄んでいて優しく、なぜか懐かしさすら感じる。
そして何より、美しかった。
私はついつい見惚れて、少女から目を離すことができなかった。
「私は、ずっとここにいるけど、まだ誰も私の願いをかなえてくれる運命の人は現れないの。
でも……あなたなら、私を外に連れ出してくれるでしょう?なぜだかそんな気がするの」
強く、胸を掴まれたような気がした。
「外に? 絵から……?」
「そう。ずっとここに閉じ込められてるの。
額縁の向こう側に行きたい。
ここではお腹も空かない、ずっとずっっっと同じ
風景しか見えない。もう狂ってしまいそう……
ねえ、お願い。あなたしか、いないの」
震えそうになる心を必死に抑えて
「彼女の為なら」と手を伸ばした。
その時、遠くのスピーカーから別の声が響いた。
『──触れては、いけません。
触れた者は、“作品”になります。』
振り返ると、どの展示も沈黙していた。
まるで私の行く末を知っているみたいに。
じっと私と少女だけを見つめている。
「ねえ、あんな話信じないで」
絵の少女が囁く。
涙のように光るその瞳で。
「私は嘘をつかない。
あなたは優しい人だから、
私を……救ってくれるよね?」
胸が、ぎゅっと痛む。
救いたい。
それが間違いでも。
私はそっと、絵に触れた。
──その瞬間。
真紅の世界が裂け、無数の手が私の腕を掴んだ。
「ありがとう。やっと……やっと外に出られる」
少女の声が耳元で囁いた。
私の身体は絵の中へと引きずり込まれ、視界が紅に染まった。
息ができない。
声が出ない。
世界がキャンバスに吸い込まれていく。
最後に聞こえたのは、遠くのスピーカー音声だった。
「次の展示品が、完成いたしました。
タイトルは──《幻影の来訪者》」
──ヘッドフォンが落ちた音が聞こえ、そして、美術館はまたもや静寂を取り戻した。
「さて、何十年後か何百年後か、次現れる貴方はどんなアート(末路)を見せてくれるのでしょうかね。果たしてここから無事に出られるのでしょうか?」
ここは、“永遠を彷徨う美術館”。
出口は、きっとどこにもない。
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