時々馬を休ませつつ、順調に次の街への道程を進んでいく。
荷台からでも馬車の前方は見ることができるので、覗いていると峠で何台かの馬車が立ち往生しているのが見えた。
「ありゃあ、面倒なことになりそうだのう」
ぼそりと呟いたオリヴァーさんだったが、馬車はそのまま道なりに進んでいく。
そんな私たちの馬車に気付いたのか、立ち往生しているうちの1台の馬車の側にいた若い男の人が近づいてきた。
オリヴァーさんも徐々にスピードを落としていく。
「じいさん、この先は通行止めだ」
「いったい何があったんじゃ」
「なんでも、馬鹿な冒険者が魔物を追い払う際にどでかい魔法を使ったらしくてな。橋を壊しちまったんだ」
なんと傍迷惑な話であろうか。忌々しげな男の説明に、オリヴァーさんも唸っている。
私の向かい側に座っているミーシャさんも深くため息をついていたが、やがて口を開いた。
「その馬鹿な冒険者とやらは罰則を逃れられないでしょうね。でも、今は橋を渡れないのが問題よ。お兄さん、いつ頃渡れるようになるかわかるかしら?」
ミーシャさんが身を乗り出して男に問い掛けると、男は眉間に皺を寄せながらその質問に答える。
「一応、向こう岸に何人か渡らせて応援を呼んできてもらってはいるが……」
「それでも、しばらくかかりそうじゃなぁ」
「正直な話、俺らも一度ナザリガルドまで引き返そうか検討してるところだよ」
男は苦虫を食い潰したような表情で言った。
その言葉を聞いたオリヴァーさんは少し考えた後、何か思いついたのか一人頷き始める。
「よし、少し回っていくとするかの」
「……おいおい、まさかじいさん、タゴルル村から行くつもりかよ。やめとけよ、あそこは馬車じゃきついぜ」
「儂の馬たちはタフじゃからの。どんな悪路だろうが平気じゃよ」
男の制止の声を物ともせず私たちを乗せた馬車は進んでいた道から道を逸れ、木々の間を抜けていく。
一応馬車が通ることはできているが、とても正規の道と呼べるものではないだろう。
「少し道が悪くなるぞぉ。舌を噛まんようにな」
オリヴァーさんが突然、振り向いて声を出す。
――そこからは地獄だった。
◇
「ここがタゴルル村……」
森の中にある村がこのタゴルル村だった。街の中には木漏れ日が差し、どこか神秘的にも感じられる。
さっきまでとは違って馬車はその中をゆっくりと進んでいた。
――そんな時だ。
「なあ! その荷台に冒険者はいないか!?」
外から子供の声が聞こえる。
「おるよ、それがどうしたんじゃ?」
走る馬車を追いかけているのだろう。ゆっくりと馬車を走らせながら、オリヴァーさんが応対する。
何事か、と対面に座るミーシャさんと顔を合わせていると外から先程よりも大きな声が馬車の中へ届いてきた。
「冒険者を貸してくれないか、村の近くに魔物が出て困ってるんだ!」
「この村にも戦えるものは居るじゃろ?」
「何日か前に街へ買い出しに行った。まだしばらく戻ってこないんだ!」
オリヴァーさんは「助けてくれ」という子供の声を聞きながらも、そのまま進もうとしているようだ。
「冒険者を貸したとして、儂らへの見返りはどうする?」
「金はないけど1日くらい泊められるし、飯も食わせてやれる」
オリヴァーさんは「それは別に困っとらんなぁ」と子供をあしらう。
見ていられなくなった私はオリヴァーさんに声を掛けた。
「私をここで降ろしてください」
「お主、本気か? 依頼を放棄すると罰則があるのじゃぞ?」
「でも、困っている人を見過ごすなんて私は嫌です」
私はパパとママのように誰かを助けてあげられる人にならなくてはならない。だから、あんなに困っていそうな人を見過ごすことはできなかった。
オリヴァーさんからの反応はない。だが徐々に馬車は減速していった。
御者台に座る彼は依然として前を向いたまま、口を開いた。
「少し馬に無理をさせ過ぎたのでな。3時間は休ませなければならん。儂はその先の池の側で馬を休ませておくから、お主らも勝手に休んでおれ。その間、何をしようが儂は知らんぞ」
「……ありがとうございます!」
その意味を理解したとき、オリヴァーさんからは見えていないのに思わず立ち上がって、頭を下げる。
「ユウヒちゃん、わざわざ首を突っ込む義理もないでしょう。それに依頼を放棄しようとしてまで……」
「でも嫌だったんです。すみません、勝手なことをして」
ミーシャさんはため息を吐きつつも、笑ってくれる。
その笑顔を見ながら、私は立ち上がった。
「それじゃあ行ってきますね」
「さすがに1人じゃ行かせないわよ。ワタシも同行するわ」
ありがたい申し出だと思う。でもそれをそのまま飲み込むわけにはいかない。
「ありがとうございます。でもこれは私が勝手にすることです。ミーシャさんの手は煩わせられません」
「気にすることじゃないわ。あなたに何かあった方が嫌だもの」
「……理由はそれだけじゃないんです。馬車の護衛が本来の依頼なのに、護衛が両方とも馬車を離れるのはマズいと思ったから私とコウカたちだけで行くんです。この馬車にもし何かあったらそれこそ問題ですから」
私の発言は「我儘を言っておきながらお前は何を言っているんだ」と糾弾されてもおかしくはない発言だろう。そんなことは分かっているのだ。
「それならユウヒちゃんたちが残りなさい」
「いいえ、私の我儘でやることなんですからお譲りすることはできません」
こればかりは譲ってしまっては意味がない。
それを言葉にするとミーシャさんは額に手を置いて天を仰ぎはじめた。
「どうしてこの子はこう頑固なのかしらね。……コウカちゃん、それにヒバナちゃんとシズクちゃんも。ユウヒちゃんのことをどうか守ってあげて」
観念した様子のミーシャさん。
私も改めてコウカたちにお願いすることにした。
その後は私とコウカたちだけで、馬車を呼び止めた男の子が教えてくれた、魔物が出たという場所まで向かった。
だが大した相手でもなく、相手はゴブリンだけだったのでコウカたちの力を借りてすぐに魔物の討伐を終えることができた。
そして村に帰り、綺麗なゴブリンの死体を選んで見せると村の人たちから厚く感謝された。
彼らからは御礼に泊っていけとも言われたが依頼を理由としてすぐに断った。ここで足を止めるわけにはいかないのだ。
私たちを乗せた馬車は進んでいく。馬車が走り出す前にオリヴァーさんにはもう一度お礼を言った。
◇◇◇
ユウヒとミーシャがキネヴァス共和国の首都ユノレアエへ向かった頃。
ミンネ聖教の総本山である聖都ニュンフェハイムの大聖堂では1人の少女が頭を垂れ、祈りをささげていた。
少女は白地にローズゴールドの意匠が施された修道着のような衣服とベールを身にまとっており、ミンネ聖教の関係者であることが窺える。
その少女が祈りをささげている大聖堂には他に誰もおらず、静寂に包まれていた。
だが少女以外に誰もいないはずの聖堂内が突如として重圧感に包まれ、まるで歌声のように美しい声が響き渡る。
『聞こえますか、我が愛し子ティアナよ』
「……はい、聞こえております。女神ミネティーナ様」
女神ミネティーナの神託に少女――聖女ティアナが頭を深く下げたまま応える。
彼女の敬虔な様子に気を良くしたミネティーナが威厳をたっぷりと声に乗せて、神託を続ける。
『しばらく神託を下すことができず、申し訳ありませんでした。あなたが壮健な様子でなによりです。……ところで話は変わりますが、あなたの元にアリアケ・ユウヒという少女はいますか?』
「アリアケ・ユウヒ様ですか? いえ、そのような方は存じ上げませんが……」
ミネティーナが纏う雰囲気の変化に気付いたティアナは疑問に思いつつも、嘘偽りなく正直に答える。
だがその直後、大聖堂内にはミネティーナがバタバタと慌てる声とそれに隠れて小さいながらも甲高い少女の声が響き渡る。
『ああ、ちょっ、レーゲンちゃん。まっ、いや、ごめんなさい! もしかするとなんて少し期待していたりはしたけどやっぱりそうよね。ええ、分かっています、分かっていますとも!』
「ミネティーナ様……?」
様子がおかしいミネティーナに対し、ティアナが少し困ったような声を漏らす。
『ご、ゴホン! 失礼しました。今回神託を下した理由なんですけどね。ある1人の少女を保護してもらいたいと考えたためです。名前はアリアケ・ユウヒさん。アリアケが家名でユウヒが名前ですね。彼女は私が地上界へ送り出した世界を照らす希望となる少女なのです』
ミネティーナは今にも剥がれ落ちそうな威厳ある女神としての仮面を必死に被り直そうとしながら、早口で捲し立てていた。
「なるほど、承知いたしました。これより教団の総力を挙げてアリアケ・ユウヒ様の保護にあたります。つきましては、アリアケ・ユウヒ様が居られる場所や特徴などをお教えいただきたいのですが……」
『えっ!? あー、いやぁ居場所ですか。居場所ですけどね……あのぉ……そのぉ実は……分からないといいますか……うぅ、黒髪に黒い瞳を持ったティアナちゃんと同い年くらいの女の子です……』
「……事情はお察ししました、はい」
『…………』
「…………」
もはや威厳の欠片も感じられないミネティーナだが、ティアナは敢えて触れるようなことはしなかった。それでも2人の間では気まずい空気が充満する。
沈黙が続く中、その沈黙を打ち破ったのはミネティーナである。
彼女は先ほどの慌てていた様が嘘のように落ち着いた口調で切り出した。
『……まあ、どうかお願いします。本当に大切な方なので』
「はい、分かりました。必ず」
ミネティーナの言葉に真剣味を感じたのか、それに応えるようにティアナも真面目な声音で返す。
そのやり取りを契機に聖堂内を包んでいた重圧感――後半はほとんど機能していなかった――が霧散していく。
聖女ティアナは深く下げていた頭を徐々に上げ、鮮やかな桃色の髪を揺らしながら立ち上がる。
閉じたままの瞳をゆっくりと開くと、彼女のエメラルドのように輝く双眸が露になった。
数秒の間は神妙な面持ちでその場にただ佇んでいたティアナだったが、突然右手で口元を抑え、顔を俯かせた。
「んっ……ふ、ふふっ……」
静かな聖堂内に漏れる声。
心なしか、彼女の肩は少し震えているように見えた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!