地獄みたいなマンツーマンの数学補習が終わったのは、17時過ぎだった。
「疲れた~……もう二度と数字見たくない」
誰もいなくなった教室で、あたしはしばらく机に突っ伏していた。
開きっぱなしの窓からは、五月のぬるい風が運動部のかけ声と一緒に流れ込んでくる。
「部活か~……今日はパス」
部室に顔を出すか一瞬悩んだけど、あっさり諦める。あたしはスマホを引っ張り出して、メッセージアプリを開いて『帰る』とタップした。
メッセージに『既読』がついた時、誰かが教室に入ってきた。
「よお、雲竜《うんりゅう》。補習お疲れ」
「あ……つ、月城くん!」
入ってきたのはクラスメイトの月城守也《つきしろもりや》くんだった。だだ下がりだったテンションが一気に跳ね上がる。
「え、えーっと。どうしたの、忘れ物?」
「オレ、今日の日直だからさ。戸締まりするから待ってた」
「えっ!? ウソ、ごめん!」
「超待ったわ。……なんてウソウソ。部活サボる口実になったからラッキー」
月城くんは窓を閉めて振り返るとにこっと笑った。爽やかすぎて眩しい。
まったく自慢にならないけど、あたしは小学校の頃からの筋金入りぼっちだ。クラスでの友達はずっと皆無。とはいえイジメに遭うこともなく、要するに空気扱いだ。波風立てる度胸もないので、あたしもクラスの隅を定位置キープにして、ひたすら地味に目立たず振舞っている。
そんなあたしに、四月のクラス替えで隣の席になった月城くんは積極的に話しかけてくれた。男子……というか、クラスメイトから親しく話しかけられることなんてほぼ経験がなかったあたしは、最初は超戸惑って挙動不審になった。きちんと話せるようになったのは一ヶ月過ぎてからだ。
まあ、いまだに緊張して変な汗出るんだけど。
「月城くんって、サッカー部だったよね」
「ああ。練習マジきつくてさ、試合も近いし」
サッカー部なんて、いかにもリア充男子が入ってそうだ。
ところでうちのサッカー部って強かったっけ? 記憶にない。
ああ、でもラッキーだ。帰る前に月城くんと話せるなんて。
これで何とか家まで帰る気力が出てきた。
「ごめんね待たせて。もう帰る用意できてるから……月城くん?」
席を立ったところで、月城くんがじっとこっちを見ているのに気付いた。
「……どうかした?」
「あーいや。……あのさ」
何だか照れくさそうに月城くんが言った。
「俺、雲竜のことずっと気になってて」
心臓が急に飛び跳ねた。
「き、気になってりゅ?」
うわ最悪、噛んだ。しかも声もひっくり返ってる。
急に、教室に二人っきりってことを意識してしまった。
このシチュエーションってもしかして、いや、まさか。
「ちょっと聞いても良いかな。……誰もいないし」
「ど……ど、どうぞ?」
心臓がフル回転でバクバクしてる。
あたしの両手は知らず知らずのうちに胸の前で祈るように組まれていた。手汗がやばい。
「えっと……」
月城くんが思い切ったような顔になって、口を開く。
あっ、やっぱりちょっと待って! まだ心の準備が――
「雲竜の背中にでっかく刺青入ってるって、マジなの?」
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