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あれから更に月日は過ぎ、ショコラは17歳になっていた。相変わらず屋敷の中だけの生活ながら、満喫している。
しかしこの頃になると、社交界では密かにとある噂が流れていた。
「名実ともに絶世の美女である姉君と違って、見劣りのする妹君をオードゥヴィ公爵は恥じている。だから人目に晒さないよう、屋敷に軟禁しているのだ。」
と……。
大まかには間違っていないものの、重要な部分が間違っている。
この事は公爵の耳にも入っており「“恥じている”とは失礼な‼」と当然憤慨したのだが、所詮は噂。訂正して回るわけにもいかず、ショコラの耳にさえ入らなければいいとそのまま放っておく事にした。
そんなある日、王宮で夜会が開かれる事になった。こんな時は身支度のため、一家とその世話をする使用人たちは早い時間からバタバタと慌ただしい。いつも通り留守番のショコラは、お茶を飲みながらその様子を一人のんびりと眺めていた。
しばらく経ち、ようやく一通りの支度が終わった母・マドレーヌは、一息吐く…と言うよりも溜息を吐いた。そして口を尖らせて誰ともなしにぼやき始めた。
「あぁ~~面倒だわ。私もショコラと一緒にお留守番していたい……。フィナンシェさえ連れて行けばみんな満足するんだし、それでいいじゃない。ねえ?」
すると、それを聞いた姉・フィナンシェまでもがごね出した。
「お母様ったらずるい!その辺の貴族の夜会やらには、そうやっていらっしゃらない事ばっかりなのに……。たまには私だってショコラとお留守番したいわ‼」
「あら、貴女は駄目よ。連れて行かなかった時の周りの視線ったらないわ……。」
「でもお母様は公爵夫人ですもの。特に、今日なんて王宮からのご招待よ?いらっしゃらないわけにはいかないじゃない。」
これから出掛けるというのに、二人は軽く揉めている。
そんなところへ、公爵である父・ガナシュがやって来た。
「こらこら、二人ともやめなさい。」
もちろん仲裁をするつもりで間に入った彼は、まず妻の方を向いた。
「マドレーヌ、フィナンシェの言うように公爵夫人が王宮のご招待をお断りするなんてもっての外だ。」
窘められたマドレーヌは機嫌を損ね、ますます口を尖らせた。するとフィナンシェは得意げに胸を張る。自分の言い分は正しかったのだ、と言わんばかりに……
しかしその後、すぐに彼女が窘められる番が回って来た。
「フィナンシェ、お前もだよ。母様の言う通り、みんなお前に会う事を楽しみにしているんだ。連れて行かないわけには、いかない。」
「……どうせいつも、お父様のお仕事に利用しているだけじゃない。」
ガナシュは痛いところを突かれた。
フン!と鼻を鳴らし、妻と同じように口を尖らせる長女を前に彼は苦笑いをするしかなかった。
「まあ、そう言うな……」
不公平にならないよう、二人ともを平等に叱ったのだが、どうにもマドレーヌとフィナンシェの機嫌は直らない。それどころか互いにツンと横を向いたままで、悪化した。それとも、はじめは冗談の延長だったのが、余計な口出しをしたために段々本気にでもなってしまったという事なのだろうか……。
女同士の口喧嘩の仲裁とはかくも難しいものか、とガナシュは思った。……困った。
その時、何かがぷつりと切れた。
「――……そんな事を言うなら、私だって本当は行きたくなんて無いさ!私はいつだって参加しているんだぞ?たまには私がショコラと留守番をする‼」
ガナシュがとんでもない事を言い出した。ついには彼までもが駄々を捏ね始めてしまった。優等生のような顔をしている公爵にだって、本音というものはあったのだ。
すると形勢が変わった。
「“公爵”が不参加だなんてあり得ませんわ!!」
図らずもマドレーヌとフィナンシェの声が重なり、今度はガナシュが叱られた。
これぞまさに三すくみ……。三人は意地を張り合うように睨み合いになった。
このままでは埒が明かなくなる。
使用人たちは困り始め、それを見たショコラは三人のもとへと飛んで行った。
「ほらほら、そんな事をしていると遅れてしまいますよ!みんな待っているのですから。」
そう言うと、ショコラは三人の背を押して進み、そのまま馬車へとぐいぐい押し込めた。そんな事をされれば、行かざるを得ないではないか……
三人とも渋々夜会へ向かうしかなくなってしまった。
「夜会なんて早く切り上げて、お姉様はすぐに帰って来ますからね!少しだけ待っていて、ショコラ。」
「それじゃショコラ、今日の晩餐は何でも貴女の好きな物を頼みなさいね。料理長にはそう伝えてあるから。」
「オルジュ、今からしばらくこの家の主はショコラだ。いいね。では後の事は頼んだぞ。」
馬車の中から次々に、三人はまるで長期不在にでもするかのように言い置いて行く。
そんな彼らに向かって、家令のオルジュは外から深々と頭を下げた。
「かしこまりました、旦那様。――それでは皆様、行ってらっしゃいませ。」
それからショコラが手を振ると、父と母と姉を乗せた馬車はようやく出発して行った。
色々と大袈裟ではあるが、王宮の夜会がある時はいつも大体このような流れが恒例となっていたのだった。送り出す方も一苦労である。
馬車が見えなくなりやれやれと一息吐くと、オルジュが一人残ったショコラに尋ねた。
「ショコラお嬢様、それでは晩餐はどういたしましょう?」
「う――ん、そうねえ…。特にこれと言っては無いのだけれど……。」
ショコラは腕組みをして考え込んでしまった。
好きな物と言っても、これまでに頼み尽くしてしまっている。それにやはり、広々としたダイニングルームで一人食器の音がするだけの食事は、何を食べても寂しい。
「……お父様たちは、王宮でお食事されるのよね。」
「はい、左様でございます。」
ショコラは前に一度だけ行った、王宮の夜会の事を思い出した。
「たしか、お料理が沢山並んでいて…自分で好きな物を好きなだけ取って、頂くのだったわ。」
使用人たちは、昔の傷を抉るんじゃないかとその話をハラハラしながら聞いている。だがそんな事はお構いなしに、ショコラは薄れた記憶をたぐって行く……。
そして突然ハッとして何かを思い付くと、また少し考え込んだ。
それから目を輝かせながら、大きな声で宣言した。
「今日の晩餐は立食パーティーにしましょう!」
「立食パーティー、で、ございますか…⁇」
父より二回り近く年上と思われる家令が、『お一人で⁇』と目を丸くして驚いている。
「もちろんお屋敷にいるみんなで、よ。」
オルジュは慌てた。
「それはいけません!わたくし共がお嬢様とお食事などと……。旦那様に叱られてしまいます。」
「大丈夫よ。お父様たちには内緒!今日は王宮での夜会でしょう?それならお帰りになる時間が大体分かるし……。それまでに支度して、何事も無かったかのように片付けてしまえば気付かれないわ。」
困る家令に、ショコラは更に言葉を続ける。
「さっきお父様は、“今からしばらくこの家の主はショコラだ”とおっしゃったでしょう?だからこれは主の命令よ。」
「しかしお嬢様……。」
うーむ……と困り果てるオルジュ。そこに駄目押しをして行った。
「もしばれてしまっても、私が全て責任を持つわ。叱られるのは私だけにする。みんなには絶対に責めを負わせない。ねっ?いいでしょう??」
ショコラは次に、周りにいた他の使用人たちの方を向くと声を掛けた。
「ねえ!みんなだって、たまにはもてなされる側になってみたくはない?いつもは給仕してばかりだけれど……。今日は絶好の機会なのよ‼」
その場にいた使用人たちがザワザワとし始める。それを見たオルジュは慌ててショコラに問い質した。
「それでも、“誰か”は給仕をしなければならないのですよ?それに、料理人たちだっているのです。屋敷の警備はどうします?一部の使用人たちだけがパーティーに参加するのでは、不公平が生じてしまいますよ。」
思い付きには、現実という正論を突き付けるのが一番だ。例え彼女を多少困らせる事になろうとも……。そこまでを、オルジュが目論んでいたのかどうかは定かではないが――
しかし、思い留まらせるには十分な理屈であろう質問を、彼はショコラへとぶつけた。
「もちろん、それはちゃんと考えたわ!」
思ってもみない自信に溢れた言葉が返って来た。困るどころか、彼女は微笑んでいる。
「まず各持ち場ごとにいくつかの班に分けて、時間帯ごとにパーティーの参加と給仕や他の外せないお仕事とを交替して行くのよ。お料理も、各時間帯できちんと新しい物を出すようにして、回によって不公平が出ないようにする。一回の人数はそこまで多くはならないでしょうから…中広間を使いましょう。外のお客様をお迎えするわけではないから、飾り付けとかは会場の中だけでいいわ。これで準備と片付けの時間も短縮出来るはず。あと、王宮の夜会は大体いつも夜の九時頃までは出られないみたいだから、それまでに片付け終われば大丈夫。――という事は、パーティーの時間は七時から八時半までにしましょう。これでどう⁇」
オルジュは驚いた。まるで台本でもあるかのように、すらすらと流れるように計画が示されて行く。そして皆、感心しながらその話に聞き入っているではないか……。
ここでもう一押しだ、とショコラは見た。
「“このお屋敷の使用人たちはみんな優秀だ”って、お父様は常々おっしゃっているわ。みんななら出来ると思うの。さあ、どうかしら?」
極めつけの殺し文句が飛び出した。……公爵が、自分たちを……
そこまで言われてしまったら――…
「…確かに、それなら…」
「パーティーなんて、私が出るようなものじゃないと思ってたわ…」
「いいのかしら…本当に⁉」
――出来るかもしれない。使用人たちはにわかに色めき立ち出した。彼女の話には、それだけ現実味があったのだ。
この状況にオルジュは圧倒されてしまった。彼は思わずショコラに尋ねた。
「……もしかしてお嬢様、以前から計画をされていらしたのですか?」
「?いいえ?今さっき思い付いたのよ。食べたい物が思い付かないわー、そういえばパーティー料理はほとんど食べた事がなかったわー…って。それから色々ちょっと考えて……。」
その説明には、誤魔化しているような素振りは見られない……。そして、とても楽し気だ。
オルジュはふうっと息を吐き出した。
「――ショコラお嬢様は、お小さい頃からそうでございましたね……。よろしいでしょう。あなたたち!今晩はお嬢様主催の立食パーティーを催します。この事を屋敷内にすぐさま周知徹底させるように!」
パンパンと手を叩き、家令は大きな声で周囲に呼び掛けた。
もはや彼彼女らの盛り上がりを止められない。オルジュがついに、折れたのだ。するとその場にわあっと歓声が沸き上がった。
ショコラも嬉しくなり、彼に抱き付いた。
「ありがとう!貴方ならそう言ってくれると思ったわ。大好き、オルジュ‼」
「またそのような事を……」
オルジュは困ったようにしながらも、嬉しそうに笑っていた。
――かくして決まった“秘密の立食パーティー”。
ショコラは張り切って、使用人たちに指示を出した。
「みんな!他の人たちに知らせに行った時、手の空いている人は会場へ集まるように言っておいてね。他にも色々と指示をしなくっちゃ。オルジュも先に行っていて!大きな紙に表を作るから、きちんと全員の名前があるか確認して欲しいの。お屋敷で働くそれぞれの人数を全て分かっているのは、貴方だけでしょう?」
「かしこまりました。」
「…ああ~わくわくして来たわ‼」
そうして各々が散らばって行き、パーティーの準備は始まった。
ショコラもあちらこちらへと慌ただしく動き回った。厨房へも自ら行って交渉をする。
「賄い用の食材を使ってのパーティー料理ですか?…旦那様方の分と違って、我々用には量も種類も、いつもあまり使わないんですがねえ……」
「それと、私の晩餐用に使っていい分は全部使ってちょうだい。私が我儘を言って色んな物を作らせた事にすればいいわ。パーティー料理には色々な物が出るのだもの。完全に嘘でもないでしょう?それに、“何でも好きな物を頼みなさい”っておっしゃったのはお母様だもの。」
料理長は少し考えを巡らせた後、明るい顔で答えた。
「…分かりました、何とかしましょう!それ〝だけ〟の食材で十分な数の品を作る……料理人として腕が鳴るじゃあないか。ここ最近このお屋敷ではぱったりと夜会を開かなくなってしまいましたからねえ、若い連中のいい練習にもなる。」
彼はそう言って快諾してくれたのだった。
――…さすがは公爵家自慢の使用人たち。準備は速やかに終了し、パーティー自体も滞りなく催された。
そして予定通りに片付けまでを終え、公爵たち一行が戻って来るずいぶん前にはすっかり〝原状回復〟させてしまったのだった。
「旦那様、奥様、フィナンシェお嬢様、お帰りなさいませ。」
ショコラと使用人たちに迎えられ、三人が屋敷へと帰って来た。すると、馬車から降りるなりフィナンシェがショコラに飛び付いた。
「…ショコラ‼遅くなってごめんなさい!一人で寂しかったでしょう?」
「お姉様、お帰りなさいませ!でも、心配なさらなくても大丈夫でしたよ。」
ショコラは笑顔で答えた。――…きっと、自分たちを困らせないようにと気を遣って強がっているのだ……。そう思ったフィナンシェは、平然としている妹にいじらしさを感じて涙を滲ませた。
それに続いて馬車から降りて来たガナシュは家令に尋ねた。
「オルジュ、何か変わりはなかったか。」
「はい、何もございません。旦那様。」
彼を始めとした使用人たちは全員、主人を相手に何食わぬ顔をしている。一切の不自然さを感じさせないほどに……やはり優秀である。当然、公爵たちは気付かない。
こうして、ショコラを首謀とする“完全犯罪”は成功を収めたのであった。
「はあ~もうぐったりよ……。早くゆっくりお茶にしたいわ。貴女もいらっしゃい、ショコラ。」
帰って来たばかりのマドレーヌが手招きをすると、そこでショコラは少し慌てた。
「あ…えっ、えっと……そう!お母様たち、まずは楽な服装にお着替えなさらないと!そのままではゆっくり出来ないでしょう??」
少し首を傾げながらも、母は自身のごてごてと飾り付けられた格好を見た。
「……そうねえ。確かにこのままだと堅っ苦しいわ。それじゃ、着替えて来ましょうか。もう少し待っていて頂戴ね。」
ショコラは三人が部屋に行ったのを見届けると、急いである場所へと向かって駆け出した。
「ショコラお嬢様?どちらへ⁇」
侍女の一人が不思議に思って声を掛けるが、彼女は立ち止まらずに答えた。
「ちょっと……。お母様たちには内緒ね!」
――そのまま駆けて行ったショコラがやって来たのは、厨房だった。
「おや?ショコラお嬢様、今度はどうされましたかな?」
「実は…」
ぐうー~……
ショコラが答えるよりも先に、彼女のお腹が答えてしまった。
「……よく考えてみたら、あんまりお料理に口を付けていなかったの……。色んな事が気になってしまって……。」
ショコラは「エへへ」と照れ笑いをした。
パーティーの最中、一口二口は食べたものの、厨房の状態や各時間帯の交替状況だとか、それぞれにきちんと料理が行き渡っているかなどが気になって、食事どころではなかった。それらを確認をするため、ショコラはろくに食べもせずに忙しく動き回っていたのだった……。
「アッハッハッハ!さすがはショコラお嬢様だ。分かりました。簡単に召し上がれる物をすぐにご用意いたしましょう!」
「ありがとう。」
それから本当にすぐに出てきたサンドイッチを厨房の中で頬張りながら、ショコラは考えていた。
『パーティーの主催者って大変なのねえ……。大変だったけど、楽しかったわぁ。今回は私がちゃんと食べられなかったから、そこが反省点ね。そうだ!それを踏まえてまたやらせて貰おう。次の王宮の夜会はいつかしら?ああ、待ち遠しいわ!』
――こんな日常が、この先もずっと続いて行くのだろう――…。
この時のショコラは、わざわざ考えるまでもなく、そう思っていたのだった。