これで何度目になるだろうか、とショコラは思った。もはや数え切れなくなったのは、姉の見合いの数だ。
姉・フィナンシェは17歳頃から見合いをしている。21歳になった現在、続ける事4年ほどになるだろう。
絶世の美女であるフィナンシェの見合いが上手く行かないのは、彼女が全て断ってしまうからだった。
毎回和やかに始まり、一見すると成立しそうなのだが、その実は相手がフィナンシェの掌の上で転がされて終了という流れになるのが常らしいのだ。
父・ガナシュは娘たちに甘い。本来ならば勝手に許婚を決めてしまえばいいものの、候補者の中から選りすぐりの人物を会わせて娘の気に入った者と一緒にしてやろう、という親心がここまでの事態を招いてしまった。
実際、彼は頭を抱えていた。有力・有能な人物から順に見合いをさせたので、回数を重ねれば重ねるほど、求める次期公爵像からは離れて行ってしまう。……しかしそれでは不味い事情というものが、オードゥヴィ家にはあった。
300年の歴史があるガトーラルコール王国。その建国から存在しているオードゥヴィ公爵家は、当時から外交の要と言われこの部門を長く率いて来た。ガトラルがこれまでに一度も外国と戦争をせず平和に続いて来たのは、その功績が最も大きい。逆に言えば、下手な人物がオードゥヴィ公爵になれば国が危うくなる可能性だってあるという事だ。
それほどまでに重要な家柄だけに、後継者は誰でもいいというわけには行かなかった。
現公爵には後継者となる息子がいない。ガトラルでは娘が家を継ぐ事も出来るのだが、長女・フィナンシェは生まれた時から絶世の美女になるであろう事が目に見えていたので、婿に来たがる優秀な人材ならばいくらでも望めると踏んだ。そのため、娘たちへの後継者教育などもわざわざしなかったのだった。
目論見通り、成長したフィナンシェの元には数え切れないほどの縁談が舞い込んだ。その中には次期公爵として申し分のない相手も数多くいた。そしてそのほとんどは、家からの要望というよりも本人からの強い希望によって立候補されていた。
それらをまず公爵とその執事が吟味して、見合いに呼ぶ人間を決めて行ったのだ。
しかし、である。
そんな優秀な男たちを、フィナンシェはいとも簡単に、無残にも片っ端からバッサバッサと斬り捨ててしまうのだ。公爵としては「まさか」と言うより他はない。
……そういう訳で、残った縁談を前にした公爵は、日々頭を悩ませていたのだった。
――この日、そんな姉の見合いがまたもや行われる事になった。
場所は決まって広大な公爵家の敷地の中にある、応接専用の温室の中だ。それは普段、主に父の仕事で使われている所である。広く造られたそこはほぼ全面硝子張りで、内部に入るとその周りが草木で囲まれている。そして中心には小さめのテーブルと椅子が置かれていた。
もっとも、温室と言ってもこれは植物のためにあるわけでは無いので、「彼ら」は飾りのようなものである。草木はよく手入れされているものの生い茂り、上手い具合に外からの目隠しとなっている。(もちろん全て計算されたものなのだが)それらが消音効果にもなり、中の様子は屋敷内という秘匿性の高い場所ながらも、より外へ漏れないようになっていた。
だがショコラは知っている。ある場所から、ほんの少しだけ中の様子が窺えるのだ。
姉の見合いがある時は決まってそこから中を覗い――…否、見守っていた。
「……ショコラお嬢様、お行儀が悪いですよ。」
温室の外でしゃがみ込み、硝子窓の側でこそこそとしているショコラにひそひそと声を掛けているのは、令嬢付き侍女の一人であるミエルだ。
「だって、どうしても気になるのだもの!もしかしたら私のお義兄様になるかもしれないのよ?」
「シッ」と言うように口の前で指を立て、小さな声でショコラは言った。
「それにミエルだって、気になるから付いて来ているのでしょう?」
「ち、違います。お嬢様をお一人にしないためです!」
「本当に?」
「…そりゃあ、未来のご当主様かもしれませんから、全く無いと言えば嘘になりますけど……」
ふふふと笑ったショコラのすぐ隣で、ミエルも中の様子を窺った。
温室では、すでにフィナンシェと今回の見合い相手が席に着き、向かい合っている。
フィナンシェの後方にはいつもの通り侍女が二人付いており、それよりも少し手前には、ガナシュの従僕を務めるファリヌ・キールが立会人として毅然と立っていた。対する相手は、後方に執事らしき人物を一人だけ連れて来ているようだ。
「ねえミエル、今回の方はどうかしら?今度こそ私のお義兄様なのかしら?」
「…それは…どうでしょう。今回の方は“伯爵様”ですからね。」
「あっ…。」
このガトラルの爵位制度は、他所の国とは少し違っていた。
公爵、侯爵、伯爵までは他と変わらないのだが、ガトラルに子爵“家”は存在しない。
ここでの子爵とは伯爵家以上の家の成人だけが賜れる爵位であり、結婚して家庭を持つと、家を継いだ者以外は全て男爵となる。そしてその男爵家は一代限りで、親の跡を継ぐ事は出来ないのだ。
更に、一度得た爵位は簡単に別の人間に譲る事も出来ない。正当な理由が無ければ家族であっても、だ。
これは爵位家の数を無闇に増やさないためと、金銭で爵位をやり取りするような事が無いように、という事で決められている。
そのため、これまでフィナンシェの見合い相手としてやって来た者は全て、“子爵”だったのだ。
それが今回“伯爵”という事は……
「でも確か、物凄く面倒な手続きを取れば、伯爵様でも婿入りする事が出来るのよね?」
「ええ……そうですわ。」
「物凄く面倒な手続き」をしなければならない相手と見合いをさせる、という事は、それだけ父が追い詰められているという証拠でもある。だから可能性としては――…
「ですが、あの方の場合は……無いのではないでしょうか。」
今回の見合い相手『クレメダンジュ・ノワ・ヴェネディクティン伯爵』は、すでに爵位を継いでいるだけでなく、実はヴェネディクティン伯爵家の一人息子だった。つまり、彼が婿入りしてしまうという事は、ヴェネディクティン伯爵家には直系の跡継ぎがいなくなるという事である……。
「……なぜ旦那様は、そのような方をフィナンシェお嬢様のお相手に選ばれたのでしょうね……。」
そう言ったミエルは、納得の行かない表情をしている。
「……きっと、お父様には何かお考えがあるのよ。」
「そう、ですね。」
二人はまた、静かにフィナンシェたちの様子を窺った。
『――それにしても、お姉様はどうしてお見合いを全て断ってしまうのかしら……?』
これまでにあった見合いの様子を見ている限り、ショコラには分からないでもないと感じる時がありながらも、本当のところは今一つよく分からないでいた。
その結果、一つの推測を立てたのである。
「ねえミエル。私、考えたのだけれど……お姉様のお見合いが上手く行かないのは、ファリヌの事があるのではないかしら??」
ミエルは目をパチパチとしながらショコラに聞き返した。
「ファリヌさん……ですか⁇」
見合いの初回から、常に同席している父の従僕・ファリヌは男爵家の出身だ。それで昔、使用人として屋敷にやって来て少し経った頃、その優秀さを買われてフィナンシェの結婚相手として名前が挙がった事があったのだ。
家を継ぐ事が出来ない男爵家の子は通常、王宮での仕事に就いたり、商才を発揮して商売を始めたり、人によっては嫁入り・婿入りして爵位持ちとして暮らすのが一般的だ。
“男爵家”――つまり貴族であるという事で自尊心の高い者も多く、それが上位爵位家であろうとも使用人として働く事には抵抗感がある。そのためそういう選択をする者は稀だった。
だから、そんな提案をされれば誰であっても飛び付くはずと思われた。の、だが……。
「お断りいたします。わたくしは前面に立つオードゥヴィ公爵という位置には不相応です。その後ろに位置して、公爵様をお支えする立場こそが適任と考えます。わたくしは、オードゥヴィ公爵の“執事”となるためにこちらへ参ったのです。」
次期公爵という大出世と絶世の美女の伴侶というこれ以上ない破格の条件を、彼はすっぱりと一刀両断してしまった。
あまりの勿体なさに周囲の者たちは唖然としてしまったのだが、そのはっきりとした物言いをガナシュは逆に気に入り、まだいち使用人でしかなかった彼を自分の従僕にしたのだった。それは、将来の公爵の執事である事を意味している。
とは言え、まだ見合いを始める前だったフィナンシェは、いきなり振られた格好となってしまった。ただし、この話は屋敷内での出来事であり公に口外されてはいない――。
「……もしかしたら、お姉様は本当はファリヌの事がお好きだったのではないかしら……。だから、どなたとの縁談もお断りなさっているとか……」
その推理を聞いたミエルは呆気に取られていたが、次の瞬間に吹き出して答えた。
「それはございませんわ!私も何度かお見合いに同席させて頂きましたが、その最中にフィナンシェお嬢様がファリヌさんの方を気になさるご様子なんて、これまでに一度もありませんでしたもの。それになんて言うんでしょう、そういう雰囲気を、フィナンシェお嬢様から感じ取った事もございませんよ。」
「……なぁんだ、そうなの。もしそうなら面白いのにって、少し思ったのに……。」
残念そうにするショコラをミエルは苦笑いして見詰めたが、真面目な表情になって語り始めた。
「――…それに、フィナンシェお嬢様が気になさっているのは、いつだってショコラお嬢様の事ばかりですよ。私がショコラお嬢様と親しくしているとヤキモチを焼かれるんですから。そんなところは本当にお可愛らしいですわ。ふふっ。」
ミエルから伝え聞く話に、知らなかった姉の一面を見た気がした。それを、ショコラは照れながらも嬉しく思っていた。
「まあ…そうなのね。お姉様ったら……。」
そうこうしている内に、温室の中ではフィナンシェの見合いがついに始まった。
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