テラーノベル
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放課後の昇降口近く。
らん先生は、掲示物を張り替えるために脚立に乗り、手際よく作業を進めていた。姿勢の良いらん先生は、ただ立っているだけでも雰囲気があるが、仕事に集中するとその鋭さが一層引き立つ。
しかし、廊下では男子生徒たちがふざけて走り回っていた。
「ちょ、まてって!」
「お前が先に当たったんだろ!」
そんな声が響いた次の瞬間——
脚立の足元に勢いよく男子生徒の肩がぶつかった。
ぐらり、と脚立が傾く。
らん先生の体が一瞬、空中に浮いた。
「——っ!」
危ない、と気づくより早く、強い腕が抱え込むように支えていた。
「……っ大丈夫か!」
息を切らせた声。
抱きとめたのは、たまたま廊下を巡回していた体育教師・いるま先生だった。
勢いのまま、らん先生の身体はしっかりといるまの胸へと押しつけられていた。
硬く鍛えられた胸板に受け止められた衝撃で、らんの呼吸が一瞬止まる。
「い、いるま…先生…?」
「間に合った……ほんと、よかった……」
安堵の息が、らんの耳元にかかる。
その声が震えていることに、らんは気づいた。
しかし次第に、いるまの足元にぽたぽたと赤い雫が落ちているのも目に入る。
「……怪我、してるじゃないですか」
「ん? あぁ……ちょっと擦っただけですよ。大したことないです」
いるまはいつもの笑みを浮かべた。
らん先生を安心させようとする、優しい笑顔。
その直後、耳元でそっと囁く。
「お前が怪我しなくて、本当によかった。……怖かった、落ちるの見えてさ」
その声は、らんにしか届かないほど低く、深くて優しい。
らんの心臓が跳ね、 反射的に胸の奥がじわりと熱くなる。
だがその甘い空気を断ち切るように、さっきの男子生徒たちが慌てて近寄ってきた。
「せ、先生っ! すみません! わざとじゃなくて!」
らん先生はゆっくりといるま先生の腕から離れ、無言で生徒たちを見下ろす。
その瞳は、普段穏やかな彼とは別人のように冷えていた。
「……放課後、生徒指導室に来い」
声は低く、静かで、一切の逃げ道を与えない。
「ひっ……はい!」
生徒たちは青ざめた顔で逃げるように走り去った。
らん先生は深呼吸を一つしてから、今度は優しくいるま先生の手を取る。
その手の甲にも擦過傷ができて赤く腫れていた。
「……保健室行きますよ」
「こんなん平気だ」
「いいから来てください」
らん先生は誰にも見せないほど柔らかい眼差しで、いるま先生の腕を引いた。
「……ありがとな、いるま。助けてくれて」
その小さな礼にいるまは嬉しそうに微笑み、2人 は並んで保健室へ向かっていった。
保健室の扉を開けると、薄い夕陽がカーテン越しに差し込み、静まり返った室内が橙色に染まっていた。
保健の先生はまだ戻っていないらしい。誰もいない。
「……いるま、座れ」
らん先生は静かに言い、保健室のベッド脇の椅子を指し示す。
いるまは素直に腰を下ろしたが、その顔を見た瞬間——
らんは堪らなくなったように眉を寄せた。
「……痛むだろ、これ。なんで笑ってんだよ」
さっき廊下で見せた“怖い教師”の顔とはまるで違う。
今のらんは、泣き出しそうなほど優しく、弱い。
らんは消毒液を手に取り、震える指先でいるまの手を掴む。
こすれた皮膚からじんわりと血がにじみ、見るだけで胸が痛む。
「……俺のせいで怪我させて、ごめん」
声は小さく、掠れていた。
今にも涙が零れそうで、それを必死に押しとどめている。
いるまは軽く息を吐き、目を細める。
「ほんっと……お前は心配性だな」
そして突然、ふっと不敵に笑った。
「バーカ。こんなん怪我のうちに入んねぇよ」
そのまま、らんの手首を引き寄せるようにして顔を寄せ——
らんの唇に軽くキスを落とした。
触れたか触れないかの、甘くて優しいキス。
らんは一瞬目を見開き、次に頬を真っ赤にした。
「な、何して……ここ学校……」
「泣きそうな顔してんの、放っとけるわけねぇだろ」
いるまは椅子から立ち上がり、怪我した手とは反対の腕でらんの腰を抱き寄せる。
らんの体は抵抗する間もなくいるまの胸に収まり、強く抱きしめられた。
「……泣くなよ、らん」
低い声が耳元へ落ちる。
「生徒指導には俺も行く。あいつらのことは俺が半分持つ」
らんの肩がびくりと揺れた。
その優しさに、張っていた心がほぐれていく。
「終わったら……一緒に帰ろう、な?」
胸の奥に響くような、温かくて大きな声。
らんはぎゅっと目を閉じ、震える息を吐き出した。
「……あぁ。……ありがとう」
ようやく小さな声で返すと、いるまは満足そうに抱擁を強めた。
二人の間に流れる夕暮れの沈黙は、甘く、静かで、誰にも邪魔されない。
——そして、少し離れた廊下の陰からその姿を見ていた私は、 胸の前でそっと手を組み、そっと呟くのであった。
(……今日も尊すぎる……)
コメント
5件
尊いよ
親の前で見てた…にやにやが止まんないッ!泣(バレませんでした)