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「……っくしゅ」
朝。
職員室に小さなくしゃみが響く。
「緋八先生、風邪?」
「ん〜……たぶん」
マナは机に突っ伏しながらへらっと笑った。
だが、顔色は明らかに悪い。
頬が熱を持って赤い。
目元も少し潤んでいる。
同僚教師が心配そうに近寄った。
「大丈夫? 今日休めばよかったのに」
「いや、一限テスト返しなんで……」
「でもかなりしんどそうだよ?」
「気合いでなんとか……」
そこまで言った時。
「気合いでどうにかなるなら病院いりません」
静かな声。
ライだった。
パソコンから視線を上げ、じっとマナを見る。
その目が少し怖い。
マナは思わず姿勢を正した。
「いや、でも授業——」
「声枯れてますよ」
「う」
「あと顔赤い」
「……」
「熱測りました?」
完全に詰められてる。
周囲の教師たちが苦笑する。
「伊波先生厳し〜」
「緋八先生、愛されてるねぇ」
「ちがっ」
マナが慌てる。
だがライは表情一つ変えない。
「体調管理も仕事です」
いつもの仕事口調。
……なのに。
マナだけは気付く。
ライ、かなり怒ってる。
たぶん昨日の時点で無理してたのを知ってるから。
◇
実際。
昨夜。
「……だる」
ソファに沈んだマナを見て、ライはすぐ額へ手を当てた。
「熱あるじゃん」
「んー……でも明日仕事……」
「休めば?」
「無理ぃ」
ライは眉を寄せた。
そのまま薬と水を持ってくる。
「飲め」
「ありがと〜」
「今日早く寝ろよ」
「ライも一緒に寝る?」
「……寝る」
「即答」
「心配だから」
ぶっきらぼう。
でも優しい。
結局、ライはずっとマナの背中を撫でながら寝かしつけていた。
なのに。
朝になったら普通に出勤してきたのだ。
そりゃ怒る。
◇
「……38.2ですね」
保健室。
体温計を確認した養護教諭が呆れた声を出す。
「普通に熱あるじゃないですか」
「えへへ……」
「笑い事じゃないですよ」
隣で腕を組んでいるライの圧がすごい。
保健室の先生が苦笑する。
「伊波先生、めちゃくちゃ怖い顔してる」
「別に」
「してるって」
マナが笑う。
するとライは低い声で言った。
「誰のせいだと思ってんの」
「ごめんってぇ」
保健室の先生は目を瞬く。
二人の空気感が、妙に自然だった。
長年連れ添った夫婦みたいな。
「……緋八先生、今日は早退で」
「えー」
「“えー”じゃないです」
「伊波先生からも言ってください」
するとライは即答した。
「帰ってください」
「圧」
「あとで家まで送るんで」
——しまった。
言った瞬間、空気が止まる。
マナも固まる。
ライも数秒遅れて気付いた。
“家まで”。
保健室の先生がきょとんとする。
「え、方向一緒なんですか?」
「……途中までです」
ライが即座に修正する。
だがほんの少しだけ声が硬い。
マナは笑いを堪えるのに必死だった。
◇
「失礼しまーす」
保健室の扉が開く。
入ってきたのは女子生徒二人。
「あ、緋八先生だ」
「大丈夫ですか?」
「ちょっと熱〜」
「えぇ!? 休んでくださいよ!」
騒ぐ生徒たち。
その横でライは静かに書類を書いている。
完全に仕事モード。
……だったのに。
「緋八先生、水飲みました?」
生徒たちより先に反応した。
「まだ〜」
「飲んでください」
ペットボトルを開けて渡す。
自然すぎる動作。
女子生徒たちが無言になる。
「……」
「……」
マナが嫌な予感を覚える。
次の瞬間。
「伊波先生、お母さんみたい」
「ははっ」
吹き出すマナ。
ライは無表情。
「体調悪い人間放置するほど性格悪くないんで」
「いやでもなんか距離近くないですか?」
ぎく。
ライの手が止まる。
女子生徒がじーっと二人を見る。
「ていうかさ、二人ってほんと仲良いですよね」
「……普通です」
「え〜?」
「気のせい」
淡々。
いつものライ。
だが。
「でも伊波先生、緋八先生にはちょっと甘い」
その一言に。
ライの視線がゆっくり女子生徒へ向く。
「授業中暇なんですか」
「怖っ」
「課題増やしますよ」
「横暴!」
空気が崩れる。
笑いが起きる。
誤魔化せた。
……はずなのに。
マナは気付いてしまった。
ライの耳が少し赤い。
(照れてる)
かわいい。
熱でぼんやりした頭でも分かるくらいには。
◇
放課後。
結局マナは早退になった。
人気の少ない裏門。
そこでライを待つ。
数分後。
「おまたせ」
小走りでライが来た。
「仕事大丈夫だった?」
「片付けた」
「早」
「お前送る方が優先」
さらっと言う。
マナはふにゃっと笑った。
「ライ今日めっちゃ甘いね」
「熱あるから」
「病人特権?」
「今だけ」
そう言いながら、ライはマナの鞄を自然に持つ。
完全に彼氏。
学校外に出た瞬間これだ。
「……ねえライ」
「ん」
「学校でさ」
「うん」
「“家まで送る”って言った時、ちょっと焦った?」
ライが黙る。
数秒。
「……焦った」
「ふは、やっぱり」
「お前笑い事じゃないからな」
「でも嬉しかった」
「何が」
「ライ、無意識にそういうこと言う時あるよね」
ライはため息をついた。
「……お前のことになると抜ける」
低い声。
マナは一瞬黙る。
心臓がうるさい。
「それ、反則」
「何が」
「かっこいい」
「熱で頭おかしくなってる?」
「ひど」
ライが小さく笑った。
そのままマナの額へ手を当てる。
「まだ熱い」
「ライのせいかも」
「は?」
「ドキドキするから」
一瞬。
ライが止まる。
それから。
「……家帰ったら覚えてろ」
ぼそっと。
「え、なにその返し」
「知らない」
耳が赤い。
マナは吹き出した。
◇
夜。
「薬飲んだ?」
「飲んだ〜」
ベッドの中。
ライはマナの隣に座り、髪を撫でている。
静かな部屋。
学校とは違う空気。
「……ライ」
「ん?」
「今日ずっと心配してくれてたね」
「当たり前」
「優しかった」
「いつも優しい」
「学校だと塩じゃん」
「学校だから」
ライは少し目を細める。
「でも」
「?」
「お前がしんどそうなの見ると無理」
ぽつり。
小さい声。
マナは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……好き」
「急だな」
「だってライかっこよかった」
するとライは少し笑った。
そのまま、マナの額へ軽く口付ける。
「早く治せ」
「ん……」
「治ったらいっぱい構うから」
「今でも十分甘いよ?」
「病人には甘やかす主義」
「なにそれ」
くすくす笑う。
ライはそんなマナを見つめながら、小さく息を吐いた。
——学校では隠す。
けれど。
隠したいのに、隠しきれない。
その境界線は、少しずつ曖昧になっていく。
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