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※後味悪め、日帝さんが割とカス
私たちの家族は異常でした
「日本、今日はテストの返却日ではないのか?結果を早く見せろ」
幼少期、父上との会話はほとんどこの話題でした。
私は震えながらテストの用紙を取り出して、父上に渡します。
「…なんだこの点数は!!」
「ひっ…!」
「いつもいつもお前たちは…前に私がなんと言ったのか忘れたのか!!」
「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!!こ、今回は難しくて、これでも学年で1番で…」
「言い訳など聞いていない!! 」
父上は私の話なんて聞いてくれず、100以外の点数を取れば烈火の如く怒り出して、よく殴られました。
けれど、これでもマシな方だったんです。
私はまだ勉強が得意な方でしたが、妹は全くの正反対で、運動能力だけが取り柄と言ってもいいほどに苦手なんです。
「ごめんなさい!ごめんなさいおとうさっ…きゃあ!!」
このような悲鳴がずっと聞こえてきて、兄なのに守れない悔しさと父上に対する恐怖で震え、布団の中で泣き続けました。
そんな声が聞こえる次の日の妹は、かわいい顔を腫らして、手足に痣ばかりができていました。
気がつけばあの子は家族としての立場もなくなって、夜遅くまで家の近くで座り込み、父上が寝たであろうタイミングで私が鍵を開け、あの子に少しの食事を与えるというルーティンができました。
「父上は、私たちのことを自分の子供だと思っていないんだ」
そんな簡単なことに気がついてからは、私はおだてることが上手になりました。
死に物狂いで通知表はオール5を取れるように努力して、勉強して、自分を殺し続けました。
数冊程度のノートではすぐに使い切ってしまって、その度に父上に強請るという拷問のような時間を過ごしました。
勉強の為と言えば基本的には許してくださりますが、殴られていた記憶は消えてくれません。
そんな中学時代に、妹との記憶はほとんどありませんでした。
学校には行っていたようですが、友達の家を転々として泊めてもらったり、夏は家の敷地で野宿をしていました。
そんな妹を助けられない私は、父上の言う通り、失敗作です。
大人になれば、その異常さは少し減りました。
父上からの関心がなくなったからです。
妹は働けるようになった途端、何も言わずに家を出ました。
私も家を出ようと準備をして、社宅に住まうようになりました。
あの地獄のような家を離れられたことに、初めは喜びすら感じました。
でも…駄目でした。
殴られてもいいから、関心が欲しかった。
罵詈雑言でもいいから、言葉が欲しかった。
父上からの興味が、何よりも欲しかった。
人の顔色ばかり伺う私は、会社での評判は良く、仕事はずっと振られ続けました。
便利なコマでした。
だから、本当の私を…ゴミクズみたいな、価値のない私を見てくれる方はいませんでした。
ある時、仕事でミスをしました。
本当に本当に些細なミスです。
数字の桁を間違えたわけでも、お客様のお名前を間違えたわけでも、なんでもありません。
少しの誤字でした。
ですが、それを指摘された時、私の中の何かが崩れ去ったのです。
「…辞めます」
この程度で折れるほど脆かったんです。
怒られると思いました。恨まれると思いました。殴られると思いました。大人になってもこんなミスをするようでは、殺されてもおかしくないではと思いました。
誰を頼ることもできませんでした。
妹の行方すらわかりません。
生きているのか、死んでいるのか、でも、どこかで楽に生きていてくれたなら…と、兄として最後の思いを馳せて、ただそれだけ。
実家には今も、あの人が住んでいるのでしょう。
お祖父様に怒鳴られ殴られ、私と同じように虐待されて育った、生みの親であるあの人が。
友も親も恋人もなく、1人で生きられない私の行く先は一つだけ。
「あぁ… きっと肉親とも思われていませんが…父上、先立つ不幸を、お許しください」
「…私、は…こんな、こんなつもりじゃ…!」
最愛であったはずの我が子を殴り、追い詰めた私は、愛息子と愛娘の仏壇の前で泣いた。
父上にされたことを、自分もしてしまった。
嫌だったのに、苦しかったのに、愛して欲しかったのに、全く同じことを。
もしかして、父上もそうだったのだろうか。
空と海が死んだ時、夜な夜な泣いていた父上が本当の父上だったのだろうか。
「…ごめんな、2人とも…」
悲しくなるほど異常な私たちは、私を最後にその血を途絶えさせた。
誰の遺影にも、明るい笑顔はなかった。