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仕事が終わったあと、和香は耀に誘われ、
というか、耀のうちの鍋とミステリーの新刊に誘われ、耀の車で彼の自宅へと向かっていた。
赤信号で止まったとき、和香は前の車を見て言う。
「前を金沢ナンバーの車が走っていると、なんかいい感じですよね」
「……どんな感じだ」
「金沢って文字を見てるだけで。
和菓子、とか。
金箔、とか思って、なんかありがたい車が前を走っているように感じます」
「……お手軽に幸せになれる奴だな。
金沢ナンバーの車だからって、老舗の和菓子売って歩いてたり、金粉まき散らして走ってたりしないからな」
と言われたが。
いや、なんかそういうイメージなだけですよ。
いいではないですか、と和香は思う。
いつものように美味しい夕食をいただいたあと、和香はリビングのソファで借りたミステリーの新刊をめくる。
新しい本のいい匂いがした。
「ちょっとそれ、怖い感じだったが、大丈夫か」
はあ、たぶん、と和香は言う。
「すごい怖い話って、あとがきに救われますよね。
作者の人の愉快な話とか書いてあると、なお、いいです。
ああ、この怖い話、現実じゃないんだなー、って思って」
それでいつも読み終わったあと、後書きあるか、確認するんです、と和香は言った。
「そういえば、子供のころ読んだお話がすごく怖くって。
今にもリアルに、そうなりそうで。
必死で後書きを探したんですけど。
何処にもありませんでした」
「どんな話だ」
「父親が宇宙人とすり替わっていたって話なんですけど」
「……それ、リアルになるか?」
と言われ、
「犯罪者にはなりましたけどね」
と和香は笑ったが、笑えない、と耀は眉をひそめる。
「今日も帰るのか」
そう耀に言われ、本を手に和香は、はい、と言う。
「……たくさん部屋はあるんだ。
泊まっていってもいいんだぞ。
何処かをお前の部屋と決めてもいい」
とやさしい耀は言ってくれるが。
「課長に迷惑はかけられませんから」
そう和香は言った。
迷惑かけられない、と思うのは、今夜泊まるとか泊まらないとか、それだけの話ではなく。
もし、自分が専務たちに復讐を果たしてしまったら。
自分と一緒にいることで、課長の立場も悪くなるだろう。
そう思うからだ。
「課長に迷惑はかけられませんから」
そんな言葉で拒絶された耀は悩んでいた。
これはどういう意味で言ってるんだろうな、と。
ほんとうに自分に迷惑はかけられないと思って言っているのか。
それとも、体のいい断りの文句なのか。
ともかく帰るという和香を車で送ることにして、外に出た。
自分は呑んでいなかったからだ。
よく考えたら、和香の前で格好つけて呑めるフリをする必要もないし。
和香は自分が酒の相手をしてやらなくとも、勝手にグビグビやってくれる手間いらずの女だし。
外に出ると寒いが星は綺麗だった。
この辺りは夜になるとあまり灯りがないので、より一層綺麗に見える。
「わあ」
と和香も夜空を見上げた。
一緒にしばし、夜空を眺めているつもりだったが。
和香は、
「オリーブ、こうして見ると大きいですね」
と言う。
……そっちか。
和香が見ていたのは、夜空の手前にある大きく育ったオリーブの木だった。
いや、大きく育ててくれたのは、業者の人で。
この家には、育った状態で運ばれてきただけなのだが。
だが、
「オリーブ越しの夜空、素敵です」
と言われ、
……うん、と頷く。
「目を閉じると、地中海にいる気分ですね」
と和香は目を閉じてみているが。
それだと、オリーブの木も見えていないので。
日本の冬らしい寒風吹きすさぶ中、和香が、なにを頼りに地中海にいる気分になっているのか、謎だった。
「いや……小豆島かな」
と和香が呟く。
急に近くなったな……。
目を開けた和香は、オリーブの木を見上げ、訊いてきた。
「これ、実もなるんですか?」
「いや、一本しかないからどうだろうな。
一本でも実がならないこともないらしいが」
違った品種を植えた方がなりやすいらしい、
と耀は造園業者の人に聞いた気がする話を和香にも伝えた。
「まだ引っ越してそんなに経ってないから、庭のことまであんまり考えてないんで。
今のところ、増やす予定はないんだが……」
「そうですか」
と言ったあとで、和香はまたオリーブを見上げる。
「いつか、このオリーブの実がなったら……」
オリーブの実がなったら……?
なにが起こるんだ?
結婚してくれるとかっ?
いや、今、滅多にならないって言ったよなっ?
実はこれ、遠回しに結婚を断られているのだろうかっ!?
と耀は考えすぎていたが。
和香は単に、なったら、新鮮で美味しそうですね、と思っていただけだった。
まあ、違うことも、チラリと頭をよぎってはいたのだが――。
結局、耀は和香を送ってアパートまで行った。
羽積王子はまだ帰宅していないようだった。
「ありがとうございます。
部屋の前まで送っていただいて」
と言う和香は、今日も、上がってお茶でもどうぞ、とは言ってくれそうにもなかった。
――俺を警戒しているのか。
それとも、さっき言ってたみたいに、自分と関わると迷惑がかかると思って、俺を遠ざけようとしているのか。
そんなことを思いながら、耀は、むき出しの外階段やズラッと並ぶ扉を見回し言った。
「いや、いい。
アパートには住んだことないから、なんか新鮮だしな」
その言葉に嘘はなかった。
「あ、そうなんですか?
じゃあ……」
と和香は笑顔で言いかけ、やめる。
その顔には、
おっと、うっかり上がってみられますか?
と言うところだった~っ、とハッキリ書いてあった。
これはもしや、もう一押しかっ? と耀は身構える。
「そう。
実は、俺は昔からアパートというものに憧れがあってな」
じゃあ、アパートに住めよ、と言われそうなことを耀は言った。
「ほら、ミステリーなんかにもよく出てくるじゃないか、古びたアパートとかって。
でも、大学も会社も家から通えたし。
いざとなったら、自宅よりもっと近くに、今誰も使ってないマンションもあったし」
と時也たちに殴られそうなことも言う。
ともかくアパートへの憧れを語り。
それ以上に憧れている和香の部屋をチラとでも覗かせてもらおうと必死だった。
例え、そこが足の踏み場もなく散らかった部屋だとしても。
お前が住んでいるところなら、俺にとっては楽園だっ、
と結婚して一、二年もしたら、絶対に思いそうにもないことを耀は思っていた。
「そうなんですか」
と言う和香に、アパートへの憧れを語り尽くした耀は、いつの間にか、和香の部屋の物について語りはじめ。
この部屋にあるのだろう、呪われたタオルについても語りはじめた。
「古いタオルは吸水がいいと聞く。
だが、うちにはそんなタオルはなかった。
おそらく知らないうちに、ちょっと古くなったら、お手伝いさんが買い換えていたんだろう。
古びたタオルなんて、我が家には一枚もなかった。
見たこともない」
とそろそろ会社のみんなに殺されそうなことまで語る。
「うちのタオル、母方の祖母が掃除に使うタオルが欲しいというのであげようとしたら、却下されたくらいの。
お掃除タオル以下の代物なのですが。
ほんとうに見たいですか?
そんなタオルでもいいんですか?」
その言葉が耀の耳には、
『こんな私でいいんですか?』
と聞こえた。
ああ、と力強く耀は頷く。
和香は扉を開け、中に入ると、すぐに出てきた。
手には元はピンクだったのだろう、変色したタオルを持っている。
「どうぞ。
呪いのタオルです。
課長に差し上げます。
今日はどうもありがとうございました。
今度は私がおごりますね」
そう微笑んで、和香は扉を閉めてしまった。
ガチャリと鍵がかかる音がする。
この家の扉は指紋認証では開かない。
耀は古いタオルを手に、ふう、と溜息をつく。
だが、よく使い込まれたそのタオルに和香の気配を感じた。
元は可愛らしいピンク色だったのだろう、ちょっぴり変色したタオルは和香とともに、半世紀歩んできたのかもしれない、
と耀は想像をたくましくする。
「……いや、私、まだ半世紀生きてないんで」
と和香には突っ込まれそうだったが。
ともかく、通常のタオルよりは、長く和香を見守っていた感じのタオルだった。
そこに羽積が帰ってきた。
仕事中とは違う、バンドマンのような格好している。
いや、もしかしたら、彼にとっては、今も『仕事中』なのかもしれないが……。
「どうした、王子」
と羽積王子に問われ、
「和香にタオルをもらったんだ」
と耀は、ありがたそうにそのタオルを見せた。
だが、羽積は眉をひそめ、
「うちのをやろうか」
と言ってくる。
「いや、これがいいんだ」
と笑うと、羽積王子は、そっと耀にビールをくれた。